本を読もう!映画を観よう!11
(2024.6.23開始、2025.5.9更新)
世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。
<社会派小説>1051.島崎藤村『破壊』青空文庫
<人間ドラマ>1064.福徳秀介『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』小学館文庫/1047.高橋留美子『めぞん一刻(全15巻)』小学館/1023.棟田博『拝啓天皇陛下様』光人社NF文庫
<推理サスペンス>1005.米澤穂信『黒牢城』角川文庫
<日本と政治を考える本>1063.田中ひかる『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』ミネルヴァ書房/1050.保坂正康『昭和史 七つの謎』講談社文庫/1050.吉川徹『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』光文社新書/1031.井沢元彦『逆説の日本史 1.古代黎明編 封印された[倭]の謎』小学館文庫/1021.原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』岩波新書/1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫
<人物伝>1052.近藤勝『名横綱 玉錦伝』高知新聞社/1046.井沢元彦『天皇になろうとした将軍』小学館文庫/1045.松坂英明・つね子『娘・松坂慶子への「遺言」 親子戦争1000日の本当の理由』光文社/1044.武田尚子『下着を変えた女 鴨居羊子とその時代』平凡社/1022.永井路子『山霧 毛利元就の妻(上)(下)』文春文庫/1021.原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』岩波新書/1019.やなせたかし『アンパンマンの遺書』岩波書店/1017.永井路子『この世をば(上)(下)』新潮文庫/1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫/1011.永井路子『美貌の女帝』文春文庫/1007.フランソワーズ・ジルー(幸田礼雅訳)『イェニー・マルクス 「悪魔」を愛した女』新評論/1004.片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』鹿島出版会/1002.文芸春秋編『血族が語る昭和巨人伝』文春文庫
<歴史物・時代物>1063.田中ひかる『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』ミネルヴァ書房/1062.福田利子『吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史』教養文庫/1060.V.A.アルハンゲリスキー(瀧澤一郎訳)『プリンス近衛殺人事件』新潮社/1055.井沢元彦『逆説の日本史 4 中世鳴動編 ケガレ思想と差別の謎』小学館文庫/1046.井沢元彦『天皇になろうとした将軍』小学館文庫/1040.門井慶喜『家康、江戸を建てる』祥伝社文庫/1039.永井路子『裸足の皇女』文春文庫/1037.井沢元彦『逆説の日本史 3 古代言零編 平安建都と万葉集の謎』小学館文庫/1034.井沢元彦『逆説の日本史 2.古代怨霊編 聖徳太子の称号の謎』小学館文庫/1031.井沢元彦『逆説の日本史 1.古代黎明編 封印された[倭]の謎』小学館文庫/1027.八幡和郎『江戸300藩県別うんちく話』講談社α文庫/1022.永井路子『山霧 毛利元就の妻(上)(下)』文春文庫/1020.永井路子『絵巻』新潮文庫/1017.永井路子『この世をば(上)(下)』新潮文庫/1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫/1013.杉本苑子『穢土荘厳(上)(下)』文春文庫/1011.永井路子『美貌の女帝』文春文庫/1006.藪本勝治『吾妻鏡――鎌倉幕府「正史」の虚実――』中公新書/1005.米澤穂信『黒牢城』角川文庫/1003.神坂次郎『おかしな大名たち』中公文庫
<青春・若者・ユーモア>1009.横田順彌『明治ふしぎ写真館』東京書籍
<純文学的小説>
<映画等>1067.(映画)稲垣浩監督・円谷英二特撮監督『日本誕生』(1959年・東宝)/1066.(16oフィルム)羽仁進脚本・監督『表情 1970』(1970年・毎日新聞社)/1065.(映画)大久明子監督『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』(2025年・日活)/1061.(映画)石井裕也監督『月』(2023年・日本)/1058.(映画)イ・ジュニク監督『金子文子と朴烈』(2017年・韓国)/1057.(映画)成瀬巳喜男監督『山の音』(1954年・東宝)/1056.(映画)リエン・ジエンホン監督『サリー Salli【莎莉】』(2023年・台湾・フランス)/1054.(映画)深田晃司監督『LOVE LIFE』(2022年・日本)/1053.(映画)安田淳一監督『侍タイムスリッパ―』(2024年・日本)/1049.(映画)石井裕也監督『舟を編む』(2013年・日本)/1048.(映画)中平康監督『美徳のよろめき』(1957年・日活)/1043.(映画)山田洋次監督『こんにちは、母さん』(2023年・日本)/1042.(映画)ジャスティン・チャドウィック監督『マンデラ 自由への長い道』(2013年・イギリス・南アフリカ)/1038.(映画)中野量太監督『長いお別れ』(2019年・日本)/1036.(映画)クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』(2023年・アメリカ)/1035.(映画)斎藤武市監督『大空に乾杯』(1966年・日活)/1033.(映画)オリヴィエ・ダアン監督『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(2007年・仏英チェコ)/1032.(映画)ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT
DAYS』(2023年・日本)/1029.(映画)是枝裕和監督・坂元裕二脚本『怪物』(2023年・東宝)/1026.(映画)森谷司郎監督『海峡』(1982年・東宝)/1025.(映画)佐藤純彌監督『野性の証明』(1978年・角川)/1024.(映画)深作欣二監督『里見八犬伝』(1983年・角川)/1018.(人形歴史スペクタクル)『平家物語』(1993〜1995年・NHK)/1016.(映画)堤幸彦監督『イニシエーション・ラブ』(2015年・日本)/1014.(映画)入江悠監督『あんのこと』(2024年・日本)/1012.(映画)成瀬巳喜男監督『乱れる』(1964年・東宝)/1010.(映画)チェリン・グラック監督『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015年・日本)/1008.(映画)新藤兼人監督『墨東奇譚』(1992年・日本)
<その他>1062.福田利子『吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史』教養文庫/1059.藤井誠二『人を殺してみたかった 17歳の体験殺人! 衝撃のルポルタージュ』双葉文庫/1030.日本経済新聞社編『ジェネレーションY 日本を変える新たな世代』日本経済新聞社/1001. カタログハウス編『大正時代の身の上相談』ちくま文庫
1067.(映画)稲垣浩監督・円谷英二特撮監督『日本誕生』(1959年・東宝)
こんな映画があったことを知りませんでしたが、AMAZONプレミアムで出てきたので、どんな風に「日本誕生」を描いているのだろうと見てみました。正直言って、ストーリーもセリフも役者の演技もまるで素人がやっているのかと思うほど下手くそです。ただ、CGなどが一切ない時代に、特撮と膨大な数の出演者を使っているので、ものすごくお金はかかっただろうなと思います。メインの物語は、三船敏郎演じるヤマトタケルの物語です。途中でアマテラスが岩戸に籠ってしまう話や、スサノオのヤマタノオロチ退治の話が織り込まれます。アマテラスは原節子が、スサノオは三船敏郎が二役演じています。ヤマタノオロチ退治のところは、ヤマトタケルが死んだ後、火山が噴火し溶岩が流れ、地震も起きたのか地が割れ、大洪水も起きるというシーンとともに、円谷特撮が大活躍する場面でした。今から65年以上前の映画ですから、大変だったろうなと感慨深く思いました。確かこの時期の東宝は円谷英二の特撮技術が活躍する戦争物とかも何本か作っているはずです。まだ怪獣映画を作り出す前ですが、ヤマタノオロチは後のキングギドラにそっくりです。きっと参考にしたのではないかと思います。
映画としては全く評価できるものではありませんが、当時の有名スターがたくさん出てくるので、「あっ、これはあの人かあ」と見つけるのが面白かったです。でも、こんな楽しみは60歳以上くらいでないと無理でしょうね(笑) 誰が演じていたかわからない人も多かったので、後でウィキペディアで配役を調べてみたところ、イザナミを新珠三千代が演じていると書いてあったのですが、どう見ても違うと思います。当時の新珠三千代はもう大スターのはずで、この映画の冒頭に出てくる上半身裸の女性役であるイザナミを演じているとは思えません。顔も違うし、映画で流れる出演者一覧でも新珠三千代の名前は出てきません。ウィキペディアの前半の方で、イザナギとイザナミは一般公募されたとも書いてあるので、後半の配役リストの方が間違っているように思います。まあでも、誰もこんな話、興味ないですね。自分の記録用ですので、ご容赦ください。(2025.5.9)
1066.(16oフィルム)羽仁進脚本・監督『表情 1970』(1970年・毎日新聞社)
このフィルムは、1970年の日本万国博覧会の際に、タイムカプセルに入れられたものです。カプセルは4機製造され、1機は5000年後に開け、もう1機は100年ごとに開け保存状況を確認するのだそうです。(残りの2機は、パナソニック・ミュージアムと大阪歴史博物館に保管。)その中に入れられたものと同じフィルムが大阪市立博物館(現・大阪歴史博物館)にも寄贈されていたそうで、今回の万博に合わせて、ほとんど公開されたことがないというこのフィルムが、5月3日に1日だけ公開されると、新聞に出ていたので、これはどうしても見たいと思って、見に行ってきました。新聞記事での紹介くらいで、どのくらい集まるかなと思っていましたが、やはり私のように思う人は結構いたようで、250名定員の座席は年配者で3分の2くらいが埋まっていました。
さて、こんなに楽しみに見に行ったフィルムですが、正直言って実につまらなかったです。「表情」というタイトルと朝日新聞が掲載していた写真から、1960年代後半の人々の様々な表情を芸術的に映し、それが、NHKの「ドキュメント72時間」のような、巧みなストーリーにでもなっているのではないかと期待していましたが、表情という視点で一貫して映像を撮っているわけでもなく、ただ監督の気分で適当な映像が羅列されるだけでした。もともと羽仁進という文化人(映画監督?)は、祖父母、父母の一体何光あるのかわからないほどの光で照らされていただけで、私は若い時から全然評価していなかったので、やはりこの人が脚本・監督じゃ、ろくなものにはならなかったんだなと、妙な納得の仕方をしてしまいました。わざわざ見に行ったのに、あまりに期待外れだったので、腹立ちまぎれに記録しておくことにしました。もう二度と公開されることもないでしょうし、万一公開されても見に行くのは時間の無駄です。こんなしょうもないものよりは、テレビが時々見せてくれる過去の映像の方が、はるかに価値があります。
5000年後に、実際にカプセルが開けられるとはとうてい思えませんが、万一開けて、こんなしょうもない映像を見せられるかと思ったら、未来人が可哀想です。というか、未来人に1970年頃の日本人は、こんなつまらないフィルムを未来に残す素晴らしいものと思っていたのかと、哀れまれそうです。(2025.5.6)
1065.(映画)大久明子監督『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』(2025年・日活)
割とよくできた映画だと思いますが、原作を読んでしまっていたので、ストーリー以外のところにかなり注目が行ってしまいました
まず、原作小説では「プーケ」として出てくるカフェが「ケープコッド」として、実際の店名のまま出てきて、ママさんも登場しセリフも結構あったりして、個人的には1番面白かったです。そのうち「ケープコッド」は聖地巡礼地として大人気になるんじゃないでしょうか。主人公がバイトしている「七福温泉」という銭湯も豊津の方にある実在の銭湯ですよね?ここも人気になるかもしれません。
主人公とヒロインは文学部の学生と言う設定で、第一学舎がかなりロケに使われていました。第一学舎をほとんど使うことのない私は、どこの教室が使われているかまではわかりませんでしたが、文学部の学生、卒業生だともっと楽しめたでしょうね。ただ、出席票に名前を書いて提出という方式や、授業の途中で学生が堂々と教室の前から出ていくというのは、今の大学では実際にはほとんどないんじゃないかなとか思ってしまいました。撮影の管理がしやすかったからでしょうが、凛風館の屋上庭園や法文坂の見える図書館の窓際の席が何度も出てきます。博物館も、ヒロインの好きな場所ということでそこに行き、展示されていた北村透子――関西大学初の女子学生――の展示を見ながら語るシーンがあるのですが、ここは原作にないし、違和感がありました。関大の要望で入れたシーンではないかと思われますが、その瞬間だけ、ヒロインがフェミニスト化します。そういえば、これも原作にないし、実際の関大キャンパスでもまったく見ることがない学生たちの平和デモが2度も出てきて、そこにヒロインも参加しますので、北村透子のシーンも監督の価値観の反映なのかもしれません。
この監督の名前を初めて知ったのは、NHKBSでやっていた「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」というドラマでしたが、この主演が今回のヒロインである河合優美で、私はそこから彼女に注目していました。この監督にとってこの映画で河合優美をヒロインにすることはいの一番に決まっていたのでしょう。ただ、ヒロインの花のキャラクターは、この監督の価値観で原作とは少し違うキャラクターになっているように感じました。
しかし、メインのストーリーは基本的に原作に忠実で、原作を読んでない人たちにとっては中盤以降の展開はかなり面白いと感じるストーリーになっていると思います。特に銭湯のバイト仲間である、さっちゃんという女子大生の長ゼリフは原作でも最大の読みどころでしたが、映画でも非常にうまく演じています。サブの恋の話ですが、ある意味、あそこがこの物語の一番の核なのかなという気がしてしまうほどです。
原作と違うのは、ヒロインのお父さんがかなり出てくることですね。原作では主人公の祖母にかなり比重があるのですが、映画では軽くしか扱われません。むしろヒロインのお父さんの方がギターを弾きながらは何回か出てきます。原作では、お父さんがギターを弾いていたなんてエピソードは一切ないので、これも監督との付き合いでもある俳優に出番を作ってあげたかったのかなと違和感を持ちました。主人公の祖母の価値観や言葉が原作では非常に重要な役割を果たしているのに、そこを省略してしまうと、なんで主人公とヒロインがフィットしたのかが浅くなります。「さちせ」や「このき」もなぜそう言うのかという、お父さんの発言が紹介されずに、なんで無駄にギターを弾くシーンを入れているんだろうと疑問でした。
他に違和感があったのが銭湯の主人を古田新太がやってることで、原作の銭湯の主人とイメージが違い過ぎます。また原作には出てこない、その銭湯の主人の娘が妊娠していて赤ちゃんも生まれるのですが、なぜこの役が必要なのか、まったく意味不明でした。これも、何か出してあげようと、出てあげようというような奇妙な配慮からのシーンという感じがしました。
あと非常に厳しいことを言えば、主人公役の萩原利久がこの原作とぴったりしてないんですよね。なんかこの役者さん、雰囲気が鋭すぎるんですよね。もう少し見た目は悪くないのに自信のなさそうな若者を使ってほしかったです。ヒロインの河合優美は悪くないと思うのですが、上にも述べたように監督の価値観を背負わされて、原作と少し違うキャラクターになっている気がします。ケープコッドで、ママさんを相手に主人公の悪口を言うシーンーー実際は主人公の妄想なのですがーーの印象が強すぎて、違うなあと感じました。なんかもう少し不思議少女みたいな女優さんの方がよりよかった気がします。主人公の親友役も、原作だともっとダサ目の俳優さんの方が合っていたんじゃないかなと思いました。唯一完ぺきだったのは、主人公のアルバイト先の友人・さっちゃんです。女優さんの演技もよかったと思いますが、このキャラクターに関しては、監督が妙な手を入れずに原作通りに作っていたので、それがよかったのだと思います。
総じていえば、非常によくできた小説だったので、余計なことは一切せずに、原作に忠実に描いてくれたら、もっとよかったのにという印象です。まあでも、これは原作小説を読んで観に行った者のやや厳しすぎる評価で、原作を知らずに見ればそれなりによくできた映画として見られると思います。ここまで読んでしまった方は、観に行く気をなくしてしまったかもしれませんが、いい映画と思いますので、ぜひ観に行ってあげてください。ちなみに、私が2日前に予約を入れた時はまだ2割くらいしか埋まっていませんでしたが、当日は満席でした。口コミの評判もよいみたいですし、徐々に人気が上がるかもしれません。(2025.5.4)
1064.福徳秀介『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』小学館文庫
関西大学を舞台とした映画ができたと聞き、それはちょっと見たいなと思い予約もしました。先日、紀伊国屋書店に行ったら、原作小説が売っていたので、とりあえず原作も読んでおこうかなと思い、読み始めたのですが、いやあ、感心しました。芸人さんが書いた小説だからきっとネームバリューで過大に評価されているのではと懐疑的に見ていましたが、不当な先入観でした。起承転結がきちんと創られたよくできた恋愛小説でした。このHPを読んでくれている人は関大関係者が多いと思うので、きっと私と同じように映画や原作小説を見たい、読みたいと思っている人もいるでしょうから、内容の紹介はせずにおきますが、読み応えがある小説だということは保証します。
原作小説を読んでしまったので、映画のストーリーを新鮮には見られませんが、関大キャンパスやその周辺がロケ地としてかなり使われているようなので、どこがどんな風に出てくるのかといった楽しみがあります。原作小説で「プーケ」という名前で出てくる正門の坂を下りてすぐ右手にあるカフェには、ラブラドールレトリバーのサクラという名前の犬がいるという設定ですから、明らかに「ケープコッド」がモデルです。ロケにも使われたと聞いていますので、どんな風に使われているのか見るのが楽しみです。キャンパス内も予告編で見る限り、いろいろ使われていそうです。
この映画の評価が高まれば、関西大学にとっては、大きな宣伝になります。映画を観てきたら、また感想を書きたいと思います。(2025.5.2)
1063.田中ひかる『生理用品の社会史 タブーから一大ビジネスへ』ミネルヴァ書房
非常におもしろい本でした。おもしろいは、もちろん「funny」ではなく「interesting」の方です。女性の生理(月経)というものがどう捉えられ、どう対応してきたかという歴史は、まさに社会学的です。長い間「穢れ」や「不浄なこと」とされ、女性を公的な場、神聖な場から排除する理由に使われてきたこと、女性たち自身も「恥ずかしいこと」と思い、その処置の仕方すらちゃんと教えられてこなかったこと、それが「アンネナプキン」の登場以来、大きく位置づけが変わるようになり、一大ビジネスになってきたわけですが、現在では、便利な使い捨てナプキンが環境に与える影響から批判されたりもしているという歴史は、実に深く社会と関わっており、非常に興味深い話です。
著者は丁寧にかつ経験者である女性の声や、生理用品を開発・宣伝してきた人たちの声も上手に拾っているので、堅苦しい研究書という感じではなく、興味深いノンフィクション本として読めます。一見すると、女性向けの本のように思いますが、男性も読んだ方がいい本です。おおいに勉強になります。ナプキン登場以前の月経の際の処置方法、タンポンが日本で普及しない理由、生理用品のCMへの規制、女性たちのスポーツや仕事での活躍にもたらした影響などなど、社会の在り方にも大きな影響を与えた変化だったことに気づかされます。(2025.4.12)
1062.福田利子『吉原はこんな所でございました 廓の女たちの昭和史』教養文庫
大河ドラマの影響で研究室の片隅にあったこの本を読んでみました。著者は、大正時代に吉原の松葉屋という引手茶屋の養女となり、戦後は吉原で料亭を経営し、その後「花魁ショー」を夫ともに企画・提供してきた女性で、彼女自身は花魁でも芸者でもありません。しかし、吉原で育ち、そこで商売をしていたので、様々な女性と出会い、その身の上もたくさん知っている人ですので、その自分の見聞きした吉原について、昭和の終わり頃に思い出を語った本です。全体としては、ソープランド化する前の吉原はどろどろした暗いところというより、いろいろ辛いこともありながら人情味があるところだったという印象を与えます。もちろん、それは一つの見方であって、違う人が語ればまた違う印象になるのでしょうが。
副題が「廓の女たちの昭和史」となっていますが、どちらかというと福田利子という1人の女性の自叙伝と言った方が内容に合っている気がします。それでも、関東大震災や戦時中、そして占領期から経済回復期に、吉原がどうなったかというのは、なかなか興味深かったです。立場が異なるので仕方ありませんが、廃娼運動や売春防止法の成立などの詳細については、この本から知ることはできません。それでも、戦争中も戦後もこういう場所が必要とされていたという歴史的事実があったことはうかがえます。売春防止法も国会で可決されるまでにかなりの時間を必要としており、このあたりは改めて調べる必要があるなと思いました。
今では「売春防止法」はほぼ「ザル法」と言ってもいいようなものになっています。かつて家族のために犠牲となって身を売っていた女性たちがほとんどだった時代から、今はそういう事情で身を売る人は少なくなった時代の中でも、同じような行為をして金を稼ぐ女性たちがいるわけです。世間一般では「性」に関するコンプライアンスは非常に厳しくなっているわけですが、需要があり続ける限り、供給も消えはしないのでしょう。政府も警察も結局、こういう「経済行為」を「社会の必要悪(?)」として見て見ぬふりをせざるをえないのでしょうね。(2025.4.9)
2016年に神奈川県相模原市で起きた知的障碍者施設での大量殺人事件を描いた作品です。重たいテーマの作品ですが、見応えはあります。殺人を犯す青年が途中まで非常に好青年に描かれているので、現実の犯人もそんな人だったのだろうかと調べてみると、映画で描かれているような好青年というわけでもなさそうでした。中学時代から暴力時間を起こし、大学時代にはかなりの問題行動があったようです。映画の中の青年とは大分印象が異なります。まあ、映画はフィクションですから、事実そのままでなくてもいいわけですから、それはそれでいいのでしょう。最終的に、知的障碍者を大量に殺すという事件を起こす論理に関しては、実際の犯人が主張していたことを、そのまま使っています。
残虐な事件で決して擁護されることのない事件ですが、出生前診断で異常な所見が見られた場合96%以上の人が中絶を選択するとか、この施設に子どもを預けていた家族もほとんど訪ねてきていなかったというような事実を示されると、多くの人が「もしも自分なら、、、」と考えさせられるでしょう。綺麗事だけでは済まされないことがあると考えさせられる映画です。(2025.4.5)
1060.V.A.アルハンゲリスキー(瀧澤一郎訳)『プリンス近衛殺人事件』新潮社
近衛文麿元首相の長男・文隆が終戦の際にソ連の捕虜となり、一方的に不当な罪を着せられ25年の禁固刑を言い渡されていましたが、1956年の日ソ関係の正常化に伴い帰国できることを希望しながら、その年に亡くなってしまったことは、以前小説仕立てだった別の本(62.西木正明『夢顔さんによろしく(上)(下)』文春文庫)で読み、そんな事実があったんだと知っていました。この本はそれ以前に買っていた本でしたが、読んでいなかったし、ノンフィクションなのでもっと詳しい事実がわかるかと思い読んでみました。内容的には、タイトルから想像される近衛文隆がなぜ死んだかという話より、社会主義国家ソビエトが如何にひどい国であったかということがたっぷり述べられている本です。スターリン時代はもちろん、その後の時代も抑圧、虐殺、虚偽が横行するひどい国だったと述べています。著者はソ連時代に、権力の中枢にアクセスできる立場にあったジャーナリストだったそうですが、ここまで自分の国のことを悪しざまに書けるのかとあきれるほどでした。ソ連解体後にウズベキスタンの国会議員になったようなので、自分はロシア人ではなく、ウズベキスタン人であり、ソ連は自分たちを支配していた別の民族の国というような意識なのかもしれません。しかし、この本で何度も、その悪しきソ連の象徴的存在だったスターリンがグルジア(現・ジョージア)出身だったと書いていますので、今は別の独立国になっていても、あの悪しきソビエト連邦を作っていたのは、ロシア人だけではないことは著者も認識はしているでしょう。
ちなみに、近衛文隆は公式には病死になっており、同じ病院に入院していた日本人による、近衛が悪化する様子の記録もあるのですが、それまで11年もの監禁生活をそれなりに健康体で過ごしてきた人間が、帰国間近になって急に具合が悪くなったというのはソ連にとってあまりに都合の良すぎる事態の発生なので、著者はソビエト政府が得意の秘密裏に殺害したに違いないと、状況証拠から推測しています。確かに11年も不当に拘束され、ソ連のひどい捕虜取り扱いを経験した近衛文隆が日本に帰国し、政治家にでもなったら、その社会的立場からいって総理大臣になる可能性も高く、その際に日ソ関係は非常に難しくなる、知り過ぎた男は消えてもらうしかないという考えを、ソ連の上層部が持ったとしても無理はない気がします。ソ連は、そして後継国家であるロシアは、第2次世界大戦後の日本軍人や民間人のシベリア抑留、奴隷的労働について、なんら正確なデータを出しませんが、当時大陸にいた日本人の数から推測すると、200万人以上がシベリアに連れて行かれ、まともな食事も衣服も与えられないまま極寒の中で重労働をさせられたのですから、この著者が主張するように何十万人もの日本人が死んでしまったのだと思います。近衛文隆が生きていたら、シベリア抑留問題はもっと取り上げられたかもしれません。
シベリア抑留については、山崎豊子の『不毛地帯』(面白く読んだのですが、この「本を読もう!」のコーナーには感想を書いていないです)や、その主人公のモデルとも言われる瀬島龍三について書かれた本などで多少知ることができます。本がしんどければ、955.(映画)瀬々敬久監督『ラーゲリより愛を込めて』(2022年・日本)という映画もあります。戦後80年、戦争ははるか遠くなったとはいえ、どんなことがあったのかを知識として知っておいてほしいものです。(2025.4.3)
1059.藤井誠二『人を殺してみたかった 17歳の体験殺人! 衝撃のルポルタージュ』双葉文庫
2000年5月に愛知県豊川市で起きた高校生による殺人事件を扱った本です。この事件は、私が見聞きしてきた事件の中でも、ある意味もっとも衝撃を受けた事件のひとつで、「つらつら通信」にも「第18号 若いことは価値のあることなのだろうか?(2000.5.12)」という文章を書くきっかけになったものです。「人を殺す体験をしたかった」「若い人は将来があるから老人を狙った」といった加害少年の発言は、当時世間を驚愕させました。特に、この少年が成績優秀で礼儀正しかったという情報も流れ、一体なぜ彼はこんな残酷な犯罪をなしたのだろうかとまったく理解ができないままでした。
この本はその謎を解いてくれるのかなと思いましたが、やはりそうは行かなかったです。どういう風に(HOW)殺人を犯したかについては、最初の方でかなり詳細に語られており、読みながらぞっとするほどでしたが、そういう風に殺人はなされたのかということは克明にわかりました。そして、その後なぜ(WHY)こんな殺人を彼が起こしたのかについての分析が始まりますが、著者自身も結局最後までよくわからないという感じのまま書いています。
本書でかなり分量が割かれているのが、彼がアスペルガーだと診断され医療少年院に送られることになったので、そのアスペルガーとはどのような症状で、犯罪との因果関係はあるのかということです。誤解が起きないように著者も注意して書いていますが、一般的にアスペルガーが犯罪を引き起こすという因果関係はないそうです。ただ、他者への共感力の欠如、想像力の不足、こだわりの強さなどから、この少年はアスペルガーの典型症状を持っていたこと、そしてそのこだわりが「人の死を見たい」というところにあったことによって、この事件は起きてしまったということが事実として存在する、ということが示されるだけです。では、なぜ「人の死を見たい」というこだわりを持つようになったのかについては明確にはわかりません。何度か小学生の時に読んだ『寄生獣』という漫画の話が出てきますが、この漫画の影響がそこまで圧倒的に強かったとも言えないようです。
結局読み終わっても、この事件のことを理解できたとはなりませんでしたが、たぶん仕方がないことなのでしょう。あの事件からもうじき25年。40歳を過ぎたかつての少年はきっとずっと前に医療少年院を退院し、どこかで暮らしているのでしょう。1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人や、この豊川市の事件の2日後に起きた佐賀の高校生によるバスジャック主婦殺人事件の犯人と、この豊川の殺人事件の犯人は、同学年です。佐賀の高校生の事件は、なぜそういう事件を起こしたのかがわかりやすい事件でした。わかりにくいのは、神戸とこの豊川の少年の心理です。殺人者の心理など完全に理解するのは不可能だとはわかっていますが、行動の論理がまったくわからないような人間が同じ社会に生きていると思うと、やはり少し怖く感じます。(2025.3.30)
1058.(映画)イ・ジュニク監督『金子文子と朴烈』(2017年・韓国)
金子文子と朴烈という名前はなんとなく聞いたことがあるなというくらいで、たぶん戦前の韓国独立運動の闘士だったろうから新たな知識になりそうだなと思って見てみました。1923年9月1日に関東大震災が発生し、その際に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という噂が広まり、多くの朝鮮人が虐殺されたのは有名な話ですが、その際に不穏分子として逮捕されたのが朴烈とその同居人だった金子文子です。彼らは不逞社という団体を組織し、爆弾闘争で日本社会を混乱させることを計画していましたが、実際には彼の団体は小規模なもので爆弾も簡単には入手できず、ほぼ計画だけで終わっていました。
日本政府は、朝鮮人大虐殺から世間の目をそらすために、朴烈が狙っていたのは睦仁皇太子(のちの昭和天皇)だという筋書きにして、このただの机上の空論だった爆弾計画を大逆事件として裁判を進めるように仕組みます。朴烈はこの筋書きに積極的に乗っていきます。日本の皇太子の命を狙った男として死刑になるなら、朝鮮独立運動の英雄として死ねるという計算が朴烈にはあったのです。裁判では、朴烈も金子文子も朝鮮の正装で現れ、自分たちの主張を堂々と述べます。裁判の結論は最初から決まっていたようなものですから、2人には筋書き通り死刑が宣告されますが、未遂に過ぎなかった事件だったということもあって、天皇から恩赦がなされ、罪一等を減じて無期懲役になります。2人は別々の収容所に収監されますが、金子文子の方は自殺か他殺かわかりませんが、すぐに亡くなってしまいます。映画は、文子の死を知らされた朴烈、そしてその後取り調べ中に撮られた2人の仲睦まじい写真が新聞で紹介され大きな話題になったこと、そして朴烈の方は第2次世界大戦後まで生き延び、釈放されて後に韓国の英雄として勲章まで与えられたという紹介で終わります。
どの辺まで真実なんだろうと、見終わった後、少し調べてみましたが、まあ大体は事実に沿って作られていました。ただ、朴烈は戦時中にいったん獄中で転向し、社会主義やアナーキズム思想を捨て、天皇に仕える日本臣民として生きると誓った時期があり、戦後はまたその立場を捨てかつ反社会主義者として在日韓国人の代表として生きると再転向し、さらには韓国に帰った後は、朝鮮戦争で北朝鮮に捕まると、今度は社会主義を再評価し、韓国と北朝鮮の橋渡し役を勤め、最後は北朝鮮で密に抹殺されたというような二転三転する人生になったようですが、そういった戦後の朴烈の人生はまったく紹介されていませんでした。
新しい知識が得られたこと以外に興味が湧いたのが、この映画は韓国映画ですが、セリフの半分くらいは日本語で、舞台は一貫して日本です。結構日本語を流暢に使っている人が多く顔を見ても典型的な韓国系だなと思う俳優さんもそう多くはなく、もしかしたら日本の俳優さんをたくさん使っているのかもしれないと思って見ていたのですが、キャストはほとんど韓国の俳優さんたちでした。こんな風に日本を舞台に日本人を演じ切ることができる外国人俳優なんて、韓国人以外いないでしょうね。いや、もしかしたら、中国人もできるかもしれませんね。東アジアの人々はやはりよく似ています。(2025.3.28)
1057.(映画)成瀬巳喜男監督『山の音』(1954年・東宝)
成瀬巳喜男の作品はどの作品も今一つなのですが、撮影した時代の風景がわかるのでとりあえず見ることにしています。この作品は、川端康成原作、原節子主演ということで多少期待したのですが、ツッコミどころ満載の映画でした。まず何よりも気になってしまったのが、山村聰と上原健が親子役だったことです。どう見ても親子に見えず、調べてみたらなんと実年齢は息子役の上原健の方が年上で、この映画の公開時点では2人とも44歳でした。山村聰はそれなりに老け役になっていて原作の役柄の60歳を少し過ぎたくらいに見えなくもないですが、上原健の役は20歳代後半くらいだと思いますが、全然見えません。どう見ても40歳代です。そして、ヒロインの妻・菊子役の原節子ですが、原作では菊子は20歳を過ぎたばかりということでしたが、原節子の実年齢はこの時34歳で、落ち着いた雰囲気なので、今の人の視点で見たら40歳代に見えます。夫の上原健が「菊子は子どもだ」と何度も言うのですが、まったくそんな風には見えず、セリフに違和感を持ってしまいます。もう少し配役を考えられなかったのかなと思いますが、たぶん成瀬巳喜男は原節子が大好きで使いたかったんでしょうね。原作のイメージとはほど遠くても原節子で撮ると決めていたのでしょう。
さてストーリーですが、60歳を少し過ぎた男性が嫁にほのかな恋情を持っているというのが物語の核になっています。川端康成が50歳くらいの時に書き始められた小説だそうですが、川端自身の気持ちが表れているんだろうなと思います。1963年に公開された『伊豆の踊子』が撮影されていた時には、主演の吉永小百合にべったりだったというエピソードのある川端ですので、歳を取ってから若い女性に惹かれる心情を描くのは容易だったことでしょう。
ストーリーに戻ると、嫁の菊子の方も、義父を頼りにしています。そこには、恋愛関係が成立しているのではと思わせます。しかし、もちろんこの時代の映画ですから、あくまでも心の触れ合いというところで止まっています。上原健演じる菊子の夫は、「子どもっぽい」妻では物足らず、よそに愛人がいます。この愛人が原作ではハスキーな声をしたエロチックな女性という設定だそうですが、映画ではワンシーンだけ出てきますが、全然そんな雰囲気の女性ではありません。原作を読んでいないのですが、紹介文等によれば、いろいろな人が戦争の傷跡を持っているという背景があるようです。この愛人の女性も戦争未亡人で、同じ戦争未亡人と同居していますし、上原健の役も戦争の影響て退廃的な性格になっているという設定のようですが、そうした戦争との絡みというのが、映画ではちゃんと伝わってきません。他にも、突然出てくる能面とか、原作ではもっとちゃんと描かれているのではないかなと思うエピソードがものすごく省略した形で出てくるので、映画だけ見ていると、理解できないシーンが続出です。原作小説自体がかなりヒットしたものだったようですから、当時の観客は原作小説を読んだ上で映画を観るという人も多かったのかもしれません。でも、もしそういう観客なら、私以上に、若い夫婦役の上原健と原節子に強い違和感を持っただろうなと思います。(2025.3.27)
1056.(映画)リエン・ジエンホン監督『サリー Salli【莎莉】』(2023年・台湾・フランス)
滅多に見ない海外、それもアジア映画ですが、なんとなく興味を惹かれて録画して見てみましたが、悪くない映画だったので、感想を書くことにします。主人公は40歳代半ばくらいの台湾在住の独身女性という設定です。彼女は小さな養鶏場を所有し、細々と暮らしています。近々弟が結婚することになっているところに、兄の娘である15歳の姪が現れます。その姪からマッチングアプリを教えてもらい、フランス人男性とマッチし舞い上がります。君のために新居を用意するから、頭金を貸してほしいと言われ、周りからは詐欺だ、やめておけと言われますが、本人はフランスまで行って確認しないと納得が行かないとパリへ出かけます。当初のツアーについていくだけでは男性を見つけられないと、帰国を延ばし男性を探します。結局、マッチングアプリの男はやはりなりすましの嘘だったことがわかりますが、滞在期間中に別のフランス人と一夜の恋をしたりした後、台湾に戻ります。弟の結婚式や姪との交流で、彼女はまた台湾で生きていく人生を選ぶところで映画は終わります。
こうやってストーリーを書くとたいして面白そうでもないですが、主役の女優さんが微妙な心理を見事に演じていて引き込まれます。たぶん実年齢でもアラフォーくらいなのかなと思いますが、化粧をしてファッションも整えると、もっとずっと若く綺麗に見えます。台湾の伝統的な文化や暮らしぶりとパリのおしゃれさが対照的で、そのそれぞれの世界で同じひとりの女性がどう過ごすかというのもうまく描けています。映画の話ですが、この女性の応援をしたくなりました。あと、白い雄鶏が、映画の中ですごくうまく動いていて、鶏も演技ができるのかなと気になってしまいました。ストーリーとは関係ないと思われるかもしれませんが、この白い雄鶏の存在は、映画の中で結構大きな役割を果たしているんですよね。演技できるのかなあ?(2025.3.25)
1055.井沢元彦『逆説の日本史 4 中世鳴動編 ケガレ思想と差別の謎』小学館文庫
このシリーズ4冊目です。摂関政治の成立から衰退、平氏の勃興と衰退までが語られます。1巻から日本人の精神の核をなすものとして一貫して語られてきた怨霊信仰、そして言霊信仰がケガレ思想を生み出し、それが公家政治の衰退と武士の登場を生み出したというのが、この巻の主たる主張です。著者が何度も強調するように、こんな「怨霊」「言霊」「ケガレ」といったことは、学校の歴史教育ではほぼ習いませんが、こうした精神が日本の歴史を動かす上で大きな役割を果たしてきたというのは、なるほどと思えてきます。実際、今でも日本人は、こうした精神を引き継いでいます。怨霊となってしまった人物を神として祀る神社にせっせとお参りし、受験前には「落ちる」とか「すべる」という言葉を使わない、結婚式では「切れる」とか「分かれる」という言葉は使わないといった慣習を守って生きていますし、親族に死者が出た家は年賀状を送らない、女性は神輿や土俵には上げないといったケガレ信仰を維持していたりします。なるほどなと思います。
この巻の主たる主張は、血や死のケガレを嫌う公家たちは平安時代に入ると国の公式の武力集団(軍隊)をなくしてしまいます。しかし、現実に争いごとは起きるので、そうした争いごとを力によって解決する武力集団(武士団)が地方各地に生まれてきます。その中で力をつけてきた平氏が中央政治でも権力を握るようになります。清盛の時に、太政大臣の地位と、天皇の外祖父の地位を得て、人臣位を極めますが、清盛の死後あっという間に源氏に権力を奪われます。これについて、著者は平氏は結局武士の希望に叶う阿新しい政権のプランを持っておらず、藤原氏の猿真似をしただけだったので、滅びざるをえなかったのだと断じます。確かに、この後の鎌倉幕府は、それまでの律令制に基づいた公家政治とはまったく異なるシステムを導入し、新たな武士の時代を築くことができたわけです。しかし、なぜそんな革命的なシステム変更ができたのかが気になってきます。これは、次の巻で書かれているのでしょうから、いずれ読んでみたいと思います。
とりあえず、ここまでこの著者のこのシリーズを読んできて、これまでの自分の知識と照らし合わせると、日本の歴史にも何度か革命的な政治システムの変更があったと言えるなと思っています。古代の豪族連合政権としての時代、律令制に基づく王政の時代、武家政権の時代、近代君主制の時代、に分けられそうです。もちろん、古いシステムが新しいシステムに取って代わられる前には、かなりシステムが機能しなくなっているという趨勢的変化も起きているわけです。いずれ「私説歴史論」の第3弾を書いてみたいと思います。(2025.3.24)
1054.(映画)深田晃司監督『LOVE LIFE』(2022年・日本)
AMAZONプレミアムでお薦めされたので、なんとなく見始めたら、かなり奇妙な展開の映画で、気になってついそのまま見てしまいました。主演は木村文乃で夫役が永山絢斗です。最初小学1年生くらいの息子がいる幸せな家庭生活を見せるところから始まりますが、夫の両親が訪ねてきて、2人の結婚が再婚で、両親、特に父親が好意的に受け止めていないという事実がわかり、単純に幸せな夫婦の話ではないのだということが知らされます。そして、次に小学生の息子が事故でなくなるという事態が生じ、物語は急展開します。その葬式に、亡くなった息子の実の父親が現れますが、彼は韓国人でその上聾啞者だという設定です。主人公の木村文乃は、彼には自分がいなくてはだめなのではないかと思い、彼の面倒を見るようになります。夫の永山絢斗の方も、元カノにもまだ思いがあるような行動を取ります。この後、どんな展開になるのだろうと思っていたら、韓国人の元夫のところに、父親が危篤だという手紙が届き、彼は船便代を借りて韓国に帰ることにします。港まで送っていった木村文乃は、やっぱり私がついて行ってあげなければと、夫の永山絢斗を置き去りにして一緒に韓国に渡ります。韓国に渡ってから木村文乃が初めて知った事実は、父親が危篤のために戻ってきたのではなく、前の妻との間に生まれた息子の結婚式に参列するためだったということです。結局、また日本に戻ってきた木村文乃は永山絢斗のところに戻り、これから2人はどうしようかというところで物語は終わります。
このストーリー紹介を読んでも、「なんなんだ。二転三転しているじゃないか」と思うと思いますが、そこが映画製作者の狙いだったのでしょう。死んだ息子が大好きだったという設定でオセロゲームがこの映画の中で妙に印象深く登場してくるのですが、オセロゲームのように人生も一気に二転三転するのだという物語を作りたかったのだと思います。ただ最大の疑問は、この映画は監督が矢野顕子の作詞作曲した「LOVE LIFE」という曲にインスピレーションを得て作ったということで、映画の中で主題歌のように使われていますが、その歌詞を見て、こんなストーリーが浮かぶかなあということです。後で調べてみましたが、私なら、この歌詞からこんな物語は1ミリも思いつきません。なんか非常に奇妙で気になったので、続けざまですが、この映画の感想も書いておくことにしました。(2025.3.23)
1053.(映画)安田淳一監督『侍タイムスリッパ―』(2024年・日本)
映画館で公開中から面白そうだな、見に行こうかなと思っていたこの映画がAMAZONプライムで見られるようになったので、早速見てみました。期待通り面白かったです。現実の侍が現代にタイムスリップして、時代劇の切られ役になるというくらいしか知らなかったので、どうやってタイムスリップしたのだろう、どうやって現代生活に適応したんだろうと、最初からワクワクしながら見てました。途中で髪も現代風にしてジーンズとかも履くようになって、かなり現代生活に適応するようになってからは、この後どういうストーリーになるんだろうと思ったら、思いがけない人物が登場し、なるほどそういう展開に持っていくかと感心しました。後は、最後はどう終わらせるんだろうと思いながら見ていましたが、ここも巧みな終わらせ方で納得がいきました。日本アカデミーの最優秀作品賞に値する作品です。
ストーリーもよかったのですが、やはり殺陣が迫力があってよかったです。出演者たちは日頃から時代劇の切られ役をやっている俳優さんたちなのだと思いますが、殺陣の魅力を余すところなく伝えていました。特に最後の決闘シーンの殺陣はものすごい迫力です。主役を務めた山口馬木也という俳優さんは、ただの切られ役ではない華があり、見事に主役を演じてしました。彼に淡い恋心的なものを示させたのもよかったと思います。ともかくお薦め作品です。(2025.3.23)
この本も研究室の奥から見つかったので読んでみることにしました。高知の相撲好きの方が、高知新聞社に高知出身の玉錦の伝記を連載したものを書籍化したものです。正直に言って、この方は文章をプロとして書いている方ではなく、かつ郷土愛に溢れすぎていて、客観的な分析ができている本ではありません。玉錦は、子ども時代から大の喧嘩好きで、角界に入門してからも、ゴロツキ、喧嘩早いことから、「ゴロ玉」「ケンカ玉」と言われ、その素行の悪さから、大関にも横綱にもなかなかならせてもらわなかったという力士ですが、そのあたりもこの著者にかかるとプラスイメージで描かれます。また相撲界の近代化をめざした春秋園事件も、この著者によれば参加しなかった玉錦が偉くて、天龍は大関にしてもらえなかった私怨からの行動だったとなります。ここまで偏った見方で書かれると、ちょっとなあと思います。もう少し冷静に客観的に語るなら、玉錦の様々な暴力的行動もきちんと批判されるべきでしょうし、春秋園事件の不参加も、玉錦自身がちゃんと理解しての行動だったのかを検証すべきです。
玉錦という力士は双葉山登場時に実力NO.1だった横綱で、かつ現役のまま盲腸でなくなるという悲劇にも見舞われた力士なので好意的に評価していたのですが、こんなに褒めまくるような伝記本を読むと、逆に本当は違うんじゃないかという気持ちになります。ある意味、贔屓の引き倒しのような本です。伝記本を書くなら、欠点もちゃんと書かないとよい伝記本として評価されないだろうなと思った1冊でした。(2025.3.13)
1051.島崎藤村『破壊』青空文庫
あまりにも有名な小説ですが、初めてちゃんと読んでみました。きっかけは、AMZONプレミアムで、比較的最近に作られた映画版を見たことです。ふーーん、こういう話なのか、意外にわかりやすい展開のストーリーだなと感じ、でも原作とは違っているという場合もあるので、原作を読んでみようと思った次第です。
読んでみたところ、大筋のストーリーは違ってはいませんでした。時間制限もある映画ですから、カットされている場面や登場人物も原作よりは少なくシンプルになっています。小説では、主人公の父親が牛の角で刺されて死んでしまい、その牛の屠殺シーンが克明に描かれていますが、映画では一切描かれません。まあでも、昔から勝手に読みにくい純文学系の小説かと思っていましたが、読みやすい社会派大衆小説でした。『破壊』というタイトルは、隠し続けてきた自分の出自を明らかにしてしまうことで、これまでの積み上げてきた人生を「破壊」してしまうという意味でつけたようですが、必ずしも未来のない終わり方ではないので、あまりぴったりとしたタイトルではないような気もしました。
1906(明治39)年という時代の中では非常にセンセーショナルな小説だったのでしょうが、今読むと、そこまでの緊張感は伝わってきませんでした。まあ、先に映画でおおまかなストーリーを知ってしまっていたからということもありますね。映画も見ず、文学史の授業でも習っていなければ、最後主人公はどうするんだろうという緊張感を持って読めたのかもしれません。(2025.3.7)
昭和初期から昭和20年代あたりまでの分析をした本です。昭和政治史に関する労作の多数ある著者ですので、その分析はなるほどと思わせるものが少なくないです。ひとつひとつ内容紹介はできないので、章タイトルだけすべてあげておきます。
第1話 日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?/第2話 真珠湾攻撃で、なぜ上陸作戦を行わなかったか?/第3話 戦前・戦時下の日本のスパイ作戦は、どのような内容だったか?/第4話 <東日本社会主義人民共和国>は誕生しえたか?/第5話 なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったか?/第6話 占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったか?/第7話 M資金とは何をさし、それはどのような戦後の闇を継いでいるか?
4,5,6話あたりを読んでいて思うことは、アメリカの占領政策が穏健で進歩的だったことによって、日本は救われたということです。第4話を読んでいると、日本もドイツや朝鮮半島のように分断される可能性は十分あったと思わざるをえません。アメリカが強い意志で、北海道への進駐を望むソ連の介入を阻止したことで、日本は分断国家にならなくて済んだわけです。第5話からは、アメリカが戦時中から的確な日本人分析を行い、天皇を罰することは日本を統治する上でマイナスにしかならないと判断し、天皇の戦争責任が追及されないように東京裁判のシナリオを作ったと理解できます。そして、そういう占領政策であったがゆえに、反GHQ運動が日本ではまったくおきなかったのだと第6話で語られます。
もちろん焼夷弾や原爆で、無辜の日本人を山のように殺したわけですし、アメリカ国内でも日本人を敵性外国人とみなして収容所に入れたり、差別的行動を日常的に行ってきた国ですから、そんなに手放しで褒めることはできませんが、少なくとも占領下の日本統治に関しては、世界の歴史上でも稀なほど温厚で柔軟な統治が行われたと見るべきでしょう。もしもマッカーサーが、今のトランプみたいな男だったらと思うと、ぞっとします。(2025.3.1)
1049.(映画)石井裕也監督『舟を編む』(2013年・日本)
前に観たと思っていたのですが、主役が松田龍平で辞書作りの話だったことしか覚えておらず、宮崎あおいも出ていたことも覚えていなかったし、このコーナーでも感想も書いていなかったので、観てなかったのかもしれないと思い、観てみました。昨年NHKBSで女性社員を主人公にしたドラマ版「舟を編む」がやっていてそれはしっかり見ていたので、映画版とドラマ版がつながり面白かったです。映画版の方がより古い時代から物語が始まっていて、テレビ版で主役になっていた女性社員が登場してくるのは、映画では半分以上過ぎてからでした。映画版では、ドラマ版ですでに営業部に移っていた元辞書編集部の男性社員がまだ辞書編集部にいたり、すでに結婚していた松田龍平演じる辞書編集部のエースと宮崎あおい演じる女性料理人がどのように出会い、どうやって思いを告げ恋が成就したかもわかりました。ドラマ版をしっかり観た後に、映画版を見ると、なんかエピソード0を知るような楽しみがありました。たぶん、どちらも原作に忠実にストーリーを作っていたからでしょうが、演じ手は違うのに違和感なく繋げて観ることができました。ドラマ版の方は、近いうちにNHKの地上デジタルで放送するようですから、興味のある方は是非見てください。ドラマも映画もどちらもなかなかいいですよ。(2025.2.25)
1048.(映画)中平康監督『美徳のよろめき』(1957年・日活)
三島由紀夫の大ヒット小説の映画版ですが、小説を読んだことがなかったので、上流階級の既婚女性が夫以外の男性によろめく話というくらいしか知らなかったので、どんな展開なのだろうと興味深く見てみました。主演は月丘夢路でしたが、役柄は28歳ということでしたが、女優さんの現実の年齢は30歳代半ば過ぎなので、実際そのくらいには見えます。まあでも美しいので、不倫するくらいの魅力は十分感じさせます。さて、その月丘夢路演じる主人公の女性は昔、少し心惹かれたことのある男性と再会して恋に落ちます。そして、2人だけで食事をしたり、ついに1泊旅行にも出かけます。しかし、男性の思いを断り一線は超えず帰宅し、その満たされぬ思いを夫に向け、その行為によって2人目の子を妊娠しますが、産むわけにはいかないと中絶します。その後男性とは別れますが、思いは消えていないという感じで映画は終わります。うーん、なんかよくわからない展開だなと思い、原作小説はこういうストーリーなのだろうかと調べてみたら、原作小説では主人公女性は、男性との間で肉体関係を持ち、その不倫関係にずっぽりはまってしまい、子どももその2人の間で妊娠してしまっていました。映画を観た三島由紀夫は、原作小説との違いに腹を立てたのか、「これ以上の愚劣な映画といふものは、ちょっと考へられない」と記したそうです。
映画版はなんで肉体関係はないことにしたんでしょうね。宝塚出身の美人女優さんにベッドシーンをやらせることはできなかったのでしょうか。当時「よろめき」が流行語になったというのは知っていましたが、小説と映画だと「よろめき」の度合いがかなり違います。今なら「よろめき」というくらいなら、心だけの問題かなと思えますが、小説では肉体的不倫関係まで行っていたわけで、これが大ヒットして流行語になったということは、一線を越える関係をイメージして言っていたのかなとも思います。まあ昔は、既婚女性は気持ちすら他の人に向けてはいけないと思われていた時代でしたから、一線を越えるかどうかを「よろめき」の基準にしなくてもいいだろうと思われてたのかもしれません。気持ちが夫以外の男性に向いたら、もうその時点で「よろめいた」のであって不道徳なことという位置づけだったので、一線を越えなくても「よろめき」ドラマは成立するという判断だったのかもしれません。(2025.2.24)
自宅の書籍整理で捨てようかなと思っていたのですが、とりあえずもう1回読んでみようと思い、読み始めたら、なんか昔読んだ時と同じように面白く読めてしまい、ちょっと捨てるのが惜しくなりました。ご存じの方も多いと思いますが、この作品は『ビッグコミックスピリッツ』という雑誌で、1980年から1987年にかけて連載されていたもので、連載当時から楽しみに読んでいました。当時、私は20歳代後半から30歳代初めという年代でした。それから40年以上経って70歳が近づいても、ワクワクしながら読めてしまったことに自分でもちょっと驚いています。コメディ要素をたっぷり含んだ恋愛マンガですが、この歳になっても楽しめるとは不思議な気もしますが、人間歳を取っても感性や恋愛観は変わらなかったりするものなんでしょうね。まあ、人によっては大きく変わる人もいるのでしょうが、私の場合は20歳代後半と70歳手前でも変わっていないようです。このまま捨てずに取っておいて、80歳でもまた楽しく読めるのか確かめてみたくなってきました(笑)
ただ、たぶん前はそんな読み方をしなかっただろうなと思ったのは、現代のコンプライアンスの基準ではこのマンガもいろいろクレームがついてしまうだろうなと思ったことです。いくつか例を挙げてみると、未成年の大学生が酒を飲みタバコを吸うシーンは当たり前に出てきますし、高校生にすら酒を飲ませています。また車を運転しているのにお酒を飲んでしまったり、女性の身体性を強調するような描写が多かったり、ヒロイン女性を中心に伝統的ジェンダー観に基づいた行動がたくさん出てきます。『ビッグコミックスピリッツ』という雑誌は青年コミック誌でしたから、今でも少年誌よりは、性的要素は緩めだろうとは思いますが、たぶん今はもっと配慮されているのではないでしょうか。作者は私より2歳下でほぼ同世代なので、なんの違和感もなく読めてしまうのですが、現在の20歳代以下の世代が読むと、気になるところがたくさんあるのではないかなと思います。
他にも、このマンガは1980年代前半の社会はこうだったなとわかるところがたくさんあります。まだ誰も携帯電話を持っておらず、アパートの共有電話で連絡を取り合っていたりすること、大学生の就職活動が4年生の夏以降あたりから本格化し、大学別に求人情報が紙ベースで貼り出されていること、面接結果が封書で届いていること、結婚式が神前で行われていること、などなど、当時は当たり前のことでしたが、40年経ってみると、すっかり変わったなと感じます。文章で1980年代前半はこんな時代だったと伝えようと思っても、なかなか伝えにくいことが、マンガというメディアでは容易に伝えられる気がします。その意味でも、このマンガは貴重な気がしてきましたので、捨てるのは止め、取っておくことにします。(2025.2.22)
1046.井沢元彦『天皇になろうとした将軍』小学館文庫
井沢元彦が歴史ノンフィクションを書き始めた最初の本で、足利義満と足利尊氏を扱っています。もともと別の雑誌に掲載したものだそうで、独立した2編ですが、南北朝時代を終わらせた第3代将軍と、始めた初代将軍の話ですから、自ずと関連性はあります。より面白かったのは、義満の方です。尊氏の方は比較的最近はよく紹介されている、実は悪人ではなかったという内容で、割と知っている知識が多かったですが、義満の方は「えっ、そうなのか?」と驚くようなところが少なくなかったです。本のタイトルの「天皇になろうとした将軍」というのも、もちろん義満のことです。中国の明の皇帝から日本国王と呼ばれたことかなと思いましたが、それだけでなく著者は義満は本当に天皇――あるいは天皇の父となり太政天皇――になろうとしたと考えています。そもそも後小松天皇が義満の子だったのではないかと推測しています。後小松天皇の息子である称光天皇が亡くなった後、その兄である一休禅師がいたにもかかわらず還俗して天皇になるという展開にならず、9親等も離れた後花園天皇が即位することになったのも、後小松天皇が実は義満の子だということが知られていたからではないかと推測しています。まったく考えたことがなかったことですが、なかなか面白い推測だと思いました。また、こうした義満の目論見を潰すために、義満は毒殺されたという主張もしています。これも考えたことがなかったですが、健康だった義満が急に亡くなり、その原因も明らかにされていないと言われると、確かに暗殺されたのかもしれないと思えてきます。
また、義満に愛されて、能楽を芸術まで高めた観阿弥・世阿弥親子は楠木正成と非常に近い血縁関係――著者が調べた限りでは、観阿弥が楠木正成の甥――にあり、実は南朝のスパイであったというのも面白い推測です。観阿弥も世阿弥の息子の元雅がともに急死しているのも、世阿弥自身も京都を追われているのは、南朝のスパイだということがばれたからだろうと推測しています。観阿弥・世阿弥は伊賀の出身であることも、スパイ説を強化しています。足利義満という人物は、あまりテレビや映画で取り上げられることのない人物ですが、取り上げたら面白いストーリーが作れそうです。(2025.2.21)
1045.松坂英明・つね子『娘・松坂慶子への「遺言」 親子戦争1000日の本当の理由』光文社
この本も研究室の奥から出てきました。昔読んだはずですが、女優の松坂慶子のお父さんは朝鮮半島から渡ってきて長崎で炭鉱夫をやっていたことがある、くらいしか覚えていませんでした。今回改めて読み直し、なかなか壮絶なファミリーヒストリーだなと興味深く読みました。もともと、この本は松坂慶子が1990年代初めに売れていないギタリストと結婚すると言った時に、両親が大反対をして、それがマスメディアで大きく取り上げられた後、メディアから娘にたかる親だと批判された両親が、自分たちがどれほど頑張って生きてきたか、娘を愛情を持って育ててきたかを知ってほしいということから出版された本です。
朝鮮で貧しい暮らしを余儀なくされていた松坂慶子の父親は、日本にやってきてから非常に苦労をしながら戦前、戦中を生き抜き、戦後ヤミの商売をしながら徐々に財産を作り、昭和27年にようやく子ども(慶子)が生まれます。ただし、8か月にも満たない早産で生まれたため医者にも見放されていたそうですが、奇跡的に成長したそうです。そのあたりは、母親のつね子が語っていますが、なかなか感動的です。ちなみに、母親の方も悲惨な少女時代を送っています。その後美少女に育っていく慶子に両親は様々な習い事をさせ、将来の芸能界への道も開いたようです。90年代に両親がメディアで批判されていた時は、昔から貧乏でその根性が染みついているから娘にたかり続けるために結婚に反対しているのだというような報道でしたが、一時的に経済的苦境に陥った時期はあったようですが、小さい頃から娘を習い事に通わせたり、まだ自家用車が少ない時代に2台も持っていた時代があるという話を聞くと、実際はそんな極貧生活ではなかったのだろうなと思えます。
松坂慶子はこのもめた結婚の前は、スタイルの良いセクシーな美人女優というポジションでしたが、結婚で親と揉めアメリカに行き、2人子ども生んで体型もふっくらし、2000年代になって日本に帰ってきてからは温かみのあるお母さん役からおばあちゃん役へとすっかり立場を変え、好感度も上がりました。ウィキペディアによれば、2007年にお父さんが亡くなってからはお母さんとの関係は修復し、今は一緒に暮らしているそうです。NHKの「ファミリーヒストリー」で取り上げてくれたら大評判になりそうな家族の物語ですが、やってくれないでしょうか。たぶん未だにルーツが朝鮮半島にある人のファミリーヒストリーはやっていないように思いますが、ぼちぼちそういう方々も出てきてもいい頃ではないかと思うのですが、、、芸能界には在日朝鮮人・韓国人のルーツを持つ人がたくさんいると言われていますが、もうそろそろ隠さなくてもいい時期なのではないかと思うので、ぜひNHKには頑張ってほしいものです。(2025.2.19)
1044.武田尚子『下着を変えた女 鴨居羊子とその時代』平凡社
ずいぶん前に買った本ですが、研究室の奥に眠っていたのを見つけたので読んでみました。鴨居羊子という人に関してはなんとなく知っており、弟は鴨居玲という画家だったはずだなという知識はありました。下着に関しては詳しくは知らなかったですが、たぶんたたの肌着だったものを遊び心のあるものに変えたということだろうという認識でした。まあ、その認識はほぼ当たっていましたが、この本自体は下着の話というより、鴨居羊子という女性がどういう人間であったかという伝記本です。大正15年生まれで、関西を拠点に様々な文化活動をしてきた芸術家肌の人物です。途中からこういう人は、私は苦手だなあと思いながら読んでいました。気まぐれな女王様気質の芸術家という感じで、個人的には好感を持てませんでした。絵を描いたり、フラメンコを踊ったり、何だか足が地についていません。絵もどんな絵を描いていたのか調べてみましたが、惹かれる絵ではなかったです。まあ、まだ時代全体が保守的だった時代の中では目立ったんだろうなということは理解できました。下着自体も彼女が変えたのかどうかは私にはよくわかりませんでした。それほど興味が湧いた本ではなかったですが、読んだ記録として書いておきます。(2025.2.18)
1043.(映画)山田洋次監督『こんにちは、母さん』(2023年・日本)
いかにも山田洋次っぽい映画だなと思ったのですが、後で調べたら原作があるようなので、どの部分が原作からなのか、そうでないのかよくわかりませんが、映画全体の雰囲気と使う役者の好みで、やはり山田洋次風の映画にはなっていると思いました。ストーリーは単純です。70歳代後半にはなっているだろう母親の恋心、50歳近い息子は大手企業の人事部長で人員整理という難しい仕事をしなければならない上に、妻とは別居していて、仕事も家庭も悩みばかりという設定です。最終的には、山田洋次らしく劇的な結末は迎えず、静かに終わります。ストーリーにあまり魅力を感じないですが、そこそこ見られる映画になっているのは、母親を演じた吉永小百合と息子を演じた大泉洋の人間的魅力によるものでしょう。(正直言って親子には全然見えませんが。)70歳代後半でも美しい吉永小百合とその相手役である寺尾聡のプラトニックな恋愛は好感を持って見ることができます。息子の大泉洋の演技も暖かい人間味を感じられて悪くはないです。大泉洋の大学時代からの友人で希望退職を求められる同期入社の男性を宮藤官九郎がやっていますが、今まで見たクドカンの俳優としての演技としては、これが一番いい気がしました。
映画としては、ここで終わっても仕方ないのかもしれませんが、現実的に考えたらこの後どうなるのかなとふと思ってしまいました。妻と離婚し、会社をやめ無職になった50男が実家に舞い戻って暮らすって、この後辛い生活が待っていそうです。余韻を残す映画って、普通はその後幸せになったんだろうなあというような印象を与えるものが多いですが、山田洋次の映画はそうではないものが多いような気がします。あと、たぶん映画のオリジナルなキャラではないかと思いますが、ホームレス役の田中泯に喋らせ過ぎていて違和感がありました。しばしば山田洋次がやる思い入れを入れ過ぎて失敗しているキャラクターだと思いました。(2025.2.17)
1042.(映画)ジャスティン・チャドウィック監督『マンデラ 自由への長い道』(2013年・イギリス・南アフリカ)
ネルソン・マンデラに関しては、長い獄中生活から解放されて、その後南アフリカ共和国の大統領になったという程度の知識しかなかったので、この映画を観て初めて知ることが多かったです。映画の描き方もあるのでしょうが、アパルトヘイトを打破する行動以外に、妻や家族との関わりの部分が、映画ではかなり焦点を当てて描かれています。映画の中では2回ですが、現実には3回結婚しているようです。1度目の結婚は、マンデラが政治活動に没頭する中で、政治的信条をともにする女性と不倫関係にもなり、妻と別れることになったそうです。2度目の結婚は、その不倫相手だった女性とで、思想信条と愛情の両方が揃った夫婦になったわけですが、長い獄中生活を終えた後に、結局この2人も別れることになります。別れた理由は、より過激な闘争を求める妻と、融和政策を求める夫という政治信条のずれが大きかったということのようです。こうしたマンデラの私生活は全く知らなかったので、興味深かったです。
あと、やはり南アフリカでのアパルト政策のひどさが強く印象に残ります。これはニュース等でもしばしば取り上げられていたことですが、改めてドラマ仕立てで見せられると、そのすさまじさに驚きます。白人の黒人蔑視のひどさは筆舌に尽くしがたいです。現在のヨーロッパはそういう差別を一番許さないという先進国感がありますが、歴史的に見たら、ヨーロッパ系白人が世界中でやってきた差別的行動はすさまじいものがあり、その余波がいまだに続いている気がします。たとえば、イスラエルとパレスチナの争いも元はと言えば、ヨーロッパのキリスト教徒たちがユダヤ人を差別してきた結果でもあるわけです。日本人を含むアジア系に対してもひどい差別をしてきた歴史もあります。背が高く、色も白い彼らは、自分たちがもっともすぐれた人種だと、実はいまだに思っている人は多い気がします。(もちろん、日本人もひどい差別をしてきた歴史もありますが。)いずれにしろ、いろいろ学びの多い映画でした。(2025.2.14)
1041.吉川徹『ひのえうま 江戸から令和の迷信と日本社会』光文社新書
おもしろく、かつ社会学の魅力の伝わる良書です。私もいずれ「つらつら通信」に2026年が「ひのえうま」で出生数はどうなるだろうかということを書こうと思っていたのですが、本書の著者に見事に書かれてしまったので、もう書くことはないなという感じです。「丙午(ひのえうま)」に興味を持った人はこの本を読むことをお勧めします。
1966年の昭和の丙午の年に出生数が激減したことは、私はまだ小学生だったのに、なぜかその頃から知っていました。ちょうど従妹がその年に生まれたので、父から「丙午」にまつわる話を聞いたのかもしれません。そして、「1.57ショック」が大々的に取り上げられた1990年にはもう社会学を教える人間になっていて、「1.57」という数字の意味が、1966年の丙午の時の出生率を下回った値なのだという説明を、それから何十回としてきていたので、60年ぶりの丙午である2026年の出生率はどうなるのだろうかと気になっていました。
著者は歴史を調べ、様々な統計データも抑え、現状の社会の在り方を考え、7つの社会学的要因から、令和の丙午(2026年)には、昭和の丙午(1966年)のような出生数の激減は生じないだろうと予測します。的確な分析で納得できます。私は、若い人も大安や仏滅は気にしていたりするし、多少影響が出るのではとひそかに思っていたのですが、著者のあげた社会学要因を見て、確かにそうだなという気になりました。社会学的思考で近未来が予測できる良い例です。まあ実際に当たったかどうかは2027年までわからないわけですが。
後、この本が面白かったのは1666年の寛文の丙午から昭和の丙午まで、6回の丙午の年にどんなことが起きたかをいろいろ紹介してくれていることです。昭和の丙午のことは知っているつもりでしたが、その60年前の明治の丙午(1906年)のことはほとんど考えたことがなかったのですが、この年に生まれた人が、迷信でかなり苦労をしたことが昭和の丙午の大幅な出生数減少を生み出す大きな要因だったことも知りました。また、そのそれぞれの時期に子供の数をコントールするためにどういう手立てが取られていたのかというのは、各時代の妊娠、出産、子育ての意識と技術が大きく関わる社会現象だということもよくわかりました。
豆知識も増えました。江戸を大火に巻き込んだ八百屋お七が丙午の生まれだったり、明治の丙午の女性たちは長じてモガとして生きていたり、昭和の丙午の女性陣は均等法第1世代だったりするのだということも、今まで意識したことはなかったので、興味深い情報でした。著者自身が昭和の丙午の生まれなので、昔から丙午の人々に強い関心を持っていたのでしょう。とにかく面白い社会学書です。お薦めです。(2025.2.12)
【追記(2025.2.12):この書評をアップした後、著者に恵送のお礼メールを送ったところ、感謝の返事をいただいたのですが、送っていただいた本は発売前の見本刷りだったと教えてもらいました。思わずAMAZONで発売日はいつなのだろうと調べてみたら、なんと2月19日でした。一般発売よりも1週間も前に書評をかいてしまったわけです。なかなかないことだと思うので、記録しておきます。これから新聞等の書評欄でちょくちょく取り上げられる本だと思います。】
徳川家康が関東に領地替えをさせられてから、江戸の町を造り上げていったことが短編小説の形で語られています。テーマは非常によいのですが、文章に格調がなく、人物造形でも大名も庶民もまったく同じような喋り方をさせていて人物の違いが見えてきません。ストーリーも本来ならひとつひとつの物語が短編ではなく長編で書けるような話なのに、短編にしている分、その仕事の大変さが伝わってきません。基本的に時代小説や歴史小説の作家ではないのだろうなと思って、著者の経歴を見てみたら、やはりもともと推理小説の作家のようです。『銀河鉄道の父』という作品で直木賞を取ったようですが、この軽い文章と人物造形力のなさを考えると、あまり読んでみたい本ではないです。映画化もされていて、ちょっと興味があったのですが、この作家の原作ならあまりたいしたことはないだろうなと思いますので、たぶん見ないと思います。(2025.2.9)
近江王朝の終わり頃から平安時代のはじめくらいまでの時代を背景に、男女の恋愛と政治的動きを絡めて書かれた歴史短編集ですが、著者のこだわりなのでしょうが、女性たちの名前が歴史上で知られた名前ではなく、当時の呼び方で書かれるので、どの人の話かわかりにくく、かつひとつひとつの物語は短いので、内容がすっと入ってきません。著者本人が書いたあとがきや解説を読みながら再読したらもう少し理解が進みそうでしたが、そこまでしたくなる内容でもなくそのまま読み終えてしまいました。ひとつだけ「へえー、そうなんだ」と知ったのは、流行り病で次々に死んでしまった藤原不比等の息子たち4兄弟は上3人が同じ母親で、四男の麻呂だけ母親が違うこと、そしてその母親は天武天皇の妻だった時期もあり、新田部親王を生んでいるので、天武天皇の息子と不比等の息子が母親を同じくする兄弟だったという事実です。解説によれば、新田部親王は藤原氏が権力を確立する上で協力的だったそうですが、そこにも麻呂という同母の弟がいたということも影響しているのではないかという見方もあるそうです。あと、この本で印象が強いのは、異母きょうだいが男女の関係になりやすい時代だったんだということが改めて確認されることです。古代天皇家の系図等を見ていると、異母きょうだい、叔父と姪、いとこなどの婚姻関係が山のようにありますが、そういう関係はこんな風な感じだったのかなと感覚的に理解できました。ジェンダーで決めてはいけないのかもしれませんが、やはり女性作家ならではの視点という感じがしました。(2025.2.1)
1038.(映画)中野量太監督『長いお別れ』(2019年・日本)
いい映画だと思いますが、見ているのがちょっと辛かったです。元校長をしていた男性が70歳を手前にしたあたりから認知症を発症し、そこから亡くなるまで7年の家族の物語です、認知症の父親を演じた山崎努、献身的な妻を演じた松原智恵子、長女役の竹内結子、次女役の蒼井優、みんなよい演技をしています。見ているのが辛かったのは、個人的な思いと重なることが多かったからです。認知症の症状が出てから13年以上どんどん衰えていく母親を昨年見送ったばかりですし、父親は認知症にはならずに亡くなりましたが、この映画の父親と同じように漢字にめちゃくちゃ詳しい人だったこと。さらに、自分が今年70歳を迎える教員であること、娘が2人いてそのうち1人はアメリカにいること、などついつい自分に置き換えて見てしまい、もしも自分が認知症になったら、といろいろ考えながら見てしまいました。昔見た「花いちもんめ」という映画も、元大学教員だった男性が認知症になる話でした。教員は認知症になりやすいのでしょうか?たまたまであることを願います。そして長女役をやっていた竹内結子がもういないんだと思うと、それもなんだか辛かったです。(2025.1.31)
1037.井沢元彦『逆説の日本史 3 古代言霊編 平安建都と万葉集の謎』小学館文庫
本シリーズ3冊目です。少し新鮮味を感じなくなってきました。この巻では、「称徳天皇と道鏡」「桓武天皇の平安京遷都」「万葉集の謎」が語られます。言霊が日本においては大きな影響を与えているというのはある程度同意できますが、少し比重を置きすぎのように思えてきました。称徳天皇と道鏡と間には男女関係はなかったというのは、ちょっと賛同しにくいです。私も、著者が嫌いな資料主義者ではないので、その人物の行動パターンなどから推測するのですが、称徳天皇に関しては自らの欲望を制御できる人物ではなかったと思えますし、道鏡に対する寵愛ぶりは特殊な愛情感覚なしにはありえないほどの出世をさせています。やはり、そこには男女の関係があったと見た方が自然だと思います。平安京遷都が早良皇太弟の祟りを恐れてのものというのは一般的にもそう言われているので、特に新たな見方ではないです。万葉集に関しては、柿本人麻呂が刑死したということが綿々と語られますが、万葉集にはあまり興味がないので、ふーんそうなのかあという程度でした。
タイトルにあるように、著者がこの本で一番言いたいのは、日本人は意識的、無意識的に「言霊」を気にして生きているのだということですが、確かにそれはそうだなと思える部分が多かったです。今でも、受験生の前では「落ちる」「滑る」とは言ってはいけないとか、結婚式では「切れる」「分かれる」と言ってはいけないというような、場面によって言葉の使い方のルールが日本にはたくさんあります。その意味で、確かに言葉の持つ何かを日本人は気にしている民族だなというのは同意します。まあでも、このシリーズもちょっと飽きました。3巻読んで、この著者の言いたいことは大体わかりましたので、しばらく置いておきます。(2025.1.26)
1036.(映画)クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』(2023年・アメリカ)
「原爆の父」と言われる人物を主人公とした物語で、確か日本で公開すべきかどうか議論になっていた記憶がありましたので、関心を持って見てみました。きっと見た人は同じような感想を持ったのではないかと思いますが、決して日本で公開できないような映画ではまったくありません。むしろ、オッペンハイマーは原爆を使わなくても日本は降伏するのではないかと思い、使用を躊躇する気持ちを見せています。また水爆の製造には反対し、核軍拡競争にならないように行動をしています。しかし、時代は、米ソ冷戦時代に入り、特にアメリカでは赤狩りの嵐が吹き荒れ、オッペンハイマーも共産主義者ではないか、ソ連のスパイではないかと疑われ、秘密聴聞会で追及されます。
オッペンハイマーに関しては、原爆製造の責任者だったくらいしか知らなかったので、知識が増えました。見応えのある映画ですが、オッペンハイマーという人物がかなり複雑な人物なので、映画だけですべてすっきりわかる感じではなかったです。こちらの知識が足りないので仕方がないのですが。(2025.1.19)
1035.(映画)斎藤武市監督『大空に乾杯』(1966年・日活)
吉永小百合主演の青春映画という括りでいいのでしょうが、この頃の日活映画がいかに粗製乱造で作られていたかがよくわかる映画です。ストーリー、キャラクター設定、俳優の演技力、いずれも低レベルです。今どきなら、こんな映画、素人でも作らないだろうなと思うレベルです。女優さんがかわいいだけの映画です。主演の吉永小百合は新人スチュワーデス――今はCAと言いますが、この頃は若い女性たちにもっとも人気のある職業・スチュワーデスでした――で、先輩スチュワーデスが十朱幸代、もう1人の先輩スチュワーデスの妹に和泉雅子という配役です。状況設定とストーリーがめちゃくちゃなので、説明が難しいです。吉永小百合が絡む所だけ説明しておくと、父親は医師、母親は宗教にはまっていて、父親とは仲がいいけれど、母親とはもうひとつという感じです。母親が放り出した自宅の庭を手入れに来てくれた園芸科の学生ないしは大学院生である浜田光夫のことをなぜか少しずつ惹かれます。浜田光夫の役は全然魅力的に描かれてないので、どこに惹かれたのか見ている方は納得いきません。さらに、脈絡もなく両親が愛し合っていないということを知り、娘の吉永小百合が離婚届を2人分書いて「印鑑を押して」と迫ります。おいおい、自筆じゃないとだめなんじゃないの、と突っ込みたくなります。
荒唐無稽なストーリーはさらに続き、大会社の社長が吉永小百合を見初め、自分の息子の結婚相手にと望み見合いを仕組みます。ちなみに、見合いの席でもその後のデートの時も、この男性は車で来ていますが、酒を気にせず飲んでいます。1960年代はこんな映画が通ってしまう緩さだったんだなと改めて驚きました。さらに、恋愛妄想狂のような和泉雅子のわけのわからない妄想シーンが挟み込まれたりします。ストーリーを展開する上では邪魔なシーン以外の何物でもありません。基本的に、和泉雅子の役はこの映画ではまったく不要です。日活は、ただ売り出し中の和泉雅子を出したかっただけだというのが見え見えです。他にも、いくら何でもこの時代でも、こんなことはなかったのではと思ったのが、和泉雅子の姉役の先輩スチュワーデスが、今の恋人に、昔付き合っていた人がいたことを意を決したように告白し、恋人から「誰にも過去はあるから気にしない」と言われるのですが、いやいや普通に過去に恋人がいただけなのに、その事実すら隠さなければいけないなんて、そこまでのことはなかっただろうと、ここも突っ込みたくなりました。他にも山のようにツッコミどころある映画ですが、もうこのくらいにしておきます。馬鹿々々しい映画ですが、1960年代の日活青春映画のレベルを知るにはいい映画なのではないかと思います。(2025.1.17)
1034.井沢元彦『逆説の日本史 2.古代怨霊編 聖徳太子の称号の謎』小学館文庫
1031に紹介した本の第2巻です。このシリーズは「逆説」というより「異説」というのがぴったりだと思います。この巻では、聖徳太子は暗殺されるか自殺に追い込まれるかといった不幸な死を迎え、怨霊になる存在だったので、「聖徳」という死者を称える称号が与えられたのだというのが前半の主張です。確かに「徳」という文字は不幸な死を迎えた天皇たちに多く使われており、その意味ではこの推論もありえなくはない気がします。また埋葬のされ方も、一般に知られている聖徳太子の素晴らしい業績に見合わない埋葬をされていることも、この著者の主張を強化します。聖徳太子が不幸な死を迎えたなんて考えたこともありませんでしたが、推古天皇が譲位をせず聖徳太子が天皇になれなかったこと、息子の山城大兄王の一家が死に追いやられていることなどを考えると、ありえなくはない仮説だという気がしてきます。
個人的には後半の天智天皇と天武天皇の話がより説得力があると思いながら読みました。著者は、天武は天智の同父同母の弟ではなく、よくて異父同母の兄、あるいは血のつながっていない人間で、天智は天武によって山科で暗殺されたと主張します。これもまったく考えたこともなかった説ですが、本書を読んでいると、その可能性もあるかもしれないという気になってきます。これまで読んできた壬申の乱関係の本でも、天智の死の間際に天武が皇太弟の立場を返上し出家し吉野に籠った後、反乱を起こし天武が天皇になるまでの経緯はなんかよくわからないなあと思っていたので、この著者の主張のように天武は出家などしておらず武力によって天智とその息子の弘文を倒し権力収奪したと考えた方がすっきり理解できるところも多々あります。
歴史の初心者が読むには向かない本ですが、基本の歴史をある程度つかんでいる人間には、異説を提起され、そうかもしれない、いやそれはないだろうといった読み方のできる非常に面白い本です。(2025.1.10)
1033.(映画)オリヴィエ・ダアン監督『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(2007年・仏英チェコ)
エディット・ピアフと言えば、「愛の讃歌」を歌うシャンソン歌手で煌くような人生を送っていたのだろうくらいの意識でなんとなく見始めたのですが、壮絶な人生だったのを知り驚きました。小さな時に母親に捨てられ、売春宿で育ち、大道芸人だった父親とともに路上で歌を歌うようになり、キャバレーのようなところで歌うようになり、そこで見いだされ、立派な会場で歌うようになるわけですが、その間も私生活は安定せず、いろいろな事件が起こります。唯一幸せだったプロボクサーとの恋愛は、彼が飛行機事故で亡くなることで突然終了します。ちなみに、「愛の讃歌」はその彼のことを思って作られた曲なのだそうです。身長も145cmくらいしかなかったそうです。日本では「愛の讃歌」は越路吹雪が歌っていたイメージが強かったので、なんとなくエディット・ピアフも越路吹雪のような女性かと想像していましたが、まったく違うタイプの女性でした。薬漬けにもなっており体はぼろぼろで、結局50になる前にピアフは亡くなってしまいます。
この映画、主演女優の演技が素晴らしかったのですが、後で調べたら、やはりアカデミー賞やゴールデングローブ賞の主演女優賞を取っていました。確かにそれに値する演技でした。映画の展開は時代が行ったり来たりするので、最初ちょっとわかりにくかったのですが、途中で、ウィキペディアでエディット・ピアフについて調べてから見たら、わかりやすくなりました。フランス人にとってはエディット・ピアフは超有名人なので、こんな作りでもみんなわかるのかもしれませんが、詳しくない人間にとっては初めの方はかなりわかりにくく感じます。まあでも、基本的に見応えのある映画です。(2025.1.5)
1032.(映画)ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』(2023年・日本)
役所広司がカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した映画ですが、なるほど、これは役所広司にしかできない役だなと納得しました。最初に見始めた時は、あまりに平凡な日常を淡々と描く作品だなという感じがして、これは最後まで見切れるだろうかと思いましたが、途中から映画に引き込まれ画面から目が離せなくなりました。もともとこの映画は、渋谷区が作ったユニークなトイレをPRするために製作されることになったそうですが、監督のヴィム・ヴェンダースが小津安二郎のファンで、小津映画的な作品として作り上げ、PR映画の枠をはるかに超えた素晴らしい作品に仕上げています。
ストーリーはその渋谷のトイレを毎日掃除する男の日常を描いた作品ですが、その主人公の男を役所広司が演じています。スカイツリーの近くの東京の下町の古いアパートに住む平山という男は、毎日早朝に起き、家の中のルーティンワークをこなし、渋谷まで車で出かけ、担当のトイレを丁寧に掃除します。仕事を終えると銭湯に行き、行きつけの居酒屋で軽く一杯飲み、時には行きつけの古本屋やスナックにも立ち寄ります。趣味と言えるかどうかわかりませんが、文庫本を読み、車の中ではカセットテープで音楽を聴き、フィルムカメラで木漏れ日の写真を撮るのを日課としています。
その平凡な日常に、事件とは言えない小さな出来事が起こり、そこをまた丁寧に描くことで、徐々に観る者の関心を引き付けていきます。迷子になりそうになった男の子の母親探しをしていると、その母親が現れ、お礼も言わず平山からひったくるようにして男の子を抱え、平山と触れていた男の子の手を除菌シートで拭き何も言わずに去っていきます。でも、去り際に男の子が振り返り、小さく手を振り、平山も笑みを浮かべます。
トイレの片隅には、マス埋めゲームのようなものが書いたメモがあり、それを平山が気づき、毎日1マスずつ埋めるという形で平山と名もなきトイレ利用者とのコミュニケーションが生まれます。家出してきた姪と3日ほどともに過ごし、母親である平山の妹が迎えに来たところで、やはりこの平山という人物には、何か深い事情があるんだろうなということも気づかされます。きっともともとはエリートとして働き暮らしていた時期があったんだろうなと思わされます。しかし、この映画のよいところはそれを何も説明しないところです。最後まで平山の淡々たる日常を描き切り、余計な説明は一切しません。にもかかわらず、役所広司という役者が演じることで、その人生は深いものに違いないと思わせることができています。演じているというより、役所広司という役者さん自体の魅力なのかもしれませんが、非常に惹かれます。彼は私と同学年です。いい歳の取り方をしているなあと思います。
いろいろなことを考えさせる映画ですが、最後にもうひとつ。自分に与えられた仕事をきちんとすること、それが如何に社会のためになるかを感じさせてくれる映画でもあります。ぜひ若い人にも見てほしい映画です。こういう映画にちゃんと感慨を覚えるような若い人と付き合いたいなと思います。(2024.12.30)
1031.井沢元彦『逆説の日本史 1.古代黎明編 封印された[倭]の謎』小学館文庫
30年以上前からこの作家がこのタイトルのシリーズ本を出し、かなり売れているのは知っていたのですが、タイトルからどうせあまり知られていない歴史エピソードを紹介した本なんだろうと思って読まずに来ましたが、先日古本屋で安く売っていたので、まあちょっと読んでみるかという軽い気持ちで読み始めましたが、予想外に骨太の歴史書で非常に興味深く一気に読んでしまいました。予想していたちょっとした歴史的エピソードを紹介するというような本ではなく、この作家なりの合理的な思考に基づいた歴史観が示されており、その中には、私もそうなのではないかと常々思っていたものがたくさんあり、かなり説得力があると感じました。
一番肯定したいと思った姿勢は、歴史学者たちが資料があるかどうかを根拠にしたがるのに対し、資料がなくても合理的な思考に立てばこう解釈するのが妥当なはずだという主張が多くの点でなされているところです。いくつか興味深い指摘をあげておけば、オオクニヌシは大和朝廷以前に大和地域を含めて広く支配地域を持っていた国の王で、大和に居たオオモノヌシと同一人物と考えられ、大和朝廷に滅ぼされ、その祟りを鎮めるために、出雲大社が建てられたこと。卑弥呼は、「日の御子」あるいは「日の巫女」であり、アマテラスに擬せられる人物であり、かつ248年9月5日に起きた皆既日食をきっかけに殺されたこと。宇佐神宮が祀っている比売大神とは卑弥呼であり、大和朝廷の祖にもあたると考えられていたがゆえに、道鏡を皇位につけるかどうかという判断を仰ぎに来させたのだということ。天皇家はもともと朝鮮半島から渡ってきた一族であること.etc.。同意できるものや違うのではと思うところもありますが、全体としては「なるほど。そういう視点もありだな」と思わされるところが多かったです。
しばしば横道に逸れるのですが、その主張もなかなか面白く、この後もすごくたくさん出しているようですが、とりあえず古本屋で2と3は入手したので、もう少し読んでみたいと思います。あと、今、この著者は『真・日本の歴史』という本を出しているようですが、きっとこのシリーズのエッセンスをまとめたよう本なんだろうなと思いますので、手っ取り早く読みたい人にはその本の方がいいかもしれませんが、私はしばらくこのシリーズの方を読んでみます。(2024.12.28)
1030.日本経済新聞社編『ジェネレーションY 日本を変える新たな世代』日本経済新聞社
今「Z世代」という名称は毎日のように聞くのですが、その前にY世代があったことを、みんなすっかり忘れていますし、私自身も「Y世代」ってどの辺の世代のことだったかなと思い出せなくなっていたので、以前読んだ本ですが、探し出して改めて読んでみました。
この本は、2004年5月から2005年3月まで日本経済新聞夕刊に掲載した記事をまとめた本です。その最初の所に、世代名称について説明があります。それによれば、もともとアメリカで特徴がつかめないという意味で、1991年の時点で若者世代だった1960年代以降生まれの世代をX世代と呼ぶ作家が出てきたのが始まりだそうです。その後、1990年代終わりには、X世代と異なる若者世代が出てきたと主張されるようになり、X世代の次だからY世代と言うようになったそうです。Y世代の生まれ年は、1970年代後半以降くらいの世代のようです。
もともとアメリカで作られた世代名称なので、日本の状況にぴったりあてはまるはずもないのですが、アメリカのものは何でも輸入したがる日本人が日本の同じような世代をY世代と呼んだわけです。ちなみに、最初にX世代という言葉を提唱したアメリカの作家は、もともと日本の「新人類」という名称に触発されて、X世代という言葉を作ったそうです。この本では、おおよそ1980年代生まれの若者たちがY世代とみなされています。この世代の若者の活動にフォーカスを当て、インタビューをして新聞記事にしたものがこの本にまとめられているわけです。当然ですが、世間で「今時の若者は、、、」と言われがちだが、彼らにはやる気もコミュニケーション能力もあって、今後の日本社会を背負っていける世代なのだという内容です。
日本経済新聞社が取り上げた若者たちは、1990年代の終わりから2000年代のはじめにかけて若者――特に大学生――をやっていた世代ですが、この世代はバブル崩壊後に大学生活、就職活動をしなければならなかった、いわゆる「氷河期世代」です。思った以上に頑張っている子たちだと紹介されていますが、まさにこの時代は、頑張らないと仕事も得られないという時代でしたから、彼らに話を聞けば、頑張っているなと思ったのは当たり前です。
この本の最後に20年後の2025年の未来予想をするという章があるのですが、ほとんど何も予想できていません。実際に、今やY世代なんて世代名称はすっかり雲散霧消してしまい、この本の副題のように、この世代が日本を変えたとはとうてい思えません。今は、Z世代しか聞こえてきません。しかし、Z世代もきっと10数年経ったらどの世代のことかわからなくなっているだろうと思います。要するに、社会の変化との関わりを考えずに世代名称など作ったって生き残るわけがないのです。
最後に、私は戦後生まれの若者世代に関しては、「団塊世代」→「しらけ世代」→「新人類世代」→「団塊ジュニア世代(氷河期世代)」→「ゆとスマ世代」と捉えています。後ろの3世代が、おおよそX、Y、Z世代と重なると思いますが、アルファベットより社会状況を反映した名称の方がわかりやすいでしょう。私が35年間の大学生調査で調べてきた世代も、ちょうどこの3世代に当たります。この本より、私の本の方がはるかにしっかりした若者世代の分析になっていると自信を持って言いたいと思います。(2024.12.26)
1029.(映画)是枝裕和監督・坂元裕二脚本『怪物』(2023年・東宝)
見応えのある映画です。同じシチュエーションを2度、3度と違う視点から描き、徐々に真実が見えてくるという作りです。映像表現自体は、是枝裕和っぽいなと思いましたが、ストーリーの複雑さはいかにも坂元裕二脚本です。
ストーリーを少し紹介しておきます。安藤サクラ演じる母親と小学校5年生の息子と二人暮らしの家庭の場面から始まります。繊細そうな男の子で、まずは彼の日常でおかしなことが続き、母親が問い詰めると、担任教師にひどいことをされていると告白します。母親は当然のように学校に乗り込み問題解決を求めますが、校長以下問題の担任教師も含めて、学校側はただ頭を下げるだけで本気で解決しようとする姿勢を見せず、母親は全校集会を求め、マスコミも知るようになり、担任教師は解雇されます。しかし、嵐の日に息子が行方不明になってしまうというのが、まず最初に語られるストーリーです。この時点では、担任教師と学校側はなんてひどいのだという印象になります。
次のシーンでは、その担任教師の視点から同じシチュエーションが描かれます。当然そこでは最初のストーリーとは違うストーリーが描かれます。そしてさらにもうワンシーンあって、今度は息子の視点でストーリーが描かれ、そこで真相がわかることになります。非常に複雑ですが、ちゃんと伏線回収がされるのですっきりします。社会的テーマがふんだんに盛り込まれていますので、非常に魅力的な映画です。(2024.12.21)
ちょっとタイトルが大袈裟すぎます。別に「闇」って感じはないです。ただ、「羅生門」「こころ」「舞姫」がほぼすべての高校教科書に採用されているのはなぜかを考えた本です。ただし、私の興味は、それがなぜなのかを知りたかったのではなく、教科書編集、検定というプロセスに興味があったからです。実は、私の父は教科書会社の国語の編集に長く関わってきた人でした。主として小学校の教科書が中心でしたが、この本にも書かれる著者たちとのやりとりや文部省検定、そして営業活動などは、まさに私の父もやっていたなと思い出していました。
この本で指摘されていることですが、教科書って販売部数に限界があり、その限界が子どもの数の減少でどんどん減っていっており、教科書編集から手を引く出版社も少なくないそうです。父の勤めていた出版社も最近はほとんど名前を聞かなくなったので、どうなのでしょうね。かつて父がバリバリの国語編集部のエースだった時代には、全国1位の採択率を誇ったこともあったのですが。
あとこの本を読みながら思ったのは、国語の教科書ってまったく面白くなかったし、どんな小説が掲載されていたかもまったく思い出せないことです。「羅生門」「こころ」「舞姫」がまだ定番になる前に、高校を卒業しているので、この3作も教科書に載っていたかどうか思い出せません。でも、「こころ」「舞姫」などは本を買って読んだ覚えもないのに、一部を読んだような気がするので、教科書に載っていたのかもしれません。
本を読むのも、文章を書くのも好きな方ですが、国語の授業はつまらなかった気がします。妙に登場人物の心理ばかりを問うような作品が多かったからかもしれません。まあでも、社会派小説だとどうしても時代に対する解釈が必要になってくるので、扱うのが難しいのでしょうね。(2024.12.15)
1027.八幡和郎『江戸300藩県別うんちく話』講談社α文庫
この著者の本は何冊か読んだことがあるのですが、「本を読もう」のコーナーでは1冊しか取り上げていません。ちょっと興味深いテーマ設定をしているのですが、なんか読み物としては今一つという感じがしたからです。歴史家の本でもなく、歴史小説でもない、まさにこの本のタイトルに入っているような「うんちく話」的なものが多かったからです。読み物というより、資料っぽいんですよね。それも、本格的な資料というより、「うんちく」「まめ知識」が語られるという感じです。その手のものはあまり評価しない人間なのですが、この人の本をつい手に取ってしまうのは、その「豆知識」が一応体系的に語られているからです。多くの豆知識本は体系性がなく、ランダムに豆知識が語られますが、この人は一応ある基準を作り、その基準に基づいて知識を披露するので、資料的な価値も多少あるという作りになっています。今回、改めてこの人の経歴を見たら、通産省の元役人で退官後に、こういう歴史書の執筆を始めたようです。なるほどと思いました。歴史好きの元官僚さんが書いた本と思うと、非常にしっくり来ました。
さて、この本ですが、タイトルに示されているように、県別にすべての藩を紹介しています。1868年時点で存在したすべての藩について、すべて紹介しています。文庫本で300藩を紹介するのですから、ほんのわずかずつの紹介の上に、時代も藩によっては室町時代からの話も書いてあったりするので、歴史知識の少ない人だと読みにくいと思います。しかし、歴史好きには結構興味深いところが多々あります。たとえば、江戸300藩と言っても、私でも半分以上は知らない小さな藩がたくさんあったということや、有名な大名家でも分家がたくさんあって、いろいろなところの藩主になっていたのだということなどは勉強になりました。家康の次男で一度は秀吉の養子になっていた結城秀康の子孫は5藩の藩主に、酒井家は7藩の藩主になっていたそうです。今後も、時々引っ張り出して確認したくなる本でした。(2024.12.9)
東宝創立50周年記念の大作です。高倉健主演で、青函トンネルを貫通させるまでの物語です。この手の大建設プロジェクト映画では「黒部の太陽」が有名ですが、この作品も「黒部の太陽」に負けないくらい製作費がかかっただろうなと思わせる映画です。この映画を観て、私が一番思ったことは、仕事に全エネルギーをかける高倉健が格好良く見えてしまうのですが、家庭のことはまったく顧みない仕事人間ですので、今の時代だとまったく評価されないのかもしれないなということでした。なんのかんの言っても、私たち世代は仕事こそ男の生き甲斐といった価値観をかなり身に着けているので、こういう主人公が格好良く見えてしまうのですが、今の若い世代だとまったく格好いいとは思わないのかもしれません。ちなみに、主人公のモデルと言われる方は、実際にはこんな仕事をしていたら家庭は持てないと長く結婚はしなかったそうで、かなり年齢が行ってから結婚し、かつ奥さんは映画と違って夫について行き、一緒に暮らしていたそうです。
よくわからなかったのはヒロイン吉永小百合の位置づけです。昭和30年代のはじめに竜飛岬で自殺しようとしていたところを、高倉健に助けられ、そのまま下北半島に住み、高倉健に思いを寄せながら何も進展しないまま昭和50年代後半を迎え、トンネル開通とともに去っていく高倉健を見送ることになります。高倉健も好意を持っている感じですし、映画の中では妻はずっと離れたところにいるわけですから、不倫関係が成立しても不思議はないのですが、この2人が演じていると、何もなかったのだろうなと思わせます。なんだかこの吉永小百合の役柄は果たしてこの映画で必要だったのか疑問でした。
まあでも、青函トンネルの建設が如何に大変だったかは伝わってきましたし、一度青函トンネルを通る北海道新幹線に乗ってみたいなという気持ちにはなりましたので、見て損はなかったです。(2024.11.30)
1025.(映画)佐藤純彌監督『野性の証明』(1978年・角川)
この作品は、薬師丸ひろ子のデビュー作です。たぶん見てなかったと思うので見てみました。しかし、これは薬師丸ひろ子の映画ではなく、高倉健主演の莫大な製作費を使ったアクション映画です。「里見八犬伝」もそうでしたが、この時代の角川春樹は莫大な製作費を使って大規模ロケを敢行し、メディアミックスで大宣伝をして大ヒット作品を作るというのがうまく回っていました。ストーリーに緻密さはなく、むやみやたら人が殺される映画――それも殺害シーンがたくさんあります――で、あまり好きな種類の映画ではないですが、この時代の角川映画というのはこの時代を代表する映画ですので、一応チェックしておくことに意味はあるだろうと思い、最後まで頑張って見ました。
デビューの薬師丸ひろ子の演技はやはりぎこちないところもありますが、目が印象的な少女だったのでしょうね。この後、角川映画の秘蔵っ子になっていくのもまあそれなりに理解できるなと思いました。(2024.11.27)
1024.(映画)深作欣二監督『里見八犬伝』(1983年・角川)
薬師丸ひろ子主演映画をBSでやっていたので、これまで見ていなかったものをちょっと見ています。先日見た大林宣彦監督作品の「狙われた学園」というのがひどすぎる映画で、やっぱりアイドル時代の薬師丸ひろ子の映画はだめかなと思ったのですが、この「里見八犬伝」はなかなか見られました。監督の力量の差が歴然とあるなとしみじみ思いました。
この映画は薬師丸ひろ子より、千葉真一率いるJACのメンバーが活躍するアクション映画です。まだCGが使えなかった時代に、特撮とロケでここまでの映画を作るのは大変だったろうなと思いました。後で調べたら、製作費は10億円もかかったそうです。(ただし、23億円の興行収入があったので、黒字だそうです。)深作欣二は、薬師丸ひろ子にもアクション俳優並みの演技を要求したらしく、馬に乗りかなりの速度で走らせたり、山の中も駆け回り、刀も振り回しています。また、顔のアップだけですが、濡れ場も演じさせていて、薬師丸ひろ子にとってはチャレンジングな映画だったことでしょう。
先日「SHOGUN」でアカデミー賞を取った真田広之が、この映画では薬師丸ひろ子と恋仲になるハンサムなヒーロー役です。なんだかなつかしい気になりました。まあもう40年以上前の映画ですから、当然と言えば当然ですね。長渕剛と結婚してから引退してしまった志穂美悦子もなつかしかったです。(2024.11.20)
著者が軍隊生活をともにしたユニークな人物である山田正介を主人公にした小説ですが、フィクションではなくノンフィクションなのだろうなという気がします。兵隊を描いたものと言うと、戦争中の悲惨な経験を描いたものを何冊か読んだことがあり、みんなそんなものなのだろうと思っていましたが、この小説は異なります。死を覚悟しなければならないような悲惨な軍隊生活の話はわずかで、1930年頃に彼らの最初の軍隊生活は始まりますが、その頃は戦争に連れて行かれるという意識はまったくなかったそうです。そうなんだとちょっと驚きました。1930年代はもう戦争の足音が近づいていた頃で、十分緊張感が生まれていただろうと思っていたのですが、そうではなかったようです。
一度除隊した後、7年後に2人ともまた召集されるわけですが、その頃には支那事変が本格化し、著者も戦いの中で大怪我をし、除隊することになります。ただし、その後は従軍作家としてインパール戦争の取材にまで行っています。主人公の山田正介は、娑婆の生活が悲惨で、軍隊が楽しくて仕方がないという人物です。ルールをきちっと守るような人間ではなく、先頭で突撃するのも厭わない兵隊だったので、著者は、山田は必ず戦争で死ぬだろうと思っていましたが、実際には戦死せず、戦後の社会も生き延びていきます。まったく女性にモテない男だったのに、結婚してくれるという女性を見つけ、喜んでいた時期に交通事故で死んでしまったというところで、物語は終わります。
軍隊を動かした著名な将軍たちや、5‣15事件や2‣26事件を起こした青年将校でもない、名もなき兵隊の物語というのは、平時の軍隊生活と兵隊たちの意識が知れてなかなか勉強になりました。第2次世界大戦を基準に戦前・戦後の2分法で単純に考えることが多いですが、戦前――それも昭和前期――でも、戦争をそれほど意識していなかった時代があったのだということに改めて気づかされた、よい本でした。(2024.11.18)
1022.永井路子『山霧 毛利元就の妻(上)(下)』文春文庫
まだ中国地方の戦国大名になる前の毛利元就とその妻を描いた歴史小説です。女性に焦点を当てたいということで描かれた小説かと思いますが、歴史的資料としては妻に関してはあまり詳しいものがないので、夫婦の会話などはほとんどすべてが作者の創作で、その部分がやはり弱く少し残念です。ただ、毛利元就が妻が生きていた間は、妻以外の女性に子を産ませるようなことはなかったようですから、夫婦仲はよかったようです。
ストーリーは、結局50歳近くなってもまだ安芸吉田の国人小領主のままというところで終わってしまうので、この後の毛利の拡大ぶりが気になります。尼子を滅ぼしたとか、大内にとって代わった陶晴賢を厳島で破るとか一応歴史的事実として知っていますが、できたらこの流れで書いてほしかったです。この小説では尼子に押された状態で終わっています。次男の元春が継ぐ吉川家は敵方尼子氏についています。
気になったので調べてみると、まずは吉川や小早川などの内紛につけこんで、自分の息子たちをそれぞれの当主に据えることで、安芸国を実質的に支配し、その後やはり内紛が生じていた大内家や尼子家を権謀術数を駆使して倒し、中国地方の戦国大名となっていったようです。この急速な拡大は、愛妻を失くし息子の隆元に家督を譲った後、50歳を過ぎてからのことでした。戦国時代としては珍しい74歳という長寿だったわけですが、人生の後半3分の1が特に華々しい戦果をあげた時代だったということのようです。(2024.11.10)
1021.原武史『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』岩波新書
1949年から1953年まで初代宮内庁長官を務めた田島道治が昭和天皇との会話を記録した「昭和天皇拝謁記」から昭和天皇の思想や人間評価を明らかにした本ですが、非常に面白かったです。昭和天皇は主権者であった大日本帝国時代の天皇でもあり、戦後の日本国の象徴天皇にもなったわけで、一般的にはまったく違う役割になったはずですが、本人の中ではあまり変わっていなかったことが、この本を読むとよくわかります。平成時代の天皇だった今の上皇や、現在の天皇とは思考がまったく違っていたようです。むしろ、戦前の君主だった時代の意識がそのまま残っており、宮内庁長官相手に政治的発言を頻繁にしているどころか、当時の吉田茂総理にいろいろ意見を伝えており、政治に関与することに躊躇がない感じです。政治的立場としては、反共意識が非常に強いです。ソ連、中国、北朝鮮に対する警戒心が強く、独立したら、すぐにでも憲法を改正して再軍備すべきだと何度も言っていますし、アメリカ軍の基地を日本に置いておく必要性も語っています。退位のことも戦後すぐは考えたようですが、この1948年ころになると、もうその発想はなくなっていたようです。
人間関係も複雑です。母親の節子皇太后に対しては怖れに近い感情を持つくらい関係が遠く、3人の弟宮のことも評価しておらず、妻の良子皇后との関係も、今の上皇豪夫妻のような仲睦まじさではまったくなかったようです。あまり家族には恵まれていなかった人だったようです。戦前の日本の行動に関しても、全面的に間違いだったとはまったく思っていなかったようです。おおよその考えはわかっていましたが、改めてこういう発言をしていたのかと知ると、しみじみ昭和天皇の下では、象徴天皇制は確立しえなかったと思わざるをえませんでした。40歳代以上で、昭和天皇の記憶を持っている人の大部分は、やさしそうなおじいちゃんみたいな感じという印象しかないかもしれませんが、まったくそういう人ではなかったわけです。
日本人は、天皇制度のことをしっかり考えようとせず、なんとなく今のまま続くのがいいのではと思っている人が多いと思いますが、もっと天皇制度や天皇家の人々について知った方がいいとも思います。その意味で、この本もお薦めです。(2024.10.21)
白河法皇時代から後鳥羽上皇時代までの百年ほどの時代の中で、主役ではないけれど京都朝廷の中で興味深い活躍をした人物を5名取り上げ、短編小説に仕上げ、なおかつ全体として源平時代の歴史が動いていくことがわかる巧みな小説になっています。1人目は平家の繁栄の基礎を築いた清盛の父親・平忠盛、2人目は後白河法皇の寵姫として政治的発言力も持った丹後局、3人目は後白河、源義経、源頼家と次々に仕える相手を変えていった平知康、4人目は一時的に摂関家よりも力を持った源通親、5人目は後鳥羽天皇の乳母として力を持った藤原兼子、です。取り上げられた人物に関しては、名前だけ知っていたか、名前も知らなかった人たちでしたが、非常に面白かったです。この時代に関しては、子どもの時から源平物語などを読み、いろいろな人物を知っている気がしていましたが、それは武士たちを中心とした物語で、一方でそれなりに権力を持っていた京都朝廷側の人物についてはほとんど知らなかったので、知識が増えましたし、この時代を考える上では、武士たちのことだけでなく、朝廷側の動きにもしっかり目を向けないといけないなと改めて気づかされました。
ちなみに、「絵巻」というタイトルは、5編の短編の間に、当時を生きていた静賢法印という人の日記(実際にはないそうです)を挟み込み、同じ時代をまた少し違った視点から語るという構成になっているので、著者がその構成を絵巻的と考えたからだそうです。(2024.10.19)
アンパンマンの作者として有名なやなせたかしが76歳頃に出した自叙伝です。長年連れ添った妻を亡くし、自分の人生ももうそうは長くないだろうと思ってまとめられたのでしょうが、結果的にやなせたかしは94歳まで生きました。さて、この本ですが、なかなか面白いです。中年以下の方々にとっては、やなせたかしはアンパンマンの作者というだけのイメージでしょうが、アンパンマンが大人気になってくるのは1980年代以降、特にアニメ放送が始まった1988年以降のことで、その時やなせたかしはもう69歳でした。なので、この本でもアンパンマンが出てくるのは、最後の方だけです。それまで、やなせたかしという人がどういう人生を送ってきたかが興味深いです。
1919年生まれなので徴兵され戦争にも行っています。帰ってきてからは、実にいろいろな仕事をしています。デザイナー、詩人、脚本家、演出家、舞台監督、etc.目指すのは、大人向け漫画家だったそうですが、そちらの仕事では十分生計が立たず、声をかけられる仕事を次々に引き受けてやってきたそうです。その頃の仕事で、一般にも知られているのは、「手のひらを太陽に」という歌の作詞をしたことでしょうか。赤い模様に「mitsukoshi」と書かれた三越百貨店の包装紙のデザインもやなせたかしが深く関わって作ったそうです。文字の部分は、やなせたかしの字だそうです。私個人としては、確かに家にやなせたかしの絵と詩が書かれた飾り皿みたいなものがあったという記憶があります。この本にも出てきますが、そういう仕事もやっていたそうです。あと、昔時々読んでいて投稿もしたことがある『詩とメルヘン』という雑誌も、やなせたかしが作っていたということなので、その雑誌でもやなせたかしの詩や絵は見ていたのではないかと思います。
人柄がいいのか、たいして深い付き合いでない人からもいろいろ仕事を頼まれ、それらの仕事をこなすたびに、守備範囲を広げていったようです。この本の中に、数々の有名人が出てきます。そんなに自慢話っぽく書いているわけではないので、事実なんだろうと思います。愛される人柄だったのでしょう。アンパンマンも善意に満ちた物語ですし、基本的にそういう心根の方なのでしょう。アンパンマンのヒットもまったく想像していなかったそうです。もともと子供向け漫画にはあまり興味のない方だったようですので、まさかという感じだったようです。アンパンマンが大人気になってからは、スポットライトを浴びることが多くなったそうですが、その頃、やなせたかしはもう70歳を過ぎていたそうで、自分で「老新人」と自虐しています。70歳を過ぎてから、新しい扉が開いたようです。
来年の朝ドラは、やなせたかし夫妻を主人公に描くようなので、見てみたいと思いますが、「虎に翼」のように、無理に現代の価値観を入れこまずに、時代に忠実に描いてほしいものです。これだけの人生を歩んできたやなせたかしなので、そのまま事実を描いても必ず面白くなるはずです。期待したいと思います。(2024.10.12)
1018.(人形歴史スペクタクル)『平家物語』(1993〜1995年・NHK)
今週の月曜日まで、毎週20分ものの人形劇が2本ずつ再放送されていたのですが、実に見応えがありました。着物やセット、人形の動きなど、実に素晴らしかったです。たぶん、これは人間が演じるよりはるかにお金がかかったのではないでしょうか。ストーリーは吉川英治の『新・平家物語』をベースにして作られていますが、主役級の人物以外の性格や心理も丁寧に描いていて、非常に面白かったです。源平の物語は大体知っている気でいましたが、改めて吉川英治の『新・平家物語』を読んでみたいなという気になりました。(2024.10.10)
1017.永井路子『この世をば(上)(下)』新潮文庫
藤原道長の生涯を描いた小説ですが、女性作家らしく女性たちの存在が際立ちます。ただし、この時代というのは、実際に女性の存在が重要な役割を果たしていたのは事実なのだと思います。道長は3人の娘を天皇に嫁がせ、孫3人が天皇になったわけで、皇子を生む存在としては広く認識されていますが、それだけでなく自分の生んだ息子が天皇になった後も、かなり大きな影響力を持っていたようです。今放映中の大河ドラマでも、一条天皇の母であり、道長の同母姉である藤原詮子が発言力を持ち、その結果として道長が政権トップに指名されることになっていますが、この小説でもそう書かれており、これはほぼ歴史的事実なのでしょう。
また、これは作家自身の想像によるものでしょうが、この小説では、道長の妻・倫子の存在も非常に大きかったと描かれます。40歳過ぎまで6人の子を産み、平凡人・道長を支えるという役割を果たしています。藤原道長という人物は、この本のタイトルにも使われている「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることもなしと思へば」という歌で印象付けられているように、傲慢な権力者のイメージが広まっていますが、どうやらそうではなかったようです。もともと藤原兼家の三男で、やり手の長兄・道隆、策士の次兄・道兼がいたので、本来なら政権のトップにつける可能性は低かったようです。しかし、兄2人が病に倒れ、甥の伊周と出世争いを、藤原詮子の力で勝ち抜けた幸運な平凡人だったようです。永井路子は、道長の長所としては、平衡感覚の良さをたびたび指摘しています。ライバルだった伊周やその弟・隆家に対しても、何度も救いの手を差し伸べていたりするのは、そういう性格によるものなのだろうと思います。また、正妻・倫子との間に6人の子を作りますが、もう1人の妻・明子との間にも6人の子を作ります。それも片方が妊娠すると、もう1人も妊娠するといったように、こんなことでもバランスを取っていたと思わせます(笑)
飛鳥時代から奈良時代、さらには平安時代の初期までは、敵対勢力を抹殺するということが頻繁に起きていましたが、この平安中期の時代はそういう厳罰はあまり与えられなくなっていたようです。ちょっと現代の政治ドラマを見るようで、興味深かったです。今、大河ドラマ「光る君へ」を見ている人なら、この小説は非常に面白く読めると思います。(2024.10.2)
1016.(映画)堤幸彦監督『イニシエーション・ラブ』(2015年・日本)
「二度読みたくなる小説」という売り文句で、実際小説を読み終わったら読み返してみたくなった記憶のある面白い小説でしたが(209.乾くるみ『イニシエーション・ラブ』文春文庫)、確か読み終わった時に、これは活字の小説だから読者を騙せるので映像にするのは難しいだろうと思った覚えがありました。ただストーリーについては詳しく覚えていなかったので、とりあえず映像化が成功しているかどうか見てみようと思い、見てみました。
見始めても、どんな騙しのトリックだったか全然思い出せず、結局最後までそれなりに関心を持って見てしまい、最後に「ああ、そうだったか」とまたしっかり騙されてしまっていました(笑)。後から考えれば、確かにいくつも伏線は張られていて気づいていてもよかったはずですが、前田敦子のぶりっこぶりに見事に騙されました。この映画は前田敦子が主演です。見る人を巧みに騙せていた点では、見ごたえのある作品だと思いました。(2024.9.20)
1015.永井路子『王朝序曲 誰か言う「千家花ならぬはなし」とーー藤原冬嗣の生涯(上)(下)』朝日文庫
藤原京、平城京、そして平安京へというあたりを順番に読んでいるわけですが、実に面白いです。特に、この本は今までちゃんと理解できていなかった平城京から平安京へという時代の移り変わりのあたりがよくわかりました。
桓武天皇が即位するあたりから話は始まり、その後の平城天皇、嵯峨天皇あたりの時代が描かれます。一応主人公は、藤原北家の中興の祖とも言える藤原冬嗣ですが、ストーリーの中では語り部的な役割です。私の関心も、藤原冬嗣という人がどういう人物であったかというより、この時代がどういう力関係でどう動いていったかという歴史に対する興味で読み進めました。
書きたいことは山のようにありますが、とりあえず一番の発見だったのは、桓武、平城までは天皇が絶対的権力者だったのが、次の嵯峨天皇から現在の象徴天皇制にもつながる形式ができてきたということです。桓武天皇は、長岡京遷都、蝦夷征伐、早良親王の死、平安京遷都と、次々に強引なほどに政策を打ち出します。後を継いだ平城天皇は父親の桓武天皇との関係が悪く、即位後は桓武天皇の方針を次々に変更していきます。桓武が愛し指名した皇太弟・伊予親王を殺害し、その怨霊に怯え退位しますが、奈良に居を移してから、元気になり、愛妾・藤原薬子とともに平城京に都を移すように求め、それを阻止されるという事件(薬子の変)を起こします。
薬子の変を鎮静させるにあたって、藤原冬嗣が活躍するようになり、その後順調に出世していくことになります。冬嗣が薬子への対抗策として必要性から生み出したのが蔵人頭という役職で、この役職はその後摂関政治の中で重要な役職となっていくことになります。嵯峨天皇は政治に興味がない文人肌の天皇だったため、政治に天皇がほとんど口を出さないという慣例ができていったようです。ただ、嵯峨天皇は性には貪欲で次々に子をなしたために、すべての子を親王、内親王とするわけに行かず、源姓を与えて臣籍降下するということも始まったわけです。源氏はここから誕生します。
象徴的存在としての天皇がいつ誕生したのか、早良親王はなぜ死ななければならなかったのか、薬子の変とはどういう政治的事件だったのか、藤原四家の中で北家がなぜ抜け出せたのか、といったきちんとわかっていなかったことが、この小説を読むことでかなり明確に理解できました。歴史小説の魅力を十分感じさせる本でした。(2024.9.18)
1014.(映画)入江悠監督『あんのこと』(2024年・日本)
ついこの間公開されていた映画が、もうアマゾンプライムで見られてしまうのは、昔の人間にとっては不思議ですが、新聞で紹介されていた時から興味があったので、早速見てみました。実話が元になっている話だそうですが、見終わってから調べたら、2020年5月に自殺した25歳の女性のことが朝日新聞の小さな記事として出ていたのがきっかけだったそうです。映画の中で描かれる幼児を育てるところはフィクションとして作られた部分だそうですが、後は大体事実に基づいているようです。
河合優美が演じる主人公の少女は、家庭内暴力を振るう母親と歩けない祖母との暮らしの中で、小学校を途中から行かなくなり、薬物と売春という生活をしていた中で、薬物からの立ち直りを援助する刑事と出会い、徐々に生活を立て直し、目標だった介護福祉士になり、夜間中学にも通い、順調に進むかと思われていたところに、新型コロナが起こり仕事が亡くなり、さらに信頼していた刑事が性加害で逮捕されるという事態になり、相談相手も失ってしまいます。映画では、この後隣の女性から無理やり幼児を預けられ、最初は戸惑うもののだんだん愛情が湧いてきて生き甲斐になっていたところに、母親が現れ、子どもを人質に売春することを求められ、仕方なく指示に従って金を稼いで戻ってくると子どもがいなくなっており、それをきっかけに、もう生きる意味はないと自殺してしまうというストーリーになっています。
この、幼児を愛情を持って育てるという事実はなかったわけですが、この設定を入れたのは、彼女ならDVは親から子に受け継がれるということを断ち切れる人になれたのではないかということを監督は入れたかったそうです。主役の河合優美と母親役の女優さん、熱演です。きっと、この作品は日本アカデミー賞の候補作になることでしょう。(2024.9.16)
1011で紹介した永井路子の『美貌の女帝』以来、奈良前期に興味が湧き、この本を読みました。この小説は長屋王の変から始まり、やはり蘇我系女帝vs藤原一族という構図で話が進みます。永井路子の『美貌の女帝』と見方は同じですが、仏教や和歌について、杉本苑子はかなり詳しく紹介もしています。私は仏教思想にはあまり興味がないので、歴史的事実の部分がどのように描かれているかに興味を持ちながら読みました。聖武天皇が平城京を捨て東海から恭仁京、紫香楽京、難波京と転々としたのは、長尾王の祟りとも思えるような藤原四兄弟の天然痘による病死、藤原広嗣の乱などで、平城京は呪われていると思い恐れたため、さらには大仏や国分寺造りも、そうした恐怖から逃れるためだったというのはおおいに納得しました。また、この時代、奴婢がたくさんいてひどい扱いをされていたことも、杉本苑子はかなり詳しく書いていて、そうかあ、日本にも奴隷制度があったんだなと改めて考えさせられました。
この本と先の永井路子の『美貌の女帝』で、飛鳥から奈良にかけての時代というのは、絶対君主的存在だった天皇を中心とした権力闘争のすさまじい歴史だったんだということを強く意識させられました。この辺の時代が、大河ドラマとかでほとんど扱われないのは、扱ったら、天皇家や藤原氏の権力闘争のためにすさまじい戦いをしていたことを描かざるをえなくなるために扱えないのでしょうね。かつて、「大仏開眼」というNHKドラマがほぼこの時代を描いていましたが、ここまでドロドロした歴史は描き切れていなかったです。
この物語では後半の方で、わがまま勝手な内親王として出てくる、聖武天皇の後を継いだ阿部内親王(後の孝謙天皇)のことももっと知りたくなってきました。内親王から孝謙天皇だった時代は、従兄の藤原仲麻呂と愛人関係にあり、称徳天皇として復帰してからは、今度は道鏡と愛人関係になるわけですが、悪しき天皇の代表格のようです。その母親の光明皇后も、教科書とかでは施薬院とかで病人の看病をした立派な人という風に習いますが、この小説を読むとまったく違うイメージになります。聖武天皇にはてっきり男子後継者はいなかったのだと思い込んでいましたが、17歳まで成長した安積親王という男子がいたのですが、彼は、藤原仲麻呂に毒殺されたという事実があるのだということもこの小説で知りました。奈良時代の権力闘争をもっともっと調べたくなってきています。(2024.9.13)
1012.(映画)成瀬巳喜男監督『乱れる』(1964年・東宝)
成瀬巳喜男は、昭和20年代、30年代にその時代の現代劇を撮っているので、当時の街や人々の雰囲気がしっかり伝わってくるので、好きな監督です。最近の映画やドラマでその時代が描かれると、いつも不正確にしか描けないので、そのあたりの時代の本当の雰囲気を味わいたければ、成瀬作品を見るのがお薦めです。あと、成瀬作品がいいのは、女優さんが綺麗なことです。原節子とか高峰秀子という品の良い綺麗な女優さんがいつも主役で、目の保養になります。
で、この作品も高峰秀子が主役なのですが、物語自体もなかなかしっかりしています。脚本は松山善三なので、よくできています。主人公の高峰秀子は戦時中に18歳で嫁にきて半年で夫が戦死しますが、そのまま夫の実家に残り、戦後バラックから始め、それなりに立派な酒屋店にまで立て直します。家には義母(三益愛子)と義弟(加山雄三)がいます。ちょうどこの時期はスーパーマーケットが登場した頃で、スーパーの勢いで小売店が苦境に陥っているという場面も描かれます。嫁に行って家を出た義妹が2人(草笛光子と白川由美)いますが、特に上の義妹(草笛光子)が、小売店を畳んでスーパーマーケットにするという話を持ってきます。跡取りの義弟も乗り気にはなりますが、義姉である高峰秀子の処遇が気になります。その思いの背景には、11歳も年上の義姉を愛しているという気持ちがあります。
義弟である加山雄三に告白されてから高峰秀子の気持ちが乱れます。絶対にその愛情を受け入れてはいけないと考え、実家に帰るという選択をします。清水から山形まで帰るのですが、そこに加山雄三が現れ、実家まで送っていくと、長旅を二人で続けます。もうじき実家の最寄り駅に着くという頃に、高峰秀子が「次の駅で降りよう」と言い、2人は銀山温泉に宿泊することになります。そして、その晩二人は、、、、こんな書き方をしたら多くの人が想定することは一つだと思いますが、私は品の良い女優さんである高峰秀子に、そういうシーンはないだろうなあと思ってました。しかし、まったく想像していなかったような、まさか、まさかの結末でした。まあ誰も見ないとは思いますが、結末は書かずにおきます(笑)
とりあえず、個人的には見て損のない映画でした。女優さんは綺麗だし――浜美枝も出てました――、恋愛心理の微妙さもよく描けていて、しっかりはまって観ることができました。(2024.9.5)
第44代の天皇である元正天皇を主人公にした歴史小説です。元正天皇というのは持統天皇の孫娘で、独身のまま初めて天皇になった女性ですが、公式の記録では情報は非常に少ないようです。本書で、著者は第41代持統天皇の晩年から描きはじめ、元正天皇の弟である第42代文武天皇、その母の第43代元明天皇を経て、天皇の座につき、その後文武天皇の息子である第45代聖武天皇までの時代を描いています。元正天皇自身は、氷高皇女と呼ばれた娘時代から聖武天皇時代に太上天皇として生きた時代までということになります。この時代のことを詳しくわかっていなかったですが、非常に興味深い時代です。飛鳥浄御原から藤原京へ、さらに平城京へ、そして聖武天皇になってからは、恭仁京や紫香楽や難波京と、天皇の所在地が点々としますが、そうした都の移転がなぜ生じたかをこの著者なりに推測しているわけですが、なるほどそういう経緯だったのかもしれないなと思わせてくれます。
全編を通じて、持統、元明、元正という蘇我系の女性たちと藤原一族との対決という視点が貫かれています。この小説を通して、藤原不比等の登場、その息子たち四兄弟の台頭と感染症による急死、藤原氏と対立した長屋王一家の死、など、年表内の歴史的出来事としてのみ知っていたことが立体的に伝わってきて面白かったです。大伴旅人が太宰府に赴任し、戻ってきた時には妻を亡くしていたというのは、鞆の浦で詠んだ歌でよく知っていたのですが、そうか、その話もこの時代のことだったのかと初めてちゃんと理解できました。
あともっと調べてみないといけないなと思ったのは、第33代の推古天皇から第48代の称徳天皇までの16代の天皇うち、女性天皇が6人8代もいるということです。なんとなく女性天皇はつなぎの役割というイメージでしたが、実際には、この時代は母后や皇后も含めて女性の立場が思った以上に強かったのではないかという気がしてきました。ちょうどこの時期に、『古事記』や『日本書記』もできあがるわけですが、アマテラスが女性神とされたのは、持統天皇をイメージしたのだろうと考えていましたが、実際には元明天皇や元正天皇の時代に完成しているので、持統天皇個人だけでなく、こうした女帝時代だったからなのかもしれないなと思い始めています。(2024.8.28)
1010.(映画)チェリン・グラック監督『杉原千畝 スギハラチウネ』(2015年・日本)
杉原千畝に関しては、ユダヤ人にビザをたくさん発行して、ユダヤ人をナチスの手から救った人というだけの知識で、どういう人物かよく知らなかったので、この映画がTVで放映されていたので、知識を得たくて見てみました。映画なので、多少フィクションの部分もあるのだと思いますが、おおよそのところはわかりました。杉原千畝は、第2次世界大戦が始まる前から、ロシア関係を中心に情報集めをしていた外交官でした。リトアニアにいた時にドイツとソ連に分割されてしまったポーランドから逃げてきたユダヤ人のために、外務省の許可なく、日本に入国できるビザを多数発行し、ユダヤ人を救ったという経緯でした。ユダヤ人にビザを発行したことしか知らなかったので、その前後にどのような活動をしていたのかについての情報も多少得られました。
第2次世界大戦後はわずかしか描かれていませんが、違法にビザを発行したということで、杉原は外務省には居られなくなり、外務省では存在していたことすら無視をしていたようです。しかし、その後、リトアニアやイスラエルで杉原千畝を顕彰する動きが出てくる中で、日本でもようやく2000年になって、杉原の名誉が回復されたそうです。杉原本人は1986年まで生きていたそうですが、その頃まではまだ杉原千畝が日本のメディアで取り上げられることはほとんどなかったのではないかと思います。
今、イスラエルとハマスの争いで、イスラエルがやり過ぎではないかという声も大きくなってきている時代なので、今だったら作りにくい映画だろうなと思いました。でもきっと、イスラエルでは杉原千畝は、もっとも有名な日本人なのではないでしょうか。(2024.8.26)
ものすごくつまらない本でした。研究室の書棚の片隅で見つけ、表紙写真に、梅ヶ谷、常陸山、太刀山の3横綱が映っている写真があったので、もしかして相撲関連の面白い本かもしれないと思い、読み始めたのですが、あまりのくだらなさに一刻でも早く放り出したくなりました。軽い、軽すぎる文体で、調べもいい加減、そもそも明治の写真はほんのわずかしかなく、イラストや挿絵の紹介ばかり、相撲関連は表紙の写真以外に、力士が野球をやっていたという写真だけ。なんで、こんな本が単行本として出せたのだろうと首を傾げるばかりでした。内容はほぼ紹介に値しないレベルの本ですが、間違えてまた読んでしまわないように、記録として書いておきます。
ちなみに、著者は「はちゃめちゃSF小説」などを得意としていた作家だそうです。全く知りませんでしたが、確かにある時期の雑誌には、こんな軽佻浮薄な感じの文章が流行っていた時代もあったなと、ちょっと思い出しました。(2024.8.21)
1008.(映画)新藤兼人監督『墨東奇譚』(1992年・日本)
永井荷風の「断腸亭日記」を原作として、50歳代以降の永井荷風の女性との関係、特に娼婦ユキとの恋を描いた作品ですが、なかなかよい作品に仕上がっていました。永井荷風の作品はまったく読んだことがないのですが、ちょっと読んでみたいなと思えました。
映画の方ですが、やはりヒロインのユキ役を演じた墨田ユキ(この映画に出て、物語の舞台となった場所と役柄からこの名に変えたそうです)が魅力的でした。最初は、セリフが棒読みだと感じたのですが、それが段々と娼婦なのに素人っぽい雰囲気として受け取れるようになり、可愛い女に見えてきました。まあ、この辺は見る人間が男性か女性で評価が分かれるかもしれませんが。
主役の永井荷風を演じた津川雅彦と、娼婦宿のおかみを演じた乙羽信子も非常に良い味を出しています。津川雅彦は性に貪欲な部分と人間として様々に悩む部分を持った永井荷風という人物をうまく表現していました。戦後のよぼよぼになってからの荷風の演じ方も秀逸でした。彼の演じ方が上手かったので、永井荷風についてもっと知りたくなりました。乙羽信子も人情味のあるおかみを魅力的に演じていました。乙羽信子は監督の新藤兼人と長い不倫関係の後、妻になったという女優さんですが、進藤作品にはほとんど出ているようです。この映画の前に『愛妻物語』(1951年公開)という新藤兼人の初監督作品を見たのですが、そこでは若くして死んでしまう可愛い新妻役で、ここで新藤兼人とは恋仲になり、そこからずっと関係が続いたそうです。乙羽信子は1994年に亡くなってしまいますので、この作品ももう最晩年の作品です。「午後の遺言状」という作品が遺作のようなので、いずれそれも見てみたいと思います。
見る価値のある映画でしたが、しいてクレームをつけるなら、時代と物語の展開が少し合っていない気がしました。たぶん、乙羽信子のような人物は「断腸亭日記」には出てこず、新藤兼人がこの映画のために作り出した人物ではないかと思いますが、彼女とその息子の話などが時代と合っていないところが多々見受けられました。息子が大学4年生だと紹介されますが、この時代は大学は4年までのはずですし、繰り上げ卒業で出征させられるという話の後に学徒出陣の場面になるし、最後は特攻で死んだような紹介になりますが、一体息子は何年に出征して何年に死んだのか、細かいところを詰めていないのではないかと思います。また、おかみもユキも3月10日の東京大空襲で死ぬのかなと思ったら、戦後も生きていて、米兵相手にまだ商売をしているところとかは、ちょっと安易に感じました。私が監督なら、東京大空襲で亡くなったという設定にします。もう病気を患っていただろう乙羽信子が死ぬという設定に新藤兼人はしたくなかったのかもしれません。ただ、途中で息子が死んだら生きている甲斐もないと言っていた母親が、戦後けばけばしい雰囲気で生きているのは、ちょっと受け入れがたい感じでした。たぶん、この作品の魅力的な部分は、永井荷風自身が実際書き残した事実についての部分で、新藤兼人がオリジナルに付け加えたであろう脚本部分は浅いのだろうなと推測しています。(2024.8.20)
1007.フランソワーズ・ジルー(幸田礼雅訳)『イェニー・マルクス 「悪魔」を愛した女』新評論
カール・マルクスの妻であるイェニー・マルクスについて書かれた伝記本ですが、マルクスの私生活が述べられた本として読むことができます。マルクスについては、その思想や影響力についてはいろいろ学んできましたが、私生活には今まであまり興味を持っていませんでした。たまたま研究室を片付けていたら、この本が出てきて、昔読んだ覚えもなかったので、今回読んでみたのですが、なかなか面白かったです。
マルクスの妻であるイェニーは4歳上の幼馴染で貴族の美しい娘でした。そんなことも全然知りませんでした。マルクスの思想や運動には全面的に協力をしていますが、彼ら自身、その育ちからそれなりの上流の生活を求めますが、現実には収入は入らず借金と貧困に苦しみます。時々遺産が手に入ったりということはおきますが、それで生活が安定することもなく、また経済的苦境に陥ります。そういう状態でもなんとか暮らしていけたのは、エンゲルスがお金を渡していたからです。思想史的に、マルクス、エンゲルスと並べて語りますが、この本を読んでいると、エンゲルスはマルクスのスポンサーに近い存在だったように思われます。しかし、2人の仲は非常に良かったようで、その関係性の近さからイェニーはエンゲルスを嫌っていたそうです。
書名にも表れているように、著者にマルクスを崇拝する気がまったくないので、マルクスのだらしないところ、よくないところがたくさん描かれます。自分自身がユダヤ人なのに、ユダヤ人に対する侮蔑的な言動をしたり、ライバルたちを口汚く罵ったり、そして妻のイェニーの負担を一切考慮せずに、次々と妊娠させてしまいます。イェニーは11年間で6人も子供を産みます。ほぼ始終妊娠出産をしているような状態です。生活も苦しかったこともあり、そのうち3人は早く亡くしてしまい、マルクスの子供は娘3人だけが成長します。さらに、この本によれば、マルクスはイェニーが留守の際に、家政婦にも手を出し、妊娠させ、子を作っています。ちなみに、それでもイェニーがマルクスを嫌いになったというようなエピソードは描かれず、死ぬまで2人の間に愛はあったようです。
19世紀の男なんて、どんなに名声高い知識人であろうとも、今の価値観に照らしてみたら、ひどい人間になってしまうのは多少仕方がないのかもしれませんが、男にとって「幸せな」時代だったなと改めて思いました。したい仕事をして、欲望のままに妻を抱き、後の時代に素晴らしい仕事を残したと言われる、そんな代表格がカール・マルクスという男だったわけです。この本を読んで、私の中でもともと高くなかったマルクスの評価は一段と低下しました。むしろ、エンゲルスがバランスが取れていて高評価に値する人物に思えてきました。(2024.8.13)
1006.藪本勝治『吾妻鏡――鎌倉幕府「正史」の虚実――』中公新書
鎌倉幕府の成立から元寇の前あたりまでの歴史の原本となっている「吾妻鏡」の内容を検討している本です。終章に著者自身が指摘していますが、歴史は記録されるにあたっては、常にある立場からの記録になり、違う立場からの記録ならまた違ったものになるというものです。「吾妻鏡」の場合は、源頼朝の鎌倉幕府設立の正当性と、それを北条得宗家が引き継ぐ正当性を語る歴史書になっており、その観点から読み直してみるなら、現実にはなかったであろうことが書かれていたり、本来もっと大きく扱われるべきだったことがさらりと書かれていたり、欠落していたりという所が多数見られるようです。
源平の闘いから鎌倉幕府の成立あたりまでは、子どもの頃から関心があったのですが、幕府成立後のことは割と最近まで強い関心は持っていませんでした。一昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が面白く、かつ鎌倉幕府成立期の御家人たちのイメージがしっかり伝わってきたので、こういう本も興味を持って読めるようになりました。改めて、あのドラマ、吾妻鏡を含め、最新の解釈なども踏まえながらよくできたドラマだったなと評価し直しました。
この著者はてっきり大学勤めの歴史学者だろうと思いながら読んでいたのですが、最後に中高で国語を教えていると書いていたので、「えっ、すごいなあ」と思って、著者略歴を見たら、灘中高の国語の先生でした。なるほど、超一流校では、こんな教員が国語の授業を教えているんだと感心しました。(2024.8.8)
荒木村重の謀反とその翻意説得のために出向き、有岡城に捕らわれの身となった黒田官兵衛の有名な歴史上の事件を背景として、籠城中の有岡城で様々な事件が起きたことにして、それを黒田官兵衛の頭脳を借りながら、荒木村重が解いていくというミステリー仕立ての歴史小説です。はじめのうちは、なんか無理矢理ミステリー仕立てにするために、奇妙な事件を作りすぎていてなんだかなあと思っていましたが、徐々にそうした出来事も含めて、籠城する家臣たちの仲違いや主君・荒木村重からの気持ちの離反などがうまく描かれており、確かにいくつも賞を受賞するだけのことはあるなと思わされました。
城内の出来事は著者のフィクションでしょうが、有岡城をめぐる状況は史実に沿っています。荒木村重は1人尼崎城に抜け出すのですが、なんで抜け出したのかということがあまり深く描かれたものはなかったので、なるほどこういう心理から抜け出したという解釈はありかもしれないと思わされました。ただし、毛利の助けを求めるために抜け出したということなら、その後どうしたのかまで書いてほしかったと思います。抜け出して尼崎城に行ったというところで終わるのはちょっと物足りなかったです。
でも、この小説はこのあたりの歴史に詳しくない人の方が面白く読めるのだろうと思います。史実を知っている人間としては、著者が最後に持ってきた場面などはまったく感動しないのですが、史実を知らない人なら、そうだったんだと感動するのかもしれません。この著者の本は、現代ドラマとして描かれたミステリーを読んだことがあり、力のある作家だと思いましたし、この作品も悪くはないですが、無理に歴史を題材にしなくてもいいのではという印象を持ちました。(2024.7.29)
1004.片桐悠自『アルド・ロッシ 記憶の幾何学』鹿島出版会
アルド・ロッシは、1931年に生まれ1997年に亡くなったイタリアの建築家です。建築界のノーベル賞とも言われるプリッカー賞を1990年に受賞していますし、日本にもいくつか彼の設計した建物があるのですが、日本では一般にはほとんど知られていません。立方体を中心としたシンプルな幾何学的な建造物を意図的に造ってきたゆえに、建物として注目されにくいのが原因だと思います。
本書はそのアルド・ロッシの建築理論、思想を、時代背景や彼自身が歩んできた人生から丁寧に明らかにした本です。専門ではないので知識が不足しており、完全には理解できないところも多いのですが、目配りの行き届いた骨太の研究書になっていると思います。ロッシについて今後研究する人は、必ず参考にすべき基本文献となるでしょう。
この本を読みながら、建築家というのは芸術家なんだということを改めて感じました。もちろん、もっと合理的に建築設計などを考えることもできるのでしょうし、そうしている人たちもたくさんいるのでしょうが、一方で思想の反映として建築を考える人もおり、ロッシはそういう建築家の代表格だったと言えるでしょう。それゆえ、この本も、芸術家アルド・ロッシについて語る芸術思想の本になっています。建築に限らず、20世紀の思想に詳しくないと少し難しく感じるかもしれませんが、興味があったら、手に取ってみてください。(2024.7.28)
軽いタイトル、軽い表紙の短編集で、どうせある程度ある程度知られたエピソードが書かれている程度の本だろうと思って読み始めたのですが、意外に知らない人物やエピソードばかりで、「へえー、こんな大名や武士もいたのか」とちょっと新鮮さがありました。一番最後の短編で紹介されていた水野忠央もまったく存在知りませんでしたが、35000石も持つ紀州藩の江戸詰め家老で、自分の姉妹3人も大奥に送り込み、井伊直弼と手を組んで第14代将軍・家茂を実現させただけでなく、西洋式蒸気汽船を日本で初めて造ったり、ミニエー銃を導入したりと先見の明にも優れた人物だったようです。慶応元年に52歳で死んでしまっていますが、生きていたらさらに面白いことをなしたのではと思える人物です。幕末に関しては小説、映画、ドラマといろいろ読み見てきましたが、この人物についてはまったく知りませんでした。まだまだ知らない興味深い人物がいるんだなと勉強になりました。(2024.7.12)
昭和が終わった段階で、昭和の有名人60人について家族が語るという企画で作られた本です。数頁ずつで語られているので、それほど深みはないのですが、軽く「へえー、そういう人だったんだ」と思った個所は何か所かありました。一番驚いたのは、プロ野球の監督だった三原修が子どもたちに大学や高校に行ったら「社会学を学びなさい」と言っていたという部分でした。この文章を書いた(あるいは喋った)娘さんの解釈では、「社会勉強をしなさい」という意味だということですが、そうだとしても社会学をこんなところで推奨してくれてたんだとちょっと嬉しくなりました(笑)他には、金田一京助の妻や子どもたちが、ひたすら金田一に甘えてくる石川啄木を嫌っていたことや、ヤミ米を食べずに餓死した山口判事が病床ではヤミ米も食べていたという息子さんの話とかも興味深かったです。
あと読み終わって、やはり昭和世代の男たちは働き過ぎだし、それを妻が支えていたというパターンばかりで、改めてそういう時代だったなということも思わされました。家庭では何もしなかった、あるいはわがままだったという男性が多く、そういう生き方でも世に残る仕事を残しさえすれば、立派な人だったと言ってもらえる男たちにとっていい時代だったなと改めて思いました。(2024.7.1)
1001. カタログハウス編『大正時代の身の上相談』ちくま文庫
999で紹介した『裁かれる大正の女たち <風俗潰乱>という名の弾圧』の流れで、この本も読んでみました。『読売新聞』に大正時代に掲載された「身の上相談」とそれに対する記者の回答をピックアップして掲載した本です。同じ大正時代を扱った本なので、基本的な印象は『裁かれる大正の女たち』と似たようなものですが、少し違うのは、こちらは男性からの相談も載っていて、男性も結構生きづらそうだなという印象を持ちました。ほぼ相談者は若い人が多いので、若い人の悩みということですが、結婚などは男性も自分で自由にできたわけではなく、親の言うことを聞かなければならず、本当に望んだ人と結婚できていないというケースも多々あったようです。この本は悩んでいる人ばかりが登場するわけですから、悩んでいない人もたくさんいたのかもしれません。しかし、基本的には制約が多い社会だったんだろうなとは思います。それでも、この後やってくる昭和戦争期に比べたら、こういう悩みを持てただけ良い時代だったとも言えるのかもしれません。(2024.6.23)