片桐塾生の声part5(No.278〜 )
ここには、片桐社会学塾の塾生から寄せられた意見を掲載します。プライバシーの問題もありますので、メールで送ってくれたものを、チェックして、名前をイニシャルに変えて、掲載したいと思います。どしどしご意見をお寄せ下さい。
318.(タイトル) 片桐塾、ありがとうございました! By No.34 HR君(2025.9.28)
先日は片桐塾に参加させていただき、ありがとうございました。
今回もお礼、感想のご連絡が遅くなってしまい申し訳ありません、、!
今回、久しぶりに現地参加させていただきましたが(前回の現地参加から2年ぶりでした。月日が経つのは早いですね)、率直に現地は全然違うな!と強く感じました。
もちろん、zoomも便利で遠地にいる私としてはありがたいシステムなのですが、現地だからこそ感じられる熱。
その後の懇親会も含めて現地でしか得られない体験だな、これこれ!と改めて感じました。笑
Kさんが問題提起された第1講目では、学校現場の過去と現在について学ばせていただきました。
なかでも昔であればごく普通だった高校生活での場面が現在ではほとんどアウト判定というのがショックで印象的でした。
私もまだ20代ですので、半分ほどそれはまあダメだろうなぁというものもありましたが、残りの半分は私の中学高校時代ではセーフ(だったかはわかりませんが、私自身が経験したこと)でした。
この十数年でここまで雁字搦めでつまらない学校現場になってしまったのかと残念に思います。
ガチガチのコンプライアンスを教育現場に当てはめることは百害あって一利なしだと思います。
もちろん教員の性犯罪などは論外ですが、あれもこれもダメ、金太郎飴のような教員,教育が正義というのでは将来面白みのない大人ばかりになってしまうのではと思います。
部活道指導の外部委託や私立高校の無償化など、見方を変えれば公立校への逆風が吹くなかで、少子化も加速し、未来の学校現場はどうなってしまうのか?と危惧します。
それこそAIによる効率的かつ画一的な教育というのも考えられますが、教育は人対人でこそ。と思うのですが、、
こうした考えが少数派なのであればドライに進められそうな気がします。
このあたりは私の知る限りでは万博でも触れられていませんでした。笑
Kさんが問題提起された第2講目は私の関心深いジェンダーに関連する内容でしたが、Kさんご自身の業務内容にも興味を惹かれつつ、働く女性の苦悩やワークライフバランス、男女平等などについて深く考えさせられました。
管理職登用や昇進の際には、まず本人の意思が尊重されたうえで、そのための資質が伴っているかが性別に関係なく評価されれば平等といえると思いますが、まだまだ難しそうだなと感じます。
バリバリ働きたいと考える女性に活躍の機会が与えられるべきであるのと同時に、適度に働きたいと考える男性の意思もまた尊重されるべきだと考えますが、なかなかそうはいきそうにないなぁというのが実感です。
子育てと仕事の両立については、周囲のサポートが重要だと思いますが、特に地元で就職した人にとっては親のサポートは結構大きいですよね。
しかし、人口減少で東京一極集中が進めば親のサポートが物理的に受けられず、地域コミュニティも今よりさらに希薄化してしまうと思います。
このあたり、子ども家庭庁は本気で動いてくれないものですかね、、
今回は現地参加というのも大きかったと思いますが、2講ともより深く考えさせられる内容でした。
また現地参加の特権、第2部の懇親会も楽しませていただきました。
1次会のゲリラでは、そのほとんどの時間が問題提起の内容で大盛り上がりで、皆さん関心深いテーマだったのだな!と感じました。
以上、塾の感想です!
とりとめのない文章になってしまったこと、また、メールが遅くなりすぎてしまったこと、お許しください、、、
今後の塾も時期を移して変わらず関大の教室で開催されるとのことで安心しました!
実は次回以降はどういった開催形式になるのだろう?
関大に来るのももしかしたらあと1,2回なのかなぁ?
なんて考えていたのですが、さすが名誉教授!!
来年10月予定の次回の塾が今から楽しみです。
317.(タイトル) 同世代として応援する第18回 By No.7 MS君(2025.9.24)
「第18回片桐“社会学”塾」では、先生をはじめ基調報告そして参加した塾生の皆様お疲れ様でした。今回の塾では、どちらの基調報告とも、過去に仕事や家庭において大変ご苦労されたことを痛切に理解できた塾となりました。
先ず、1講目の「一公立高校教諭からみた学校現場」についてです。以前の第3回と第14回の塾での公立小学校の現場の状況を取り上げた問題提起及び基調報告において、教師の業務量の過多や遣り甲斐に関して受講しましたが、やはり公立高校の現場でも同じような状況なのだなと感じました。一方で、Kさんが抱く高校教師に対するポリシーや生徒に対する熱意も感じました。
次に、2講目の「公務員は夢の職業だったのか?〜23年目に思うこと〜」についてです。私も地元の市役所に26年間勤務して、講義でその経験を基に幾つか発言させていただきましたが、PART04の「楽しかったこと」と「つらかったこと」の人間関係、そしてPART05の「期待していたことvs現実」と「得られたもの」と「日々疑問」に関しては、大いに共感する点がありました。また、講義の中で女性の管理職に関しても話題となりましたが、以前にも第15回の塾での基調報告「女性管理職のこれから 実体験を通じて」についての所感で記したように、私の上司の管理職が女性だった時には、スムーズなコミュニケーションが取れ、業務での難題に対しても親身に且つ果敢に対処してもらえたので、好印象を持っています。
今回基調報告を担当したお二人とも、私と年齢が近く50歳代を迎えられていますが、この年代で起こるかもしれない難局に直面しても無事に乗り越えられるように、遠方から同世代として応援しています。そして、今後のライフスタイルを充実していけるように、お互いに無理せず過ごしていきましょう。
316.(タイトル) 片桐塾ありがとうございました By No.27 KMさん(2025.9.23)
片桐塾お疲れ様でした。メールが遅くなりすみません。
Kさんの報告を聞いて、まずは教師の端くれとして、襟を正したくなりました。生徒との向き合い方が何とも素敵で、本来の教育の在り方だなと心から思いました。けれども雑務の多さや国や学校事情、時代の流れなど色んな事に流されて、窮屈な教員生活を送らなければならず、教職の本来のやりがいや楽しさが半減してしまい、給料もやりがいも搾取されているなと思いました。
私の高校時代は個性的で面白く自由にのびのびやっている先生ほど面白く(例えば政治経済の授業は、先生の大学時代の研究テーマだった冤罪についてひたすら勉強し、テストの時だけ教科書の内容を勉強したり)そんな面白い先生になりたい!!と私も憧れましたが、今はカリキュラム重視なのと、いかに教科書に準じて授業を行っているかが中心で、なかなか自分のやりたいようにもやれず、カラーも出しにくく、淡々と授業をこなす日々です。やりがいの搾取はいけないとは思いますが、せめても給料がたくさん出なくとも、教師としてのやりがいや楽しさは残してほしいとは思います。もちろん本当は対価も欲しくはありますが…
Yさんの報告は、仕事と家庭の両立をしたい女性にとってのあこがれでもあり、どちらも取りたい女性の試練でもありで、けれども女性が男性と一緒に仕事したり、上司になるというということは、まだまだ並大抵のことではないんだなと思いました。両祖父母などが遠方で助けてもらえなかったのと、やりたいのが多忙な教師という仕事なので、諦め今の生活を選んだ私ですが、物足りなさは感じています。フルか、時給制か!!の二択が多いですが、個人に合わせて程良き分量の仕事を選べるようになったら、女性ももう少し仕事もしやすくなるのではともふと思いました。130万の壁にも私は足を引っ張られています。
KさんもYさんも、これから私も訪れる50代の指標になりました。お二人ともカッコいい!!全力で生き、悩み、それでも自分の進む道をもがきながら進んでらっしゃることに尊敬し、私もそんな50代になりたいと思います。
久しぶりのリアル参加でしたが、たくさんの方と話すこともでき、来てよかったと思います。また、ちょくちょくリアル参加させてもらいます!!
315.(タイトル) 明日へのエネルギーをいただきました By No.83 KK君(2025.9.22)
先日の片桐塾、心地よい時間を過ごさせていただいてからあっという間に今日を迎えています。先週の金・土は文化祭。生徒とともに盛り上がり、楽しむことができ、成功裡に終わりました。「楽しくなければ、学校ではない」。
さて、その後の「片桐塾生の声」を拝見すると、示唆を得るメッセージが多くあり、返信をと思い筆をとりました。
Kさんのメールにもありましたが、同学年である93生、Kさんは片桐ゼミ生、一方で私は他ゼミ。同じ学び舎で学び卒業し、約30年。その時、その場で最適解を求めながら探究してきたこれまでのことを報告し、そのことを共有しあえたことに、大きな意味があったのかなと思っています。女性活躍社会といえど、多くの職場での人事配置はまだまだ男性優位です。数合わせの駒として女性が配置される現状のなか、Kさんの思いを伺えたこと、印象に残っています。
No.64 KMさんのお家での晩御飯のときのお子さまたち、学校での話しをする様子、想像できます。教師に対する愚痴が多いとのこと。私の周りにも独善的な教師、横道な教師、ちょこちょこといます。「全ての生徒は将来、社会に大きな貢献をする可能性をもっており、そのことに敬意を表する」という意識を持ち合わせていないのでしょうね。教師の一つ一つの発言や振る舞いや行動は、目の前の子どもたちにだけでなく、全世界に発しているという責任をもたなければなりません。
No.40 TFさんの「小学校は複数担任制など、もう少し属人化によらないシステムが必要ではないか」という点、仰る通りです。塾生の声を拝見すると、皆さんともまだ個別にお話しできていないにもかかわらず、どうも私が「地で行く」キャラだけは伝わっているようです(笑)。大学のゼミと違い、小・中・高校の児童・生徒は教師を選択できません。新年度4月に、学級担任として、教科担任として児童・生徒と出会い、1年間学校生活を送るわけですから、子どもたちに与える影響は大きく、計り知れないものがあります。だからこそ教育は尊いものですが、同時に、教師は謙虚であらねばなりません。そのためにも児童・生徒にとって“逃げ道”を用意してやることは本当に大切なことです。そのことが児童・生徒だけでなく、教師にとっても幸せにつながるのですから。
No.2 KKさん、報告で私は教師の仕事は「裁量労働」だと話しましたが、教師になった30年前と現在とで最も大きく変わった点の一つは、服務規律が細かく管理されるようになった面だと思います。教師の仕事は、定時の勤務時間だけで完遂するような仕事ではありません。私は、年次有給休暇をうまく活用しつつ、on-offを自らがコントロール、「自分の機嫌は自分でとる」ことを念頭に置いて、他者と協働できるかどうかが、まさに「働き方改革」なのだと思っています。教師の働き方には社会の耳目が集まっていますが、スポットライトがあてられていない多くの仕事の働き方がどうなのか、私がもつ課題意識です。その現実を知り、教師という仕事を対象化する作業も必要なのでしょうね。
ただ「教育は国家百年の計」、教育を極力民間に任せていこうとしている動きは、社会や国民にとって甚大な不利益をもたらすことになるでしょう。
No.29 UTさんのメールに「校種が異なるとずいぶん中身も違う」とありました。私の妻も小学校教員です。本当に小学校と高等学校ではまったく中身が違います。小学校の先生は、児童の登校から下校、自宅に到着するまで気を抜くことができません。週あたりの授業数も高等学校に比べてびっしりで空き時間も少なく、教師の休憩時間もあるのかないのか、お手洗いにいく時間もいつなのか…。小学校の先生には本当に頭の下がる思いです。
学級通信の発行を学年通信にすることもその一つ、組織として足並みを揃えていくことの方が当然に教育力は上がります。まさに『教育は人なり』ですね。教師と教師とのよりよい関係が醸成できればプラスに働きますが、その一方で合意形成が難しいこともしばしばです。
No.10 MM君さんの質問に対する返答を…。
@教科間での違いについて…教科によって優劣の意識や、何か暗黙のルールのようなものが存在するかどうか。
一般に、国語、数学、英語の各教科・科目は、低学年で配当される単位数が他教科・科目に比べて多く、これらの基礎学力を身に付けていくためにも、学習時間を多く確保するようにと生徒に指導しており、生徒も優劣の意識を身に付けていますよね。
大学受験を目指す生徒に対して私もそうした指導をしていますが、と同時に、私は、高等学校で履修するすべての教科・科目に優劣はなく、そのことを生徒にことあるごとに指導しています。
古代ギリシアの哲学者プラトンが開いたアカデメイアの門の入り口には「幾何学を学ばざる者はこの門に入るべからず」と書かれており、そこでの必修科目は、幾何学、数学、天文学、音楽等だったそうです。「幾何学は発明発見の基礎である直感力を養う。数学は人間の論理的思考力を養い、天文学は集中力を培い、音楽は人間が言葉や文字に支配され伝統的な知識に頼る傾向を脱し、言語を越えて真理に到達するための感性を養う」と説明されていました。直感力、論理的思考力、集中力、感性の豊かさ、これらは人間を豊かにする最も大切な諸能力だと思います。人間にとってこうした大切な資質・能力を気付かぬうちに育てているもの、それが高等学校で学ぶ教科・科目すべてであるのでしようね。
A日教組の影響力について
H県では、私が教師になったころに比べると影響力は本当に小さくなりました。若かりし頃、約2年間加入していましたが、活動方針に疑問をもち、自ら早々に脱退したので、何かしらの活動をしたという実感はありません。
B教師をしていてよかったことについて
塾では「今」こそが一番思い出に残っていると話しましたが、よかったこと、本当にたくさんあげることができます。強いて一つあげるならば、卒業生との関わりだと思います。社会のあらゆる方面で活躍している卒業生は、何かあったときに私を助けてくれ、様々な真正な情報を提供してくれています。今、眼前の生徒に対して指導をしていくうえで必要なヒントをよくもらっています。No.28 AEさんのメールには、中3の担任の先生と年賀状とありますが、私もやりとりをさせてもらっている卒業生がおり、なかには数年前に卒業した学生さんもいます。また時間の経過とともに途絶えていくこともありますが、巣立っていったということなのでしょう。
No.48 KFさん、熱い先生は私の知る限り、本当に沢山いらっしゃいます。私なんか、大した者ではありません。若い20代の先生のなかにもポテンシャルの高い先生がおり、彼ら、彼女らからは学ぶことも多いです。同期採用の仲間のなかには、早期退職や転職した者、管理職に昇進したため直接に生徒に指導する機会が少なくなった者も多く、採用人数が少なかった私たち世代は学級担任として活躍している絶対人数が少なくなっている=「絶滅危惧種」、私もその一人です。No.80 KAさんがいう「○○先生のクラスがいい!」とすべての生徒にとって心理的安定性の高い学級経営のできる担任教師であり続けたいなと思っています。
さて最後に、片桐先生からは「あなたは、社会学部総代なのに教員採用まで2年かかったのはどうして?」と言ってくださいました。本当に勉強不足でしたから、当然です。大学を卒業してようやく高等学校の公民科の教科学力の一つ一つと本当に向き合ったのですから…。恥ずかしいばかりです。当時の生徒たちに対しては、本当に失礼なことをしたと思っています。
それにしても、恩師の方々は若き頃、やはり今の私と同じように悩みや不安を抱えていたのでしょうか。恩師、先輩方の歴史と向き合いながら、これからも人間力を高めていきたいと思っています。
314.(タイトル) Re: 第18回片桐塾開催報告というか個人的感想 By No.33 KHさん(2025.9.21)
先生、こんにちは。
改めて、13日の片桐塾、ありがとうございました。
卒業後の時間を振り返り、皆さんにお話しする時間をいただけて、本当にありがとうございます。
後でおっしゃっておられたように、もう少し、自分たちの就職活動時の氷河期の状況と今、や、12年ほど前に一度社内(やっぱり「会社」と表現してしまいますね・・)の一回りほど年下の後輩たちと、自主研修会でワークバランスを研究したことがあり、その時に過去のデータ比較や現状整理をしたお話なども提供できたら、もう少し掘り下げられたかな、と反省しています。
あと、「公務員」という職業の話も出来たら良かったかな?という思いもありますが、あの場でいろんな発言をいただき、自身の体験を客観視することもできたし、誰かの何かのヒントになったらいいなと思っています。。
(それにしても、塾でも発言がありましたが、子育ても介護も、家庭内だけでなく何らかのサービスが、気持ち的にも金額的にも、もっと気軽に利用できるような社会になると、もう少し楽になる気がします・・・。)
Kさんのお話も、大変興味深くお聞きしました。
そもそも同じ日に同じ93期生でお話しさせていただくとは・・と感慨深かったですし、あちこち共感してしまいました。
「先生」になりたいと思っていた時もありましたし、自分自身のことや子供たちの学校とかかわってきて、どんな子でも大なり小なり「先生」の影響を受けるし、その存在の良し悪し(というのはちょっと表現が違うかもしれませんが)により、その後の記憶も変わってしまう、とても人への影響の大きなお仕事ですね。
どんな職業でも同じ人間がやってるし、30年近く働いていると様々な葛藤の中で職業としての意義と自分の正義をバランスとりながら進んでいるんだと、励まされた気がします。もっともっと話を聞きたくなる、人柄を感じる素敵な発表でした。
この選択はベターだったのか、ベストだったのか、いつも自問自答していますが、先生の本も拝読しながら、また考えていけたらいいなと思います。
どんなことでも堂々巡りになると考えるのが嫌になるときもありますが、考えるのをやめないようにしたいです。
そう思うことができるのは、先生がいつも考えて、それを私たちに伝えてくださるからだと思います。
熱心な読者ではないかもしれませんが、ホームページも楽しく読ませていただいています(本当ですよ)。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします!
313.(タイトル) [第18回片桐塾感想] By
No.87 YT君(2025.9.18)
お礼が遅くなり申し訳ないです。
先日は、片桐社会学塾に参加させていただきまして、本当にありがとうございました。
1部も、2部も、勝手に名付けている3部も(塾生のみなさまの声)も、刺激になり、学びになり、社会学ってすごいと…それはもちろん(必死に聞きながら読みながら)なんとか楽しめました。
発表者のおふたりとも素晴らしい発表だったと思います。知らない世界を知ることができました。
しかしながら、塾生の皆様と比べて、いかに普段から、自分があまり考えを深めずに過ごしてきたかも痛感してしまい、塾を振り返りつつ、帰ってから結構凹んでました。(そりゃまあそうですよね…)
自分をとりまく環境や、昔からコツコツ努力することが苦手な自分の問題でもありますが、日々に追われながら、好きなこと楽なことを選び、ある意味パワーが必要な深く考えて学ぶことを放棄してきてしまったように思い、恥ずかしながら、結果として、学生時代からきちんと勉強に向き合わず、社会学的思考が身についていないことがあらわになりました。塾では、賢い皆様の中で必死に発表を聴くことだけで、頭の中が精一杯で…質問や発言に至らずにいます。
みなさん、身近なことから、先生のおっしゃる社会学的想像力が働いて、するどい質問、考察…これが、僕が知らなかった「社会学」であり、社会学的思考なのかと、恥ずかしながら、はじめてリアルに体感できました。
片桐先生の講義は分かりやすく面白く大好きだった記憶があるのですが、僕はあくまで、受け身の教養レベルで、先生のお話を楽しんでいただけだったのでした。
普段から、今回購入させていただいた著書やホームページを読み、ひとつひとつメッセージを理解していくなど、先生の教えのエッセンスを自分に少しずつでも染み込ませて、少しでも深く広く、社会と結びつけて考えていく思考を身につけていかないと、まったくこりゃあ、だめだな〜と…
諸先輩方や現役生から鼻で笑われそうではありますが…、問題意識を持って、考察しながら生きることは、社会や人生に立ち向かい、しっかり生きていくことなんだなと皆様を見て、気づかされました。
学生時代のゼミ、そして卒業してからも、少しでも気づき取り組んでいれば…もう少しよい人生が送れたかもしれません。もちろん、好きで続けられる仕事にも巡りあえていますし、いまが最悪ではないのですけれど…苦笑
社会学的想像力を身につけるトレーニングこそ、ゼミの時間だったのだなと、それは、少しでも身につけば、みなさんのように、きっと自分の役にたっていたでしょう。全然分かってなかったです。難しいなぁと逃げてました。
自分では、なんだかモヤモヤして終わってしまう事象も、こんなにも簡潔に的確に考えを言葉にできるのか驚愕している「塾生の声」
興味があるならOKだよと優しく先生に塾に誘われたときに抱いた不安は、やはり的中しました。行けばなんとかなるかななどと、安易な楽観でしたね。少しは1部で発言できるようになりたいですし、、2部でも先輩たちにたくさんフォローしていただいてます。なかなか不出来で、すいません…。
ただ、遅すぎるなどとは思わずに、これからも勇気を持って、少しでも、ひとつでも社会学的思考ができるように、それがこれからの自分の人生に役立てるように、先輩のみなさまや先生に胸を借りていきたいとも思いました。頭がついていかないところも多々ありますが…
今回、購入させていただいた著書を少しずつ読ませていただいてますが、自分にも読みやすい平易な言葉でまとめられているので、素晴らしい、これは学びやすいと思いました。ゼミHPと共に、大事に読んでいきたいです。
いまさら?自分に身につけられるかどうか…これはわかりませんが、でも少しは取り組みたいです。
社会学に興味がある方がいれば、ぜひ薦めていきたいです。
自分も、今後、折につけ読みながら、考えていくことを放棄しないように、少しずつでもきちんと言葉の意味を理解し、自分のために役立てていきたいと今回の塾をきっかけに思いました。
12期生の同期の卒業の声読みました。
たくさん悩み、引っ張っていこうとしてた、MたんやTのことを思うと、結局少し引いてゼミに参加してしまっていた自分が申し訳なかったなぁとそれも反省…
すいません、少しはポジティブなことを書こうとしたのですが、今回はちょっとできず、なんとかできるかもと考えていた発表にも、まったく自信がなくなってしまいました。ごめんなさい。
ただ、せっかく先生に誘っていただいたのですし、許されるならば、片桐社会学塾には、また参加できるときはしていきたい、少しは思考力想像力を深めていく機会にしたいと思いますが、飲み会を楽しむだけじゃいけませんね。
ここで片桐社会塾の開講の言葉を読み直すと、わからなくても気軽に参加しよう、わからないなりに発言しよう、沈黙は鉛だよとの、ありがたく優しく厳しいお言葉が…なかなか難しいなぁ、でも頑張らないとなぁと思います。自分にはちょっと日々、準備が必要なようです。
長文失礼いたしました。
最終講義には、都合つく限りぜひ参加させていただきたいです。
いつも目をかけてくださって、ありがとうございます。感謝しています。
312.(タイトル) Re: 第18回片桐塾開催報告というか個人的感想 By No.9 FYさん(2025.9.16)
先生の御本も直接受け取ることが出来てよかったです。
早速、「はじめに」と17章を拝読いたしました。
初めに掲載されている古稀の集いの集合写真が、どの人もすごくいいお顔で写っていて、「ここに載せるよ」と聞いてはいましたが、本を開いて集合写真を見て、その流れではじめにを読んで、なんだか寂しい気持ちと、書かれていることへのわくわくと、過去を振り返って懐かしい気持ちとで色々な感情になりました。
社会学教育ということで、先生の思いが詰まっているかと思いますので、少しずつでもしっかりと読み進めたいと思います。
さて、塾ですが、先生が言われるように今回の2講義ともどこか共通するところがあるなぁと思いました。
わたしも印象に残っているのは、Kさんが言われていた「NOと言うスイッチがない」という話です。
わたしの会社でも、仕事を抱え込んで、手放すように促しても上手にできなくてという子が時々出てきます。(今も直接の後輩に1人・・・)
周りは「みんなで分け合えばいい」と提案するのですが、「わたしが請け負ったからわたしじゃないと!」となかなか手放せず。
それでも本人のどこかに「なんでわたしばっかり」という不満と、加齢により数年前と同じように動けない体力的な問題とで、本人は苦しんでいます。
周りは「手放せばいいのに」と思っているので、どこかで「勝手に請け負って、勝手に自爆している」という評価になってしまって、それで余計に「こんなに頑張っているのに、認められない」と不満がさらに増えるばかりです。
Kさんの話とは少し違いますが、自分で気付いて変わろうと心掛けない限り、なかなか変われないんだろうなと思います。
また、職場での勤務時間についての報告も、塾内で出来てよかったです。
先生にメールで愚痴ったお返事に、「働く意欲も能力もある人が働き続けられない環境はおかしい」「ちょっと闘わないといけないのかもしれないが、頑張って」と言っていただいた言葉があって、踏ん張れたと思います。
図々しいと思われても、めっちゃ自己都合主張してくるやんと思われても構わない、わたしは働き続けたくて、周りも必要としてくれてるんだ、だから譲れない部分は闘おうと思えました。
先生の一言がなければ、決まったものは仕方ないと諦めていたかもしれません。
まだ辞令は出ていませんが、口頭で昇進が決まった旨を聞いていますので、闘ってよかったです。(勤務時間も変更なしで認めてもらえましたし!)
あのタイミングで背中を押していただいて、本当にありがとうございます。
職場の後輩に、業務上の指導だけではなく、仕事への考え方や毎日過ごしていく上で心掛けていること、なんて話もよくします。
ゼミや塾で学んできたこと、聞いた話を交えつつ、話しています。
先生はよくご存知ですが、わたしはお勉強は出来ず、社会学的思考も文章を打つのも未熟ですが、片桐ゼミで、片桐塾で学んだからこそ、多方面的に物事を考える癖はつくようになったかと思います。
多方面的に見れるようになったから、生きていくうえで必要なことはバランスだなと思っています。
先生がされているほどにはもちろん出来ませんが、わたしも「社会学の伝道師の教え子」として、少しでも社会学をみんなに知ってもらって、少しでも生きやすく感じてもらえればいいなと思っています。
先生と出会えたことで、今でも社会学を学び、議論を交わすことのできる仲間が出来、わたしの人生も豊かなものになっていると思います。
これからも末永いお付き合いをよろしくお願いいたします。
311.(タイトル) 片桐塾ありがとうございました! By No.80 KAさん(2025.9.15)
こんばんは。29期生のAです。
土曜日は片桐塾に参加させていただきありがとうございました!久しぶりに先生にお会いできて嬉しかったです。
お二人の発表が興味深く、ゼミの時座ってた辺りの席でまた赤べこしてました(笑)
Kさんの発表を聞いて、教育現場でもコンプラ規制が強まり、先生方の裁量でクラス運営をやっていくというのが難しくなっているのだと感じました。私が学生の時も、担任の先生ごとにカラーがあったし、先生の個性があったからこそ、〇〇先生のクラスがいい!と、担任発表で一喜一憂してたのだと思います。画一化が進むことで、先生がくれる温かさに触れる機会も減ってしまうのかもしれないと思うと少し寂しいです。
Yさんの発表は、自治体は違えど同じ市役所職員という職業から共感できるところが非常に多かったです。子を持つ女性の管理職としての葛藤や難しさ、まだ私はどちらの立場でもないですが、今回こうしてお話が聞けて良かったです。
公務員は法令や規範を遵守する意識を高く持っていなければならない職種なのは分かっていますが、その分人情、個性とかを出しづらい部分があるのかなと。幅を利かせてやってあげたいと思うことでも、柔軟に対応できないことがあるなと感じます。
塾の時間、現役のKちゃんと席が隣でお話できたのも嬉しかったです。フレッシュでまっすぐで可愛くて、癒されました♡
二次会も含めて皆さんとオープンに語り合って、とても濃い楽しい時間を過ごすことができました。
改めてありがとうございました!
P.S.:本当は土日と大阪に宿泊したかったのですが、万博需要か、ホテルがどこも高値で断念しました(笑)代わりに日帰りで楽しもうと、午前中に西宮の美術館で開催中の「ボローニャ国際絵本原画展」に行ってきました。私は専門的な技法には詳しくないので、各国の絵を見てホッコリしたり、ストーリーに考えさせられたりとそんな楽しみ方でしたが、素敵な展覧会でした。
310.(タイトル) Re: 第18回片桐塾開催報告というか個人的感想 By No.48 KFさん(2025.9.15)
土曜日はありがとうございました!すごい人数でしたね。友人に、塾の話をしたら驚愕しておりました笑。
先生の新しいご著書は、改めてゆっくり拝読させていただき、感想お伝えさせていただきますね。
先日の発表では、お二人とも大きく公務員というくくりのご職業で、「公僕」という大変さがひしひしと伝わりました。
先生のおっしゃる通り、だんだんと学校現場が窮屈になって、いい意味で個性的な教育ができないようになっているんですね。あまりにも画一的で融通の効かない教育を施して、それぞれの個性を伸ばすような教育を施すことができるんだろうかと、何十年後かの日本人の行く末を少々憂うほどです。不祥事を起こした教師は確かに問題ですが、規制の仕方がトンチンカンな気がしますよね。Kさんのような、熱い先生は絶滅危惧種なのかと思うと、ホントに淋しく感じました。あと、先生のお給料あげてあげて欲しい…。Sさんもあんな時給で頑張っていたとは…。あんなブラックなら、優秀な人材ほど辞めていってしまいますよね…。
Yさんの発表も、やっぱり女性が管理職まで出世して生きていくことの葛藤って、これだけ社会が変化しても根本的には変わっていないものなのかな、と考えさせられました。私なんかは、ちょっと特殊な仕事なので、仕事さえできれば性別なんて全く関係ないですし、むしろ女性の士業というだけで尊敬してもらえて仕事に繋がることも多いくらいです。産休、育休を経ても、復帰してテレワークも取り入れながら自分のペースでできる仕事ですし、すごく恵まれた環境でお仕事できてるんだな、と改めて感謝です。やっぱり公務員のような固い組織の中では、そんなサクッとお休みいただいたりすることも難しいでしょうし、そんな中でお子さん2人育てられてすごいですよね。母は偉大ですわ〜。
あと、あんなに明るくて前向きなKさんもYさんも、一度は病んでしまった経験があるんだな、と思うと、生徒、市民のために頑張ってくださってる皆様、尊敬いたしました。
とりとめのない文章になってしまいましたが、今回の塾もとても為になったし楽しかったです。
次回はいよいよ最終講義ですね!寂しい気もいたしますが、楽しみにしておりますので、どうぞよろしくお願いいたします!
309.(タイトル) 片桐塾ありがとうございました! By No.28 AEさん(2025.9.15)
土曜日はお疲れ様でした。
かなり久々の現地参加ができ、片桐塾の楽しさを改めて肌で感じることができました。ありがとうございました。
Kさんの発表は、個人的に語り方も好きで聞き入ってしまいました。私も中高の教員免許を取得した経験があって、社会科の先生ってお話が面白いなぁと思う先生が多くて、教員を目指した頃があり、自分の教育実習のことを思い起こしたりしました。
私が高校生(2008-2010年度)の頃は、ゆとり世代で、皆ガラケーを持っている時代でしたが、部活の顧問や担任と連絡先を交換してやりとりすることもありました。学習指導要領なども変わりましたが、先生と生徒の距離感というのも随分と変化したんだなと思いました。先生の裁量に委ねられてる部分というのは多くあったと思います。実は、私は中3の担任の先生と今でも年賀状のやりとりをしています。そんな関わり方も、今となってはできないのかぁと思うと寂しい気がします。
Kさんの発表は、働く女性の先輩として、とても心に響く内容でした。
以前に比べれば、子育てしながら働く女性も増えましたし、制度も変化してきてますが、実家の支えなしで育児するのは大変だと思います。我が家は、私の実家が近いですし、Aくんの実家も車で30〜40分の距離です。実は、体調不良のAくん&子どもたちのヘルプで、塾当日もA家のご両親に来ていただいてました。
特に私は通院もあったりするので、よく実家に頼ってます。双方の実家も遠くて、ずっと働きながら、お子さん2人の中学受験のサポートもされたり…すごすぎる!と思いながら聞いてました。また機会があれば、働く女性の家での過ごし方についてお話を聞きたいなと思いました。
先生の御本も直接受け取れて嬉しかったです。
おすすめの読み方で、読みやすいところからコツコツと読ませていただきます。
Aくんにも貴重な本を譲っていただき、ありがとうございました。
308.(タイトル) 片桐塾(お礼) By No.10 MM君(2025.9.15)
おはようございます。一昨日の片桐塾では、大変お世話になりました。
第2部まで参加したかったのですが、今回は見送ることにしました。
結果的には、それで良かったように思います。
実は昨日、母の件で一日中振り回されておりまして、体力を温存しておいたのは正解だったと感じています。
母についてですが、今回の要介護認定の更新で、要介護2から要介護3へと区分が一つ上がりました。
要介護3になると、特別養護老人ホーム(いわゆる特養)への入所が可能になります。
日々接していると、変化にはなかなか気づきにくいものですが、通知を受けて改めて振り返ってみると、「確かに…」と思うことが多々あります。
現在、週に一度だけ施設を利用していない日(土曜日)があります。
利用枠の制限によるもので、やむを得ない状況です。
ただ、その一日を一人で過ごすことが、今の母には少し負担が大きくなってきたように感じています。
一日でも早くグループホームに空きが出て、入所できるといいのですが、こればかりは時の運です。
さて、塾の感想の前に、改めまして、このたびは先生の社会学教育の集大成とも言えるご著書のご出版、おめでとうございます。
本を受け取り、静かな感慨を覚えました。
表紙を含め、420ページあまりの本文に、先生の思いが余すことなく込められていることが、ひしひしと伝わってきたからです。
先生が繰り返しおっしゃっていたように、松岡さんの総括は「まさに!」というもので、読みながら、思わずうんうんと頷いておりました。
また、先生のご著書の1ページに、私の拙文を加えていただきありがとうございます。
片桐先生のもとで社会学を学んだことが、私の人生においてどれほど大きな意味をもっているかということをわずかでも感じ取っていただけたなら幸いです。
本題の片桐塾ですが、今回も2講ともに体験に根ざした深みのある内容で、多くのことを考えさせられました。
Kさんによる高校教員としての振り返りは、大変興味深かったです。
特に、経歴をまとめた資料は、よく練られていて感心させられました。
意見交換もさまざまな切り口があり、時間が足りないほどの充実ぶりでした。
私もいくつかお聞きしたいことがあったのですが、流れに合わなさそうだったので遠慮しました。
ちなみに、質問したかったことは次の3点です。
@教科間での違いについて
A日教組の影響力について
B教師をしていてよかったことについて
@は、教科によって優劣の意識や、何か暗黙のルールのようなものが存在するかどうかといったことです。
Aは、「日の丸」問題が少し取り上げられていたこともあり、今、日教組がどの程度の影響力を持っているのか、
ふと疑問に思いました。また、Kさんご自身は、何かしらの活動に関わられたことがあるのかどうかも、ぜひ伺ってみたかったです。
Bは、先生も質問されていましたが、もう少し掘り下げてお話を伺ってみたかったテーマです。
Kさんによる「公務員は夢の職業だったか」というお話は、一公務員から見た現場の生の声を聞く貴重な機会となり、大変おもしろかったです。
私自身、地方公務員の皆さまのお世話をしていた経験もあり、共通する要素も多く、共感しながら聞くことができました。
また、Kさんの提起に対してもたくさんの意見が寄せられていて、白熱する議論に耳を傾けていました。
その中で、私は2つのことを伺いたいと思っていました。
A 大変なことは多々あったかと思うのですが、それでも成功したケースと言えるのではないかと感じました。その成功の要因はなんだったのでしょうか。
A私の知る限り、公務員の方は山登り好きが多いと感じています。Kさんの周りはどうでしょうか。もし多いとすれば、その背景にはどのような理由があるとお考えでしょうか。
特にAは、出世や休職の多さなどとも関連するような気がしており、ぜひご意見を聞いてみたかったです。
あとは、Kさんからの問題提起のあとの議論の中で、家事代行などのサービスを罪悪感なく気軽に利用できるといいという意見が出ていたかと思います。
これは、「介護」にも通じる話で、非常に示唆に富んだ内容だと感じました。
育児に関する政策の多くは、「給付」を前提としたものが中心です。
今回の議論を受けて、私が提案したいのは、介護保険のようにサービスの提供を受ける仕組みを育児支援にも導入することが、一つの有効な手段にならないかというものです。
きちんと調べたわけではありませんが、おそらく育児・子育て支援の財源は、主に社会保険料などから充当されているのではないかと思われます。
会計上は、育児分としての費目が組まれているものの、それだけで十分に賄えているとは言い難いのが現状ではないでしょうか。本気で少子化対策に取り組むのであれば、育児支援を別建ての制度として位置づけ、予算の組み替えと制度設計の見直しが必要だと感じました。
そうすることで、より利用しやすいサービスが提供され、利用する側も心理的な抵抗なく受け入れられるようになるのではないかと思います。
ついつい長くなってしまいました。
最近、6時半に家を出て、母の世話をしたあと7時すぎには出勤しています。
帰りもだいたい8時前後で、なかなか慌ただしい日々です。
進学指導が落ち着けば、定時出勤、定時帰宅も可能になるのですが、あと1か月あまりはこのような状況です。
また時間を見つけて、ゆっくりとお話する機会が得られましたら幸いです。
取り急ぎ、お礼まで。
307.(タイトル) Re: 第18回片桐塾開催報告というか個人的感想 By No.36 KTさん(2025.9.15)
先生土曜日はお疲れ様でした。KTです。
昨日は高槻で一泊し、午後に奈良の今井町に行って来ました。お店の人がコロナ後、樫原まで人は戻っていないと言われていましたが、実際ほぼ観光客はいませんでした。京都から1時間でいけるのになぁ。。
帰りの新幹線で御本に目を通していました。つらつら通信で読ませて頂いた文章もあり、ぜんぶ読ませて頂くのにあまり時間はかからないかもしれません。Mちゃんとかの文章もあった!先生のこの御本の意図、全部読ませて頂いて、自分なりに捉えたいと思います。
今回の塾も考えさせられました。良かれとつくられている制度が誠実に生きたい個を苦しめていたり。個の葛藤が新たな社会を作るともいえるし。
最近のことですが、さまざまあって心を病んだ高校時代の友人が洗脳チックなことに巻き込まれたようで、ほぼ財産を無くしてしまいました。この段になって私には出来ることはなく、はじめて福祉ということを身近に感じました。私がいままで払った税金が回り回って生活保護という形で彼女を救えたらいいと。公務員の方のお仕事の必要性も、スゴク感じた次第です。
3月14日の最終講義、是非参加させてください。夫も参加させて頂きたいと言いましたが、むしろ学部2部で仲良くしてた看護師さん(彼女は2部の卒業には至らなかったですが先生の授業にはもちろん出ており、私が院に行った時も喜んでくれました)にお声をかけようかな?とかさまざま考えております。
306.(タイトル) ありがとうございました。 By No.29 UT君(2025.9.14)
昨日はありがとうございました。
色んな年代、職種の方と議論できる塾はとても学びになります。
1講目
都道府県や校種が異なるとずいぶんと中身も違うんだなと感じました。
Kさんは週に17時間担当ということでしたが、小学校では一般的に1年生は空き時間等がなく5時間×5日=25時間(委員会やクラブがあると+1時間)、他の学年では専科の時間があっても最低22時間くらいは担当していると思います。
6時間授業だと8時40分から15時半まで授業をおこない(給食指導も含めて)そこから明示上45分の休憩(その間にも放課後指導や保護者対応等があることも)
そうこうしていたら、16時15分から会議。そんなこんなでまとまった休憩もなくあっという間に定時の17時となるのが多くの学校の現状だと思います。
さらに当日、どうしても休まないといけない先生もいて、そうなった場合、貴重な空き時間を削ってもらって代行にいってもらうことも多くあります。
僕は代行をお願いする立場ですが、みなさん(仕事したかったのに〜という思いを押し殺して)快く応じてくださっています。
そのような中、少しでも先生方の負担をへらそうと校長先生がたくさん動いてくださっています。
保護者の価値観も多様化していますから、個性をだしにくくなるのは当然の流れだと思います。
あるクラスだけよかれと思ってやっていても、相対的にやっていない方の評価が下がることになれば、「あのクラスだけどうして!」という保護者の評価になってしまうことがあり、そうなると学校利益につながっているとはいえないからです。
高校や大学とは違って義務教育だから仕方がない部分もあると思います。
僕も担任していた時は学級通信をクラス作りの一助としていましたが、いつからか(差がでたらという思いから)隣のクラスの先生に相談して、学級通信的な内容をどちらのクラスにも配布する形に変更させていたことを思い出しました。それはそれで学年を通した仲間づくりになってよかったなと思っています。(知らんけど)
何かとたたかれる、たたきやすい業種ですが、学校教育、家庭教育、社会教育を通して(連携、協力して)児童を育んでいくことが大切だと思っています。
2講目
市の仕事の内容や仕事と家庭の両立ということで悩まれながら過ごされてきたことがとても印象に残りました。
Kさんのようにバリバリ働きたい!という思いをもった方にとって、子育てというのがある種の妨げになっているんだなと改めて感じました。
塾に来られていた子どもがいる女性の方は同じような考えのようにみえたので、やはりもっと制度が変わっていかないといけなんだなと思いました。
お譲りいただいた本も拝読しています。(こんな時間に!)
重さ以上に思いがつまりまくっている本です。「ホームページでみた!知ってる!」というのもあり、それも嬉しいです(笑)。
頭の弱い自分にもスーッと入ってくるのは腑に落ちてわかりやすいからなんだと思います。じっくり読ませていただきます。
貴重な時間をありがとうございました。
305.(タイトル) 御礼 By No.78 HS君(2025.9.14)
いただいた本を読みふけっているうちに御礼が遅くなってしまいました。
昨日の塾では大変お世話になりました。
お二人の発表内容には気づかされることが多く、レジュメがメモでいっぱいになりました。
塾のほうも来年以降も継続するということで、先生のファンとしては嬉しい限りです。
また次回もよろしくお願いいたします。
304.(タイトル) 塾の御礼 By No.2 KK君(2025.9.14)
第1講
公立高校の現場からについては、知っていたようで、知らなかったことが、多々ありました。学習指導要領は時折変わるなと思っていましたが、「理系に重みを置いたり、文系に重みを置いたり」と時代の要求に応える、または流されているんだと思いました。現場の先生は、その時代の要求に応えるために変化していったのかということがわかりました。これもひとえに30年間のKさんの経験で語られるからこそ、よくわかりました。超勤4項目や給特法という言葉もニュースでなんとなく聞いていたはずですが、今回ようやく理解できました。冒頭から「時間外労働」について質問させてもらいました。少し負の側面に視点を持っていってしまって申し訳なかったと思っています。教員志望の子がいること忘れて、質問してしまいました。部活動の仕事も今後改善されるでしょうし、悪いなと思われる環境も良くなっていくと思います。Kさんの話であったように、昔みたいな「金八先生文化」は衰退しているので、働きやすいと思います。負の側面は教員に限ったことではないと思います。どんな仕事にも、時給・日給に換算できない部分は本当に多々あります。負の側面はどんな側面にもあるので、教員だけが良くないとは思わないでほしいです。どんな仕事も負の側面があるのであれば、やっぱり自分がやりたいことを全うしてほしいなと思います。片桐塾はいろんな問題点を討議する場なので、この点はご容赦ください。お身体を壊した話なんかは身につまされる話です。仕事ってやはり真面目さを求められるので、ついつい自分の身を削ってやっています。
第2講
公務員は夢の職業であったのか?この題名が良いですよね。身に染みる題名です。会社辞めた時、公務員なろうかなと5%くらい思いましたから、ちょっとぐさっとくる題名です。就職氷河期以降は、「安定=公務員」で、公務員に憧れの眼差しがあったので、この題名に惹かれる1人です。今回ぜひ参加したいなと思いました。最初は公務員の仕事を聞きたいなと思っていましたが、どの職場でも起こりうる「ワークライフバランス」や「上司部下との関係性」や「体調の変化」や「女性の社会進出」と、今自分の身に起きている等身大の内容がこれまたぐさっと来ました。過去の塾の内容とも繋がり合う内容であり、面白かったです。「余白が人とのコミュニケーションを生み出す」なんかは、本当にそうだなと思います。職場って、感情を殺して、単にお金をもらうことに没頭して仕事をする場所であるかというと、そうじゃないと思います。みんな職場環境(=人との関係性)に悩んでいるので、勤務時間内だけでは関係性はなかなかできないんですよね。「無駄やなぁ」と思われる時間や環境に置かれた時にこそ、人間関係ができると思います。今の職場って、飲み会等の無駄?が排除されているので、なかなか関係性が構築されにくいですよね。これって、職場だけでなく、ゼミだって当てはまると思います。かと言って、飲み会ばかりの職場はしんどいのは良くわかります。適度にコミュニケーションを生み出す環境は欲しいなと思います。
今回も準備をしていただきましてありがとうございました。
303.(タイトル) 今回も楽しかったです! By No.40 TFさん(2025.9.14)
昨日は片桐塾、お疲れさまでした!
大の大人が肩を並べてぎゅうぎゅうに詰め合って議論最多人数の塾、机足しませんか?なんて野暮な提案は無用でしたね!やっぱり面白いです。
今回もまた素敵な議論のネタを提供してくださった発表者のお二人にも大感謝です!
お二人とも、とにかく人としての魅力が素晴らしく、「こんな先生いてくれたら嬉しいな」「こんな上司がいてくれたら嬉しいな」と思いながら聞いておりました。
1講義目の高校教員のお話では「属人化を良しとされない」というところが気になりました。
教師の職業だけでなく、組織として運営していく場合には属人化している業務を一般化する、ということが必要な場面は確かにあると思います。
例えば生徒がケガをした時の応急処置から必要な医療への連携、保護者への連絡フローなどは先生によって差があると困ります。
そういったインシデント対応や個人情報持ち出しルール等は組織として一般化するべきだと思うのですが、生徒個人への対応やクラス運営まで属人化させない、というのはどうなんでしょうか。
特に高校の先生は個人商店のような雰囲気が魅力の一つでもあって、自分の高校の時の先生方を思い浮かべても人間らしさを感じることで学ぶことは多かったような気がします。そもそも教育って人対人だからこそ、の部分があって、そこがAIに成り代われないところだと思うのです。
一方で、小学校の子どもを持つ親としては属人化で教師の力に差がありすぎるのも複雑な部分があるよな、、と。いわゆる担任の「あたり・はずれ」です。
こんな言い方をするのは先生方に対して失礼以外のなにものでもなく、保護者が口を出す部分ではないと十分承知です。でも小学校は教科担任制でもなく1年間をその担任の先生とべったり過ごすので、相性や能力などによって「その人による」部分が大きくなると辛い場合もあります。
そこは今回の議論とは外れますが小学校は複数担任制など、もう少し属人化によらないシステムが必要ではないかな、などと考えていました。
2講義目の公務員は夢の職業だったのか?では、まず公務員に残業があることが衝撃!そして役場でもパートしているので各課の雰囲気など、分かるわかる!と楽しく聞かせて頂きました。
質問では本筋と違うかな?と恐縮しながらも家庭や子育てとの両立に悩みながらも「自分の食い扶持は自分で稼ぐ」という選択について聞かせて頂いたのですが、実は私が目下悩み中の部分でもあったからです。子供が二人とも小学生になったので、私自身も働けといわれて無理なわけでもない。でも家事育児をゆとりをもって(ゆとりがないと楽しめなくて子供にトゲトゲしてしまったりするので)やりたいなぁと思うと扶養を外れてがっつり働くのも辛い。だけどいつまでも扶養内の働き方では「経済的自立ができていない人」だし、悩みを抱えながら必死のパッチで働きながら家事育児もという方もたくさんいらっしゃるんだから、「ゆとりをもって」なんてことを望んでいる自分は贅沢すぎて甘えたダメな人間なのではないかと。。
第二部では同じ境遇のSさんやUさんともお話させて頂いて、私だけの悩みではないのだと励まして頂いたのですが、確かになぜ主に女性側だけがこの悩みと向き合わないといけないのかと共に頭を悩ませました。もう少しうまいようにならないものですかね。
求人を見ているとほとんどの正社員の仕事が9時-18時が定時の1日8時間勤務なんですが、この「18時まで」が子どもがいると辛いんです。9時-17時でフレックス可とかにしてくれたら勤務時間前倒しで8時-16時の勤務で小学生の親なら十分平日の習い事を含めて対応できます。
今回の発表者のお話を聞いていると働きながらメンタルの調子を崩してしまう人が多いことも課題のひとつだと感じました。そもそも標準の働き方モデルが忙しすぎるんじゃないでしょうか?忙しいって心を亡くすんだって誰かから聞いてから、本当にその通りだと思っています。
母親でも経済的自立をした方が良いか否か、働いていても子どもと夕飯を囲んで話をきいてあげられる生活をした方が良いか否か、この質問で否と答える人は少ないはずなのに、現実にはどちらもを実現する選択肢が見つけられない。先生が昔からおっしゃるように、「男も女も家庭も仕事も」を実現できるようにもう少し社会が変わってくれたらなぁと思っています。
私、政治家なれそうですね笑
今回も考えたことをつらつらとアウトプットしてしまいました。
せっかく考える機会を頂けているので言語化することにチャレンジしてみました。
次回の塾開催が少し先ということでさみしい気もしますが、3月の最終講義を含め、また先生や皆様とお会いできるのを楽しみにしております。
改めて、昨日は本当にありがとうございました!
追伸:ピカピカの新刊書、本当に素敵です!嬉しくて少しずつ読ませて頂いていますが、字が多いのに読みやすくて案外サクサク読めそうです。
ホームページの内容も含めて先生のメッセージのエッセンスがぎゅっとつまった一冊なのですね。
片桐ゼミ最高でしょ!と世間様に堂々と自慢できる一冊として大切にしていきます。
302.(タイトル) 第18回片桐塾開催報告というか個人的感想 By No.1 KS氏(2025.9.14)
昨日の片桐塾、お疲れ様でした。今回は対面での参加人数が34人と過去最高でした。全員がテーブルを利用できないほどで、少し窮屈だったかもしれませんが、使いやすいちょうどよい大きさの教室も見つけられないので、今後もなんとかあの教室でやりたいなと思っています。
今回の参加人数の多さの原因の一つに、私の本を直接購入したかったという思いあったようで感謝です。今回入手できなかった人も、ぜひ別ルートで入手して読んでみてください。決して「売らんかな」という気持ちからではなく、社会学に興味を持っている人なら、絶対興味深く読める本だという自信があるから、読んで欲しいのです。
本を贈呈した社会学者からも、素晴らしい感想を何本かもらっています。HP上で読めるようにしてあるものもありますので、よかったらそちらもお読みください。
さて、今回の問題提起役は、同年齢のKさんとKさん(Yちゃん)でした。それぞれ、学校と市役所、男性と女性という違いはあるものの、何か共通するものがあったように思います。仕事には楽しさもあるものの、しんどさもあるということで、2人とも休職を経験されたわけです。Kさんが尊敬する先輩から言われたという「NOと言うスイッチがないから」というのは、どの仕事でもそうなんだろうなと思いました。お二人の献身的なパーソナリティ部分もあるのでしょうが、昭和時代的価値観の人と関係性を作らざるをえなかった就職氷河期世代には少なくないのかもしれません。他方で、自分自身はガチガチの昭和の価値観ではなく、部下の新しい価値観を受け止めなければならないというのもストレスになりやすいのでしょうね。
Kさんのご報告から個別に感じたこととしては、学校現場がどんどん窮屈になっているんだなということです。確かに、一定の共通基準やルールは必要なのでしょうが、教育というのはやはり人と人の関係で成り立つもので、ロボットのように、はみ出さずに行動する教師が一番評価されるなんてこになっては絶対いけないと私は強く思います。昨日の塾には、小学校教諭が1人、中学校教諭が1人、高校教師が2人、大学教師が2人、日本学校の教師も1人、教師予備軍が1人と、教育関係者がたくさんいました。それぞれ違う悩みはあるのでしょうが、コンプライアンスが教育を窮屈にしているのは確かなのでしょう。
大学は一番ルールが緩い方だとは思いますが、それでも「男女ともに名字にさん付け呼びましょう」とか「男性/女性としての意見を聞かせてなどは言ってはいけません」といったお達しが関西大学でもここ1,2年前から出されるようになりました。そういう縛りを見るたびに、ああ私は来年辞めるのでちょうどよかったかも、と思ってしまいます。そんなルールを守っていたら、片桐ゼミなんて、あんなふうに絶対ならなかっただろうなと思います。
Yちゃんの報告からは、やはり女性として母としてもちゃんと生きたいと思うと、仕事との両立が非常に大変なんだということを改めて感じました。特に2人、3人と子どもが複数人になってくると、大変さは2乗、3乗とかになっていくのでしょうね。このあたりのことは、公務員か否かに関係なく生じるのでしょうね。まあそれでも、昔よりはましになっているのでしょうね。この塾でも、Aくん、Tと男性が子連れで参加したりもしていますし、男性が育児に関わることが当たり前になりつつはあるのでしょう。もちろん、まだまだ不十分なのでしょうが。
どういうワーク・ライフ・バランスにしたいかは、人それぞれ違うのでしょうが、違うから勝手にどうぞともいかないですよね。社会としては、目指すべきスタンダードを作り、そこからの偏差を許容するような対応ができるといいのでしょうが、スタンダードはどのあたりなのでしょうね。みんな、どのくらい働きたいのでしょうね。働くというのも、別に賃金が発生するものだけと考えなくてもいいのでは、と思います。ボランティアでも地域やPTAの活動でも、重要な社会貢献なわけですから、これもワークと言ってよいのではという気もします。
尼崎の話として個人的に興味深かったのは、北は阪急がやってくれて、中央のJRはほぼ街づくりが終わり、市が今力を入れているのは、阪神沿線だという話でした。なんかすごく納得できました。
さて、次回ですが、恒例の時期となると3月の半ばあたりとなるわけですが、来年はまさにその時期である3月14日(土)午後1時から、私が最終講義をやりますので、この最終講義を、3月の片桐塾と位置づけさせてもらいます。なので、今回のような形式でやるのは、次回は来年秋のつもりです。それも9月のこの時期は夏休み期間で、専任教員でなくなる私は、事務室の空いている日しか教室を使えなくなりますので、10月あたりの開催で考えています。正確な日程は今の時点ではまだ決めきれません。また、いずれ改めてご連絡します。
以上長文になりましたが、開催報告を兼ねた感想でした。
301.(タイトル) RE:第18回片桐塾御礼 By
No.83 KK君(2025.9.14)
返信をありがとうございます。
繰り返しにはなりますが、懇親会の席で、そして新大阪へ向かう途上で、多くの方と話しをさせていただきましたが、もしかしたら教員という仕事の大変さの部分のイメージを大きくさせてしまったかもと思っていたしだいです。
確かに多くの点で制約は大きくなりましたが、その制約が大きくなればなるほど、日々、等身大の生身の自分で生徒と対峙できていると思っているのが、今の私でもあるのです。
ところで、若干、私的かつ暗い話になりますが、高校時代から教育実習でお世話になった現在79歳の恩師、昨日話しに出したこの30年間、最もお世話になっている現在64歳の恩師(兼 大学の先輩(法学部卒) 兼 公認心理師)ともに、癌からの回復をめざし闘病中です。そのこともあり、くれぐれも片桐先生には、今後も長く長く、御健康な日々を送られることを願うばかりです。私にとっては片桐先生と対面しての関わりはまだ始まったばかりなのですから、尚更です。
先生のご新著、昨日は、第3部を拝読しました。「社会学専攻のカリキュラムの変遷」のなかの「専門科目の低年次化とそこでの現状」を読みながら、次のようなことをふと思いました。高等学校でもしばらく前からカリキュラム・マネジメントの必要性が謳われるようになっています。入試で必要とされる科目にないからといってその教科・科目を「捨て教科・科目」と判断する人がいます。が、私は、高等学校で履修するすべての教科・科目に「捨て教科・科目」なるものは一つも存在しないと思っており、実は、学級運営のなかで厳しく生徒に指導しているなかの一つです。ただそれが成立するためには、他教科・科目との連動性を意識したうえで教科指導を日々実践するすべての教員の力量が非常に問われているということを。
また読み終わったら、感想を送信させてください。
重ね重ねになりますが、暑さ厳しい日々が続きます。くれぐれも御自愛くださればと思います。
300.(タイトル) 片桐塾のお礼 By No.86 KS君(2025.9.14)
おはようございます!
片桐塾、ありがとうございました。昨日も大変楽しかったです。
昨日発表した2人とも、体調を崩した時期が似ていて、50歳前後はかくれた厄年あるかもしれないなーと思ってしまいました。
今日から読破に向けて、少しづつ本を読み始めようと思います。
299.(タイトル) 第18回片桐塾御礼 By
No.83 KK君(2025.9.13)
本日の片桐塾では問題提起をさせていただき本当にありがとうございました。
帰りの新幹線で早速『社会学教育の意義と実践』の一部を拝読させていただきました。
「卒業時のゼミ生たちの思い」の章では、「本当に素敵なメンバーと出会うことができ、最高の時間を過ごすことができた」、「どこかもっと遠い過去に思えてしまうような寂しい気持ち」…、新幹線のなかで私が感じていた気持ちです。
「先生が私たちの真ん中にいて、先生が私たちをつないでくれて、これからもずっとそうで……」 まさに今回、問題提起の場を与えてくださったことは、私をゼミ生の方々とをつないでくださったことに他ならず、本当に多くの方々とお話しをすることができ、感謝に堪えません。
今日の私の問題提起を振り返ると、本当に言葉の上滑りだったです。昨今の状況に時間を割きすぎてしまい、私がどのように高校教師という仕事と向き合っているかというものが抜け落ちた報告でした。
この度のレジュメを整理するプロセスを通して、大学卒業後の29年間のあゆみを振り返ることができました。うれしかったこと、感動したこと、たくさんありますが、その反面で、失敗したことも多くあります。これまでに担任した生徒のなかには、さまざまな事情で進路変更をし、その学校で進級や卒業できなかった生徒が何人かいます。改めて当時の私の指導は本当にそれでよかったのかと自らを問いました。私が教師であったばかりに、生徒は傷つき、涙を流させたのではないか。生徒に許しを請いながら、結局それは自分を正当化するためではないか。いろんな感慨が私の脳裏をよぎりました。
高校時代の恩師の言葉「生徒の30年後の姿に敬意を表して、襟を正して教壇に立つ」。まさに私がその歳になりました。功利的な考えに傾きがちな社会風潮の中、高校3年間の成果だけにとらわれることなく、20年後、30年後に表れるかもしれない気付きを信じて種をまき、生徒とともに伴走する教員であり続けたいと思っています。
『社会学教育の意義と実践』でゼミ生による先生のゼミ経営を読むと、その底流にあるものは、問題提起でも登場した私の恩師たちから学び、そして私もそのようにありたいとして目指してきたものと重なります。自身が実践している日々の教育活動に自信を深め、また来週からの毎日を送る決意です。
298.(タイトル) 片桐塾の御礼 By No.88 TKさん(2025.9.13)
忘れないうちに今日の感想を送ります。まずは、こんな私を塾に誘っていただきありがとうございました。
教室に入る時、ドアノブの前で何秒か立ち止まってしまうほど緊張していましたが、皆さんからたくさんの刺激をもらいました。過去のように、ビビって断り続けなくて良かったです。大人がこんなにも長時間、熱く議論している場を生で見たのは恐らく?初めてで、終始圧倒されっぱなしでした。すごいですね。
普段のゼミで先生が「もっとざっくばらんに意見を言い合おう」と私たちに言いたくなる気持ちが、今日よくわかりました。あれだけ活発に意見が飛び交う塾生と関わっている先生なら、ゼミでの発言数が物足りなく感じるのも納得です(笑)塾生の姿を目の当たりにして、普段の私たちってゼミで全然喋ってないなぁ〜!!!と実感しました(他人事みたいに言ってますが、もちろん私も全然喋ってないです笑)
先生が話題を提示しなくても議論が自然に盛り上がる光景は、普段のゼミしか知らない私にとって衝撃でした。これが本来のゼミのあるべき姿なんだろうなと思いつつ、ただただ皆さんに脱帽するばかりです。
議論の内容そのものも非常に勉強になりましたが、それ以上に、大人になっても学び続けるところ、意見を恐れずに言うところ、立場を超えて対話するところなど、そうした姿から多く学ぶことができました。私だけが参加したのがもったいないので、他の31期生にもぜひ体験してほしいと強く思いました!!!(笑)多分みんなびっくりするだろうな〜って思います。
また、教員のマイナス面をリアルに聞くことができた一方で、やりがいも確かに存在するのだと確認できました。最後に少しKさんに話を聞きに行きましたが、私は、中学校社会の免許と共に、高校地歴・公民の免許も取得する予定なので、高校教員という道も視野に入れて、来年もう一度試験を受け直そうと思います。現場経験が大切だとアドバイスを貰ったので、大学院に進学しながら非常勤講師として働くという選択肢も検討したいと思います。教員は大変だと重々承知ですが、私の小学生の頃からの夢なので、一度は、学校(教育)現場で働きたいです。
教員はしんどい仕事とよく言われますが、Kさんの報告を聞いて、どの仕事にも辛さや精神的に厳しい局面は避けられないものなのだと感じました。その中で重要なのは、自分の許容量を適切に見極めること、そしてできないことはできないと率直に伝える勇気を持つことだと、改めて認識することができました。
私はこれまで、失敗しそうになると別の道に逃げて、常に安牌を選んできた結果、ある程度は思い通りの人生を歩んできました。しかし、教採に落ちた今、人生で初めてともいえる挫折感を味わい、ここ数日は毎日涙涙の日々で、あまりそんな風には見えないかもしれませんが、割と暗い気持ちでいっぱいでした。でも、だからこそ今日こうした場に身を置けたことがありがたかったです。隣に座っていたAさんに人生相談をしたら、「そんなに焦らなくてもいいから!!!」と言ってくれて、あと少しで、泣きそうでした(笑)
辛い時や悩んでいる時こそ、1人で家に閉じこもらずに、このようなコミュニティに身を置くことで、自分の視野が広がって、気持ちが整理されていくのだと実感しました。
なんかゼミの集いとはちょっと違う雰囲気ですね。意見を言い合える環境って素敵だし、賢い人っていいですね。勉強になりました。ありがとうございます。
297.(タイトル) 片桐塾お疲れ様でした By No.64 KMさん(2025.9.13)
今日は片桐塾お疲れ様でした。
今日は特に塾生の出席率もよく、そちらに出向いて参加出来ないのがとても残念でしたが、講義はとても興味深く、Zoomでも参加出来てよかったです。珍しく感想送りますね。
(Mちゃんの手作りお菓子も食べたかったー…なんとMちゃんのインスタのお菓子レシピ、それとは知らずに保存していた私!Mちゃんとは古希祝いの際同じ円卓で、たまたまお菓子作りの話になった時に有名なインスタグラマーであることを聞き、その後、既にレシピを保存していたことが判明!すごい偶然!)
2講目は発言させてもらったので割愛しますが、1講目は最近の高校事情も垣間見れ、勉強になりました。
確かに私が高校の時も先生方は個性豊かで、個人商店色が強かった気がします。今でも一人ひとりのお顔や授業風景が懐かしく思い出されます。
中でも日本史の先生は本当に日本史が好きな人で、その面白さをとても熱心に教えてくれました。おかげで私も日本史がとても好きになり、授業以外にも歴史小説やマンガを読んだり、神社仏閣等への興味も深めてくれました。
普段我が子達の話を聞いていると、本当に教師をする資格があるのか、何のために教師をしているのかと思うような先生の話を毎日のように耳にします。教師はいったい何様なのかと思うような偉そうなだけの先生。嫌がられているのをわかっているのにセクハラ行動や暴力的な行動をする先生。担当教科を本当に教える気があるのかと思うような先生。せっかく教師をしているのだからもっと生徒と対話し、向き合って、子ども達に少しでもいい影響を与えられるような先生にならないと意味がないではないか、自分も面白くないのではないかと思います。教師が子どもに与える影響の大きさを解っていないと思います。
その点Kさんは、つらつら通信へのメールを拝読していると、本当に大切なことを解っていらっしゃるととても感動しました。子ども達との対話を一番大切にされていたり、1回1回の授業を大切にし、反省までされている。こんな先生なら子どもは好きになるし、色んな話をしてくれる。きっといい授業をしてくださるだろうな、受けてみたいなと思いました。Kさんには、心身に気を付けて、片桐先生と同じく生涯現役で沢山の子ども達を導いてほしいと思います。
教師だけではなく、まずは親がそうしなければいけないことだと思いますが、子どもの話をちゃんと聞く。私はあなたのことをいつも気にしているよ、見守っているよという姿勢を見せる。少しでも言葉をかけることが大切だと思います。子どもは思ったより大人を観察しているし、敏感に色々感じています。
我が子は3人とも毎日学校であったことを沢山話します。(先生の愚痴が最多。笑)特に晩御飯時、3人が我先にと報告してくれるのを聞くのはなかなかに疲れます。ただでさえ6人分の食事を作った後、末っ子に食べさせながら自分も食べるので忙しいのですが、耳まで忙しいので辟易します。そしてそう遠くない未来、それに末娘も加わると思うと…。幸せな悩みですね(笑)
教師について思うことをつらつらと書いてみました。
次回以降の片桐塾は4月と10月かな?とおっしゃっていましたが、個人的には4月と10月は割と毎年子ども関係の行事等が多く忙しいので、参加しにくくなるかもしれないと思います。他の皆さんはどうでしょう?決める前に一度尋ねてみられてはいかがかと思いました。
最終講義こそは都合をつけて行きます!まだまだ暑いので夏の疲れが出ませんように、お体ご自愛ください。
296.(タイトル) 問題提起から1年経過して By No.7 MS君(2025.9.10)
第16回の社会学塾において、問題提起「日本の食料・農業事情について〜コメと畜産物の分野から考察する〜」を担当して1年が経過しますが、この間にも食料・農業を取り巻く情勢の変化に伴って様々な動きがあり、コメを中心に連日のようにニュースなどで取り上げられていました。そこで、それらの動きの一部について振り返りまとめていきます。
●備蓄米の放出
昨年の夏に品薄となり価格の高騰を引き起こした「令和の米騒動」に関して問題提起でも取り上げましたが、それに対して農林水産省は「2024年産米が出回れば落ち着く」との姿勢を崩さず、備蓄米の放出についても「凶作や災害などの緊急時に限られる」として慎重でした。しかし、今年に入っても価格の高騰は収まりませんでした。
そこで農林水産省は、「流通の目詰まりの解消」を目的として備蓄米を放出できる制度に改めることを1月に表明、集荷業者を対象として買い戻しを条件に競争入札で放出すると2月に正式に発表し、そして3月から放出を開始しました。しかし、小売業者や小売店に届くまで時間がかかり、平均販売価格も高値に歯止めが効きませんでした。
5月に農林水産大臣の失言で交代したことにより、放出の目的が「価格の引き下げ」へと変わり、小売業者や小売店を対象として先月末までの販売期限を条件に無制限の随意契約での放出へと制度が見直されました。その効果によって平均販売価格は下がりましたが、出庫や精米に時間がかかり引き渡されていない分が残っていたため、販売期限は延長されています。
写真@ 政府備蓄米(令和3年産)
●供給量2割減で増産を要請
昨年6月に成立した「食料供給困難事態対策法」の具体的な運用を定めた基本方針を、政府は4月に閣議決定しました。
コメ、小麦、大豆、乳製品、肉類、鶏卵など重要な19品目を「特定食料」と定め、供給が2割以上減る恐れがある場合などを「食料供給困難兆候」と位置付けて、生産者や輸入業者に供給確保を要請します。それでも解消が困難で価格高騰や買い占めが起きれば、「食料供給困難事態」に変更し供給計画の作成と届け出を指示する、としています。
●コメの輸入
無関税のミニマムアクセス米として外食や中食で使用する主食用米を毎年最大10万トン輸入していると、問題提起の用語解説でも触れましたが、農林水産省は、そのうちの3万トンの輸入を前倒しすると6月に発表しました。この前倒しにより約3か月早く市場に出回りますが、備蓄米の在庫の減少による不足感を解消させ価格を引き下げる狙いがあるようです。
また、今月合意したアメリカとの関税交渉では、ミニマムアクセス米の枠内でのアメリカ産の輸入を75%増やすと合意文書に明記され、飼料用や加工用に使用すると政府は説明しています。
なお、ミニマムアクセス米の枠外で高関税が課される外国産の精米の民間輸入が、4月から急増しています。価格高騰を受け、関税を加えても国産米より割安で販売できることが要因とみられます。
●コメ政策の失政を認め大転換へ
先月のコメの安定供給に関する閣僚会議で、政府は、「令和の米騒動」により品薄となり価格が高騰した要因について、需要が減り続けるという前提で需要量の見通しを見誤り、その過少な見通しが生産を下押しして生産量も不足を招いてしまったと、失政を認めました。
当初農林水産省は、「コメは足りている」と繰り返していました。しかし、実態の把握に消極的で、且つ生産調整(減反)が一因との批判を回避したい思惑が透けていることは否めません。そして、結果的に備蓄米の放出も遅れて対策が後手になってしまいました。
そこで、これまでの事実上の生産調整(減反)に区切りをつけ、2027年度以降に増産へと大きく転換すると表明し、農地集約による生産性向上や輸出拡大を図ることで生産者の生産意欲を後押しするなど、具体的な政策の方向性を来年の夏頃までに集約するとしています。すでに、輸出について政府は、2030年までに35万トンと昨年実績の8倍近くに引き上げる目標を4月に掲げています。
この度の見通しの見誤りを受けて、新たな需給見通しの手法については、来月までに示す見通しだそうです。そして、コメの出来具合を過去30年の傾向と比較して数値化する「作況指数」についても、関係する政策や市場価格などの判断材料の一つとして約70年公表し続けてきましたが、近年の気候変動などの影響で実態と合わなくなっているため今年で廃止すると、農林水産省が6月に発表しています。代替となる新たな指標を示すことを検討する、とのことです。
グラフ@ 需要実績と需要見通しの乖離(農林水産省の資料より)
今年も高温や渇水などの影響でコメの収穫量が懸念されますが、農林水産省が先月発表した今年産主食用米の全国の作柄概況によると、概ね良好な生産状況で推移するだろうと分析しています。今月以降、備蓄米の放出が一段落する一方で今年産の新米の流通が本格化するため、当面店頭では、新米を含む銘柄米、備蓄米、ブレンド米、輸入米と多極化して販売されることになります。そのような中でコメの価格については、備蓄米の放出に限りがあるためその値下げ効果が一時的なものとなり、一方で生産者や集荷業者、卸売業者との間の新米の取引価格で高値が続く公算が大きいため、平均販売価格も高止まりが続くことが予想されます。
写真A 銘柄米(高温耐性品種の新潟米「新之助」)
グラフA スーパーでの販売数量・価格の推移(農林水産省の資料より)
今後、消費者と生産者の双方が納得するコメの「適正価格」が設定され、安定して供給され販売されるようになっていくのか。そして、政府によるコメ政策の大転換に対する諸課題を対処して着実に増産を実現することができるのか。現時点で、先行きの不透明感は否めません。
よって、問題提起「日本の食料・農業事情について」に関して、コメを中心に今後も継続して動向を注視しながら追跡していきたいと思っています。
295.(タイトル) 宇宙でも強化される防衛能力 By No.7 MS君(2025.8.7)
NO.292の投稿において、サイバー、宇宙、電磁波といった広範な領域を指揮する防衛省の常設組織「統合作戦司令部」の新設について取り上げましたが、宇宙領域での防衛能力の早急な強化に向けた「宇宙領域防衛指針」と、次世代情報通信技術の活用推進の方向性を示す「次世代情報通信戦略」を、それぞれ策定したと先月防衛省が発表しました。
「宇宙領域防衛指針」では、「宇宙の戦闘領域化が進展し、脅威とリスクが拡大している」と指摘したうえで、宇宙空間の利用について通信や観測、測位といった面で国民生活に不可欠な基盤になっていると位置付け、宇宙空間を防衛分野と捉えて対処するとして具体的に次の5点を掲げています。
@通信妨害に耐えられる衛星通信ネットワークを構築する
A同盟国や同志国間での衛星通信の相互運用を推進する
B衛星防護に関する検討を深化させる
C敵の射程圏外から攻撃可能な「スタンド・オフ防衛能力」の確立に向けた宇宙利用を進める
D日本周辺に展開する艦艇や部隊を捕捉するため、複数の小型衛星を連動させる「衛星コンステレーション」と、通信の安定性が高い「静止軌道衛星」などの組み合わせを構築する
また「次世代情報通信戦略」では、民間の先端技術を取り入れ、衛星間や衛星と司令部間などのデータ伝送の発展を目指すとしています。
現在宇宙領域を担当し航空自衛隊の所属組織である宇宙作戦群は、今年度末に「宇宙作戦団」として格上げされ、2027年度には航空自衛隊が「航空宇宙自衛隊」に改称される予定となっています。そして、他国の人工衛星を攻撃して無効化するキラー衛星から自国の人工衛星を守る「ボディーガード衛星」の開発と実証を2029年度までに行い、極超音速兵器を追尾、探知するための技術の実証も行うそうです。
今後は、陸海空に宇宙を加えた「オールドメイン」で防衛能力を増幅していくことになります。
294.(タイトル) 秩序ある共生社会の実現に向けて By No.7 MS君(2025.7.26)
第12回の社会学塾における問題提起「<多文化共生>を問う!−政策と現実のはざまで起きていること−」では、外国人住民に関する政策について受講しました。その受講から間もなく3年が経とうとしていますが、今月政府は「外国人との秩序ある共生社会の実現に向けた施策を総合的に推進する」との方針を示し、外国人に関連する施策を担う事務局組織を内閣官房に新設しました。
その新設された事務局組織は「外国人との秩序ある共生社会推進室」という名称で、内閣府、法務省、出入国在留管理庁、厚生労働省、財務省、警察庁、外務省などの関係省庁が、地方自治体と情報共有しながら関連制度を見直し、施策の発信に省庁の枠を越えて横断的に取り組むそうです。そして具体的な課題として、出入国在留管理の適正化、社会保険料の未納防止、土地の取得を含む国土の適切な利用管理を挙げています。
これまで、人手不足を補うための外国人材の受け入れや、インバウンド消費の拡大により、外国の活力を取り込んできました。その一方で、一部の外国人による犯罪や迷惑行為、各種制度の不適切な利用など、懸念する事案も起きています。今後いかに共生推進と規制強化のバランスを図っていくか、政府は難しい対応を迫られるようです。
293.(タイトル) 教員給与特別措置法(給特法)などの改正法の成立 By No.7 MS君(2025.6.14)
第3回の社会学塾における問題提起「学校の担う範囲について−現役小学校教諭の立場から−」、そして第14回の社会学塾における基調報告「コロナと小学生」では、学校現場における教員の働き方について受講しました。更に第14回では、教員に支給されている教職調整額について議論しました。
その議論から間もなく2年が経とうとしますが、教員の処遇改善や長時間労働是正に向けて給与増と負担軽減を進め、深刻ななり手不足の解消を図るため、教員給与特別措置法(給特法)などの改正法が、今月11日に国会で成立しました。その主な内容は、次のとおりです。
@公立学校教員に残業代の代わりに基本給の4%相当を上乗せ支給する教職調整額を、2026年から毎年1%ずつ引き上げ2031年に10%とする。
A2026年度から教育委員会に、業務量管理と健康確保のための計画策定と、実施状況の公表を義務付ける。
B負担が重い学級担任へ手当を加算する。
C新たな職位として、若手のサポートや学校内外の関係者との調整役を担う主務教諭を新設する。
D部活動の地域展開に対して財政援助する。
また衆議院の審議では、教員の時間外勤務を2029年度までに月平均30時間程度に減らすことを目標とし、一人当たりの担当授業時間数の削減や、2026年度からの公立中学校の35人学級化に必要な措置を講じることを、付則に明記する修正を行いました。
1972年の給特法施行以降、教職調整額の増額は初めてとなりますが、残業代を支払わない制度が長時間勤務の要因との指摘があります。今回の改正法の成立を受け、文部科学省は、国が策定している教員の働き方改革に関する指針を改定して今年の秋頃に示すとのことですが、その具体策が学校現場で実行でき成果が得られるかどうかが、今後のポイントとなりそうです。
292.(タイトル) 統合作戦司令部の始動
By No.7 MS君 (2025.4.24)
第6回の社会学塾では、「日本の防衛について(入門編)」をテーマに受講しました。専守防衛を基本方針とする自衛隊が発足してから昨年で70年となり、また今年は、その受講から5年半が経過し戦後80年の節目も迎えます。一方で、日本周辺の安全保障の環境が大きく変化し厳しさを増しています。そのような中で、2022年に政府が策定した「安全保障関連3文書」(国家安全保障戦略・国家防衛戦略・防衛力整備計画)に基づき、防衛省の常設組織「統合作戦司令部」が先月新設され始動しました。
「統合作戦司令部」は、平時から警戒監視や部隊の状況を把握し、有事の時に切れ目のない運用ができる体制を保つため、そして大規模災害などを含む即応力を向上させるため、陸海空3自衛隊の一元的な指揮に加えて、サイバー、宇宙、電磁波といった広範な領域の部隊も指揮するそうです。それらの指揮の下で、反撃能力(敵基地攻撃能力)を有する長射程ミサイルの運用も担うようです。また、米軍と運用・作戦面でのカウンターパートを担い、日米の軍事面での結束をより強め、共同対処能力や抑止力の向上を図るそうです。
既存の組織との間で役割分担に関して混乱が生じないか、米軍の情報に依存せずに指揮権の自律性を確保できるか、そして文民統制が機能しているかが、今後「統合作戦司令部」が実効性を高めていくための焦点となるかもしれません
291.(タイトル) これからのライフスタイルを考えていくきっかけになった第17回 By No.7 MS君 (2025.3.28)
「第17回片桐“社会学”塾」では、先生をはじめ問題提起及び基調報告そして参加した塾生の皆様お疲れ様でした。
先ず、1講目の「昭和と令和、どっちが生きやすい?〜『昭和・平成・令和の大学生』を素材に議論する〜」についてです。この先生の著書はすでに読了したのですが、講義の理解度をより深めるために、再度読み直して講義に臨みました。問題提起を担当したお二方も先生の著書を熟読したうえで、的確にコメントを述べていると思いました。一方で、Kさんのコメントで疑問符が付く略語が幾つかあり、そのうち「ガクチカ」と「よっ友」については講義中に解説がありましたが、「陰キャ」については講義終了後直接Kさんに質問して、ようやく疑問が解けました。改めて世代間のギャップを感じたと共に、現役の大学生が使用している言葉だけでなく考え方を知るよい機会となりました。
次に、2講目の「シゴト、テンショク、時代の流れ」についてです。講義のポイントとして、『「会社」を選択していた大学卒業時、「職業」を選択した30代〜40代半ば、「生き方」を選択した40代半ば〜』とありましたが、これまでの私の仕事に関する意向と当てはまっているようでした。大学卒業までは安定志向や終身雇用を重視し、地元の市役所に就職しました。また、30代後半から40代前半までには、かつての担当業務の実績を踏まえて自らのキャリアアップについて考慮するようになり、市役所内での異動を複数回希望したり専門職の資格取得を検討することもありました。更に40代後半には、自らの定年前後や老後の状況、そして今後の親の状況について考慮するようになり、結果として早期退職の募集に手を挙げ、親の営む家業を継いで転職しました。従って、講義のまとめで触れていた「仕事」⇒「志事」そして「転職」⇒「天職」の意義が理解できたと思います。
今回の問題提起及び基調報告を受講して、自らの大学生時代から現在までを振り返り、これからのライフスタイルを考えていくきっかけになった塾となりました。
290.(タイトル) Re: 第17回片桐塾開催報告というか私的意見
By No.33 KHさん
(2025.3.24)
先生、おはようございます。
先週は片桐塾、ありがとうございました。
たくさんの参加者の方と、初めて二次会にも参加させていただき、とても刺激的な一日でした。
年代の話や仕事へ求めるもの、その意味、家庭とのバランス、年代や男女の仕事への姿勢など、もっとゆっくり飲んでおしゃべりしたかったのですが、急遽SOSが入ってしまい、途中で失礼してしまいました、すみません。
塾の中で頭を耕したせいか、この人にはこれを聞きたい、話したい、がまだまだありました。
私にとっては、職場でも家でも各年代との付き合い方が日々の課題ですが、ああして改めて変遷を見てみると、先生の本を拝読した時も思ったことですが、いっしょくたに見ていたそれぞれのことが背景を持ち始め、いい意味で対応の仕方を顧みることができました。
管理職になって10年、それなりの数の部下を持ちましたが、良くも悪くもまだ保守的な、ワーカーホリックが出世していく職場なので、部下たちには、ほどほどの仕事で程よくやっていきたいか、キャリアアップを考えて働きたいかを毎年聞いてきました。それがないと、指導の仕方に違いが出るからです。でも最近の子は、ちゃんと仕事をやりたい、部下も持ちキャリアアップたいと話していても、いざ指導したり間違いを指摘すると怒ったり、つぶれたりしてしまうことが続き、迷いが生じています。
よく観察しながら話すのですが、最近はあまりプライベートな話を好まない子が増えてきたなと思います。家の様子がわかる方がフォローもしやすいのですが、そんなんいらんのかな…でも構ってもらったり気にしてもらうのはやっぱり嬉しそうだし、やる気につながってるし、と試行錯誤です。
一番身近な若者が子どもたちになってきたので、そのあたり相談したりするのですが、人の区分けがすごいんですね。
息子と言えば大学準備の連絡も全てネット経由だし、入学前にiPad買えと言われるし、何かほんとお金もかかるし紙を使わないのに情報量がすごい…あまりに自分たちの時と違うのでびっくりしています。こういうところから始まる人間関係ってどんなものになるんだろう?息子を通じてまた観察できたらと思います。
さて、片桐塾の夜から子どもが順番に胃腸炎になり、看病でへとへとな一週間でしたが、ふらふらしながら迎えた21日の内示で、最強のパワハラ上司が異動することとなり、一気に心が軽くなりました。
怒涛の年度末スケジュールですし、木曜日には部下の内示が出るのでこれまた冷や冷やですが、もう負けません。明日は万博会場の下見です。
来年度も引き続き、元気をいただきに参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
先生も健康に気をつけてお過ごしくださいね。
289.(タイトル) 第17回片桐塾に参加して By No.10 MM君 (2025.3.23)
こんにちは。
15日の塾後、母や仕事関連のことに追われ、文を書く気力を失っていました。
結果、メールをお送りするのがこのようなタイミングになってしまいました。
申し訳ありません。
まずは塾のことから。
今回も様々な考えや思いに触れ、大変充実した時間を過ごすことができました。
先生、そして塾生の皆さま、ありがとうございます。
塾生の皆さんが多様な背景をお持ちで、それがいい形で相互作用していることがこの塾の魅力だと改めて感じました。
また、単なる「お話の場」ではなく、「学びの場」になっていることも重要です。
さて、開催報告として先生が送られたメールについてひとこと私見を述べ、塾開催、および参加のお礼とさせていただきます。
>年配者の価値観や発言を「今の時代ではアウト」と否定しすぎていないかなと疑問に思うことも多々あります。
>今の時代の価値観の方が社会にとってまずいのではないかと思うことも少なくないです。
この点は、私も気になっています。
個人的には、いわゆる「○○ハラ」ということばがそれを生み出している一つの原因だと考えています。
特に、「それは○○ハラだ」と安易に言う(あるいはそれが良しとされつつある)ため、気軽にことばを発しにくくなっています。。
そうすればおのずと「人間関係の作り方」は、困難なものとなります。
「よりよい関係づくりのために」「コミュニケーションを重視した取り組みを」などということをよく耳にしますが、土台無理な話だと言わざるをえません。
>人間関係をきちんと構築する上では、一人一人の個性をどれだけきちんと把握できるかが大切なのだと思います。
是か非かといった二項対立だけで物を捉えるのではなく、それこそ「多様な」ものの見方を身につけ、人やものと向き合い、見極めていく必要があると思います。
ところが、外枠(先生が言うところの「カテゴリー」)にばかり注目が集まり、中身に目を向けないまま議論が進んでしまっていることが多いように思われます。
開催報告の冒頭で、関西大学の「大学要覧」が紙媒体で配布されなくなるということについて紹介されていました。
今、教科書のデジタル化が進められていると聞きました。
確かに世の流れはデジタル化だと思いますが、すべてそれが「是」と捉えられていることに不安を覚えます。
そのうち、「中庸」ということばは世の中から消えてなくなるかもしれませんね。
なんだかとりとめのない話になってしまいました。
申し訳ありません。
次回の塾も楽しみにしております。
288.(タイトル) [片桐塾参加感想]
By No.87 YT君
(2025.3.17)
片桐塾、参加させていただきまして、ありがとうございました。
第1部が始まると緊張しましたが、結果、楽しむことができました。
みなさん賢い方ばかりで、最初はついていけるか心配でしたが、問題提起をされたKさんの考え方や分析がしっかりしていることに感嘆しながら、先輩方の学生時代や、就職活動の実態を興味深く聞かせていただきました。
次回はもっと発言できるように頑張っていきたいと思います。
このメールを書く前に、アップロードされた塾生の方の知識や経験に裏打ちされた感想も拝見して、すごくなるほどと発見がありました。
第2部では、当然、第1部にはない雰囲気のなかで、塾生のみなさまから、様々なお話しを聞くことができて、こちらも大変面白かったというか、むしろこちらが自分としては得意だなと思ってしまいましたが、そのなかで先生のお話をじっくり聞くことができ、集いのときの懇親会とは違う、片桐塾ならではの第2部の醍醐味だなと感じ、ついつい終電を逃して、始発で戻るという無茶な結果につながってしまいましたが、大変満足いたしました。
第1部、第2部を通して、先生からも塾生からも意見の出た、多様性や、コミュケーションの議論は、なるほどそのとおりだと思います。
現在は、IT、SNSの発展が大きく影響しながら、社会や価値観が変化していますが、分断がすすみ、相互理解やおおらかさがなくなってしまった社会はとても寂しく不幸なことだと感じます。
価値観の違いから、世代間や、同じ世代でも共通項さえ失いつつある現在のようですが、価値観の違いを乗り越えて、世代や立場を超えた相互理解を少しでも、実現していかないと、日本人の幸福度は下がっていく一方ではないかと思います。
違いを認め合った上で、相互理解を進めないと、おなじ人間としての共感は生み出せないのかなと思います。根底は同じ人間のはずで、それはともすれば面倒な行動なのですが…
自分としても、今の仕事のなかで、関わってくれる従業員の若者たちが(若者だけではないですが)少しでも社会のなかで、日々生活する上で、楽しく前向きに生き抜けるように、できることは声をかけ、手助けしていきたいとはいつも思ってきましたが、これからも続けていきたいと改めて思いました。
片桐塾に参加できて、大変、刺激と学びを得ることができました。楽しく幸せなひとときでした。
ありがとうございました。
また、都合がつけば、現地参加したいです。
追伸:さて、2部において、お酒の入った勢いで、Kさんや先生から、自分の関わるコンビニ経営をとりまく現実から見えてくる問題提起役になってはどうかと提案をいただき、話を振っていただける嬉しさのあまり、調子に乗って、やります!みたいなことを言ってしまった記憶がありますが、いま、冷静に考えてみますと、コンビニの稼ぎ時、7、8、9月はとても忙しい時期で、昨今の人手不足も影響し、ちょっと次回は難しいかなと思います…。
参加自体が危ぶまれる9月で、苦手なレジュメ作りや、データ集めも少しは頑張らないといけないでしょうし、なかなか忙しい日々のなか、現状、時間がとれる自信がないです。申し訳ないです。
ただ、いつかは、ご迷惑をおかけしつつも、一度、お話しや問題提起をさせていただき、みなさんの意見を伺ってみる機会もいただければ面白いとも思います。よろしくお願いします。
287.(タイトル) 第17回片桐塾開催報告というか私的意見 By No.1 KS氏 (2025.3.17)
一昨日の片桐塾、お疲れ様でした。1講目はいつも以上に議論が盛り上がりましたね。最年少と最年長の塾生による問題提起だったため、自ずとみなさん、「自分の時代はこうだった」と語りたくなったのでしょう。
「ガクチカ」といった新しい学生用語は、ある年齢以上の社会人だと知らないんだという事実を知り、私も来年4月以降大学を離れたら、そういう言葉が耳に入ってこなくなり、時代についていくのが難しくなるんだろうなと思いました。大学生調査はまだ続けられるのではといろいろな人から言われましたが、やはり大学生と直接接触をしなくなってしまうと大学生の的確な分析は難しいだろうから、今回の書籍で最後にすると判断したのはやはり間違ってなかったなと思ったりしていました。
議論の途中で、いろいろエピソードが語られていましたが、やはり35年――私が大学教師になってからだと42年――間の大学生とそれを取り巻く社会の変化は大きいものがあります。就職活動の時期も、その時々の就職状況やアクセス方法も全然違います。授業のやり方も、出席の仕方も、昭和、平成、令和でまったく変わりました。関西大学の新入生にこれまで必ず配布されていた、もっとも重要な冊子『大学要覧』が今年の4月から廃止になるそうです。全部インターネット上で見てくださいということらしいです。紙ベースのものをこんなに軽視してしまっていいのかなと思いますが、あと1年で辞める人間はもうそこに口を出すことはしません。そういう時代だと受け止めないといけないのでしょうね。そう言えば、先日新聞社も販売部数が落ち経営が危なくなってきているので、記者がしっかり取材をしてニュースが提供されるということがそう遠くないうちにできなくなってしまうだろうという記事が新聞に載っていました。丁寧な取材のないネットニュースだけしかなくなる時代がすぐにやってきそうです。
多くの日本人は、経済はともかく、なんとなく社会はより便利でよい社会になっていくと思っている気がしますが、本当にそうなのでしょうか。確かに、よくなったことはたくさんあります。例えば、女性が結婚したから出産したから仕事を辞めざるをえないという空気はほぼなくなったこと。それを可能にするために、育児休暇制度が保育サービスが拡大してきたこと。男性たちも育児に関わるのが普通になったことなどは、おおいに好ましい変化です。
しかし他方で、年配者の価値観や発言を「今の時代ではアウト」と否定しすぎていないかなと疑問に思うことも多々あります。今の時代の価値観の方が社会にとってまずいのではないかと思うことも少なくないです。これもたくさんありますが、人間関係の作り方などは疑問に思うところが多いです。様々な異なる価値観を持った人と対面でそれなりに付き合えることができないと、みんな若いうちから孤独な人間になってしまわないでしょうか。私は、ここの塾生たちのように対面関係を楽しめる人たちとの関係をたくさん持っているので幸せなんだと思っています。
この人間関係の作り方に関する変化がよく表れているのが、私の大学生調査の「好む上司のタイプ」です。1987年第1回調査からから2012年の第6回調査まで3割に届かなかった「ビジネスライクな上司」(規則をまげてまで、無理な仕事をさせることはありませんが、仕事以外のことでは人のめんどうを見ません)を好む人が、2017年に4割を超え、今回の2022年調査で5割を超えたことです。ずいぶん以前から「最近の若者は付き合いが悪い」とか言われながらも、実は10年ちょっと前までは、大学生たちは7割以上が「親分肌の上司」(時には規則をまげて、無理な仕事をさせることもありますが、仕事のこと以外でも人のめんどうをよく見ます)を好んでいたのです。この10年で大きく変わりました。これはまさにスマホ、SNSの影響です。
ただし、もうひとつ強調しておきたいのは、それでもまだ半分近くは「親分肌の上司」がいいと思っている若い人たち――たぶん価値観の異なる人との対面関係も楽しめる人たち――もいることは忘れてはならないと思っています。「最近の若者は・・・」も「おじさんは・・・」もみんな安易にカテゴリーでまとめ決めつけすぎになっていることには注意しないといけないと思います。「多様性」を語るなら、カテゴリー別だけではなく、同じカテゴリーに属する人にも多様性があることをきちんと認識すべきです。生物学的性差のカテゴリーだけ、カテゴリーに収まらない人たちがいることを認めましょうと、耳にタコができるほど聞かされていますが、年代別カテゴリーに関しては、意外にカテゴリー内偏差がきちんと語られることは少ないと思います。
社会学はカテゴリーで分析する学問ですが、現実に人間関係を構築する上では、一人一人個性がある存在なんだということをきちんと把握していく必要があります。生きてきた時代の違い、生物学的性差の違い等で、カテゴリー別に多めに見える特徴は間違いなくある――それに基づいた「普通=標準的生き方」があってもいい、というかあった方がいい――とは思いますが、人間関係をきちんと構築する上では、一人一人の個性をどれだけきちんと把握できるかが大切なのだと思います。
他にもいろいろ語りたいことはありますが、長くなりましたので、今回はここまでにしておきます。
2講目のKちゃんの「シゴト、テンショク、時代の流れ」は、聞かせる力のある報告でした。仕事にマイナスイメージばかり持っている大学生たちに聞かせたい報告でした。私は何のかんの言って、仕事は自らのアイデンティティを形成する上で重要な役割を持っていると思っているので、ただ単に生活するためにいやいや働いていますなんて思っている人に、こういう風に考えながら転職し、どの仕事も楽しんできた人の話を聞かせたかったです。ちなみに、私は子育ても大事な仕事だと思っているので、ただ家庭外で働くだけをもって仕事と思っているわけではありません。自らがやりがいを持って関われることを見つけてほしいものだと思います。まあ、最後に挙手してもらったように、この塾に参加している方の大部分は自分の「仕事」にある程度満足しているようで、やっぱりなと嬉しく思いました。
なお、次回の片桐塾は、9月13日(土)を予定しています。それではまた次回に。
286.(タイトル) ありがとうございました
By No.29 UT君
(2025.3.16)
こんばんは。昨日はありがとうございました。
今回もとても充実した時間を過ごせました。
1講目は時間が足りないくらい活発な議論でしたね。
Kさんは学生の方とは思えない堂々としたもので感心しました。
内容についてですが、今の若い人は交友関係をある程度選べてしまえる良さがある一方で、いざ社会人になったらそれこそいろんな考えやものの見方をする人がいる、
「ごちゃまぜ」な中に放り込まれて?飛び込んで?いかなければならない。さらにはそういった自分とは違う人とも(理不尽さも含めて)ある程度、臨機応変に柔軟に対応していく必要があるので、自由に選べることもいいことばかりではないのかもしれないなと思いました。
「ナチュラルなセクハラ」…昨日の報告での事例は完全にアウトですが、会話レベルで「髪、切りはったんですね。」くらいは言えたらいいなぁと思いました。
「多様性」も少し出てきていました。何年も前に、お寺を通りがかった際に、掲示板に「ばらばらでいっしょ」という言葉がありました。矛盾をはらんだその言葉が心に留まっているのですが、「多様性」ってこういうことなんじゃないのかなと思いました。あなたはあなた。私と違うから関係ありません。じゃなくて、違いを認め合う中で、でも一緒にという。何とも感情ベースで抽象的ですが。
バブル真っ只中を過ごされたUさんと、平成2桁の時代に生まれたKさんの発表はとても面白かったです。
講目のNさんの報告は、ご自身のキャリアを通して、大切にされてきたことが垣間見れて、学びになりました。
同業他社ではなく、全く異業種への転職を決断されたのが本当にすごいなと思いました。
自分は、日々の業務をこなすことに精一杯で、そこに生きがいとかやりがいというものをまだ見つけ切れていないなと思います。
でも仕事だから仕事をするというスタンスでいることもまんざら悪くもないんじゃないかなとも思っています。
(もちろんやりがいも感じていますが)生きがい、やりがいに比重を置きすぎると、「何でこんなことをしているのだ」と負のスパイラルに入ってしまいそうになることがわかるくらいたくさんのことがあるので、そこは「仕事仕事っ」と思ってやっている方がメンタル的に安定する気がします。
塾は年齢も仕事も違う方たちが集まって議論し、色んな立場からの考え方、見方を知ることができる場です。
今回もご準備等、本当にありがとうございました。
次回も楽しみにしています。
285.(タイトル) ありがとうございました
By No.2 KK君 (2025.3.16)
どうもありがとうございました。
第一講目。世代感の違いを感じさせてくれる内容で興味深かったです。
懇親会でも、第一講目の話の延長線の深い話ができて、よかったです。Kさん&Uさんのお話はそれそれ魅力的なお話でした。
第二講目。Nさんワールドのお話も魅力的でした。経験が物語ることには、深みのあるお話でした。
片桐ゼミ以外の方も多々入り、いろんな血が混ざった(多様性?)形になって良いかと思いました。
今回も企画・運営ありがとうございました。
またよろしくお願いします。
284.(タイトル) 片桐塾お疲れ様でした By No.39 AY君 (2025.3.16)
こんにちは、20期のAです。
片桐塾は2年半ぶり?の現地参加でしょうか。やはりそのほうが議論の内容も頭にスッと入ってくるので良かったです。子供もベビーカーではぐずっていましたが、概ねお利口さんにしてくれたので助かりました。
1講目のKさんの書籍の感想・コメントはしっかりしているなと感じました。ムラ社会から世界単位に広がってしまい、当事者意識が薄れてしまうことについても納得しました。私たちの世代が「ゆとり世代」だとか「〇〇離れ」と言われていて、自然と自分たちに非があるという考え方が植え付けられていたなと感じました。そのなかで自身が熱中できるものを見つけて存在意義を見出すというのはやむを得ないですね。
セクハラ発言については、相手は挨拶代わりとしか思っていないんですよね。「昔の彼女に似ている」という発言の先にナンパしたいとか、それ以上の意図はないのも分かります。ただ、生活範囲が広がって、近所の人ではなく全く知らない人に同じように接してしまうことが相手のプライバシーを侵すようなセンシティブな発言となってしまうんですね。
私もセクハラではありませんが、仕事で高齢の一人暮らしの顧客宅に行くと、普段話し相手がいないからか、過去の楽しかった話などを赤裸々に長時間話されることが何度もありました。生活範囲の広がり、地域関係の希薄化に取り残された方々が何とか馴染もうとするけどもベターな方法ではないことに気づけていないサインだなと感じました。
2講目の仕事・転職について。私は当初教員を目指していましたが、就職活動を教員一本に絞るのは勿体ないと感じつつも一般企業の就職活動と教員採用試験の両立は不可能と悟りました。結局、金融機関に就職し今も続けていますが、転職する勇気がなかったというネガティブなイメージでいます。(仕事の大変さと同時に充実感も徐々に見出せるようになってきたことの裏返しでもありますが。)
議論の中であったジョブローテーションがあったことが、私が今の会社で働き続けることができた要因だと感じています。しんどかった2年目の終わりに店舗異動があり、さらに内勤から営業へ。同じ店舗で6年勤務しマンネリ感が出てきた中で本部内勤へ異動。そして、1年半で再び営業へという流れです。金融機関に異動はつきものですが、営業から内勤に戻る人が少ないなかで私は内勤も経験したことが大きいと感じます。当時は多くの戸惑いもあり苦労しましたが、振り返れば大きく成長できた機会でもあります。
人間関係やブラックなところに疲弊した方もいらっしゃいましたが、そういう点では上司などの人間関係は比較的恵まれていたのだなと実感しました。年末年始に育休を取得できたのも、育休を経験していない管理職の方々の配慮のおかげだと思っています。
金融系は転職が多いとグラフにも表れていましたがまさにその通りです。同期はもう3分の1しかいませんし、私が業績表彰され、ホームページに載った時には保険会社からもスカウトの電話が来ました(転職サイトに登録もしていないのに!)。
性別役割分業の解消、男性の育児休業、ワークライフバランスなど、いまの管理職の方々はこれらを犠牲にして仕事に尽くしてきた方も多数いらっしゃるので、これらが急に浸透するのはもちろん難しく、誰かが割を食わないといけません。夫婦共働きが当たり前、子育てするにも両親も共働きというのが多数派を占める現在では仕事一本など、よほどの年収がない限り選べない選択肢になっていくでしょう。年収1,000万あっても老後が不安なのに、その半分程度の年収で長時間労働(特に管理職)をしている人を見て、「こんな上司になりたい」とはもはや思えません。家事育児も重要な「スケジュール」になっていて、時間があるときにするのではなく、時間を作ってしなければならない所まできています。私は最近残業が多く子供の世話がEにかなり偏っていたので、今回はあえて下の子を連れてきて、Eが下の子と関わらなくてもいい時間を作りたかったという気持ちがありました。
今回私はまだ少数派の育児休業を取得させてもらえたので、いつか管理職になったときはこの流れを引き継いでいくつもりです。晩婚化で管理職も育児休業で不在ということも当たり前になってくるでしょうし、有給やノー残業デー、業務のシステム化で、人力でしなくてもよいことが増えてくるはずです。その時は「自分の時は大変だった」、「今の若手は」と誰もが一度は思うでしょう。ですが、それはいつの時代にもあることであり、その気持ちが産まれるということは企業が発展していることの裏返しだとも言えます。先日には帝国データバンクの調査で、人手不足での倒産が過去最多となったというニュースがあったばかりです。従業員が程よく割を食いつつ、バランスを取りながら離職者を出さない企業がこれからは生き残り、そのような企業が「天職」と思ってもらえる従業員を増やすことができると思います。
283.(タイトル) 御礼
By No.11 MSさん
(2025.3.16)
昨日は片桐塾に参加させていただき、ありがとうございました。
前回参加から1年以上空いての参加でしたが、教室に入ると自然に片桐ゼミ・片桐塾スイッチが入り、考え・表現することの楽しさや充実感あふれるひとときとなりました。
発表者の方々のたくさんの考察や議論のきっかけになる投げかけがあり、片桐先生の補足があり、どんどん議論が進んでいくことがとても楽しかったです。
様々な世代や職種、背景をもつ方々との議論は、まさに生きた社会学の現場そのものという実感があります。
昨日も揃って第2部まで楽しんだMちゃんを家まで連れて帰るミッションがありましたが、昨日は奇跡のような穏やかでとても楽しい帰路になりました(笑)
というのも、昨日片桐先生がMちゃんに譲ってくださった蔵書がMちゃんにとってあまりにも素晴らしく嬉しいものだったそうで、その素晴らしさとそう考える理由について熱心に語ってくれていたためです。
私も小説をたくさん譲っていただきました。
大切な蔵書を譲っていただき、本当にありがとうございます。
M家の家宝として、大切にさせていただきます。
282.(タイトル) 御礼
By No.83 HS君
(2025.3.16)
昨日の塾では大変お世話になりました。
先生がゼミ生の方をニックネームで呼んでおられること。
何年前のゼミ生であろうと分け隔てなく接しておられること。
50代40代のゼミ生の方が、まるで最近のことのように、学生時代の思い出話で盛り上がっておられること。
とても素敵だと思います。
また半年後よろしくお願いいたします。
281.(タイトル) 第17回片桐塾 参加の御礼 By No.83 KK君 (2025.3.16)
昨日は1年ぶりに参加させていただきありがとうございました。
関大前駅を降り、関大前商店街。昨年3月とはいくらか店が変わったのかなと何となく感じながらも第3学舎へ。でも、やはり私にとっては、1993年から1997年の街並みこそが関西大学です。
「日本社会について考える」と「シゴト、テンショク、時代の流れ」、それぞれの報告を拝聴しました。教職に身を置いて、28年。教職以外の業種・業界の考えや価値観を吸収することがやはり限られています。そのため、聴く話しの一つ一つがとても新鮮でした。
「日本社会について考える」について。
Kさんのレジュメに「古い考え方の人はナチュラルにセクハラ発言をしてくることも多く」とありました。私の周りを見渡していると、オフィシャルな場で若い女性に「今だったらセクハラになるけど」と前置きしたうえで「昔は……と私は言うてた、言うてた人がおった」と発言をしばしばする、実は自己をすっきりさせる=間接的なハラスメントをしている年輩の男性がいますね。年輩の男性が持つべき資質として「若い女性に対する眼差しは、暴力になり得る」という自覚が必要だと思っています。
「シゴト、テンショク、時代の流れ」について。
討論の中で私のアタマの中でループしていたり、懇親会でも先生が話されていた「多様性」についても気になりました。伊藤亜紗さんの著書『手の倫理』では、「多様性を象徴する言葉としてよく引き合いに出される『みんなちがって、みんないい』という金子みすゞの詩は、一歩間違えば、『みんなやり方が違うのだから、それぞれの領分を守って、お互い干渉しないようにしよう』というメッセージになりかねません」、「多様性は不干渉と表裏一体になっており、そこから分断まではほんの一歩なのです。『多様性』という言葉に寄りかかりすぎると、それは単に人々がバラバラである現状を肯定するための免罪符のようなものになってしまいます。」と述べており、安易な多様性の礼賛に警鐘を鳴らしています。「正しさは人それぞれ」という相対主義は本当に多様性を尊重するのでしょうか。むしろ、世の中を、職場内を分断していると私は思っています。そこで留まるのではなく、一歩先に進んでいくためにも、人間の生物学的特性を前提としながら、他者との対話を続けること、場合によっては、今の自分の考えを否定して、新たな自己を獲得していく姿勢が求められているように思っています。
2度目の参加ではありましたが、塾生の皆さんは本当に素敵な方ばかりで、私に対しても温かく、私も片桐塾での居場所を前回よりも広げることができたように思います。次回の9月を楽しみにしています。
先生は、大学での教員生活が残り1年となられたのですね。これからの1年は、何をするにしても「最後の…」という言葉が付けられていくのでしょうが、片桐塾は今後もずっと続いていくものです。くれぐれもご自愛ください。またメールさせてください。
280.(タイトル) 【御礼】第17回片桐塾 By No.15 YMさん (2025.3.16)
おはようございます。昨日はありがとうございました!
『昭和、平成、令和の大学生』を素材にした議論、面白かっです。
ナチュラルにセクハラ…の話は、なるほどな、と思うことも多く、お客様でもご年配の男性でややそういう発言をした時に私たち世代は笑ってやり過ごすことができても、若手の女性行員だと、信じられない、セクハラ、カスハラだ、となるのは、ジェンダー観の変化の中で当然のことなのだなと納得しました。
生まれ変わりたい時期については、いつの時代も「昔は良かった」と言いながらも、より良くしようと多くの人が思いながら生きていると思うので、期待をこめて「令和」と回答しました。
2講目のシゴトの話にも関わりますが、昔は自分の仕事の目標に重きがあったのが、段々とメンバーのためにどうしたら良いか、になってきて、更に、会社の為というよりは社会の為になっているかどうか、を考えながら働くようになってきたのかな、、と。
社会の一員として少しでも役に立ちたいなと思います。
が、真面目なことを考えつつも、目の前の仕事に追われ、明日の夕飯なににしよう、学校の持ち物忘れてないかな、とか、バタバタしているうちに1日が、1週間が過ぎていっています。
飲み会は久しぶりに二次会まで参加させて頂き、非常に楽しかったです!
次は5月にお会いできますね!
楽しみにしております!!
279.(タイトル) 片桐塾ありがとうございました By No.40 TFさん (2025.3.15)
片桐塾、お疲れさまでした。ありがとうございました。
珍しく酔いがそうでもないので帰りながら感想を綴れます笑
まず、Kさんの発表、現役大学生でここまで臆さずしっかりとできるのか、と感嘆いたしました。さすが私の憧れ平成二桁生まれ、といったところでしょうか。
ナチュラルなセクハラ発言では会場のおじさん達相手にザクザクと切り込みとても面白かったです。きっと昭和の価値観では異性から性的なことを含めて魅力的だと表されることには一定の価値があったのだと思いますが、ジェンダー的な価値観を否定されて育ってきた世代では性的な匂いに結びつく評価を異性からされる、ということはNGなんでしょうね。多様性の時代だからこそ他者のモノサシで自分を評価されたくない、他者を自分のモノサシで評価してはいけない、といった感じでしょうか。フジテレビの問題もそうですが、私自身も「若い女の子が部長にお酌を」「お茶だしはかわいくて若い子が」と一般的な若さや性を評価、搾取されてモヤッとした経験はあるので、理解はできるな、と思います。
ただ一方で、ではおじさんはどうやって話せば良いのか、よっ友はどう距離を縮めればいいんだ!といった意見から感じられる若者からの歩み寄りがない点を嘆く感覚もその通りだとも思います。
Uさんの資料にあった「コミュニケーションは同じ意見の人との意思疎通ではなく、意見の合わない人との調整」という言葉、まさにこの感覚が現代の若い世代には欠落しているように感じられました。スマホがあってSNSで自分が発信したい情報だけでのセルフプロデュースができる時代、結局自分の居心地の良い世界でだけ生きることを望むのは果たして本当に多様性のある社会といえるのでしょうか?
先生の案じられる新個保同楽主義について、先生は社会人になるとそうもいかないだろうから社会のメインの価値観にはならないで欲しいとおっしゃっていましたが、これだけスマホやSNS中心の生活で、職場も転職市場が活発で、嫌なら次も可能、という状況があるならば社会人になってもこの価値観ということもあり得るなぁ、と思ってしまいました。
ちなみに私はインスタも見る専ですし、SNSや自己紹介で「これが推しです」と語れるものもない人間なので、現役の大学生だったらずっと「よっ友」枠なんだろうなぁ、と少し切なかったです。対面で話すと相手に応じて色んな引き出しが開く感覚で、それが楽しいんですけどね。
あとは外国人観光客についての心境も興味深かったです。違う言葉、違う文化に目の前で出会った時面食らうのは当たり前のことだと思うのですが、そこに拒絶の感情が湧いてくるのは多様性の逆なのではないか?と。もちろん通行や生活の妨げとなったりオーバーツーリズムの問題は深刻ですが、それは社会システムの問題でもあるのではないでしょうか。そこを冷静に分析せずに感情でアンチに走ってしまうことは平和から離れるな、と感じました。
あとは、外国人観光客のマナーの悪さや問題行動は「日本が安い」ことも原因かな、とも思いました。国際的にみて、「安い」ということは言い方は悪いですが、感情として「下に見られる」ということにも繋がると思うのです。もし日本が高くて憧れの国だったら、観光に来た人も日本の文化をリスペクトして敬意を払うのでマナーもそんなに悪くならないはず。実際に私が学生時代、海外旅行先で出会った「日本に行ったことがある人」はリッチで日本に敬意を持ってくれていた人が多かった気がします。
今や日本は安く消費できる国になった。そんな現実が感じられることが若者のアンチの感情にもつながっているような気がします。
最後に、仕事派の父親か、家庭派の父親か論ですが、もうどちらかの時代じゃないですよ!
KさんやYさんが援護して下さいましたが、家庭での貢献度に関して仕事を頑張ってるは言い訳にはならないんです。だって女性は仕事も家庭も、を求められているんですから。もちろん夫婦間で協議の上でその分担割合がそれぞれにある場合は別です。ただ子どもから見ると距離の近い母親に「男は仕事、女は家」という価値観のみで負担が寄っていると感じられると「家庭を顧みない仕事派の父親はイケてない」という評価になるのではないのでしょうか。
「結婚して子どもを持つならお互いに当事者として家庭運営に責任を持つ」これ、私が夫にお願いしていることです。直接的な家事や育児が量としてできなくても、「俺は家や子どものことは一切やってないし知らない」と胸を張る昭和なお父さんにはならないで、と。
珍しく真面目に語りました笑
そろそろ家にたどり着けそうです。
第二部の懇親会、めちゃくちゃ楽しかったですし、やっぱり片桐塾は最高です!
この先も続けていけるとのこと、本当に嬉しいです。
疲れがとれない毎日で、電車の接続が悪い地域で2時間かけての参戦でも懲りずに参加し続けますね!!よろしくお願いします!
278.(タイトル) 片桐塾の御礼
By No.86 KS君
(2025.3.15)
今日はありがとうございました!
久々に社会的なディスカッション、本当に楽しかったです!
根っこは同じですが、集いとは若干空気感異なりますね。
次回は時間を間違えずに始めから参加しますので、よろしくお願いいたします。