日本の美(その6(片桐新自写真館)

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  NO.501 尾張・名古屋城(2023.7.19)                         NO.502 美濃・大垣城(2023.7.19

 

      

  NO.503 常陸・つくばの地質標本館にて1(2023.8.18)               NO.504 常陸・つくばの地質標本館にて2(2023.8.18

 

       

  NO.505 備前・吉備津神社本殿(2023.9.14)                     NO.506 吉備津神社廻廊(2023.9.14

 

 

  NO.507 肥前・九十九島1(2023.10.13)                NO.508 肥前九十九島2(2023.10.13

 

      

  NO.509 瀬戸田・未来心の丘1(2023.11.15)                  NO.510 瀬戸田・未来心の丘2(2023.11.15

 

生口島に耕三寺という昭和に造られた新しい寺院があります。様々な日本の名建築を模した建物を建てている興味深い宗教施設です。

その一角に、「未来心の丘」という不思議な空間があります。白い大理石で造られた様々な作品が設置されています。

大理石なのですが、なぜか骨で造られているような気がしてしまいました。

 

      

  NO.511 周防・岩国城を望む(2024.1.2)                    NO.512 周防・岩国城から望む(2024.1.2

 

      

  NO.513 肥前・JA島原雲仙加津佐支店正面(2024.2.2)               NO.514 肥前・JA島原雲仙加津佐支店背面(2024.2.2

 

この建物は1933年に「加津佐信用組合」として建てられものです(後ろのやや低い部分は1983年の増築部分)。

この建物を1933年に建てたのは、片桐組という私の祖父が率いた建築請負業者でした。

上海事変のあおりを受け、建築資材が高騰して請負額の倍以上の費用がかかり、片桐組は倒産し、祖父は大きな借金を抱えることになったのですが、

一切手抜きをせずに建てたので、90年以上経った今でも現役の建物として使われています。

2年前に現存していることを知り、ぜひとも見たいと思っていたのですが、ついに見ることができました。

中も見せていただきましたが、階段など細かいタイル張りで一切手抜きなしでした。我が祖父ながら、すばらしいと感心しました。

 

      

  NO.515 花鳥螺鈿箪笥(2024.2.25)                         NO.516 有田焼(2024.2.25

 

あまりこういうものには引かれない方ですが、九州国立博物館の所蔵品はなかなか素晴らしく見入ってしまいました。

 

      

  NO.517 下野宇都宮・旧篠原家住宅1(2024.3.26)              NO.518 下野宇都宮・旧篠原家住宅2(2024.3.26

 

大谷石を貼り付けた蔵造りのこの住宅は、戦災も東日本大震災も乗り越えて、この場所で120年以上の時を刻んでいるそうです。

 

      

  NO.519 飛鳥セミナーハウスを望む(2024.4.25)               NO.520 飛鳥セミナーハウスからの景色(2024.4.25

 

ほぼすべての学年のゼミ生と合宿をやってきた飛鳥セミナーハウス。今回が最後でしたので、記念に写真を掲載します。

 

      

  NO.521 摂津某所のY字路1(2024.4.28                   NO.522 摂津某所のY字路2(2024.4.28

 

先月神戸で横尾忠則のY字路の絵を見てから、Y字路探しにはまっています。魅力的なY字路があったら教えてください。

 

     

  NO.523 伊予・松山城(2024.5.1)                      NO.524 伊予・松山城から望む(2024.5.1

 

     

  NO.525 鎌倉大仏(2024.6.8)                           NO.526 高崎観音(2024.6.8

 

     

  NO.527 大津・取水口近くの琵琶湖第1疎水1(2024.7.6)           NO.528 大津・取水口近くの琵琶湖第1疎水2(2024.7.6

 

     

  NO.529 大和・大宇陀松山1(2024.8.3)                   NO.530 大和・大宇陀松山2(2024.8.3

 

     

  NO.531 祖父の欄間・梅(2024.9.3)                         NO.532 祖父の欄間・菊(2024.9.3

 

     

NO.533 肥前国見神代小路・鍋島邸庭園(2024.10.4)              NO.534  肥前国見神代小路・鍋島邸(2024.10.4

 

     

NO.535 大和・五条1(2024.11.2)                   NO.536  大和・五条2(2024.11.2

 

     

NO.537 近江石山寺・東大門(2024.12.4)                    NO.538 近江石山寺・多宝塔(2024.12.4

 

     

NO.539 出羽・銀山温泉1(2025.1.13)                    NO.540 出羽・銀山温泉2(2025.1.13

 

      

      

NO.541544 筑前・雪の旧伊藤伝右衛門邸(2025.2.7

 

     

NO.545 夢洲駅改札口(2025.3.6)                        NO546 夢洲駅ホーム(2025.3.6

来月始まる大阪万博のために造られた新駅です。万博が始まったら、大混雑になるのでしょうが、今は人気も少なく静かでした。

 

   

   

NO.547550 万博記念公園・EXPO70記念館の新展示館(2025.4.4

 

いよいよ大阪万博が始まりますね。一度は行こうかなと思いますが、私にとって万博と言えば、1970年に吹田市で開催された「日本万国博覧会」です。中学3年の修学旅行で見学に来て、その後、たまたま吹田市民となったので愛着を持って何十回も足を運んできました。2003年からは、毎年「万博遠足」と銘打って、「EXPO70の跡を訪ねる」という企画で、ゼミ生たちと広い万博公園を歩き回ってきました。その企画を始めた頃は、まだEXPO70記念館すらなかったのですが、20103月にまずEXPO70記念館ができ、そして20238月に新展示館が増設されました。ここにあげた写真は、その新展示館の写真です。左上が旧展示館と新展示館をつなぐ通路。右上が初代の太陽の塔の黄金の顔。右下が太陽の塔内部の「生命の樹」にかつて展示されていた恐竜たち。左下がホステス(1970年の万博では、パビリオンを案内する女性たちをこう呼んでいました)のユニフォームです。ミニスカート全盛期だったので、ほとんどのユニフォームがミニスカートです。さてさて、今年の大阪万博も50年以上経っても懐かしく思い出せるものとなるでしょうか。