書評:片桐新自『社会学教育の意義と実践 人を育てる社会学』(関西大学出版部、2025年)

宮本孝二(桃山学院大学元教授)

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40数年来の畏友、関西大学社会学部の片桐新自教授(以下、片桐さん)が来年3月の定年退職を控え、その記念に本書を出版した。自らの社会学研究の成果と社会学教育の経験のエッセンスが詰まっており、社会学とその大学教育のありかたを究明する上で、前例のない優れた書となっている。評者もまた桃山学院大学で社会学教育に40年近く従事してきたいわば同業者である(19924月片桐さんが関大に移るまで7年間桃大で同僚)。同業者の視点から本書の意義とともに、社会学教育を担う大学教員に求められる要件について、著者との長年の親交経験ありという評者の特権的地位を活かして明らかにしよう。

本書は三部構成で、まず社会学とは何かを多様な視点から解説し、次に現代社会と文化の諸相を事例とした明解な社会学的分析の実例を提示し、そして大学での社会学教育の実際をその成果とともに紹介している。一読再読再々読、同業者として興味関心がおおいにそそられ尽きることがない。なぜなら、評者もまた片桐さんと志を同じくし社会学教育の実践を試みてきたものの、片桐さんと違い教育成果は不十分なまますでに定年退職を迎えたからである。そういった自らの挫折の歴史を振り返るとき、本書のすべてが突き刺さってくるという仕儀になる。

第一部の社会学論は、いわば何でもありの社会学の世界から片桐さんが抽出し学生の教育に活用したシンプルな説得力のある社会学像が提示されている。多様な社会学像との比較検討が必要だし、本書には収録されていないがシラバスや単位認定テストなどについても見たいところだが、片桐さんの社会学教育の成功がその妥当性をまずは担保していると言えよう。同業者たちの多数にのぼる入門書や概論書、そして各大学での同種の講義のシラバスや単位認定テストの内容との比較検討は、大仰な言い方になるが社会学界全体に課せられた課題として残されている。

第二部の現代の社会と文化の諸相についてのその時々に発表された社会学的エッセイは、片桐さんのその社会学論にもとづくものであり三十年近く書き溜められ片桐さんのホームページで順次発表されてきた。それらは社会学の講義の前説や演習の教材となり、これまた片桐さんの社会学教育の成功に貢献していると思われる。論旨は明快であり、この三十年近くの現代史を反映しており、評者は発表された時点で拝読してきたが、本書に収録されている精選集だけでも社会学的エッセイの魅力を堪能できる。

ただし、この社会学論と社会学的エッセイそれ自体についての立ち入った検討はそれぞれ別稿を期さねばならないほどの大問題であるので、ここではそれらが片桐さんの社会学教育の成功の要因であることを前提に、本書の第三部がさまざまに示しているその成功に深くかかわるそれとは別の基本条件、すなわち社会学を教える大学教員の能力や資質について、書評の枠を超えることになるが、長年の親交から得られた知見に基づいて明示しておきたい。

さて、大学教員には研究・教育・組織運営という三大課題が課せられる。社会学研究者としてそれなりの業績の発表が求められ、学生が高く評価してくれる講義や演習の実践が求められ、そして大学の組織運営の一端を担当し職員と連携しつつ組織内役割を遂行することが求められる。さらにこれに大学外の各種学会や研究会での活動への要請が加わる。これらの諸課題にバランスよく対応していくことが大学に雇用されている教員に求められている。ごく一部の例外を除いて、大多数の教員がバランスよく諸課題に対応しようと努めているが、なかなかの至難の業である。しかし片桐さんは実に見事にこれをこなしてきた。社会運動論、環境社会学、若者論などで目覚ましい研究成果を上げ、関大社会学部長をはじめ多くの要職に就き、それぞれの役割を十二分にこなしつつ、学会活動でも日本社会学会の理事や機関誌『社会学評論』編集長を歴任、関西社会学会でも一期三年の理事を通算四期十二年務めるといった中で、社会学教育に多大なエネルギーを注いできた。

凡百な社会学者には不足しており、片桐さんに十分備わっているものは何か。まず挙げるべきは高度なデータ収集(認識)と分析(解釈と表現)の能力だ。本書では専門研究の成果については第一章を除いては直接紹介されていないが、現代社会と文化の諸相を分析した第二部の論旨明快な社会学的エッセイにその一端が示されている。この三十年間でその都度書き留められた膨大な文章の大部分は、講義の前説や演習の題材で活用されてきた。このように時事問題や現象を前説に使うという社会学者は結構いるが、その都度、高速度で解釈を練り上げ破綻のない論理構成で平易な表現にまとめる作業がいかに至難の業であるかはやってみたものでないとわからないだろう。自己点検、反省、推敲を時間をかけて重ねれば、それなりの表現にまとめることは凡百にも可能となるが、片桐さんにはこのプロセスを凝縮して短時間でまとめあげる能力がある。この能力は他者とのコミュニケーション、とくに多種多様な学生とのスピーディな対話における理解と表現においても大いに効果を発揮する。

次にあげるべきは人間力だ。その中核をなすのは感情的能力であろう。自らの感情を理解しつつ理性でコントロールしつつも感情エネルギーを表出し、他者の感情をも理解しその暴発を牽制しつつその感情エネルギーを満たす方向付けを行う能力である。片桐さんは冷静な弁の立つ人間で一見理性の勝った堅物のような印象を受けるが、実のところ豊かな感情のダイナミズムを内包した情に厚い人物であり、だからこそ本書第三部で紹介されている学生たちの声が示しているように、自分たちの話をよく聞いてくれ理解してくれ本人の思いを超えるような気づきを与えてくれるだとか、話していて実に楽しさに満たされるといった評価になる。ただし、片桐さんの人物評価は極めて厳しく、成長の伸びしろのある学生にはおおいに寛容ではあるが、同業者にはきわめてシビアな目を向けるため煙たく思う向きもあるのが残念だ。

学生への教育に多大な時間と労力を傾注する片桐さんは、高度な知的能力で研究を効率よく推進し時間を生み出しているが、同時に大学の組織運営や学会の組織運営の諸役割の遂行についても手を抜くことはない。その実務能力はやはり効率的な役割遂行で成果を生み出しつつ教育指導の時間を生み出している。この組織における役割遂行能力も片桐さんの卓越したところだ。本書の第一部でも論じられている鳥の目と虫の目さながらに、組織においてもその全体像や課題を俯瞰しつつ、個々のメンバーとの具体的な関係の中で自らの役割を正確に認知し遂行する能力は、ビジネスの世界でも大活躍できただろうと思わせるものがある。そしてこの能力は片桐さんにおいて特に秀でている「場を仕切る能力」に通じている。

第三部で紹介されている片桐ゼミの生き生きとした活動の様子みるにつけ、片桐さんがゼミという場に学生を引き込み(動員し)組織化し、研究指導だけではなくレクリエーション活動などでも人を育て、リーダーを育成し、学年を越えた交流を促進し、さらには卒業生たちをも巻き込んだ社会学塾やゼミ生の集いを主宰するといった高度なリーダーシップを発揮しているその力量にはただただ感嘆するのみである。なお、この「場を仕切る能力」はたとえば学会の組織活動においても発揮され、片桐さんが委員長を務める委員会は本来のなすべき役割を遂行するだけでなく、自由に参加し楽しくコミュニケーションを展開できるインフォーマルな場をも設定し、片桐さんはその卓越したMC(まさにマスター・オブ・セレモニー)能力で場を盛り上げたのである。

以上明らかにしたように、片桐さんの諸能力はハイレベルで、凡百の同業者が真似をすることが到底できるものではないが、本書を社会学教育のガイドブックとして自らの教育実践を日々振り返り質の向上を図ることはできる。評者はすでに定年退職して数年、ただ過去を回顧するばかりだが、本書によって自らの社会学研究と社会学教育の数十年を点検し総括する機会を与えられたことに感謝し、本書が諸大学の社会学教育の一層の発展に寄与すること、さらには教え子たちや我々ファン層を総動員したいわば片桐社会学運動が今後一層大展開を遂げていくことを心より祈りたい。