Part26

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過去の「KSつらつら通信」

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<目次>

第1051 運と努力、あるいは偶然と選択(2025.8.15)

第1050号 「日本美術の鉱脈展」が面白い(2025.8.13)

第1049号 人生には中期目標が必要(2025.8.10)

第1048号 エッチ(2025.8.3)

第1047号 辞めないトップ(2025.8.1)

第1046号 ケア系職業に就く女性の婚姻率は高いのでは?(2025.7.26)

第1045号 大学生調査から次の選挙で起きることが見える(2025.7.25)

第1044号 政党マッチングを試してみた(2025.7.16)

第1043号 参政党の伸長を分析する(2025.7.15)

第1042号 そうかあ、こんな感じなのかあ(2025.7.13)

第1041号 毎回の講義がいとおしい(2025.6.28)

第1040号 大阪万博探訪記(その2)(2025.6.22)

第1039号 新「さしすせそ」(2025.6.18)

第1038号 すっかりラテン民族化してしまった(2025.6.14)

第1037号 低迷する「べらぼう」(2025.6.14)

第1036号 教養主義について(2025.6.9)

第1035号 長嶋茂雄氏逝く(2025.6.3)【追記(2025.6.8)】

第1034号 中国の方がかなり進んでいる、、、(2025.6.2)

第1033号 氏名の読み方って通称だったのかな?(2025.5.30)

第1032号 人生の節目のイベントは大切に(2025.5.21)

第1031号 こんな風に思ってもらえて嬉しいなあ(2025.5.16)

第1030号 婚姻の際に夫婦の名字問題を語り合えるか?(2025.5.6)

第1029号 大阪万博探訪記(2025.4.27)

第1028号 二枚目(2025.4.13)

第1027号 「トランプ・ショック」はいつまで続くか?(2025.4.4)

第1026号 秋元康の歌詞って、、、(2025.4.2)

第1025号 新年度スタート(2025.4.1)

第1024号 大河ドラマ「べらぼう」(2025.3.30)

第1023号 ホームに戻った気分(2025.3.27)

第1022号 御堂筋ってここから来ていたのかあ(2025.3.7)

第1021号 「81歳だね!」(2025.3.5)

第1020号 立派な18歳だけど、、、(2025.3.4)

第1019号 アルフィーと桐島聡(2025.2.25)

第1018号 天皇誕生日(2025.2.21)

第1017号 矛盾していないだろうか?(2025.2.17)

第1016号 高校授業料無償化への疑問(2025.2.11)

第1015号 関税を上げて得をするのは誰なのだろう?(2025.2.10)

第1014号 うーん、、、青春の思い出が148円!(2025.2.3)

第1013号 「常識の革命」(2025.1.21)

第1012号 今どきの成人式(2025.1.15)

第1011号 昭和100(2025.1.3)

1051号(2025.8.15)運と努力、あるいは偶然と選択

 自分の人生を振り返っていると、いろいろなことが様々な偶然の積み重ねでこうなっているなあと思ったり、いやそうじゃなくてそれなりにそうしようと思って努力したからこうなったのだという相反する気持ちが湧いてきます。前々号で書いた「人生には中期目標が必要」というのは、無意識に後者の視点に立った考え方の提示だったわけですが、考えてみると、その目標設定というのは実現可能と考えられる範囲内でのものなわけで、その実現可能な範囲というのは、自分の努力では決められなかったりすることも多いように思います。また、目標を達成できたとしても、それは100%自分の努力の結果であることは少なく、様々な運(偶然)が作用している場合が多いと思います。運が何割で努力が何割とかは単純に言えないですが、どちらかだけではないことは確かでしょう。

 今、私には飲み会に付き合ってくれるたくさんの教え子たちがいて、彼らに幸せをもらっていますが、彼らとこんな関係になぜなれたのだろうかと思うと、偶然もたくさん積み重なっての今だよなあとしみじみ思います。私が関西大学社会学部の教員になったのも別に昔からそうなりたいと思って、そうなったわけではありません。関西大学への誘いの声がかかるまで関西大学の教員になるという選択肢は考えたこともありませんでした。どちらかと言えば、いつか東京の方の大学に移るだろうなと思っていたくらいです。たまたま吹田にマンションを買って住み始めていた時に声がかかって、職住接近になっていいなという理由だけで移ることを決めました。それ以前にも、いくつも声をかけてもらっていた大学もありましたが、それらは選択せず、関西大学は至極単純な理由で移ったわけです。吹田に住むのも別にぜひ吹田に住みたいと思っていたわけではなく、北大阪地域のどこかと思っていたら、たまたまよい物件と出会っただけです。もちろん、ヘッドハンティングの声をかけていただける程度に、評価される仕事をしていたという点では努力の部分もあるのでしょうが、関西大学をめざしていたわけではないので、かなり偶然の要素があります。

 そして、関大に来てから、学生との相性がよかったのかゼミが非常に楽しくやりがいを感じて、どんどんよき教え子たちが生まれていったわけですが、彼らと出会ったのだって偶然の積み重ねがほとんどです。600人以上いるゼミ生の中で、高校時代から片桐ゼミを知っていて入りたいと思っていたという奇特な学生も数人いますが、99%は片桐ゼミなんて高校時代にはまったく知らなかったのですから、偶然の結果です。たまたま私の基礎研のクラスに当たったのでそこで意外と怖い先生ではないとわかったからで、基礎研クラスで出会っていなければゼミ選択をしていなかったと思いますというゼミ生は何人もいますし、そもそも関西大学は第1志望ではなく他の大学に行きたいと思っていたというゼミ生もたくさんいます。たまたま偶然が重なって片桐ゼミ生になってくれて、今も濃く付き合ったりしているわけです。こんな関係は作ろうと思って作れるものではないです。もちろん、ゼミ生になってくれて以降はよい関係を作ろうと思って努力しましたが、卒業後までこんなに長く深く付き合える教え子がたくさん生まれるとは、、、そんな目標設定などまったくしていませんでした。

 本当に不思議なもだなと思います。ただし、まったくの偶然だけではなく、努力とその状況の中での最善の選択はしてきたのかなとは思っていますが。それでも、もしあの学生がいなければ、もしあのイベントがなければ、と考え始めると、やはり様々な偶然が積み重なっての今だなという気持ちになります。運と努力、あるいは偶然と選択、人生は面白いものだなあと改めて思っている今日この頃です。

1050号(2025.8.13)「日本美術の鉱脈展」が面白い

 今、大阪中之島美術館で開催されている「日本美術の鉱脈展」は非常に魅力的な展覧会です。伊藤若冲と円山応挙が2人で1対の屏風を書いていたのが見つかり、それが最大の目玉になっていますが、行って見てみたら、他にもたくさんの魅力的な作品が展示されています。その大部分がまったく知らない作家のもので、不思議な作品だらけなのです。パンフレットに「ナンジャコリャ!連発」という派手なキャッチコピーが載っているのですが、コピーに偽りなしです。本当に「なんだ、これは!」と言いたくなる作品がたくさんありました。また、作品の説明が面白くて、ついクスっと笑ってしまいます。

 7つの部屋に分かれていて、第1の部屋は若冲と応挙の屏風がメインですが、長沢芦雪という江戸時代の画家もユニークな楽しい絵を描く人なだと知りました。第2の部屋では室町時代の水墨画が紹介されていましたが、式部輝忠の猿たちの楽園のような屏風が興味深かったです。第3の部屋は「素朴絵と禅画」と名付けられれていますが、説明を読むと下手な絵を集めてあり、その味わいを楽しもうという狙いだそうです、17世紀の画家・長谷川巴龍の「洛中洛外図屏風」には、「一番下手な洛中洛外図」と説明がついていましたし、室町時代に描かれた「築島物語絵巻」には「字はウマいのに絵はヘタ」と毒舌でした(笑)第4の部屋は歴史絵の部屋ですが、原田直次郎という明治時代の画家が描いた「素戔嗚尊八岐大蛇退治」の絵では、なぜかキャンバスを突き破ってポワーンとした犬が顔を出します。まさに「なんじゃ、これは?」と呟きたくなってしまいました。第5の部屋は鉄の茶室とプラスチックや紙で造った茶室が提示されていました。ともに現代の若い作家の作品ですが、前者は豊臣秀吉が造ったと言われる黄金の茶室への対抗だそうで、後者は千利休の詫び寂びの現代版という意識で造ったそうです。第6室は、「江戸幕末から近代へ」ということで多くの作品が展示されていましたが、知らない作家ばかりで、こんな素晴らしい作品を残していた人がいたんだと勉強になりました。何人も素晴らしい作家がいましたが、個人的には笠木治郎吉という画家の明治時代の風俗を描いた作品と、初代宮川香山という陶磁器作家の作品が素晴らしいと思いました。キリスト教と仏教を融合させたテーマの絵を描いていた牧島如鳩の絵も興味深かったです。最後の第7室は、縄文時代の器とそれに影響を受けた現代美術が展示されていました。ネットでパンフレット(鉱脈展_チラシ_表_0413)が見られるようですので、興味の湧いた方はぜひご覧ください。

 チラシを見るだけでもかなり面白いのですが、チラシに載っていない作品でも面白いものがたくさんありましたし、そのサイズ感も現場で見ないとわからないと思うので、お時間のある方はぜひ観に行ってみてください。831日までだそうです。美術館の中はとても涼しいので、この暑い時期に出かけるスポットとしてはちょうどよいのではないかと思います。

1049号(2025.8.10)人生には中期目標が必要

 時間のたっぷりある夏休みに、自らの人生を振り返ったりしているのですが、ある程度ものを考えられるようになった年齢以降は、常に中期目標を持っていたなと改めて気づきました。中期目標とは210年くらい先にこうなっていたいなという目標です。2030年先の長期目標も考えることはありましたが、あまりにも先過ぎる未来はそのためにどう努力をすべきかというのは見えにくいので、少し先の目指すべき姿である中期目標の方がより重要だと思います。多くの人がたぶんある時期までは同じように中期目標を立てていたと思います。そんな将来のことを考えるようになるのは小学校高学年くらいからだと思いますので、最初は中学校に入ったら何部に入ろうとか中学の勉強を頑張ろうと思い、中学に入ったら、部活や勉強でいい結果を出したい、そしてよい高校に行きたいと考え、高校生になったら青春もしたいし、良い大学にも行きたいと頑張っていたはずです。この辺までは、今でも大なり小なり同じような中期目標設定をしている人が多いのではないでしょうか。

 しかし、大学に入って以降は、昔と今では中期目標設定がかなり違う気がします。昔は、どんな仕事をしたいかを考えその仕事に就けるように努力し、10年後くらいには家庭を持っているなんて中期目標を多くの人が立てていたと思いますが、今はとりあえず就職はどこかにするとしてもその後の人生設計をしっかり考える人が少なくなっている気がします。私の「大学生調査」でも「生活目標」に関する質問で、「しっかりと計画を立てて豊かな生活を築く」という選択肢を選ぶ人は、1987年に30.5%いたのが、2022年では19.7%まで減っています。他方、「その日その日を自由に楽しく過ごす」を選ぶ人は、38.1%もいます。中学生や高校生が受験合格を目標設定するのは当然かと思いますが、大学生が就職だけを目標に設定するのは、本当にそれでいいのかなと思います。大学時代は、どんな人生を送りたいのかをしっかり考えてそのために努力してほしいと思います。まああまり先の長期的目標は立てられないとしても、30歳くらいにどうなっていたいかを考えて、その目標のために何をしなければならないかをつかんでほしいものです。

 30歳を過ぎたら、今度は40歳くらいにどうなっていたいかを考えてみてほしいものです。子どもがいたら子どもにこうなっていてほしいと子どもの将来のことを考えたくなるかもしれませんが、自分自身がどうなっていたいかをより考えてみてほしいものです。仕事に関しても、親としても。日々の暮らしに追われて短期的にしか目標設定ができないという人も多そうですし、先のことなんか考えたくないがゆえに「推し」のことばかり考えて刹那的楽しさに逃げている人も多そうです。目標設定し、その目標の達成に向かって努力するのはしんどいと思う人もいるかもしれませんが、自分の経験から言えば、そういう目標設定ができる方が生活に張りが出ます。

 40歳を過ぎたら50歳の時に、50歳を過ぎたら60歳の時に、となりますが、このあたりから段々中期的目標の設定が難しくなってきます。40歳の時に50歳の設定はまだいけるでしょうが、50歳の時に10年後の60歳の時にこうなっていたいと思うのは容易ではないかもしれません。50歳くらいまではまだまだ元気ですし、いろいろやれるだろうと思えますが、60歳をイメージすると、かなり衰えてきているのではと想像してしまう人も多いでしょう。それゆえ、50歳を過ぎたら中期目標の設定期間は少し短めにした方が良いのだろうと思います。35年後くらいなら設定できるのではないでしょうか。

 大学教員・研究者の世界は世間一般より年齢が高めなので、私自身は50歳の頃はまだ現役バリバリという意識で、10年後の60歳の時にこうなっていたいというような設定はしなかった気がします。それでも、50歳代は次々に重要な役職に就き、その仕事をきちんとこなすことで確立したポジションをしっかり維持して充実した日々を送ることができたように思います。60歳代は50歳代ほどには忙しくなくなりましたし、中期目標の設定も大きなものはなくなりましたが、長年続けてきた大学生調査や、社会学教育の本を出したいという研究者としての目標はありましたし、何より大好きな社会学教育を通して学生育てができるという楽しみで日々を過ごせました。

 今70歳になり、あと7カ月後には完全退職をするわけですが、来年4月以降どう生きていくかという中期目標設定を立てないといけないなと思っています。何もないと思うと、気力が出なくなりそうなので、何か目標設定をしないといけないのですが、若い時ほど簡単に目標設定ができません。あと何年生きるかもわからないのですから、10年後はもちろん5年後でも長すぎる期間かもしれません。70歳を過ぎて定職がなくなった人間は、ちょっと短期になりますが、半年後、1年後くらいの期間での目標設定がいいのかもしれないなと思っています。でも、ただの「生ける屍」にならないためには、(短)中期目標は必要だと思いますので、70歳代なりの、私なりの何かを見つけたいと思います。

1048号(2025.8.3)エッチ

 ちょっと気恥ずかしいタイトルですが、この言葉について社会学的に分析してみたくなったので、ストレートに表現します。この言葉を分析したくなったきっかけは、娘から聞いた話でした。最近8歳の孫が「ドラえもん」を読んでいて、しずかちゃんが「のび太さんのエッチ!」と叫ぶ場面があり、「ママ、エッチって何?」と聞かれたというエピソードです。そう言えば、「ドラえもん」では、のび太くんがドラえもんの秘密道具の使い方を間違えて、しずかちゃんのお風呂場に当然現れるといった場面が結構ありましたよね。(最近は、コンプラが厳しいので、きっとそういうシーンも減っているのでしょうが。)

で、娘から「エッチって、なんの略なだろう」と聞かれて、「たぶん、破廉恥の頭文字から来ているじゃないかな」と答えたのですが、その後調べてみると「変態」の頭文字だという説が有力なようです。私が「破廉恥」の略語ではないかと思ったのは、1960年代終わりに永井豪の「ハレンチ学園」というマンガが大ヒットし、それで「エッチ」も広まったのではと思ったからでしたが、実際はもっと前から使われていたようです。ウィキペディアによれば、1950年代には女学生の間で隠語としてすでに使用されていたそうです。ちなみに、「変態」という言葉が異様な性的関心として使われるようになったのも、そこに紹介されている説が正しいなら、大正時代後半あたりからのようです。

「エッチ」は、1970年代頃までは、しずかちゃんがのび太君に叫べた程度に、性的な関心が強いことを表す程度の言葉として使われていましたが、1980年代以降、明石家さんまあたりが、セックスを柔らかく表現するために「エッチ」と言うようになり、それが広まって、今では「エッチ」は一定年齢より下の世代では、セックスとほぼ同義になっているようです。基本的にこの言葉は若い女性の用語なのだと思います。さんまも若い女性相手のトークを展開するために、この言い方をするようになったのだと思います。男性だけの会話の中では、「エッチ」なんてかわいい言い方はあまりされてないのではないでしょうか。この言葉はちょっとかわいく聞こえるところが重要なポイントなのでしょう。

1970年代までの「エッチ」の意味とほぼ同義の言葉として「スケベ(助兵衛)」も存在していたわけですが、女学生が口にしやすい言葉ではなかったでしょう。また、1980年代以降の意味なら「セックス」になるわけですが、これもストレートすぎるから若い女性としては口に出しにくかったわけです。男性たちがストレートに表現できる言葉を女性たちはしにくいという中で、この言葉は生まれ、かつ意味変容もしてきたと考えられます。

1047号(2025.8.1)辞めないトップ

 いったんは7月中に辞職すると言っていた田久保伊東市長が前言を撤回し、辞めないと宣言しました。ここ最近の彼女の態度から、この前言撤回宣言が出そうな雰囲気は十分ありましたが、なんかすごいですね。たぶん自分が「東洋大学卒業」していないことは99%わかっているはずです。なぜ除籍になったかわからないと言っていますが、普通、大学を除籍になるのは授業料の未納入です。たぶん、彼女もそうだったのでしょう。これらの事実を全部理解しているはずですが、「自分では卒業していたと思っていた」とか「なぜ除籍になったかわからない」なんていう嘘をぬけぬけと言い続ける「精神力の強さ」にはある意味で感嘆します。いずれ真実が明らかにされ公職選挙法違反で有罪になり市長職を失うことになるのを理解した上で、そうなるギリギリまで市長としての給与を受け取ろうという戦略なのかなという気がします。有罪が確定するまでにはかなり時間がかかるでしょうから、市長としての給与はかなり長いこと受け取れることになるでしょう。いつも横についている弁護士が悪知恵を吹き込んでいるように見えます。

 自分で辞めると言わない市長を辞めさせるには、リコールがありますが、有権者の3分の1の署名を集め、かつその後住民投票で過半数の賛成をえないといけませんが、かなりの労力が必要です。それより簡単なのは市議会で不信任案を可決することですが、こちらは即市長退陣になるとは限らず、市長は市議会解散という手を打てます。その再選挙で選ばれた市議会議員が再び不信任を可決したらさすがに市長を辞めざるをえません。これがたぶん一番現実的な戦略ですが、今の田久保市長の態度を見ていたら、間違いなく市議会解散を選ぶでしょう。そうすると、そこで選挙管理費がかかり、その後、また市長選挙でお金がかかることになります。わがままで嘘つきの市長のおかげで伊東市は無駄にお金を使わなければならなくなります。東洋大学卒業ではないという投書があった段階で、素直に認め「つい経歴を偽ってしまいました。本当は卒業していません。ごめんなさい。市長は辞めますが、もう一度チャレンジさせてください」と言っていたら、出直し選挙に出てももしかしたら勝てたかもしれません。しかし、ここまで嘘をつき続け、市政を混乱させてしまっては、もう彼女の再選は100%ありえません。かつ、今後一体どんな仕事を彼女ができるのか想像もできません。しかしそういう暗い未来が見えるからこそ、ギリギリまで市長給与を得ようと思っているのかもしれません。間違った選択だと思いますが。

 それにしても最近は、いろいろ問題が起きても辞めないトップが多いですね。昨年、不倫問題が明らかになった永野岸和田市長も自分では辞めず、市議会で不信任→市議会解散→市議会選挙→再度市議会で不信任→市長辞任→再選挙で落選という形でようやくケリがつきました。齋藤兵庫県知事は県議会の不信任が可決されいったん辞任しましたが、再選挙に出馬し当初の予想を裏切って再当選してまた知事に戻っていますが、彼以来自分の非は認めず、自分から辞職をしないという選択肢が十分ありうるものとなってしまった感じです。

 国政でも石破総理が辞めないですね。自民党が負けたのは安倍派を中心とした「政治とカネ」の問題で自分のせいではないと思っているのではという話も流れてきていますが、理由はどうあれ、これまでだったら選挙の結果責任をトップが取るのが当たり前だった政治文化が変わりつつあるようです。「政治とカネ」の問題もあったかもしれませんが、石破総理はもういいよという世論も強くあったからこそのこの選挙結果でしょう。もしも小泉進次郎が総理なら、ここまでは自民党も負けなかったでしょう。その意味では、石破茂には結果責任だけでなく、実質的責任もあったと考えるべきです。それでも、本人が辞めないと突っ張るなら、なかなか総理総裁を辞めさせることは難しいようです。総裁選の前倒しも執行部が認めないと難しいようですから、反石破派の自民党議員も石破茂を辞めさせる決定的な手が打てないようです。野党もこのまま石破政権に協力するというのでは今回の参議院選挙の世論に応えていないことになるので、あくまでも石破茂が辞めないなら、内閣不信任案を提出するという手を打たないといけないかもしれません。もしも提出されたら衆議院で野党が過半数を持っているので、素直に考えたら可決ですが、野党もその後石破総理が解散総選挙に打って出た場合に、議席を伸ばせると思えているのは国民民主党と参政党くらいでしょうから、単純に賛成できるかどうかわかりません。またもしかしたら、自民党内の反石破勢力が不信任案に賛成し可決するといった可能性もゼロではない気がします。しかし、その場合も解散総選挙を石破茂が選ぶなら、結局、自民党は石破総理の下で、さらにぼろぼろの総選挙を行わなければならなくなり、自公はもっと議席を減らすでしょう。

 どう考えても政治の安定のためには、石破総理が辞職し、新総理の下で、自公+維新or国民という3党連立政権を作ることですが、石破茂が辞めないと言い続けるとこれは実現しません。国の政治も地方の政治も辞めないトップのせいで混乱が続きます。政治組織だけでなく企業組織など他の官僚組織でも、結果責任とか管理責任を取らされてトップが辞めるって、なんか可哀そうだなと思ったこともありましたが、モヤモヤしている状態にけじめをつけて前に進むためには、トップが辞めるという文化はそれなりに順機能を果たしていたんだなということを実感する今日この頃です。

1046号(2025.7.26)ケア系職業に就く女性の婚姻率は高いのでは?

男女職業別50歳時未婚率 20年以上通っている歯科医院で歯科衛生士さんと話しながらふと思ったのですが、歯科衛生士の方の婚姻率は一般女性よりかなり高いのではないでしょうか。担当の歯科衛生士さんも「確かに結婚している人は多いですね」と言っていました。その後いろいろ考えていたら、ケア系の職業――歯科衛生士、看護師、介護士、保育士、幼稚園教諭、小学校教諭など、やや手のかかる人間の世話をするような職業で女性比率が高い職業――を選ぶ女性たちの婚姻率はすべからく高いのではないかという気がしてきました。職業別婚姻率のデータ的なものは多少あるようですが、「ケア系職業」というのは私が勝手に考えた職業名称なので、それにぴったりするデータは見つかりません。しいて参考になりそうなものを探すと、マイナビウーマンが発表している右表のデータが見つかりました。この中で、ケア系職業かなと思われるのは、看護師、社会福祉専門職業従事者、介護サービス職業従事者、保健医療サービス職業従事者あたりです。それぞれの女性の50歳時未婚率は、13%、9%、11%、10%です。平均は15%ですので、どの職業も平均よりは未婚率が低い――つまり婚姻率が高い――ということになります。まあ、極端に差があるというほどではないので、十分なデータとは言えませんが、未婚率の高い職業などと比較すると、やはりどういう仕事を選ぶかによって婚姻率はかなり異なるのではないかということは言えそうな気がします。このデータは、50歳時のデータなので、やや上の世代が対象です。もう少し下の世代(30歳代後半あたり)の婚姻率を調べたらもっと差があるのではないかと思います。

 ケア系の職業についている女性たちの婚姻率が高いのではないかと考えるのは、その仕事に就こうと思う価値観と、家族を作ろうと思う価値観に親和性が高いのではないかと思うからです。個人として楽しく生きたいと思う女性は、手のかかる人間の世話をするような仕事は選ばないし、結婚することも必ずしたいと強く思わないのではないかと思います。ここ20年くらいの時代を考えると、結婚というものは自然にできるものではなく、かなり強い意志で「しよう」と思わないとできないと思います。自分の人生にとって、結婚が必要だと思う意識の違いが婚姻率の違いになって現れると思います。もちろん、経済的に自立するのが難しい職業に就いている場合は、結婚という選択をせざるをえないというケースもあると思いますが、ケア系職業の中には十分自立できる収入を得ている女性も多いと思います。それでも、ケア系の職業を選ぶ女性は、結婚するという選択を自分の人生にとって不可欠なことと思う人が多そうな気がします。

 現代の家族は女性だけがケアするものではないですが、やはり長い間、そういうイメージが作られていて、現代でも完全には払拭されていないと思います。育児、介護など一番手のかかる仕事に実質的に女性が関わらないといけないという状況は、まだかなり残っていると思います。結婚して家族を作るということは、そういう面倒なこととも付き合わないといけないというイメージはまだまだあると思います。想定されるそういう面倒なことをなるべく避けたいと思うなら、結婚という選択の意志も鈍るでしょう。しかし、手のかかる人の世話をすることを嫌がらないケア系の職業選択をした女性の場合、そうした伝統的な女性役割も、そこまで嫌なことと思わない価値観を持っている人が多いのではないかと思います。その結果としてケア系の仕事に就いている女性たちの婚姻率は高いという結果が生まれるのではないかと考えます。

1045号(2025.7.25)大学生調査から次の選挙で起きることが見える

 参議院選挙の結果は、自民党と公明党が議席を大幅に減らし参議院でも過半数を割り込みましたが、与党だけでなく立憲民主党、共産党、社民党といった歴史の長い政党がすべて伸び悩んだり、議席を減らしたりする一方で、国民民主党、参政党といった政党が大きく票を伸ばすという結果になりました。投票日直前にはほぼ見えていた通りの結果が出ましたが、実はこういう結果が出ることは、私の2022年に実施した大学生調査で、すでに萌芽が見えていました。

 下図が、2022年大学生調査における各政党の支持率と嫌悪率のグラフです。自民党が34.7%でトップですが、安倍総理だった時の2017年調査の自民党支持率は52.3%でしたから、大きく減らしていました。それでも、2012年の33.6%、2007年の32.9%とほぼ同じくらいでしたので、まだこの時点ではそこそこ支持があったと言えるでしょう。今調査したら20%を切っているじゃないかと思います。

2位は維新の会ですが、調査対象の大学が大阪の大学がほとんどということなので、関東で調査するよりははるかに高い支持率が出て いるわけですが、この2022年の参議院選挙では維新の会は全国で票数も議席も大きく伸ばしましたので、この時点ではかなり人気があったと言えるでしょう。吉村大阪府知事がコロナ禍で頑張っている青年知事という好印象があった時でしたので、特に支持率が高い時でした。今やったら、同じ大学で調査してもかなり落ちているでしょうね。まあ、大阪の大学生にはそこそこ支持があるかもしれませんが、全国的には相当落ちているでしょう。

そして、この時点で3位の支持率が国民民主党だったのに非常に驚いたのですが、その後の2024年の衆議院選挙、今回の参議院選挙と、国民民主党は大きく票も議席も伸ばしたので、学生たちの方が私より早めに国民民主党に目をつけていたわけです。同じく5位には参政党も入ってきていて、ここもできたばかりの政党だったのに5位に入ってくるかと驚いたのですが、今回の参議院選挙の大幅増につながっているわけです。調査の後の選挙で起きることが結果として見えていたわけです。

この大学生調査の結果が直後の選挙の結果とつながっていたのは、1回目の1987年調査の際や5回目の2007年調査の際にも見られた事態です。1987年調査の際には、自民党支持が28.7%、社会党支持が23.7%でしたが、嫌悪率は、自民党が30.4%もあったのに対し、社会党は8.5%しかなく、選挙になったら無党派層の票を社会党が集めるのが予想できました。そして実際に、1989年の参議院選挙で社会党が自民党より多くの議席を獲得し、「山が動いた」と言われたものです。2007年調査の際には、自民党支持が32.9%、民主党支持が25.4%で、嫌悪率はそれぞれ18.3%と10.5%でした。そして、2009年の衆議院選挙で民主党が大勝して政権交代が起きたわけです。この調査を始めた頃からすでに政治に関心がなさそうに見えた大学生ですが、なんとなくその時代の空気はつかんでいるですよね。面白いものです。

最後に、若者の保守化について一言。2000年代に入ったあたりから、「若者の保守化」ということが言われており、私も大学生調査の結果として何度かこの言葉を使ってきました。ただし、同じ「保守化」と言っても2種類あると思っています。今の生活があまり変わってほしくないと考える「現状維持型保守」と、日本の国益を優先に考えるべきだという「愛国主義的保守」です。00年代くらいまでの若者の保守化イメージは前者が中心でしたが、2010年代を過ぎて以降は、どんどん後者の保守が増えてきています。私の調査の中では、2012年調査から、自衛隊の増強や核武装を肯定する大学生が急速に増えてきたり、保守を強調する安倍内閣を支持するといった学生が非常に増えてきました。2017年調査で、安倍自民党の支持率が5割を超えた頃は、世論調査でも若い世代は圧倒的に自民党支持が多いという結果が出ていました。

今回の選挙結果を見ると、40歳代以下の若い世代は自民党から離れ、国民民主党や参政党に行ってしまったわけです。「手取りを増やす」ばかり主張する国民民主党の政治的立ち位置は微妙ですが、参政党は明らかに「愛国主義的保守」の立場でした。2017年頃に安倍自民党を支持していた「愛国主義的保守」層は、今の石破自民党は中道寄りと判断し、参政党に1票を投じていったわけです。安倍自民党時代は、「現状維持型保守」と「愛国主義的保守」の両方の支持を得ていた自民党が今や「現状維持型保守」の票しか集められなくなったわけです。自民党の支持率を回復するには「岩盤支持層」と言われる保守層の支持を取り戻す必要があり、そのためには高市早苗や小林鷹之を総裁にしようという声もあるようですが、彼らがなったとしても中道政党である公明党と組んでバランスよく国政を運営しようとする限り、自民党はもう「愛国主義的保守」政党としてのイメージを前面に出すのは困難でしょう。今や保守度の高い順に並べると、保守党、参政党、維新の会、自民党、国民民主党、公明党、立憲民主党、れいわ新選組、共産党、という感じになり、自民党より明確に保守だと思える政党が出てきてしまっているので、「愛国主義的保守」層の支持を取り戻すのは困難です。一度すべての政党をガラガラポンして、保守系政党、中道系政党、リベラル系政党の3つくらいに整理統合されたらわかりやすくなるのですが、いろいろな利害がありますから、そんな風には簡単にはなりません。当面不安定な政治が続きますね。

個人的な予測としては、結局維新が連立政権に加わって、自公維連立政権ができるのではないかと考えています。維新も今や大阪を中心とした「現状維持型保守」が支持する政党になっていますので、自公と組んでも支持層にとっては裏切られた感はないと思います。このまま野党の立場を貫いても、次の衆議院選挙で党勢を拡大する見込みはまったくないですから、日本の政治を安定させるためにという名目で与党入りが維新にとってもベターな戦略になると思います。国民民主党と自民党は互いに組めると思っているようですし、国民民主の玉木雄一郎は総理を譲ると言われたら連立内閣入りを本気で考えるでしょうが、そうなったら、過去の政党と同じようにいずれ消えていきます。今回国民民主党に票を入れた多くの有権者は、自民党批判票として入れていますから、今、連立政権入りしたら、有権者は裏切られたと思うでしょう。ただし、自民党総裁が交代し、衆議院選挙が行われ国民民主党がさらに伸びた時には連立政権入りはあるかもしれません。

1044号(2025.7.16)政党マッチングを試してみた

 最近は、政党マッチングというものがあり、自分の考え方と近い政党はどこなのかががわかると宣伝されているので、私も1度使ってみようと思い、試してみました。「政党マッチング」とキーワードを入れるといくつもそれらしいサイトが出てきたので、とりあえず、NHK、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、選挙ドットコム、JAPAN CHOICEという6つのサイトでやってみました。その結果が以下の表です。

 最初にNHKのサイトでやってみたのですが、NHKは選挙区の候補者とのマッチング結果を示すものでしたが、上位に諸派とか無所属の候補者が並び、「誰だ、この候補は?」という印象でした。合致率も一番高い人で40%くらいですから、あまりマッチしていない感じでした。同じように選挙区の候補者とのマッチングをするのは、他に読売新聞のものがあったので、こちらもやってみたところ、トップにまた無所属の候補者が入ってきました。まったく知らない候補者でしたが、ちょっと興味が出ました。しかし、この政党マッチングは基本的に個人候補者とのマッチングより政党の政策とのマッチングをするものでしょうから、選挙区ではなく政党とのマッチングをするサイトの結果を見てみましょう。

 自民党との合致率は、読売と朝日では6465%と高くともにトップですが、毎日では46%で8位、JAPAN CHOICEではわずか20%で6位です。個々のサイトが政策に関する質問をしてきてそれに回答することで合致率が測られるのですが、似たような質問が多いものの尋ねられ方や選択肢がそれぞれ少しずつ違っていたり、どこに焦点を置いて合致率を測るのかが違うのでしょう。この表を見ているだけでは、なかなかわかりにくいので、5つのサイトの結果を合致率の平均としてまとめてみました。それが右の表です。

 結果が示される政党がサイトによって違うので、2つのサイトだけで結果が出ている16政党の合致率でランキングを作っていますが、4つのサイトで結果が出ている10政党、5つのサイトで結果が出ている8政党での結果にも注目してほしいと思います。4調査で見ると、自民党が58.8%で1位、次いで国民、公明となります。5調査で見ると、公明、国民、自民の順となります。これらの3党に投票したことは一度もないのですが、私はテーマによってはリベラルだったり保守だったりしますので、トータルすると結局中道寄りの保守系政党が相対的には合致率がやや高いということになるのかもしれません。まあでも50%代ですから、あまり高いマッチング率ではないとは思いますが。

 話題の参政党とはマッチしなさそうですし、れいわや共産党ともマッチしないようです。まあ、そうだろうなと思います。ひとつだけの結果だとあまりピンときませんでしたが、6つもやってみてトータルで見ると、まあ確かにそんな感じかなという気もしてきます。ただし、投票に関しては他にも様々な要素を考慮して行動しますので、この政党マッチングで上位に来た政党に投票するとは限りません。

1043号(2025.7.15)参政党の伸長を分析する

 昨日発表されたNHK世論調査の政党支持率で、参政党が5.9%で、自民党の24.0%、立憲民主党の7.8%に次ぐ第3位になっていました。また、今朝の朝日新聞でも、参政党は比例区では野党トップの議席を取る可能性も高くなってきたと情勢分析がされていました。序盤戦より人気が高まってきており、終盤戦にかけてますます勢いを増しそうです。3年前の参議院選挙の前に作られ1議席を取っただけの新しい政党なのに今や勢いがものすごいです。これまでにも、新自由クラブ、日本新党、日本維新の会と新しくできた政党が一時的に高い支持を得て、その後低迷することはありましたので、参政党の場合もそうなるのかもしれませんが、もしかしたらこれまでの政党とは違い、着実に成長していく可能性も持っている気もします。というのは、今回支持者を増やしている最大の原因である参政党のキャッチフレーズである「日本人ファースト」を肯定的に受け止める層が潜在的にはかなりいると考えられるからです。

 「○○ファースト」はトランプが最初に大統領になった時に唱え、それがいろいろなところで使われるようになったわけですが、それ以前から移民をたくさん受け入れていたヨーロッパ諸国では、実質的に同じようなことを唱える政党がじわじわと支持を拡大してきていました。グローバリゼーションにより生活が苦しくなったと思う人々は、自国中心主義を打ち出す政党を支持するようになるものです。フランスでもドイツでも極右と呼ばれる政党が議席を伸ばしています。参政党もそういう政党のひとつです。現代社会では「多様性を認めよう」「世界の平和を守ろう」といった言説が「正しい見方」として語られていますが、その裏で「本当は違うじゃないか」「日本社会はまず日本人のことを考えるべきだ」というホンネを腹の内に溜め込んでいる人が多くなってきています。その声に出して言えない思いを、シンプルに言語化しているのが参政党という印象を持つ人が多くなっているのでしょう。保守党も主張自体は参政党と似たようなものだと思いますが、トップに立つ人物のイメージで大きな差がついています。

 言いたくても言えなかったホンネを言語化している政党として人気が出てきているなら、このまま自民党と連立政権を組んだりせずに、「日本人ファースト」の独自路線を貫き続ければ、10年後くらいにかなり大きな政党になっている可能性もある気がします。世界の潮流は自国中心主義、排外主義です。参政党はその流れに乗っていますので、さらに伸びていく可能性が高いです。

1042号(2025.7.13)そうかあ、こんな感じなのかあ

 7月の初めに大きな地震が来るかもしれないという噂が流れ、かつトカラ列島で地震が続いていたので、地震恐怖症の私は、テレビのニュースをつけていると嫌なことばかり考えてしまうので、ある日一切テレビのニュースを見ずに、インターネットで私向けにお勧めされる相撲やドラマの情報だけ見ていました。地震のことを考えなくてよく、かつ他の悪いニュースも見ないようにしていたら、なんか重苦しい気分が消えて過ごすことができました。そんな1日を過ごして思ったことは、そうかあ、もしかすると若い人はこんな風に過ごすことで、世の中にあまり悪いことは起きていないような幸せな気持ちで過ごしたりしているんだなと実感しました。推しのこととか自分の趣味のことだけネットで調べていたら、なんか幸せに暮らせるでしょうね。

 講義の前説で、トランプ関税のことやNATO各国が防衛費のGDP比を上げる話などをしても「そんなことが起きているとは知りませんでした」という感想がたくさん書かれるのも、なるほどこういう情報接触の仕方をしていると当たり前に起きるんだなとわかりました。私は1日だけでまたいつものようにテレビのニュースをあちこち見る生活に戻りましたが、若い人はそんな風にはならないですよね。日本の近未来には多くの問題があると思うし、それなりにテレビのニュースでもいろいろ紹介していますが、そういう情報に接触しない人ばかりにどんどんなっていってしまうのは怖いことだなと思います。

 他方で、ちょっと社会関心を持った人たちがYOUTUBEとかでそのテーマについて調べようとしたら、過激なニュースばかり次々に見ることになってしまうでしょうね。テレビや新聞といったマスメディアの報道にも確かに偏りがありますが、アルゴリズムで極端に偏った情報ばかり目にすることになるSNSからの情報よりはましな気がします。少なくとも、SNSのニュースだけでなく、テレビや新聞のニュースも意識して知ろうとしないと、危ない社会になってしまう気がします。様々な情報源から情報を取り入れるようにしてほしいものです。

1041号(2025.6.28)毎回の講義がいとおしい

 暑く湿度も高いしんどい6月下旬で、例年ならあと何回で授業が終わるなあと指折り数えたりしていたものですが、今年は気持ちが違います。教員生活最後の年で、長年語ってきたこの講義を学生の前で喋るのはこれが最後かと思うと、毎回の講義がいとおしく感じます。毎週LMSに感想を書いてもらっていますが、授業から刺激を受けてくれているなと思える感想に出会うと、嬉しくなります。特に、1回生の基礎社会学に関しては、20世紀から社会学専攻の授業を12クラスはずっと担当してきたので、思い入れが強いです。こういう入門的な授業を好まない教員も少なくないですが、私は好きでした。なんとなく社会学に惹かれて入学したけれど、社会学がどういう学問かあまりよくわかっていない学生たちに、社会学とはこういう魅力的な学問なだよと伝えるのは、白紙のキャンバスに絵を描くようで楽しかったです。

今年の1回生は、私から見ると51歳も下の子たちです。前任校で初めて社会学入門の授業を教えた時の1回生はわずか9歳下の子たちでした。42年という長い年月の間、まったく異なる世代にもちゃんと受け止めてもらえる授業をやってきたという自信があります。今や学生たちの祖父母に近い年齢ですが、それでも学生たちに届く授業をできていると思っています。社会の変化、学生たちの変化をきちんと把握することが、各世代に伝わる授業をするポイントだと思います。社会学という学問はもちろんそういうことを必要とする学問ですが、それだけでなく私の場合は、大学生の価値観調査を358回もし続けてきたこと、25年以上にわたってこのHPで時代分析をし続けてきたこと、そして現役学生や卒業後も教え子たちと楽しくたくさん付き合ってきたこと、それらすべてが異なる世代に届く授業をする上で役に立ったと思っています。

いずれにしろ、毎週授業が始まる前に、この話をするのは最後だなと思うと、気力が湧いてきます。2回生以上向けの理論社会学もやはり同じような思いを持ってやっています。こんな静かな高揚感のような特別な気持ちは定年間際の教師しか持てないものだなと思うと、結構この最後の1年というのも悪くないなと思います。2回生以上の学生たちにはまだ秋学期の理論社会学の講義が残っていますが、1回生の基礎社会学は試験を入れてもあと3週で終わりです。オムニバスの「社会学総論」という授業であと2回、1回生に向けて喋る機会がありますが、思い入れの強い基礎社会学はあと3週――試験を除けばあと2週――で終わるのかと思うと、感慨深いです。終わるのは寂しいという思いももちろんあるのですが、ひとつひとつが最後なんだなといとおしく思えるこの気持ちを大切に講義に向かいたいと思います。今年の1回生たちに、「最後に片桐先生の授業を聞けてよかった」と思ってもらえるように、残りの講義も熱く語り続けたいと思います。

1040号(2025.6.22)大阪万博探訪記(その2)

 先日3回目の大阪万博に行ってきました。これまでの2回は1人で回っていましたが、今回はすでに11回目という教え子に案内してもらう形で回りましたが、さすが11回も行っているだけあって、全然知らなかった穴場をいろいろ教えてもらい楽しめました。一番面白かったのは、万博外周を回るバスへの乗車でした。西ゲート北ターミナルから乗車し、まずずらっと並ぶ太陽光パネルを見ながら、空飛ぶクルマの発着場(今はまったく飛んでいないようですが)の周りを回り、EXPOアリーナの外側を回り、海の上に張り出している大屋根の下を走り、東側の外周道路に入り、夢洲駅の外側を回り、また西に向かいます。途中右手の広い敷地はIRの建設予定地で、すでに土壌改良工事が始まっており、大きなクレーン車が何台も入っています。この夢洲の長期的な狙いは、このIRの方にあるわけで、そうかあ、もう工事が始まっているんだなと初めて知りました。教え子の説明による、今の夢洲駅の改札口は1か所だけですが、IRができた時には逆方面にも改札口ができ、IRとは地下道でつながるそうです。さてバスに戻ると、このIR敷地のはずれを左に曲がればすぐに終点のリング西バスターミナルに着きます。この万博の外周をめぐるバスのことは知らない人も多いと思いますが、個人的には非常に面白かったです。

 後、今回見ることができたパビリオンでは中国館が非常によかったです。まだたくさん見れているわけではないですが、これまで見た中ではもっとも充実していて見応えがありました。古代の漢字が記された貴重な遺物から始まり、豊かな自然と四季が織りなす昔からの中国の生活が紹介され、日中の交流、現代中国の溌溂とした暮らしぶり、そして宇宙や深海への探索まで幅広く展示していました。社会主義国中国という印象はほとんど出しておらず、政治色を薄めていたのも好感を持って受け止められ、よかったと思います。しみじみ、今、中国は勢いのある国だなと思わされました。たまたま私が見かけていないだけかもしれませんが、テレビ番組で他の国のパビリオンはよく紹介されている割には、中国のパビリオン紹介は見たことがありませんでした。なんとなくテレビ局は中国のパビリオンの紹介を避けているのかなと思ったりもしますが、そんなことはないかな。55年前の1970年の大阪万博の時は、パビリオンを出していたのは、中華民国(今の台湾)だったわけですから、変化がもっとも大きく表れていることのひとつです。ちなみに、今は非常に勢いがあるなと感じた中国ですが、このままずっと勢いが続くかどうかはわかりません。現代の華やかな映像の中で、若い恋人たちや家族、子どもたちが楽しそうに過ごしている映像がたくさん映し出されていましたが、現実の中国は婚姻率も下がり急速な少子化が進んでいるので、数十年後には、今のような勢いはなくなっているのかもしれません。日本も80年代は、世界で一番勢いのある国だったのに、40年ほど経った今日では、マンガとアニメと観光名所と食を売りにする衰退途上国になっています。まあでも、とりあえず、この大阪万博の中国館はお薦めです。50分待ちと言われましたが、スムーズな人の流れで半分の25分待ちくらいで入れたのもよかったです。

1039号(2025.6.18)新「さしすせそ」

 女性に必要な「さしすせそ」というと、かつては「裁縫/躾/炊事/洗濯/掃除」に関する能力でしたが、今やそんなことを言う人はもう絶無となり、最近の若い女性でこの「さしすせそ」を言える人はほとんどいないと思いますが、今新しい「さしすせそ」が若い女性の間で広まりつつあるそうです。それは、「さすが/知らなかった/すごい/センスいい/そうなんだ」の5つだそうで、この5つの言葉を上手に織り込むと、男性は喜び、うまく使う女性はモテるのだそうです。昔で言えば、いわゆる「ぶりっこ」用語のようなものなのでしょうが、確かにこれらの言葉を使って上手に相槌を打たれたら、私も気分よく喋ってしまいそうです。計算してやっているのかどうかわかりませんが、ちょっと意識してテレビを見ていると、確かに若い女性タレントさんが、明るく元気よくこういう言葉を何度も使っていて、コミュニケーションを上手に取っていました。

 自分を下に位置付けて相手を高めるような用語ですから、女性が言われても嫌な気持ちにはならないでしょう。ただこれらの言葉を発しやすいのは、やはり若い女性たちなのでしょうね。男女問わず年齢がそれなりにいっている人がこれらの言葉を使っていたら、「ものを知らない人」と馬鹿にされてしまいそうです。さらに男性の場合は、若くても賢くない、ものを知らないとレッテルを貼られるのは、やはりプラスにはならないでしょう。

 こうやって考えてみると、相変わらず女性はそんなに賢さを出さない方が得で、男性は賢さが必要という、昔ながらの男女観がまだ生きているみたいですね。でも、よく考えてみると、時代はどんどん進み、年配者の方が知らないこともたくさんあります。実際、私はゼミ生の報告を聞きながら、「へー、そうなんだ。知らなかったなあ」とか普通に言っています。上記の5つの言葉は、本当はそう持っていないのに使っているとしたら嫌ですが、ちゃんと相手の話に興味を持って聞きながら自然に出る言葉なら、特に問題はない気もします。

 知らない興味深いことに、素直に「知らなかった」と驚き、「すごいなあ」と感心することは、男女年齢を問わずに自然に使われていい言葉ですよね。変に、新「さしすせそ」だから意識して使わないようにしようとか、逆に相手に気に入られるために使おうとかにならないでほしいなと思います。そう考えると、この新「さしすせそ」はこれ以上広まらない方がいいなと思います。

1038号(2025.6.14)すっかりラテン民族化してしまった

 昨日のテレビ番組で、大阪万博のEXPOアリーナにダンスをしたい人が2000人ほど集まって、ステージの歌手たちとダンスをするというイベントが行われた様子が放映されていました。若い女性たちが中心でしたが、みんな弾けるような笑顔を見せていて実に楽しそうでした。見ているだけのこちらも元気になれるほどでした。しかし他方で、日本人も変わったなあという思いも強く湧いてきました。確か、昔だんだん日本人がラテン民族化してきたのではという文章を書いた気がするなと探したら、なんと25年前でした(参照:「第22号 「日本の未来は世界が羨む」かな?(2000.7.28)」。その頃も、歌うことや踊ることをはじめとして表出的快楽を楽しむ人が増え、内面的知的楽しみを求める人が減る傾向にあることを危惧していましたが、そこから25年、予想通りというか、予想以上に表出的快楽を求める志向性は強まり、内面的知的楽しみを求める志向性は弱まっています。ダンス以外でも、ファッションや外見の良さを追い求めSNSで披露する、映える食べ物をSNSにあげる、推しを応援する。いずれも表出的楽しみを求める行為です。他方で、考える、文章を書くといった行為は、かなりの部分をAIに任せることができるようになってきており、自分で本を読む、考える、文章を書くということを楽しいことと思う人はごくわずかになっているように思います。この流れはますます加速化していくのでしょうし、逆転させることも難しいのはわかっていますが、個人的にはどうしても好ましい趨勢とは思えません。せめて表出的楽しみを求めつつも、内面的・知的楽しみも求めるという両刀遣いの人間になってほしいなと願うだけです。

1037号(2025.6.14)低迷する「べらぼう」

 3月の時点で高く評価した大河ドラマ「べらぼう」(参照:第1024号 大河ドラマ「べらぼう」(2025.3.30))ですが、ここのところ魅力が落ちています。前半を支えた小芝風花の花魁「瀬川」、それを身請けした市原隼人の検校、そして安田顕演じる平賀源内といった魅力的な演技をしていた人物がすべて退場し、ここ数週間は戯作者たちが中心に話が回っていますが、それぞれなんとなく名前は聞いたことがある人たちですが、ドラマを見ていても、その魅力も個性も伝わってきません。ただ、みんな酒を飲んで馬鹿々々しい狂歌を作っているだけで、見ていて面白くありません。また、花魁も小芝風花の後は福原遥が演じていますが、甘ったるい感じが強く出過ぎる彼女では、小芝風花が出していた花魁のすごみがまったく出ません。嫌いな女優さんではないですが、今回の花魁は荷が重い感じです。田沼親子、特に息子の田沼意知を演じる宮沢氷魚に魅力がありません。また、渡辺謙の意次も重厚過ぎて個人的にはイメージが合いません。ということで、最近は「なんか、もうひとつだなあ、、、」と思いながら見ています。

 でも、見るのは止めません。いずれ意知が殺され、田沼派が失脚するはずですし、歌麿の大ブレーク、謎の絵師・東洲斎写楽をどういう風に出してくるのか、といった期待される楽しみがあるからです。もともと、かなり歴史好きの通向けドラマですが、さすがにもう少しドラマチックな展開にしないと、歴史好きの視聴者にも飽きられてしまいます。明日からのドラマチックな展開に期待したいと思います。

1036号(2025.6.9)教養主義について

 米津玄師が「べらぼうに面白かった」と発言したことで、2002年に初版が出された竹内洋先生の『教養主義の没落 変わりゆくエリート文化』(中公新書)が再ブームになっていると聞き、これはしっかり読み直して、教養主義について考察してみようと思い、先ほど本を読み終わり、「本を読もう!映画を観よう!」のコーナーに感想(1072.竹内洋『教養主義の没落 変わりゆくエリート文化』中公新書)を書きました。で、メインは教養主義について語ることなので、さあ書こうと思ったのですが、もしかして昔なんか書いていなかったかなと探してみたら、同じ竹内洋先生の『学歴貴族の栄光と挫折』(講談社学術文庫)の感想(909.竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』講談社学術文庫)を書いたコーナーに、今回書こうと思ったことの骨子がすでに書いてありました。以下の部分です。

「この本を読みながらずっと考えていたのが、「教養」って何だろうということです。教養主義が支配的文化になった旧制高校や戦後の大学で読まれていた教養書は、今の私から見ると特に読む必要がない本のように思えてしまいます。著者がよく取り上げる『三太郎の日記』という本に関しては、数年前に一度ちゃんと読んでみようと読み始めてみたのですが、まったく面白くなく途中で読むのをやめてしまいました。まあ、60歳を超えてから読むような本でもないのでしょうが。他の教養書として挙がっている本も読みたいと思う本はほぼありません。

 私自身、読書は大切だと思うし、知識を持つことも非常に大切だと思っているのですが、「教養を身に着ける」というのは、いったい何を身に着けたらいいのか、正直言ってよくわからないところがあります。かつて大学には「教養学部」があり、今でも「教養科目」という名前があり、私も若き日には哲学書や思想書、生き方を考える書籍、文学などを手当たり次第読んだこともあるのですが、今「教養」とは何かと問われたらうまく答えられません。でも、その教養を重んじた時代が長くあったんだということをこの本で再確認し、教養って何なのかを改めて考えてみたいと思いました。(2022.10.7)

 3年前にもう書いていました(笑)ここに書いてあるように、私も大学に入った当初、いわゆる「教養」を身につけたいと思ったのでしょうが、マルクス主義関係の本、岩波文庫の様々な本、中央公論社の「世界の名著」シリーズ、文学も高橋和巳や大江健三郎、などを次々に読もうとしたものでした。そういう本を読んでいることが、エリート大学生のあるべき姿と思っていたのでしょうね。1970年代半ばの大学生活で、すでに多くの大学で教養主義が没落を始めていた時でしたが、私の通っていた大学はたぶん一番最後まで教養主義的な風土が残っていた大学だったので、「マルクスを読まずして物を言うな」なんて偉そうに言う人がたくさんいました。

でも、当時から「教養」とは何かはわかっていなかった気がします。有名な学者や思想家の書いたものを読んだことがあると言いたかっただけかもしれません。結局、私は「教養」に強いあこがれを持つことなく、現実社会を見つめ捉えていく社会学が面白くなり、「教養主義」からはどんどん離れていった気がします。教師になってからも、学生たちに知識と経験を増すことで人は魅力的になるとは言い続けてきていますが、「教養を身につけなさい」と言ったことは一度もありません。このHPの「本を読もう!」のコーナーでも、教養書と言えるような本はほとんど紹介したことはありません。

多くの知識を持つことは、「教養」を高める上でも大事なのでしょうが、「教養」の核をなすような知識は、哲学や思想のようなものであり、社会現象に関するデータや知識ではないように思います。自らを社会学者、社会学教育者と自覚すればするほど、無駄に小難しい感じがする哲学や思想からは遠ざかっていきました。一般的な大学生ももちろん「教養」に魅力は感じなくなっていったので、もはや「教養主義」は歴史的に存在した考え方だったと言ってしまっていい気がします。知識と経験を積み上げることは大事ですが、「教養主義」を復活させることはないと個人的には思っています。にもかかわらず、『教養主義の没落』というタイトルの本が売れるのは、まだ多少「教養」という言葉に魅力を感じる人たちがいるということなのでしょうね。

1035号(2025.6.3)長嶋茂雄氏逝く

 今朝インターネットを開いたら、元巨人軍監督の長嶋茂雄氏が亡くなったというニュースが目に飛び込んできました。そうかあ、ついにその日が来てしまったかと冷静に受け止めましたが。なんか自分の冷静さがちょっと残念な気もしました。というのも、長嶋茂雄は、ほとんどファンというものになったことがない私が、物心ついた時からいい年齢になるまでファンだったと言える数少ない人だったからです。

彼は昭和33年に巨人軍に入団し、新人であったその年にホームラン王と打点王を獲得する大活躍であっという間に野球界の大スターになりました。我が家にテレビが入ったのは昭和3312月だったので、私は翌年からテレビにかじりついて見ていました。自分の中で一番野球熱が高かった小学生の頃は、ラジオの中継放送から聞き始め、テレビで中継が始まるとテレビを真剣に見ていました。ほぼ長嶋の個人ファンみたいなものだったので、長嶋が凡打でアウトになったりしたら、テレビを消してしまうくらいのファンでした。引退の日は、部屋の電気を消して泣きながらテレビを見ていました。監督になってからも、長嶋のユニフォーム姿と笑顔が見たくて巨人を応援していましたが、彼がユニフォームを脱いでからは、プロ野球に対する興味自体を失いました。それが、アテネオリンピックで日本代表チームを監督して率いると聞いたので、今度は日本代表チームを応援しようと思っていましたが、そのタイミングで彼が脳梗塞に倒れ、監督もできなくなり、私は野球自体に関心を失っていきました。

そのくらいのファンだったので、逝去のニュースにもっと自分がショックを受けるかと思ったのですが、そうでもなかったので、ちょっと驚いた次第です。やはり、倒れてからリハビリを頑張ってかなり復活したものの、私が好きだったのは、溌溂とした長嶋茂雄だったんだなと改めて思いました。むしろ、倒れた後もよく頑張りましたね、ご苦労様という穏やかな気分です。

【追記(2025.6.8)】6月3日から様々な長嶋茂雄特集が組まれていましたが、それらを見ながら、ふたつほど思ったことがあり、書いておこうと思いました。ひとつは、長嶋茂雄というスターはもちろん本人の努力もありますが、時代が作ったスターだったということです。今、大谷選手が大活躍をしていますが、彼がなぜ登場しスターになったかは、まさに彼の素晴らしい才能以外に説明することはできません。しかし、長嶋茂雄氏に関しては、時代が高度成長期で、家庭にテレビが1台、野球放送は巨人だけという時代だったことが大きく影響しています。少品種大量生産の時代で、大衆みんなが同じものを求めていた時代でした。そういう時代の象徴として長嶋茂雄というスターが誕生しえたのです。現在のように、様々な楽しい選択肢がある中では、大谷選手がどんなに素晴らしい記録を作っても、長嶋茂雄氏のような国民的スターにはなりません。野球以外にも楽しめるものがあり、野球だけでも、各チームの試合をファンは見られるという時代です。圧倒的に多くの視線がある1人の野球選手に向かうという時代ではありません。

 もちろん、長嶋茂雄氏が選手だった時代にも他にも選手はたくさんいたわけです。そんな中で、長嶋茂雄氏が特別のスターになったのは、記録以上に彼がファンに楽しさ、明るさを与えてくれたからです。プロ選手とはファンの前では明るく気持ちを精一杯出すことを、彼は自らに課していました。それを国民は素晴らしいものと受け止めたわけです。今日の告別式で、王貞治氏が長嶋茂雄氏を太陽に喩えましたが、私も含めて同じように思っていたファンは多かったと思います。

実は私は、その長嶋茂雄氏の明るさを真似してきたことを思い出しました。これが二つ目のより書きたかったことです。1993年に二度目の巨人軍監督に長嶋氏が復帰してから、彼の指導者としての魅力も、やはり明るさにあるなと改めて気づいたのです。当時、野村克也監督などが「コンピュータ野球」と言われて、それなりに結果を出していましたが、私は野村監督のように、野球の知識は豊富にあるとしても暗くぶつぶつ言いながら指揮を執る人の下では働きたくないな、「カンピュータ」と言われ、直感で指揮を執り、しばしばわけのわからない作戦だと批判されることもあった長嶋監督でしたが、どうせ働くなら、ああいう明るい監督の下がいいなと思ったのです。そして、ふと教師という仕事も指導者という意味では同じなのだから、明るい空気を前面に出すべきだと強く思うようになったのです。それまで、リーダーの条件として「気配り」と「強引さ」が必要と言ってきたのですが、それに「明るさ」もあるべきだと思い、その後は、この3つの要素がリーダーに必要な資質だと思い、自分なりにそれを実践してきたつもりです。

 選手・長嶋茂雄の1ファンだった私は、監督・長嶋茂雄を指導者の理想の姿として影響を受けていたことを思い出したので、ここにきちんと書いておこうと思った次第です。私もあと9か月ちょっとで、大学教師という指導者の立場を離れますが、その後も教え子たちとの関係は続くでしょうから、長嶋茂雄氏から学んだ明るさを、私も変わらず持ち続けたいと思います。こうやって記憶を持ち影響を受けたという人間がいる限り、長嶋茂雄氏は生き続けると言えるのかもしれません。ようやく大ファンだった長嶋茂雄氏について、納得の行く文章が書けました。

1034号(2025.6.2)中国の方がかなり進んでいる、、、

 今日大学院の授業で、中国人の学生から現在の中国日常生活におけるIT事情を聞き、驚きました。彼らの話では、中国はもうほぼキャッシュレス社会になっており、キャッシュでの買い物をしようとすると拒否するお店もあるそうです。実際、彼ら自身も一番最近キャッシュを使って買い物したのは10年くらい前だそうです。さらに、驚いたのは、家の鍵も持っていないそうです。顔認証や指紋認証で住宅に入るのだそうです。うーーーん、そこまで行っているのかと率直に驚きました。もちろん、日本でも技術的には可能なのだと思いますが、そこまで行くのはどのくらいの時間がかかるでしょうか。管理されるのに慣れている中国と日本の違いもありそうですが、日本もいずれはそんな社会になるのでしょうね。

車も中国はEV車が6割くらいになっていて、新しく買い替える人はほぼすべてEV車だそうです。「日本はなんでEV車が普及しないのですか」と不思議がられました。なんだか話を聞いていたら、中国の方が完全に先に行っているようで、日本は遅れているなあと思わざるをえませんでした。自分が他国との比較とかを考えられるようになったのは、1970年代あたりからだと思いますが、これまでアメリカも含めて日本よりはるかに進んでいるなあと思ったことはあまりなかったのですが、今回は素直にそう思ってしまいました。このままじわじわ日本は先進国から滑り落ちていくのかもしれませんね。

1033号(2025.5.30)氏名の読み方って通称だったのかな?

 526日から戸籍法が改正され、戸籍の氏名にフリガナが記入されることになり、その確認通知の葉書が各世帯に届くことになっています。このニュースで思ったのは、氏名の読み方って、公式には登録されておらず、通称に過ぎなかったのかなということです。いやいや、そんなことはないですよ。役所とかで書類を提出するときにも、フリガナをふって提出していましたよと言いたくなりますよね。私もそう思っていました。でも、改めて自分の戸籍謄本、マイナンバーカード、運転免許書と確認しましたが、どれにもフリガナはふられていませんでした。役所に書類を出すときにフリガナが必要なのは、申請者を呼び出すときや確認するために必要だから書かせているのではないでしょうか。もしも、それらの書類に、いつも使っている読み方と違うフリガナを書いても、たぶん一切問題にならないのではないでしょうか。

 しかし、現在の出生届にはフリガナがふられていますよね。(ちなみに、昭和5年生まれの母親の時は、漢字だけ届けて、読み方は後で考えたというエピソードがありますから、昔は出生届にフリガナはなかったのではないかと思います。)だからこそ、この漢字でそんな読み方をさせるのかといった「キラキラネーム」論議も起きてきていたわけですよね。でも、出生届に書いたフリガナは戸籍には記載されていなかったということですよね。どういうことなのでしょうか。出生届は本籍のあるところではなく、居住地の役所に届けますよね。その後、本籍地にも連絡は行くはずですよね。戸籍に載せないわけには行かないのですから。しかし、その際にフリガナは戸籍には必要ないということで処理されていたのでしょうか。うーーん、どういうことでしょうか。でも、とりあえず、これからはフリガナも記載するとなったということは、これまでは記載されていなかったことは間違いない事実です。戸籍に登録された文字さえ使っていれば、出生届と違う読み方で生きていてもなんら問題はなかったということになりそうです。今回の確認作業でも、出生届との照らし合わせなんて行わなさそうな気がしますので、この際、読み方を勝手に変えてしまうということもできそうです。

下の名だけでなく、上の姓も戸籍にフリガナがなかったということは公式には読み方は決まっておらず、あくまでも通称だったということになるのでしょうか?よく音が濁音なのか清音なのか、同じ漢字でも違う人がいますよね。「黒木」という字は、多くの人は「クロキ」と読むと思いますが、「クロギと濁るんです」という教え子もいました。つい最近友人から超有名社会学者である「塩原勉」先生は、「シオバラ」ではなく、本当は「シオワラ」が正しいのだと聞き、ものすごく驚きました。法務省は、こうした本人たちのみが知っている氏名の正しい読み方をどうやって入手するのでしょうか。いちいち全員の出生届なんて確認できないですよね?

このHPを読んでくれている皆さんでも、ちょっとだけ普通とは違う読み方をする氏名の方がおられると思いますが、法務省から届く葉書に正しいフリガナがふってあったかどうか、ぜひ教えてください。

1032号(2025.5.21)人生の節目のイベントは大切に

 ご存じの通り、先日「古希の祝い」を約150人の教え子に祝ってもらいました。本当に幸せな教師です。でも、何よりも嬉しいのは、私の古希をネタに教え子が集い、タテヨコ(ナナメも)に繋がりを持ち、それぞれ交流を楽しんでくれたことです。初めて話したという人たちもたくさんいたと思いますが、「片桐ゼミ」あるいは「片桐新自」という共通のキーワードがありますから、すぐ10年来の友のように話ができるようでした。ビデオも撮ってもらったので、それを見ると、本当にあっちでもこっちでもいろいろなコミュニケーションがなされており、みんないい笑顔でした。

これを見ながら思ったのが、やっぱり人生の節目のイベントは大切だということです。それは祝ってもらう本人にとってという以上に、こういうイベントをやることによって、そこに参加した人たちが素敵な交流を持てるということです。確かに、70歳の教師を祝うために150人も集まるというのはめったにないことでしょうが、集まる人数はそれぞれでも、みんな人生の節目を経験してきていますよね。誕生から始まって、お宮参り、お食い初め、誕生日、七五三、小学校入学、中学校入学、高校入学、大学入学、成人式、大学の卒業式と、このあたりまでは、両親主導、ないしは本人も当然のように節目のイベントを経験し、家族や友人たちとともに幸せな気持ちを味わってきたはずです。

 さて、問題はその後です。自分自身の最大のイベントとしては、結婚があると思うのですが、最近――特にコロナ流行以降――、結婚のイベントが小規模化、ないしはやらなくなっていますよね。コロナ以前は年に12回は教え子の結婚披露宴に招待されていたのですが、コロナ以降パタッとなくなりました。まあ、大学時代のゼミの教師を呼ぶなんてことがもともと珍しかったので、私が呼ばれなくなったのはまったく構わないのですが、披露宴自体をやらないという人が増えているのが残念だし、それでいいのかなと問いかけたいと思います。以前、教え子の披露宴でよく話していたのは、結婚披露宴の主役は若い2人だけでなく、両家のご両親も主役だという話です。親にとって、手塩にかけて育てた子どもがよき伴侶を見つけて、戸籍から独立してくれる結婚は、子育てのゴールにようやくたどり着いたような気がするビッグイベントです。それを親族や親しい友人たちにも見てもらえるのは、本当に嬉しいことです。

 なのに最近は、結婚披露宴にお金をかけるくらいなら、新婚旅行や新生活に必要なものを買いそろえるのに使いたいとか言って、披露宴はせず、ウェディングドレスを着て写真だけ撮りに行くというカップルが少なくないようです。親としては、本当は家族、親族だけでもいいから披露宴をやってほしいと言いたいところですが、今どきの時代の雰囲気から言い出せず、まあ写真撮影だけでもいいよと理解したふりをせざるをえなくなっています。小規模でも、ちゃんと披露宴をやってご両親を喜ばせてあげてほしいというのが、私が強く思うことです。自分たち2人にとってという発想ではなく、家族や親しい人が喜ぶ場をどうしたら作れるのかなという発想もほしいものです。

 自分たち2人がよければそれでいいなんて発想で行ったら、その後の人生において、今度は親のためにいろいろやってあげたら喜ぶような、両親の銀婚式、還暦、古希なんてものもちゃんとやってあげようという発想は出てこなくなるのではないですか。さらには、親が亡くなった時も葬儀もせず、「海に散骨して」と言われていたから、墓にも入れず、法事もせず、墓参りもせず、ってことになりますよね。親の方も、今時は子どもに負担をかけさせたくないということで、とりあえず儀式やイベント的なことは何もしなくていいと言っている人が多いのだと思いますが、それは本音なですかと聞いてみたいです。本当は、歳を取ってきた自分のために、子や孫が集まってくれて笑顔を見せてくれること、また自分が死んだ後も、自分という人間を思い出すために集まってくれる人がいて、そこで交流がなされることが、自分の生きた意味を確認できるようで、嬉しいはずです。

 小規模でもいいですから、人生節目のイベントはちゃんとやりましょうよ。形式主義とか儀礼主義とかではないですよ。そこに集う人たちに幸せを与えるためにやりましょうよ。ちなみに、私は、これからも喜寿、傘寿、米寿、卒寿と元気な限り、それをネタにみんなに集まってほしいなと思っています。なんなら、死んだ後も、お別れの会やら、死後何周年とかでも、また教え子たちが集まって、「片桐ゼミ」と「片桐新自」をキーワードに交流してくれたら最高だなと思っています。大それた野望ですね(笑)

1031号(2025.5.16)こんな風に思ってもらえて嬉しいなあ

 今週の4回生ゼミ(最後のゼミ生=31期生)で、私の70歳の誕生日を盛大に祝ってくれました。いつもの教室に行ったら、「別の教室に来てください」というメッセージが置いてあり、そこに行ってみると、たくさんの風船で派手に飾り付けが行なわれていて、盛大にお祝いをしてくれました。「別の教室に来てください」というような準備に時間のかかる本格的な企画は、以前は時々ありましたが、最近はそこまでの本格的な準備をした企画はなかったので、なつかしく、かつ嬉しかったです。もちろん祝ってくれることは嬉しいのですが、私としては、私の誕生日を祝うということで、ゼミ生たちがまとまって企画を作り、楽しんでくれることが何より嬉しいのです。今回、そこにいたゼミ生たちが、みんなすごく楽しそうだったのが何よりも嬉しかったです。

 そしてもうひとつ今回とても嬉しかったのが、ゼミ生たち全員が私を漢字1文字で表し、その理由を書いたカードをくれたことです。それを一覧表にしたものが右の表です。みんな集まってやったわけではなく、それぞれが自由に考えたそうですが、1文字もかぶらなかったそうです。そして、その理由を見ると、みんなすごくいいことを書いてくれていて、読んでいてジーンとしてしまいました。ゼミが始まって1年と1カ月ちょっと、プレゼミから数えてもまだ1年半経っていません。そして彼らとは48歳も歳が違います。もう祖父母に近い年齢です。これだけの年齢差があり、まだ付き合って1年ちょっとなのに、こんな風に思ってくれているだと思ったら、感激してしまいました。

 大学教師生活、あと残り10カ月。この50歳近く歳の離れた彼らと、最後の大学教師生活を悔いなく送っていきたいと思います。よろしく、31期生!

1030号(2025.5.6)婚姻の際に夫婦の名字問題を語り合えるか?

 連休明けの国会で、立憲民主党から提出がなされそうな「選択的夫婦別姓」法案ですが、どうやら委員会でも多数は取れず成立は難しそうです。世論調査でも、今国会で成立させなくていいという意見が半数を超えているようです。「選択」なのだから、導入したらいいのにと思うのですが、名字による家族の一体感を主張する保守派は強いようです。あと、世界でも珍しい日本の戸籍制度――昔の戸主を彷彿させる戸籍筆頭者の下に同一姓のものを記入する――との兼ね合いも考えないといけないようです。婚姻時点で、子どもの姓をどちらか一方に決めておくという案が有力なようですが、たぶんそれは戸籍筆頭者を決めるということも意味するのでしょう。となると、もしもこの「選択的夫婦別姓」法が成立したとしても、中国のように妻だけ異なる姓になるというパターンが多くなりそうです。なんか、それはそれでまた新たな問題を引き起こしそうです。

 このGW中に、女性の教え子2人から結婚報告を受けましたが、結婚後の名字については、1人(A)は全然話してない(=自動的に夫の名字になることを了解している?)と言い、もう1人(B)は自分の姓が好きだから男性に変えてもらえないかと話したけれど、喧嘩になってしまいそうで、結局譲歩したと言っていました。昨年3回生ゼミで、「選択的夫婦別姓」について議論した時のことは、「第997号 選択的夫婦別姓(2024.10.23)」に書きましたが、男子学生が全員妻の名字に変えられると言ってたのですが、それはまだ結婚を現実的に考えていないから言えることで、実際にその時が来たら、男性の方から「名字はどうしようか?」なんて話題にすることはほぼしないだろうと思います。その時の議論でも、「選択的夫婦別姓」の導入に賛成していたすべての女子学生が、自分自身が別姓を選ぶかと問うたら、誰1人手を挙げなかったように、若い女性たちも「婚姻する=夫の名字に変わる」と思っていますので、「名字はどうする?」なんて議論をしようとは思っていないでしょう。となると、男性たちはタテマエで「女性の名字に変わってもいい」と言いながら、ホンネでは「そんなことにはならないだろう」と無意識に思っているのでしょう。

 そうそう、もう1人GWに結婚報告を受けた男性の教え子(C)の場合は、自分が彼女の姓に変えた方が、ちょうど有名人と同じ名前になって面白いから変えてもいいなと本気で思ったそうですが、実父が大反対で、結局男性側の名字になったそうです。男性本人が変えてもいいやと思っても、男性の親が反対するということもかなりあるのかもしれませんね。そう言えば、以前男性の教え子(D)で1人、妻の名字に変えた人がいました。彼にその経緯を聞いたら、自分は男三兄弟だし、海外赴任のある仕事なので、海外赴任について来てくれるなら、名字は女性側の名字でいいという話になったと言っていました。女性の教え子で結婚後も元の名字を名乗っている人は1人(E)しか知りません。詳しい事情は聞いていませんが、彼女は確か2人姉妹だったので、家を継ぐ意識があったのかもしれません。男性側がどんな反応だったかは聞いていないのでわかりません。

 結局今の時点では、女性がプロポーズを受け入れるということは、男性の名字に変わることを了承したという意味になっているのでしょうね。プロポーズの際に「名字はどうするの?」なんて、普通は聞けないでしょう。この伝で行ったら、「選択的夫婦別姓」法が導入されても、ほとんどのカップルは、これまで通り女性が男性の名字に変えるということになりそうです。プロポーズを受けるにあたって、「私は名字を変えません。子どもの名字も私と同じにしたい。それを認めてくれるなら、プロポーズを受けます」なんて言えるものでしょうか。今でも、法律上は、どちらの姓にしてもよいわけで、男女平等です。しかし、現実の慣習は、どちらの名字するかという話し合いをせずに、婚姻=女性が男性の名字に変えることになっているわけですから、「選択的夫婦別姓」法が成立しても、ほとんどのカップルは話し合いをせずに男性の名字になるのでしょうね。もちろん、極少数のカップルは、きちんと話し合って、同姓にするか別姓にするか、子どもの名字をどちらにするか決めるのでしょう。しかし、今回のBさんのように、女性側の名字でどう?と提案したら、喧嘩になりそうになったというようなパターンが、「選択的夫婦別姓」でも起きそうです。特に、女性自身の名字はそのままでも、子どもの名字を妻側の名字にしたいと言われた場合は、今の婚姻の際に女性側の名字にしたいという提案と同じ程度の比重を持ち、受け入れられない男性やその両親は多そうです。子どもの姓は統一しなくてもいい、戸籍には全員姓も記入するという方式に変えないと、うまく行かなさそうです。さてさて、「選択的夫婦別姓」法案はどうなるでしょうか?

1029号(2025.4.27)大阪万博探訪記

 先日、大阪万博に初めて行ってきました。その探訪記をまとめたのですが、そのまま載せたら長すぎるので、社会学的視点から気になったことだけ書いておきます。

 まずいつ、どんなチケットを購入したかという話から始めます。もともとそこまで強い関心があったわけでなく、まあ会期中に1回くらい行けばいいかなと思っていたのですが、開幕が近づき、実験的公開日やメディア公開日などで情報がどんどんテレビで紹介されるようになると、なんかやっぱり面白そうかも、と思い始め、ついに開幕日前日に「通期チケット」を購入してしまいました(笑)でも、すべてオンラインでやらなければならないので、うまくできるかどうか不安でしたが、なんとか購入し、とりあえず行く日を予約し、次には1週間前までに予約し抽選を待つというところで、5つのパビリオンに時間を指定して申し込みました。5つも申し込んだから3つくらいは行けるのかなと思ったら、そのうちのひとつが当たれば、他のは全部無効になるそうです。私は「いのちの未来」というロボットやアンドロイドが出てくるパビリオンが当たりました。(ちなみに、このパビリオンは見応えがあり、当たりでした。)後は、3日前から始まる空きパビリオンへの優先枠というのにひとつ申し込めるということだったので、適当に空いていた「オーストラリア館」を申し込みました。(こちらは、あんまりでした。)

 さていよいよ当日です。平日の11001115という入場予約だったので、10時半頃夢洲駅に着きました。改札口とか混んでいるかなと思いましたが、順調に出られて地上に上がると、誘導がちゃんとしていて入場ゲート前まで止まらずに行けました。1040分くらいからゲート前の列に並び、約10分で入場できました。その間、大きな渋滞は起きておらず、手荷物検査をしている割には順調だったと言えると思います。会場内はもちろんたくさんの人がいましたが、ラッシュというほどではなく、人にぶつからない程度に歩けるちょうどよい混み方でした。まずは、一番興味があった大屋根リングにエスカレータで登り、50分ほどかけて一周しました。ここに登ると、異空間に来たなという気分になり、テンションが上がりました。特に、南側の海に突き出た部分はなかなか良い雰囲気でした。

 下に降り、今度は地上部分をぶらぶら歩きました。予約なしで入れるパビリオンもたくさんあり、行列はそれほど長くなっておらず、30分くらい並べば入れるというところが多かったです。とりあえず、今回は会場内をいろいろ見て回りたかったので、並ばずに会場内を歩きました。この日の入場者の特徴としては、小中高の児童生徒がかなり来ていたこと、個人で来ている人は平日ということもあってか、年配者が多かったです。女性の年配者は友達や夫と思しき人と一緒にいる人がほとんどでしたが、男性年配者は1人で見て回っている人もかなりいました。55年前の日本万国博覧会のことも実体験として知っているだろうなと思える人たちでした。

 パビリオンや会場を案内する人にも年配者が非常に多かったです。あと、見た目は日本人かなと思えるアジア系外国人も案内係にかなりいました。1970年の日本万国博覧会の時は、案内役は若い女性たちばかりだったのとは対照的です。服装も70EXPOの時は、ほとんどミニスカートでしたが、今回はスカートを履いている人は案内係にはほぼいなかった気がします。

 開幕日にいろいろ問題が指摘されていたトイレやベンチの少なさですが、天候もよかった平日のこの日はまったく問題なく、トイレもベンチも使いたい時には使える状態でした。ここはなんとかならないのかなと思ったのは、導線です。建物の間の道を抜けたらすっと行けるのに、そういう道はほぼすべて関係者以外通行禁止となっていて、係の人が柵の前にいて入れない状態でした。中央あたりの「静けさの森」から北側のゾーンにあった「オーストラリア館」に行こうと思ったら、いったん西側の大屋根リングのところまで行き、そこから北東の方に歩いて行かないとたどりつけず、かなりの遠回りをさせられました。地図を見ても、どうやらゾーン内は抜けさせないということになっているようです。すべての建物の間の道を通れるようにしろとは言いませんが、非常に広い通りやすそうな道くらい通してくれたらいいのになと思いました。あと、会場内の食事の高さには驚きましたが、まあでもこれは仕方ないのかもしれませんね。

 1970年の日本万国博覧会との違いは、外国人の多さです。今、日本に観光に来ている外国人が多いのはよく知っていたことですが、大阪万博にもこんなに来ているだと驚きました。しかし、1970年の時は外国人が珍しくて、ただの観光客にもサインをもらったりしていた日本人でしたが、当たり前ですが、今はそんな人は誰もいませんでした。あと、そうそう。デジカメで写真を撮っていたのは、たぶん私だけでした(笑)みんなスマホです。1970年の万博の時に、ワイヤレス・テレフォンとして未来の通話機器として紹介されていたものが、55年後の万博では持っていないと、ここには来られないような必需品になっています。通話機器としてより、カメラ、ビデオ、チケット、ガイドブックなど万能の役割を果たしています。会場内はキャッシュレスですし、このあたりは55年前の予想より進んでいる感じがします。パビリオン内の撮影はほぼすべてOKというのも、これまでの博覧会やミュージアムとは違うなと感じさせるところで、よかったです。

 書き始めたら、エンドレスなくらい書くことがありますが、今回はここまでにしておきます。なにせ通期パスを持っていますので、またそのうち行ってきます(笑)今回、予約で入れた「いのちの未来」館の展示はなかなかよかったので、他の人気パビリオンを巡るために何度か足を運んでみます。遠方から交通費と宿泊費を使ってでも行く価値があるかと言われたらわかりませんが、少なくとも日帰りで行けるなら一度は行ってみる価値は十分あると思います。学校単位で来ていた児童・生徒たちもみんな楽しそうだったので、大阪府からの無料招待を断った学校の子どもたちはちょっと可哀想だなと思います。頭でっかちにおおさか維新の会の政策だからと毛嫌いする教師がいることで、チャンスを失っている子どもたちがいるとしたら、なんとかしてやれないのかなと思います。期間限定でワクワクできる場ですから、日帰りで行ける地域の子どもたちには体験させてあげるべきだと思いました。

1028号(2025.4.13)二枚目

 時々、学生に「二枚目だね」と言ってしまうのですが、もう大分前から「二枚目って何ですか?」と聞き返され、「ああ、イケメンのことだよ」と言い直すのですが、言い直しながらなんとなく違うんだけどなあといつも思っています。古い世代は知っていることですが、江戸時代の芝居小屋で主役が一枚目の看板に名を書かれ、二枚目に、主役ではないが色男――これも若い人はわからないですね(笑)「モテる男」ってとこかな――の名が書かれたことから、顔立ちの良い男性を「二枚目」というようになったわけです。

 「二枚目」という言葉は、昭和の時代はみんな普通に使っていた気がするのですが、いつの間にか使われなくなり、今やその言葉を知らない若い人だらけになっていますから、ある世代以降では「死語」になったと言ってもいいのでしょう。ただ、若者はこの言葉を知らないだと気づきながらも、つい何回も私がこの言葉を使ってしまうのは、他にちょうどよい表現がないからです。

 類似の言葉としては、「ハンサム」「いい男」そして「イケメン」なのでしょうが、それぞれ使いにくい感じで、この3つの言葉は、自分ではあまり使っていません。「ハンサム」も古いですよね。今どきの若い人はこれも使わないでしょうね。確かに1960年代までの用語だなと自分でも思います。「いい男」は顔立ちだけではなく、雰囲気(性格?)も含むような気がします。「イケメン」はなんか広すぎるイメージで、私にはピンとこないです。ということで、顔立ちが整っている男性だなと思うと、つい「二枚目だね」と言ってしまうわけです。

 最近の若い男性タレントには、綺麗な顔をした人がたくさんいると思いますが、彼らは何と呼ぶのがいいのでしょうか。私が思う「二枚目」ではないですね。「美少年」かなあ。少年の年齢を超えたような人もいるので、そのあたりの人たちなら「美青年」でしょうか。「二枚目」という気にならないのはなぜかなあ。男性っぽさが薄いのかなあ。

1027号(2025.4.4)「トランプ・ショック」はいつまで続くか?

 何が相互なのか全然よくわかりませんが、とりあえずトランプが「相互関税」という名目で、多くの国に対してべらぼうな高関税をかけることにしたために、株価がどこでも大幅に下がっています。トランプは、アメリカの株価がとりあえず下がるのは織り込み済みで、すぐにアメリカの経済はよくなり、株価も持ち直すと自信満々に発言していますが、どう考えてもそうなるとは思えません。多くの国が報復でアメリカ製品の輸入に対して関税を高くすると宣言しています。そうせざるをえないのはわかりますが、そんな報復措置を行なったら、結局困るのは各国の国民です。日本は、アメリカという「ジャイアン」には絶対逆らえない「スネ夫」なので、報復措置などとは一言も言わずに日本だけ関税を低くしてほしいと哀れな態度を取っていますが、とりあえずそれも受け入れてはもらえなさそうです。国家としてはみじめな態度ですが、無駄にアメリカからの輸入品が高くならないのは結果としては悪くないでしょう。日本の場合、アメリカからは小麦やトウモロコシなど農産物の輸入も多いですから、それに高い関税をかけたら、日本の様々な産業に大打撃を与えることになります。

 それにしても、この「トランプ・ショック」とも言われる事態を引き起こした高関税政策はいつまで続くでしょうか。私は、そう長くは続かないだろうと見ています。500年くらい前から人々が望む方向として進んできた貿易の自由化へのトレンドを、たった1人の変わった男の頭の中の計算だけで変えられるはずがありません。こんな高関税政策はアメリカ国民を含め誰も幸せにしません。早くアメリカ国民が気づいて、トランプ批判を始めてほしいものです。しかし、そうなる前に、自分の言ったことを変えることに抵抗のない無節操なトランプは、半年なり1年なり――いやもっと早いかもしれません――経ってもアメリカ経済がよくならないことを認識したら、「もう十分な成果は得られた。アメリカは偉大な国に戻れた」とか大噓を言って、この高関税政策をやめるという判断をしそうな気がします。多くの人々が望む方向と異なる方向に社会を動かすことは困難です。トランプにも早く気づいてほしいものです。

1026号(2025.4.2)秋元康の歌詞って、、、

 昨日の「つらつら通信」に書いたように「365日の紙飛行機」をつい口ずさんでしまうのですが、「365日」だけでなく、「紙飛行機」もよくわからない気がしてきました。「人生は紙飛行機」なんですかねえ?少なくとも、私の人生は紙飛行機じゃないなあと思います。プロペラはついている気がします。紙飛行機って、「願いや愛を乗せて」飛んでいますかねえ?「風の中を力の限り」進んでないでしょう。風が吹いたら落ちますよね。「折り方を知らなくてもいつのまにか飛ばせる」なんてこともないですよね。ちゃんと折り方を学ばないと、紙飛行機は飛ばせません。綺麗なメロディにうまく言葉が乗っていて、なんとなく心地よく聞いていましたが、歌詞をしっかり読んでみると、「へっ?」ってところばかりです。なんか深い意味がない綺麗な言葉を並べた、まるでChatGPTに作らせたような歌詞だなと思ってしまいました。

 そう言えば、美空ひばりの最後のヒット曲「川の流れのように」も秋元康作詞だったなと思い出し、ちょっと調べてみたら、こちらも「365日の紙飛行機」と同様に綺麗な言葉を並べた、すごく平板な歌詞だという気がしてきました。少なくとも美空ひばりの人生とはまったく異なるすごく平凡な人の人生が浮かんできます。そもそも「川の流れ」もこの歌詞のようにいつも穏やかに流れているわけではなく、雨が降れば小川も獰猛な川に変わったりするわけですし、なんか深くないです。「生きることは旅すること」はまあいいですが、「終わりのないこの道」じゃなく、いつか必ず終わりが来ます。穏やかな聞きやすいメロディーを、美空ひばりという抜群に歌の上手い歌手が心を込めて歌うので、なんか素晴らしいメッセージが語られている気がしましたが、よくよく歌詞だけ読むと平板です。

 現代の吟遊詩人と言える中島みゆきや、自分の素直な気持ちを歌詞にできる竹内まりあとは全然違う人です。フォークソングを歌っていた人たちも伝えたい言葉をもっと大事していました。秋元康はメロディーにうまく言葉を乗せられ、かつ膨大な数の曲に次から次に歌詞をつけることができるプロの作詞家なのだとは思いますが、詩人ではないですね。まあ、いちゃもんみたいな感想ですが、ふと思ってしまったので書いておきます。

1025号(2025.4.1)新年度スタート

 41日ですね。2025年度がスタートです。あちこちで入社式が開かれ、卒業したばかりの学生たちが新社会人の第1歩を踏み出したことでしょう。ちょっと寒かったですが、桜はほぼ満開で、なかなかよいスタートの日になったのではないでしょうか。他方、私は長い大学教員生活の最後の1年のスタートです。新社会人になった時とはまた違う感慨深さがあります。大学教員になってから43回目の41日です。こうやって文字するとすごい数字ですが、あっという間でした。いつの間にそんなに時間が経ったのだろうという気分です。今年度は、何をしてもこれが最後なんだなと思いながら過ごしそうです。楽しみながら最後の1年を過ごしたいと思います。

 ちなみに、あと365日だなと思うと、「365日の紙飛行機」という歌がつい頭に浮かんでくるのですが、あの歌、どうして365日なですかねえ。365日後には墜落するのかなとふと思って歌詞を調べてみましたが、別に365日の命だと書いているわけではないですね。人生を楽しく生きようという内容ですが、なんで365日と歌詞に入っているかはよくわからないですね。まあ、私は勝手にあと365日飛ぶ紙飛行機と思って口ずさむことにします。もうすぐ364日です。特別なことはなく11日が過ぎて1年が過ぎていくのでしょうね。元気に例年と変わらぬ大学教員生活をやっていきたいと思います。

1024号(2025.3.30)大河ドラマ「べらぼう」

 昨年の「光る君へ」も摂関政治の時代の宮中の複雑な政治事情をしっかり描いていて面白かったですが、今年の大河ドラマ「べらぼう」もかなりいいです。蔦屋重三郎を主人公にすると聞いた時は、売れてからの蔦屋重三郎しかイメージがなかったので、有名画家たちとの絡みが出てくるまでどうつなぐのだろうと思っていましたが、吉原生まれで少しずつ地位を上げていく蔦屋重三郎の人生が非常に興味深いです。そして、ネット上でも話題になっていますが、小芝風花の花魁ぶり、そして鳥山検校に身請けされてからも迫力のある演技で、見る者の心を捉えます。特に今回はよかったです。てっきり数回前の吉原を出ていく場面で、小芝風花はもう出てこないのかと思いきや、今日の市原隼人演じる鳥山検校とのやり取りは素晴らしかったです。ちなみに、鳥山検校が瀬川という花魁を多額の身請け金で身請けしたのは事実で、またその金貸し業を幕府によって取り締まられるというのも事実のようです。脚本家の森下佳子氏はよく勉強して見事な物語を作っているなあと感心しています。今後も非常に楽しみです。

 ただ、私のような歴史好きの年配者にとっては最高のドラマですが、小さな子どもたちも一緒に見られる歴史ドラマかと言うと、そうは言えないでしょうね。吉原ってどういうところかの説明も難しいし、ドラマ自体、大人向けの大胆な映像が少なくありませんので。私は、小学校1年の時の井伊直弼を主人公にした第1作「花の生涯」から見ていますが、第2作は「赤穂浪士」、第3作は「太閤記」、第4作は「源義経」と、小学生でも受け止められる「THE 歴史ドラマ」でした。もう60作以上やっていて、何度も同じ時代の大河を見てきている私のような年配者が多く見ていることを考えると、NHKもあまり取り上げられない時代や場所を取り上げざるをえないのだと思いますが、かつてのように家族で見られる大河ドラマという作りではなくなっているように思います。まあでも、今どきテレビを見るのは年配者中心ですから、年配者が楽しめる歴史ドラマでいいのでしょう。下手に子どもから年寄りまで全世代に受けるようなドラマをめざしたら、ろくなものはできそうもないですから。「べらぼう」には、このまま子どもには推奨しにくい凄みのあるドラマ作りをしつづけてほしいものです。

1023号(2025.3.27)ホームに戻った気分

 昨日は今年度最後の教授会の日でしたが、5年ぶりに第3学舎(社会学部棟)の会議室で行われました。60名の社会部教員が入ると。ちょうど満席という感じの会議室です。新型コロナの流行以降、教授会はオンラインが基本となり、たまに対面でやることがあっても、大きな講義室を使って会議をしていたのですが、昨日は理系の大規模学会が千里山キャンパスのあちこちの学舎を利用し、第3学舎も多くの教室を使用していたので、やむをえずこの会議室を使うことにしたようですが、久しぶりにこの会議室での教授会は、ホームに戻ったような気持ちにさせてくれました。

 社会学部の良さは、この会議室での物理的距離の近さが心理的距離の近さを導き出すことによって生まれていたんだなということに改めて気づきました。オンラインではわからない他専攻の先生方の様子なども、この会議室にいると、よくわかります。この5年でオンライン会議が常態化し、私自身も「ああ今日は教授会かあ。オンラインだから流して聞くだけだなあ」と、全然気持ちの入らない時間を過ごしていました。楽だけど、こんなに人間関係も深まらない状態が続くなら、もしも自分が40歳代とかだったら、他の大学に移りたくなるだろうなあとも思っていました。それが昨日、教授会のホームと言える会議室に戻って、しみじみ「そうそう。この感じだよ。これがいいんだよなあ」となんだか嬉しくなりました。晩には、退職教員を送り新任教員を迎える歓送迎会が開かれましたが、こちらも教授会の余韻から笑顔が多い、非常によい雰囲気で進みました。学部長も、やはりこの会議室で生まれる雰囲気の良さに気づかれたようで、次回の新年度1回目の教授会も、この部屋でやりますと言ってくれました。私にとって最後の年度のスタートです。そして、ほぼちょうど1年後に、私も退職する教員として最後の教授会に出席することになりますが、ぜひその時もこの会議室でやってほしいなと思っています。

1022号(2025.3.7)御堂筋ってここから来ていたのかあ

 久しぶりに、あまり明確に行き先を決めないのんびりした町歩をしてきました。本町の駅で降りて、貼ってあった周辺地図を見ながら、どこに行こうかなと眺めていたら、北御堂と南御堂という浄土真宗の立派そうな建物があることに気づき、そこに行ってみることにしました。まず、南御堂に行ったのですが、山門がビルになっていて上はホテルになっているし、入口部分にはアルファベットで「MINAMI MIDO」と書かれた、今風の写真スポットになりそうなものが設置されていて「なんかなあ」という感じでしたが、金箔でキラキラの本堂はオープンで、京都の寺院のように拝観料を取ろうとしていないところは好感を持ちました。入口の休憩所のようなところで、ビデオによる南御堂の説明をぼーっと聞いていたのですが、「南御堂と北御堂を結ぶ通りなので、御堂筋と呼ばれるようになった」という説明を聞いて、思わず「そうかあ。そうだったのかあ!」と思わず声が出てしまいました。

 大阪に暮らして42年。「御堂筋」という言葉は何万回聞いたでしょうか。いや、たぶん欧陽菲菲1971年にヒットさせた「雨の御堂筋」を聞いて以来、大阪の有名な通りとして十代半ばからその名前は知っていたので、そこから数えたら54年、当たり前のように聞き、当たり前のように使ってきた「御堂筋」の言葉の由来をまったく考えたことがなかったです。そして、その名前の由来となっている立派な2つの御堂が今でも御堂筋に厳然としてあるということも知らなかったのは、我ながらなんか恥ずかしいなという気にすらなりました。大阪で生まれ育った人は、みんな知っているのでしょうか。

 町や通りの名は、昔ここにそういうものがあったということで、今はもうその名を表すようなものがないというところも多いのですが、御堂筋の場合は、今でも堂々と御堂筋なだと妙な感心の仕方をしてしまいました。ビデオの説明では、豊臣秀吉に石山本願寺の場所(大阪城のある地区)を譲った真宗に、秀吉がこの場所を与えて以来、ここに南御堂があるという話でしたが、ウィキペディアで調べると、もう少しややこしそうです。詳細は、ウィキペディアを見ていただきたいですが、ひとつ大事なことは南御堂と北御堂は設立され方が全然違うことです。南御堂の方は、確かに秀吉や家康との関係もあって造られたようですが、北御堂は信徒たち自身によって建てられたようです。宗派も、南御堂は東本願寺派、北御堂は西本願寺派なので、異なるようです。御堂筋なんて名前がついているので、それこそ信徒が両方の寺院を行き来している同宗派かと思ったのですが、違うですね。でも、それなら京都の西本願寺と東本願寺もほぼ同緯度にあるのですから、そこを結ぶ通りも「御堂通」とかになってもよかった気がしますが、京都はそうはならなかったんですね。七条通りあたりがその通りにあたるかなと思いますが、京都ではすでに通り名称がしっかりできていたので、変えることはなかったんでしょうね。とりあえず、大阪御堂筋の由来がわかって満足できた町歩きでした。

1021号(2025.3.5)81歳だね!」

 アメリカにいる孫たちと久しぶりにたっぷりビデオ通話をしました。上の子が8歳、下の子が6歳です。ついこの間生まれたと思っていましたが、日本の学齢だと、もう小学校2年と年長さんで、4月になれば3年生と1年生です。子どもの成長は、本当に早く感じます。現地校に通っていますので英語もとても上手くなっていますが、土曜日には日本語の補習校にも通い、日本語も頑張っています。上の子は漢字も結構読めるようになったようで、私がオリジナルで作った童話本(童話「はるまくんとけいまくんのだいぼうけん」210216.docx)や、同じくオリジナルの「ことばともじのはなし」(https://www.dropbox.com/scl/fi/4l5jp7y8os1z1u5e34p9t/.pdf?rlkey=a9zkqk20x2s6kb4ku0nvjgzmz&st=2thq97g6&dl=0)という冊子を持ってきて、しっかり読めるようになったところを見せてくれました。童話の方は、読み終わって「ママ、ストーカーだね(笑)」なんて言ってました(笑)

娘が「おじいちゃんはあなたたちが大きくなって、一緒にお酒を飲めるのを楽しみにしているだよ」と言うと、「お酒はいくつから飲めるの?」と聞くので「20歳だよ」と答えると、「そうかあ。じゃあ、じいじいは今69歳だから、81歳の時だね!」と言うと、下の子も「ぼくは83歳だ!」と元気に言ってくれました。なんか涙が出てきました。孫からお酒を一緒に飲める日はいつだろうなんて話を聞けるとは、感激してしまいました。その日まで絶対元気でいたいなと強く思いました。

1020号(2025.3.4)立派な18歳だけど、、、

 昨日の悠仁親王の成年記者会見をご覧になりましたか。ちょっと緊張感は見えたものの、しっかりした受け答えで立派でした。きっと質問は事前に提出されていて回答も自分一人で考えたわけではなく、大人の手も入ったものでしょうが、しっかり18歳の成年皇族として答えられていました。秋篠宮家は、長女・真子さんの結婚問題以来逆風にさらされ続けていますが、そんな中でまっすぐに素直に育っているようで、よかったなと思いました。あと3040年したら、彼が日本の天皇になっているわけですから、ちゃんとした人物になっていないと困るのですが、それなりに帝王学を学んでいるのか、18歳の皇位継承第2位の人物としては100点満点の記者会見でした。

 しかし、この後彼には至難が待ち受けています。昨日の記者会見でも質問が出たようですが、将来の結婚、後継ぎ問題です。今の皇室典範のままなら、いつか結婚相手を見つけ、その女性が男子を生んでくれないと、日本の皇室制度は続かなくなるというすさまじいプレッシャーが彼にはかかっていくわけです。女性も皇位継承できるようにしたとしても、血統主義を変えない限り、子を産まなければならないというプレッシャーからは決して解放されません。日本人は天皇制の維持をほとんどすべての人が肯定していますが、その結果として天皇家の人々に、一般世界なら許されないほどのすさまじい人権侵害や不自由さを与えてしまっています。

 こんな一般人には認められないような人権侵害や不自由さを甘受してもらうには、一般社会では認められないようなこともOKにしないといけないのではないでしょうか。シンプルに言えば、一夫多妻制を天皇家に関しては認めることでしょうか。でも、これはみんな拒否感を持つでしょうね。必ず子を作れというプレッシャーを与えながら、昔の天皇や将軍のように、妻をたくさん持つことは許さないというのは、制度維持の観点から見ると、かなり矛盾しています。一夫多妻制がどうしてもだめならば、以前にも書きました(参考:第819号 そんなに男系男子にこだわりたいなら(2021.10.7))が、男性皇位継承者の精子の冷凍保存をたくさん行い、多額の報酬と引き換えなら天皇家の子どもを産んでもいいという女性を募集し、子を産んでもらうという方法はどうでしょうか。まあ、きっとこれも不快感を生むのでしょうね。

 結局、国民は天皇制度のことを真剣に考えずに、きっといつか悠仁親王が素敵な女性と出会い結婚し、そこに男の子が生まれることを単純に期待しているのでしょうね。でも、こんなに不自由で人権もなく、ただ男子を生むことだけを期待される悠仁親王の妻という地獄の地位を選択するような女性はいるのでしょうか。40年ほど前に、現在の天皇や秋篠宮が成年を迎えた頃は、誰もこんな心配はしていませんでした。若い男性皇族が2人もいましたし、世の中の価値観も、女性は素敵な男性と出会って結婚し、子どもを持つのが幸せだと多くの人が思っていましたので、きっといつか2人とも素敵な女性と出会って、美智子上皇后がそうであったように、お子さんを3人ずつくらい作ってくれるのだろうと漠然と思っていました。しかし、今は、結婚、子を持つことが必ずしも幸せだとは言えないという価値観の時代になっています。なのに、天皇家だけは昔の価値観で生きろと言われています。悠仁親王の将来が心配です。日本人が本気で天皇制度を維持したいなら、天皇家だけに特別なルールを可としないといけないのではないかと思うのですが、誰も真剣に考えていないのが不思議でなりません。

1019号(2025.2.25)アルフィーと桐島聡

 昨日「しゃべくり007」という番組に、アルフィーの3人が出演し、結成50年、全員70歳だけど、変わらず楽しくやっている姿を見せていました。彼らは1973年に明治学院大学に入学しそこでバンドを結成して10年ほど経ってから出した「メリーアン」という曲で売れ始めたバンドです。一定の年齢以上の人は昔からよく知っていると思いますが、最近のZ世代は、昨年の紅白歌合戦に40年ぶりくらいに彼らが出演し、そこでこんなバンドがあったんだと初めて知った人たちも多いそうです。3人ともバラエティ番組の空気をよく知っているので楽しい番組になっていました。彼らは、私が好きな竹内まりあと同学年で、私の1つ上です。こんな若々しくて楽しく過ごせる70はいいなと思わせてくれる人たちです。

 さて、昨日その後にNHKの「事件の涙」という番組で、指名手配犯として約50年捕まらず、死ぬ間際に「自分は指名手配犯の桐島聡だ」と告白し、その数日後に亡くなった桐島聡の人生を紹介していました。なぜ、これをここに書こうかと思ったかというと、桐島聡がアルフィーの1年前の1972年に同じ明治学院大学に入学していたことを知ったからです。ほぼ同世代の若者で同じ大学に入学したこの1人と1組の人生があまり違い過ぎて、ほぼ同世代である私なりに語ってみたくなりました。

広島県福山市出身の桐島聡は大学に入ってから、東京山谷の日雇い労働者の困窮状態などを知り、これを何とかするためには、日本の生ぬるい現状に世間の注意を向けさせるためには爆弾闘争などをすべきだと考えるようになり、そういう行動をする左翼過激派グループに属します。桐島自身は直接加担しなかった三菱重工ビル爆破事件のすさまじい結果に驚き、自分自身が加担した爆破事件では慎重に死傷者が出ないように配慮していましたが、人がいないと思っていた時間にたまたまいた従業員が怪我をするという事態が起こり、殺人未遂の罪で指名手配されることになります。同じグループのメンバーはすべてつかまりましたが、桐島聡だけはつかまらず、偽名のまま50年近く隠れて生き、最後に死期を悟った際に、自ら本名を名乗り、警察に連絡してもらったそうです。捕まった仲間たちは、死者を出していなかったこともあって懲役刑で済んでいたので、桐島も早々に出頭していたら10数年の刑期を経て桐島聡として生きることができたことでしょう。桐島聡だとカミングアウトして亡くなった彼のお骨は親族が引き取らないと言っているので、引き取り手のない墓地に埋葬されているそうです。

アルフィーと桐島聡の人生を分けたのはどこだったんでしょうね。私は、「しらけ世代」は19534月生まれから19583月生まれの5学年が典型学年と考えています。19555月生まれの私は、まさにちょうどど真ん中ですが、桐島聡は19541月生まれで、アルフィーの3人は19544月生まれが2人と19551月生まれが1人です。私も含めて5人は14か月の間に生まれています。ほぼ完全に同世代です。私がこの5学年を「しらけ世代」の典型と考えるのは、1972年冬の連合赤軍事件を高校生から中学23年生で見た世代で、政治に関心はあっても、学生運動に熱くなることに懐疑的にならざるをえない世代だったと思うからです。アルフィーの3人は高校時代からバンド活動をやっていたようなので、政治問題にはあまり興味がなかったのかもしれません。しかし、桐島聡は大学入学後に活動家になっていくわけです。まあ、1974年入学の私の世代でも、新左翼系ほど過激な活動はしなくても政治活動を熱心にする人たちはそれなりにはいましたので、桐島聡もそういう人たちの1人だったのでしょう。

今考えてみると、あの頃の学生たちは、何かエネルギーをかけるものを探していた人は多かったように思います。政治、音楽、恋愛、何か打ち込めるものを、みんな探していた気がします。アルフィーは音楽を、桐島聡は弱者を救うために社会を変えることをめざしたのでしょう。私は、何をめざしていたかなあ。大学に入った時点では、私は田舎の高校生過ぎて、とりあえず必死で背伸びして大人になろうとはしていましたが、何に打ち込めるかなんてとうていまだ決められないような状態だった気がします。よかったのは、頭でっかちにわかったふりをすることはできずに、自分自身が自然体で理解できないことには自ずと慎重になる癖があったことでしょう。そして、考えに考えて、唯一決めたのが社会学を選択するということでした。大学1年の冬でした。そこからちょうど50年。いよいよ70歳をあと数か月で迎えようとしています。70歳までどんな人生になるか、大学時代にスタート地点があった気がします。アルフィーと桐島聡、そして私も。

1018号(2025.2.21)天皇誕生日

 明日から3連休とニュースで言っていたので、「えっ、なぜこんな時期に3連休?」と思ったのですが、223日が天皇誕生日だったからなですね。昭和で育った私にとっては、天皇誕生日と言えば429日というのがぱっと思い浮かぶ天皇誕生日で、平成時代の1223日も結局なじみきれないまま、新しい天皇誕生日になってしまったわけです。1223日も223日も大学勤務の人間にとっては、あまりありがたい休みではなかったのに対し、429日はGWの始まりという感じでよい祝日でした。429日は、今は「昭和の日」という名前の祝日になっていますよね。別に、昭和天皇が素晴らしかったから、祝日にしたというわけではなく、激動の昭和という時代に思いを馳せるためという名目で、実際はGWを期待する国民のために、そのまま祝日にした方がよいだろうという判断だったのだと思います。(平成に入って、しばらくは「みどりの日」でした。)立派な天皇だったという意味でなら、現上皇も非常に立派な人なので、そのまま祝日にすべきだったということになりますが、そんなことをしていたら、天皇家が続く限り祝日が増えてしまいますから、無理ですよね。

 でも、明治天皇の誕生日は113日で、戦前は明治節という祝日で、戦後は「文化の日」と名を変えてそのまま祝日になっているはずだなあと思い出し、そう言えば、大正天皇は何月何日生まれで大正時代は天長節(天皇誕生日)の休みはいつだったんだろうと調べてみたくなり探してみたら、いろいろ驚くような事実を知りました。まず、明治元年においては、天長節は113日ではなく922日でした。明治天皇は、嘉永5922日生まれなのだそうです。それが113日に変わったのは、明治6年に太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦に明治政府が暦を変更することにしたために、嘉永5922日は1852113日に当たるということで、113日が天長節になったそうです。この時同じく変更されたのが紀元節(現在の建国記念日)です。神話に基づくような話なのに、なんで211日なんて中途半端な日にちなのだろうと思っていましたが、これも旧暦だと11日だったのが、太陽暦では211日に当たるということで、この日が紀元節となったそうです。建国記念日の頃に、旧正月で長期休暇を取った中国の人がたくさん現れるのも、そういうことなんですよね。ちなみに、旧暦時代は、16の付く日は休日だったそうですから、4日働いたら1日休めるということだったようです。(まあでも、そんなスケジュールで働いていた人はごくわずかだったでしょうが。)土曜半休、日曜休日という1週間単位のスケジュールになったのは、明治9年のことだそうです。

 さて、誕生日を知らなかった大正天皇ですが、明治12831日生まれでした。まだまだ暑い夏の時期の生まれだったんですね。で、大正時代に入ったらこの夏休み中の1日が休日になったのかと思いきや、なんと天長節は831日ですが、天長節祝日というものも作られ、それは1031日にしたそうです。天長節も一応祝日だったようですが、拝賀や宴会は1031日でやったそうです。暑かったからでしょうか?そんなんありだったんですね。1031日の根拠はなだったんでしょうね。明治天皇の誕生日の113日はどうなったかというと、大正時代は祝日ではなく普通の日に戻されていました。明治天皇がらみでは、亡くなった730日が明治天皇祭として祝日だったそうです。明治時代も、先帝である孝明天皇の崩御日――130日(旧暦では慶応21225日)――が孝明天皇祭として祝日だったそうです。「えっ、明治節は?」と一瞬不思議に思いましたが、昭和になった時に、先帝祭が730日から大正天皇の崩御した1225日に変わり、天長節が429日でもちろん祝日、天長節祝日というのはなくなり1日祝日が減ることになりそうだったので、明治天皇の誕生日の113日を明治節として新しい祝日にして祝日の日数を減らさないようにしたそうです。つまり、113日は明治以来ずっと祝日だったわけではなかったです。あともうひとつついでに知ったのは、春分の日、秋分の日という祝日は、戦前は、春季皇霊祭と秋季皇霊祭と呼び、歴代天皇の御霊を祭る日といて、明治11年に追加されたそうです。過去のこういう暦の歴史を調べていると知らないことがたくさんわかって非常に面白いです。

1017号(2025.2.17)矛盾していないだろうか?

 先ほどワイドショーを見ていたら、吉本芸人が海外のオンラインカジノに参加していたことで警察の事情聴取を受けているというニュースを紹介し、さらに海外のオンラインカジノをやっている日本人は350万人以上いて、20歳代、30歳代の男性が中心なので、ギャンブルにはまらないように様々な手立てを打つ必要があると語っていました。そして、そのすぐ直後に、今度はバレンタインジャンボ宝くじの宣伝をしていました。1300円で、1等は2億円、前後賞を合わせたら3億円と番組内で紹介していました。いやあ、おかしくないですか?ギャンブルにはまらないようにしましょうといったすぐ後で、宝くじを買いましょうって。宝くじで思い切り、日本人の射幸心をあおっておいて、カジノをやったら即法律違反って、全然理解できません。宝くじはよくて、カジノはいけない理由はなんなのでしょうか?他にもギャンブルをめぐる矛盾はたくさんありますよね。サッカーの試合結果はtotoという合法な賭けの対象になっているのに対し、野球の試合結果は賭けの対象にしたらアウトです。どんな論理で、片方のスポーツは賭けの対象にしてよく、もう一方はだめと決められるのでしょうか。たぶん論理はないと思います。他にもインフォーマルに多くの人がやっていそうな違法なギャンブルに、賭けマージャン、賭けゴルフ、賭け高校野球などもあります。他方で、競馬、競輪、ボートレースなどはOKです。私はギャンブルには全く興味がなく、宝くじも買ったことがない人間ですが、一貫した論理で行うなら、全部合法的な賭けの対象にしたらいいのじゃないかと思います。カジノもIRができたら、合法になるはずですが、IR施設内で行うものだけが合法で、それ以外で行うのは違法とかになるのでしょうか。よくわかりません。

それにしても、ついこの間まで、年末ジャンボの宣伝をしてたと思ったら、今度はバレンタインジャンボだそうです。今まであまり聞いたことがないなと思っていましたが、調べたら2018年から始まったようです。他にも、ドリームジャンボ、サマージャンボ、ハロウィンジャンボ、そして年末ジャンボと、たくさんあります。こうしたジャンボ宝くじの大宣伝をして、コツコツ働く気持ちを薄れさせていく社会の在り方がおおいに疑問です。貯蓄より投資をと政府が言っているのも、射幸心を煽るとまでは言いませんが、お金は働いて稼ぐものという価値観を薄れさせる役割を果たしている気がします。こんな価値観を一方で植え付けておいて、海外カジノはやっちゃだめなんて言って、誰がちゃんと従うのでしょうか。おかしな社会です、というより無責任な政府です。

1016号(2025.2.11)高校授業料無償化への疑問

 維新の会が中心になって、全国的にも高校授業料無償化を導入するかどうかが国会で議論されています。大阪府はすでに導入していますが、私は高校授業料の無償化は非常に疑問です。高校まで義務教育にするなら無償化すべきでしょう。でも、高校は義務教育ではありません。本来学びたい人だけが進学するところです。もちろん、今やほとんどの人が進学しており実質的に義務教育的になっているのはわかってはいますが、無償化されたらよりやる気が出るのでしょうか?むしろ、自分でコストを払っていないことで真剣に何かを得ようとしなくなる人の方が多くなりそうな気がします。

 まあでも、あまり時代に逆らうのもなんですから、多少は譲歩しましょう。譲歩のポイントとしては、公立高校の授業料無償化までです。なぜ私立高校まで無償化するのでしょうか。実際私立高校の無償化も行っている大阪府ですでに生じていますが、公立高校を受験する人が激減して、私立高校を受ける人が増えています。そりゃ、そうなりますよね。どちらも無料で行けるなら、そのまま大学に行ける可能性があったり、しっかりした受験指導をしてくれたりする私立高校に人気が出るのは当然です。こんな制度を続けていたら、大阪府の公立高校は今後いくつも潰れてしまうことになります。

 私立中学は無償化されていないようですから、私立高校も無償化するのはおかしいです。公立高校の授業料と同じ額だけ私立高校に通う生徒にも出してあげれば不公平はないはずです。お金はないけれど、勉強したいと思う人は公立高校に行けるということになれば、公立高校全体のレベルアップにもつながるでしょう。今の大阪府の制度だと私立高校に通う場合63万円まで府が補助し、それを超える分は学校が負担しないといけないそうです。おかしな制度です。たぶん、私立高校は授業料ではない名目――たとえば施設設備費とか――の金額を上げて、そこを各家庭の負担にしているのではないでしょうか。おかしな名目の費目がべらぼうに高いなどという奇妙なことが起きていそうです。

 ニュースを見ていても、高校授業料無償化に反対の意見をはっきり言う人がほとんどいないのが不思議です。一律支給は、現在の国の制度――年収910万円未満の世帯の子に、私立・公立を問わず118,000円を支給、590万円未満で私立高校なら396,000円を支給――で十分だと思います。(せいぜい、子どもの数による上限の違いはあってもいいかなと思いますが。)所得制限を撤廃しかつ私立公立関係なく全員無償にするより、公立高校は豊かな世帯でなくとも無償で行けるようにしておけば、教育を受ける機会にそれほど大きな不平等は生まれないはずです。むしろ学費ということで言えば、大学の授業料が高すぎます。特に国公立が昔と比べるとあまりに高く、こちらの方こそ対応すべきです。国公立大学の授業をもっと安くするとか、勉学に本当に頑張っている学生には所得制限なしで給付型奨学金をしっかり出すようにした方がいいと思います。

1015号(2025.2.10)関税を上げて得をするのは誰なのだろう?

 トランプが大統領になってから、毎日のように関税を上げるという発言を嬉々として、それを交渉材料に使って2国間交渉を有利に進めようとしています。実際にカナダもメキシコもやや譲歩して関税をかけられないようにしたようですが、関税が上がったら困るのは輸出国だけなのでしょうか?輸入した品物が関税分だけ高くなるわけですよね。困るのは、輸入した品物を買わなければならないアメリカの国民なのではないでしょうか。関税は、自国の産業を守るために利用されることが多いと思いますが、もしもトランプ方式でありとあらゆるものに関税をかけていった場合、輸入できなくなった品物をアメリカで全部生産できるのでしょうか。間違いなくできませんよね。これまで安く入手出来ていたものが関税のせいで高くなってしまったら、生産現場も消費現場もみんな困ることになるのではないでしょうか。

 世界の経済は封建時代の自給自足的生活から、自由な貿易が少しずつ行われるようになり、自国で生産できないものを輸入し、余剰するものを輸出することで、より豊かな生活をできるようになってきたはずです。トランプの関税をどんどん上げていくというやり方は、自給自足の時代に戻したいのかと言いたくなります。アメリカにはできあがった物を売るのではなく、工場や企業自体を進出させるなり、投資するなりして、アメリカの産業発展に貢献するという形で付き合えというのがトランプの主張のようですが、いくらアメリカの領土が広いとは言っても、すべてのものを国内で用意するのは無理です。こんなトランプ方式ではアメリカ国民も幸せになれないと思うのですが、、、

1014号(2025.2.3)うーん、、、青春の思い出が148円!

 残り1年ちょっとの大学教師生活で、研究室がなくなるので、今年は断捨離をしていかないといけません。その第1弾として青春時代に集めていたLPレコード67枚を買い取り業者に託しました。先ほど買い取り額の評価が届いたのですが、なんと総額148円でした。平均11020円くらいの評価はあって最低でも1000円くらいは超えるのではと思っていましたが、甘かったです。でも、箱も送ってくれたし、送料も無料でしたので、そういうものを考えるとこんな査定額になっても仕方ないのかもしれません。メルカリのような面倒なことをやる気のない人間ですので、このLPレコードたちももともと捨てるしかないのかなと思っていたので、148円でも引き取ってくれて、また誰かが聞いてくれるなら、ゴミになるよりはいいやと思って、買取を承諾しました。この後、書籍に関しても買い取ってくれるところに送っていこうかなと思っているのですが、査定額はこんなものなでしょうね。まあでも、ゴミになるよりは、誰かが利用してくれるならよしとして少しずつ作業を進めていきたいと思います。最後に、思い出のLPアルバムをここに掲載して、私の永遠の思い出にしたいと思います。

1013号(2025.1.21)「常識の革命」

 トランプが大統領に戻ってきました。大嫌いな人物で、こんな人間が大国アメリカを率いると思うと、ぞっとします。しかし、彼が今回の就任演説で使った「常識の革命」という言葉は、じわじわ広がるのではないかと思います。今、アメリカだけでなく世界で自国中心主義的な保守勢力が勢いを増しているのは、結局リベラルの極端な主張を、多くの人が潜在的には疑問に思っているからです。でも、普通の人たちはそこを露骨に言えずにいるわけですが、トランプはタテマエの綺麗ごとなど全く無視して発言します。「性別は男と女の2つだけ」なんて発言は、本来は当たり前に多くの人が思っていることですが、現代のタテマエではそういう風に考えてはならないことになっています。こういう空気がトランプのような強硬保守派を支持させてしまうのです。

 しかし、これは最悪な状況です。行き過ぎたリベラルとその反動としての強硬保守の対立というのは、社会に分断を招きます。過剰なリベラルの主張を抑えるのが強硬保守になってしまうのは危険です。バランスの取れた中道的発想が必要です。トランプの主張は決して常識ではないものが多くありますが、確かに多くの人にとってホンネに近い主張もあるので、これこそ常識だと言われると、そうだと思ってしまう人も多くいそうです。しかし、ホンネをあまりに軽視するのもよくないと思いますが、他方で全部認めるのもよくないはずです。人が欲望(ホンネ)のままに生きたら、社会の秩序は成り立ちません。適切に欲望をコントールして初めて社会の秩序は成り立つのです。タテマエを正しいと思い過ぎず、かと言ってすべてホンネでいいのだとも思わず、適切な中庸的発想こそ支持されるべきです。

常識は革命で普及させるものではないです。長い時間をかけて、各社会が作り出してきたものです。社会学では「常識を疑ってみよう」という発想を勧めますが、それは「常識を否定して生きなさい」と言っているわけではありません。なぜある常識がある社会で常識として通用しているのかを考えるために、一度常識を疑ってみようと言っているのです。各社会は多くの常識を持っており、それらを前提として動いています。特に、この100年間に近代資本主義社会で形作られてきた常識がこの20年ほどの間にかなり疑問視され否定されてきてもいます。しかし、それを復活させるのは「革命」的なやり方ではなく、きちんと考えて、社会がきちんと回っていくためには、どの常識が残るべきなのかを考えた結果であるべきです。ただただ、過剰にリベラル批判をするだけでは分断が増すだけです。リベラルの主張も理解した上で、受け入れるべきものと受け入れるべきでないものを丁寧に区別するべきです。「静かな常識の復権」はなされるべきだと思いますが、「常識の革命」は危険な臭いが強くします。ミニ・トランプみたいな存在があちこちに現れないようにするためにも、「静かな常識の復権」をめざすべきだと思います。

1012号(2025.1.15)今どきの成人式

先日ゼミ生たちから今どきの成人式(=20歳の集い)についての話を聞き、驚きました。何に驚いたかというと、今どきの成人式は、自治体主催の式が終わった後に女性たちは振袖からドレスに着替えて、ホテルなどで中学校ごとに行われる同窓会にこぞって参加するということです。成人式後に同窓会を行うというのは昔からそれなりに行われていたと思いますが、仲の良い人たちを中心に行われるものがほとんどで、学校単位で行われる同窓会というのはなかったような気がします。(中学校が1つだけといった小さな自治体では、そのまま同窓会になるということはあったかもしれませんが。)うちの娘たちは2011年に成人式を行いましたが、その時にはそうした大規模な同窓会には出かけていなかったように思います。一体いつからこんな慣習ができたんだろうかと気になって卒業生たちを中心に少し話を聞いてみました。その結果、以下のようなことがわかりました。

90年代に成人式を迎えた教え子たちは成人式に出た後はばらばらと解散して、仲の良い人たちと集まって飲むというような事はしていたようですが、学校単位で集まっていたという話は出て来ませんでした。1番早く学校単位で集まっていたという回答を寄せてくれたのは2006年に成人式を迎えた人でした。他方で、2012年に成人式を迎えた人でもそんな学校単位の同窓会はなかったという声もありました。2013年以降に成人式を迎えた人たちではかなり多くの人が学校単位の同窓会があったと記憶をしていました。ただしその中心になっているメンバーが、成人式実行委員のようなきっちりした人の場合には多くの人が参加したようですが、やんちゃな人が中心になってるという印象があると、若い世代でも参加しなかったという人がかなりいたようです。今の現役ゼミ生たちに話を聞いた時には、そこに居た公立中学を卒業した15人のうち14人の地域では学校単位の同窓会を開かれ、1人を除いては全員がその同窓会に参加したと言っていましたので、より公式行事に近くなっているのでしょう。

この変化の背景にはSNSとスマホの普及が大きく影響していると考えられます。日本の大学生の間でスマホが一気に普及していくのは2011年頃のことです。SNSはそれ以前もミクシィなどを中心にある程度はガラケーでも使えていましたが、やはりスマホの登場によってSNSはより本格化したと思われます。LINEなどを通じて連絡が非常にしやすくなり、人を集めるのも容易になったようです。以前このつらつら通信で若い人たちの間で同窓会がどんどんなくなっていくのではないかと書きました(第1004号 同期会やクラス会は消えていくのかも、、、(2024.11.23))が、成人式は日程調整をせずにみんなが確実にその日に集まることができるので、同窓会を設定しやすいのでしょう。今年成人式を迎えた娘さんを持つ教え子から得られた話では、その娘さんの場合、1次会の同窓会が160人、2次会が110人、3次会が60人だったそうです。すごい人数です。

テレビのニュースでは晴れ着を着た女性たちがたくさん映り、今どきの成人式はこんな感じかと思っていましたが、その後にこんなパーティのような同窓会をしているのはニュースでは取り上げてくれないので知りませんでした。成人式もいつのまにか少しずつ変わっているようです。どんな変化をしてきているのか、もっと知りたいので、これを読んで興味を持った方は、ぜひ自分の時の成人式はこんなだったという情報をお寄せください。楽しみにしています。

1011号(2025.1.3)昭和100

 今年は昭和が続いていたとしたら、昭和100年にあたるということがちょくちょくメディアで語られています。年末にも、昭和からの99年を振り返る番組が何本かやっていましたが、きっと今後もそういう番組が放送されることでしょう。NHKも放送開始からちょうど100年ということなので、いろいろ絡めて放送がされるのではないかと思います。

 ふと思ったのですが、2011年は大正100年に当たりましたが、そんな言説はまったくなかったですね。311日以降は東日本大震災と福島第1原発の問題でそれどころではなかったでしょうが、それ以前の1,2月にも「大正100年」なんて誰も言っていなかったです。でも、1967年の明治100年の時は結構言っていました。私は小学校6年でしたが、学校でも先生が「今年は明治で数えたら100年に当たる」と話していたのを覚えています。私の記憶では祝日があったような気がしたのですが、調べたら明治100年の記念式典は翌年の1968年にやっており、祝日にはしなかったようです。おかしいなあとさらに調べてみたら、1年前の1966年から211日が「建国記念の日」として祝日になっています。先ほどの先生の話も、この建国記念日の制定に絡めて話されたような気もします。いずれにしろ、このあたりの記憶がごちゃごちゃになって、明治100年の記念で祝日があったと覚えることになったのだろうと思います。

まあでも、明治は前近代社会から近代社会に、日本が変わった決定的な転換期ですから、あれから100年と考えるのには単なる数字以上の意味があったと思います。昭和から100年はどうでしょうね。むしろ、時代の転換点としては、第2次世界大戦の終わった昭和20年の方が重要だというのは衆目の一致するところでしょう。あの時に、昭和天皇が退位し、現上皇が天皇になっていたら、その時点で元号は変わり、そこから数えると、今年は80年ということになるわけです。いわゆる「戦後80年」です。

最近はいろいろな出来事から〇年というのがよく言われます。1年、2年は思い出されやすいですが、しばらく経つと10年刻みくらいで焦点を当てることが多いです。そして、今年はたまたまですが、そういうものが多そうな年です。「戦後80年」「自民党結党70年」「男女雇用機会均等法40年」「阪神淡路大震災30年」など、ぱっと思いつくものでもいろいろ出てきます。私も「生誕70年」で、自民党と同い年です(笑)歳を取りました。まあ私のことはともかく、社会の方は大丈夫でしょうか。10年以上前に「第431号 <戦後日本社会>君の高齢化(2012.3.5)」という文章を、この「つらつら通信」に書きましたが、そこからさらに13年の年月が流れました。その時点ですでに社会の高齢化問題として危惧していたことは、今も根本的には是正されていないと思います。「昭和」君はもう寿命が尽きていますが、「戦後社会」君はさらに高齢化したまま生き続けているように思います。さてさて「昭和100年=戦後80年」は、どんな1年になるのでしょうか。