Part26

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過去の「KSつらつら通信」

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<目次>

第1030 婚姻の際夫婦の名字問題語り合えるか(2025.5.6)

第1029号 大阪万博探訪記(2025.4.27)

第1028号 二枚目(2025.4.13)

第1027号 「トランプ・ショック」はいつまで続くか?(2025.4.4)

第1026号 秋元康の歌詞って、、、(2025.4.2)

第1025号 新年度スタート(2025.4.1)

第1024号 大河ドラマ「べらぼう」(2025.3.30)

第1023号 ホームに戻った気分(2025.3.27)

第1022号 御堂筋ってここから来ていたのかあ(2025.3.7)

第1021号 「81歳だね!」(2025.3.5)

第1020号 立派な18歳だけど、、、(2025.3.4)

第1019号 アルフィーと桐島聡(2025.2.25)

第1018号 天皇誕生日(2025.2.21)

第1017号 矛盾していないだろうか?(2025.2.17)

第1016号 高校授業料無償化への疑問(2025.2.11)

第1015号 関税を上げて得をするのは誰なのだろう?(2025.2.10)

第1014号 うーん、、、青春の思い出が148円!(2025.2.3)

第1013号 「常識の革命」(2025.1.21)

第1012号 今どきの成人式(2025.1.15)

第1011号 昭和100(2025.1.3)

1030号(2025.5.6)婚姻の際に夫婦の名字問題を語り合えるか?

 連休明けの国会で、立憲民主党から提出がなされそうな「選択的夫婦別姓」法案ですが、どうやら委員会でも多数は取れず成立は難しそうです。世論調査でも、今国会で成立させなくていいという意見が半数を超えているようです。「選択」なのだから、導入したらいいのにと思うのですが、名字による家族の一体感を主張する保守派は強いようです。あと、世界でも珍しい日本の戸籍制度――昔の戸主を彷彿させる戸籍筆頭者の下に同一姓のものを記入する――との兼ね合いも考えないといけないようです。婚姻時点で、子どもの姓をどちらか一方に決めておくという案が有力なようですが、たぶんそれは戸籍筆頭者を決めるということも意味するのでしょう。となると、もしもこの「選択的夫婦別姓」法が成立したとしても、中国のように妻だけ異なる姓になるというパターンが多くなりそうです。なんか、それはそれでまた新たな問題を引き起こしそうです。

 このGW中に、女性の教え子2人から結婚報告を受けましたが、結婚後の名字については、1人(A)は全然話してない(=自動的に夫の名字になることを了解している?)と言い、もう1人(B)は自分の姓が好きだから男性に変えてもらえないかと話したけれど、喧嘩になってしまいそうで、結局譲歩したと言っていました。昨年3回生ゼミで、「選択的夫婦別姓」について議論した時のことは、「第997号 選択的夫婦別姓(2024.10.23)」に書きましたが、男子学生が全員妻の名字に変えられると言ってたのですが、それはまだ結婚を現実的に考えていないから言えることで、実際にその時が来たら、男性の方から「名字はどうしようか?」なんて話題にすることはほぼしないだろうと思います。その時の議論でも、「選択的夫婦別姓」の導入に賛成していたすべての女子学生が、自分自身が別姓を選ぶかと問うたら、誰1人手を挙げなかったように、若い女性たちも「婚姻する=夫の名字に変わる」と思っていますので、「名字はどうする?」なんて議論をしようとは思っていないでしょう。となると、男性たちはタテマエで「女性の名字に変わってもいい」と言いながら、ホンネでは「そんなことにはならないだろう」と無意識に思っているのでしょう。

 そうそう、もう1人GWに結婚報告を受けた男性の教え子(C)の場合は、自分が彼女の姓に変えた方が、ちょうど有名人と同じ名前になって面白いから変えてもいいなと本気で思ったそうですが、実父が大反対で、結局男性側の名字になったそうです。男性本人が変えてもいいやと思っても、男性の親が反対するということもかなりあるのかもしれませんね。そう言えば、以前男性の教え子(D)で1人、妻の名字に変えた人がいました。彼にその経緯を聞いたら、自分は男三兄弟だし、海外赴任のある仕事なので、海外赴任について来てくれるなら、名字は女性側の名字でいいという話になったと言っていました。女性の教え子で結婚後も元の名字を名乗っている人は1人(E)しか知りません。詳しい事情は聞いていませんが、彼女は確か2人姉妹だったので、家を継ぐ意識があったのかもしれません。男性側がどんな反応だったかは聞いていないのでわかりません。

 結局今の時点では、女性がプロポーズを受け入れるということは、男性の名字に変わることを了承したという意味になっているのでしょうね。プロポーズの際に「名字はどうするの?」なんて、普通は聞けないでしょう。この伝で行ったら、「選択的夫婦別姓」法が導入されても、ほとんどのカップルは、これまで通り女性が男性の名字に変えるということになりそうです。プロポーズを受けるにあたって、「私は名字を変えません。子どもの名字も私と同じにしたい。それを認めてくれるなら、プロポーズを受けます」なんて言えるものでしょうか。今でも、法律上は、どちらの姓にしてもよいわけで、男女平等です。しかし、現実の慣習は、どちらの名字するかという話し合いをせずに、婚姻=女性が男性の名字に変えることになっているわけですから、「選択的夫婦別姓」法が成立しても、ほとんどのカップルは話し合いをせずに男性の名字になるのでしょうね。もちろん、極少数のカップルは、きちんと話し合って、同姓にするか別姓にするか、子どもの名字をどちらにするか決めるのでしょう。しかし、今回のBさんのように、女性側の名字でどう?と提案したら、喧嘩になりそうになったというようなパターンが、「選択的夫婦別姓」でも起きそうです。特に、女性自身の名字はそのままでも、子どもの名字を妻側の名字にしたいと言われた場合は、今の婚姻の際に女性側の名字にしたいという提案と同じ程度の比重を持ち、受け入れられない男性やその両親は多そうです。子どもの姓は統一しなくてもいい、戸籍には全員姓も記入するという方式に変えないと、うまく行かなさそうです。さてさて、「選択的夫婦別姓」法案はどうなるでしょうか?

1029号(2025.4.27)大阪万博探訪記

 先日、大阪万博に初めて行ってきました。その探訪記をまとめたのですが、そのまま載せたら長すぎるので、社会学的視点から気になったことだけ書いておきます。

 まずいつ、どんなチケットを購入したかという話から始めます。もともとそこまで強い関心があったわけでなく、まあ会期中に1回くらい行けばいいかなと思っていたのですが、開幕が近づき、実験的公開日やメディア公開日などで情報がどんどんテレビで紹介されるようになると、なんかやっぱり面白そうかも、と思い始め、ついに開幕日前日に「通期チケット」を購入してしまいました(笑)でも、すべてオンラインでやらなければならないので、うまくできるかどうか不安でしたが、なんとか購入し、とりあえず行く日を予約し、次には1週間前までに予約し抽選を待つというところで、5つのパビリオンに時間を指定して申し込みました。5つも申し込んだから3つくらいは行けるのかなと思ったら、そのうちのひとつが当たれば、他のは全部無効になるそうです。私は「いのちの未来」というロボットやアンドロイドが出てくるパビリオンが当たりました。(ちなみに、このパビリオンは見応えがあり、当たりでした。)後は、3日前から始まる空きパビリオンへの優先枠というのにひとつ申し込めるということだったので、適当に空いていた「オーストラリア館」を申し込みました。(こちらは、あんまりでした。)

 さていよいよ当日です。平日の11001115という入場予約だったので、10時半頃夢洲駅に着きました。改札口とか混んでいるかなと思いましたが、順調に出られて地上に上がると、誘導がちゃんとしていて入場ゲート前まで止まらずに行けました。1040分くらいからゲート前の列に並び、約10分で入場できました。その間、大きな渋滞は起きておらず、手荷物検査をしている割には順調だったと言えると思います。会場内はもちろんたくさんの人がいましたが、ラッシュというほどではなく、人にぶつからない程度に歩けるちょうどよい混み方でした。まずは、一番興味があった大屋根リングにエスカレータで登り、50分ほどかけて一周しました。ここに登ると、異空間に来たなという気分になり、テンションが上がりました。特に、南側の海に突き出た部分はなかなか良い雰囲気でした。

 下に降り、今度は地上部分をぶらぶら歩きました。予約なしで入れるパビリオンもたくさんあり、行列はそれほど長くなっておらず、30分くらい並べば入れるというところが多かったです。とりあえず、今回は会場内をいろいろ見て回りたかったので、並ばずに会場内を歩きました。この日の入場者の特徴としては、小中高の児童生徒がかなり来ていたこと、個人で来ている人は平日ということもあってか、年配者が多かったです。女性の年配者は友達や夫と思しき人と一緒にいる人がほとんどでしたが、男性年配者は1人で見て回っている人もかなりいました。55年前の日本万国博覧会のことも実体験として知っているんだろうなと思える人たちでした。

 パビリオンや会場を案内する人にも年配者が非常に多かったです。あと、見た目は日本人かなと思えるアジア系外国人も案内係にかなりいました。1970年の日本万国博覧会の時は、案内役は若い女性たちばかりだったのとは対照的です。服装も70EXPOの時は、ほとんどミニスカートでしたが、今回はスカートを履いている人は案内係にはほぼいなかった気がします。

 開幕日にいろいろ問題が指摘されていたトイレやベンチの少なさですが、天候もよかった平日のこの日はまったく問題なく、トイレもベンチも使いたい時には使える状態でした。ここはなんとかならないのかなと思ったのは、導線です。建物の間の道を抜けたらすっと行けるのに、そういう道はほぼすべて関係者以外通行禁止となっていて、係の人が柵の前にいて入れない状態でした。中央あたりの「静けさの森」から北側のゾーンにあった「オーストラリア館」に行こうと思ったら、いったん西側の大屋根リングのところまで行き、そこから北東の方に歩いて行かないとたどりつけず、かなりの遠回りをさせられました。地図を見ても、どうやらゾーン内は抜けさせないということになっているようです。すべての建物の間の道を通れるようにしろとは言いませんが、非常に広い通りやすそうな道くらい通してくれたらいいのになと思いました。あと、会場内の食事の高さには驚きましたが、まあでもこれは仕方ないのかもしれませんね。

 1970年の日本万国博覧会との違いは、外国人の多さです。今、日本に観光に来ている外国人が多いのはよく知っていたことですが、大阪万博にもこんなに来ているんだと驚きました。しかし、1970年の時は外国人が珍しくて、ただの観光客にもサインをもらったりしていた日本人でしたが、当たり前ですが、今はそんな人は誰もいませんでした。あと、そうそう。デジカメで写真を撮っていたのは、たぶん私だけでした(笑)みんなスマホです。1970年の万博の時に、ワイヤレス・テレフォンとして未来の通話機器として紹介されていたものが、55年後の万博では持っていないと、ここには来られないような必需品になっています。通話機器としてより、カメラ、ビデオ、チケット、ガイドブックなど万能の役割を果たしています。会場内はキャッシュレスですし、このあたりは55年前の予想より進んでいる感じがします。パビリオン内の撮影はほぼすべてOKというのも、これまでの博覧会やミュージアムとは違うなと感じさせるところで、よかったです。

 書き始めたら、エンドレスなくらい書くことがありますが、今回はここまでにしておきます。なにせ通期パスを持っていますので、またそのうち行ってきます(笑)今回、予約で入れた「いのちの未来」館の展示はなかなかよかったので、他の人気パビリオンを巡るために何度か足を運んでみます。遠方から交通費と宿泊費を使ってでも行く価値があるかと言われたらわかりませんが、少なくとも日帰りで行けるなら一度は行ってみる価値は十分あると思います。学校単位で来ていた児童・生徒たちもみんな楽しそうだったので、大阪府からの無料招待を断った学校の子どもたちはちょっと可哀想だなと思います。頭でっかちにおおさか維新の会の政策だからと毛嫌いする教師がいることで、チャンスを失っている子どもたちがいるとしたら、なんとかしてやれないのかなと思います。期間限定でワクワクできる場ですから、日帰りで行ける地域の子どもたちには体験させてあげるべきだと思いました。

1028号(2025.4.13)二枚目

 時々、学生に「二枚目だね」と言ってしまうのですが、もう大分前から「二枚目って何ですか?」と聞き返され、「ああ、イケメンのことだよ」と言い直すのですが、言い直しながらなんとなく違うんだけどなあといつも思っています。古い世代は知っていることですが、江戸時代の芝居小屋で主役が一枚目の看板に名を書かれ、二枚目に、主役ではないが色男――これも若い人はわからないですね(笑)「モテる男」ってとこかな――の名が書かれたことから、顔立ちの良い男性を「二枚目」というようになったわけです。

 「二枚目」という言葉は、昭和の時代はみんな普通に使っていた気がするのですが、いつの間にか使われなくなり、今やその言葉を知らない若い人だらけになっていますから、ある世代以降では「死語」になったと言ってもいいのでしょう。ただ、若者はこの言葉を知らないんだと気づきながらも、つい何回も私がこの言葉を使ってしまうのは、他にちょうどよい表現がないからです。

 類似の言葉としては、「ハンサム」「いい男」そして「イケメン」なのでしょうが、それぞれ使いにくい感じで、この3つの言葉は、自分ではあまり使っていません。「ハンサム」も古いですよね。今どきの若い人はこれも使わないでしょうね。確かに1960年代までの用語だなと自分でも思います。「いい男」は顔立ちだけではなく、雰囲気(性格?)も含むような気がします。「イケメン」はなんか広すぎるイメージで、私にはピンとこないです。ということで、顔立ちが整っている男性だなと思うと、つい「二枚目だね」と言ってしまうわけです。

 最近の若い男性タレントには、綺麗な顔をした人がたくさんいると思いますが、彼らは何と呼ぶのがいいのでしょうか。私が思う「二枚目」ではないですね。「美少年」かなあ。少年の年齢を超えたような人もいるので、そのあたりの人たちなら「美青年」でしょうか。「二枚目」という気にならないのはなぜかなあ。男性っぽさが薄いのかなあ。

1027号(2025.4.4)「トランプ・ショック」はいつまで続くか?

 何が相互なのか全然よくわかりませんが、とりあえずトランプが「相互関税」という名目で、多くの国に対してべらぼうな高関税をかけることにしたために、株価がどこでも大幅に下がっています。トランプは、アメリカの株価がとりあえず下がるのは織り込み済みで、すぐにアメリカの経済はよくなり、株価も持ち直すと自信満々に発言していますが、どう考えてもそうなるとは思えません。多くの国が報復でアメリカ製品の輸入に対して関税を高くすると宣言しています。そうせざるをえないのはわかりますが、そんな報復措置を行なったら、結局困るのは各国の国民です。日本は、アメリカという「ジャイアン」には絶対逆らえない「スネ夫」なので、報復措置などとは一言も言わずに日本だけ関税を低くしてほしいと哀れな態度を取っていますが、とりあえずそれも受け入れてはもらえなさそうです。国家としてはみじめな態度ですが、無駄にアメリカからの輸入品が高くならないのは結果としては悪くないでしょう。日本の場合、アメリカからは小麦やトウモロコシなど農産物の輸入も多いですから、それに高い関税をかけたら、日本の様々な産業に大打撃を与えることになります。

 それにしても、この「トランプ・ショック」とも言われる事態を引き起こした高関税政策はいつまで続くでしょうか。私は、そう長くは続かないだろうと見ています。500年くらい前から人々が望む方向として進んできた貿易の自由化へのトレンドを、たった1人の変わった男の頭の中の計算だけで変えられるはずがありません。こんな高関税政策はアメリカ国民を含め誰も幸せにしません。早くアメリカ国民が気づいて、トランプ批判を始めてほしいものです。しかし、そうなる前に、自分の言ったことを変えることに抵抗のない無節操なトランプは、半年なり1年なり――いやもっと早いかもしれません――経ってもアメリカ経済がよくならないことを認識したら、「もう十分な成果は得られた。アメリカは偉大な国に戻れた」とか大噓を言って、この高関税政策をやめるという判断をしそうな気がします。多くの人々が望む方向と異なる方向に社会を動かすことは困難です。トランプにも早く気づいてほしいものです。

1026号(2025.4.2)秋元康の歌詞って、、、

 昨日の「つらつら通信」に書いたように「365日の紙飛行機」をつい口ずさんでしまうのですが、「365日」だけでなく、「紙飛行機」もよくわからない気がしてきました。「人生は紙飛行機」なんですかねえ?少なくとも、私の人生は紙飛行機じゃないなあと思います。プロペラはついている気がします。紙飛行機って、「願いや愛を乗せて」飛んでいますかねえ?「風の中を力の限り」進んでないでしょう。風が吹いたら落ちますよね。「折り方を知らなくてもいつのまにか飛ばせる」なんてこともないですよね。ちゃんと折り方を学ばないと、紙飛行機は飛ばせません。綺麗なメロディにうまく言葉が乗っていて、なんとなく心地よく聞いていましたが、歌詞をしっかり読んでみると、「へっ?」ってところばかりです。なんか深い意味がない綺麗な言葉を並べた、まるでChatGPTに作らせたような歌詞だなと思ってしまいました。

 そう言えば、美空ひばりの最後のヒット曲「川の流れのように」も秋元康作詞だったなと思い出し、ちょっと調べてみたら、こちらも「365日の紙飛行機」と同様に綺麗な言葉を並べた、すごく平板な歌詞だという気がしてきました。少なくとも美空ひばりの人生とはまったく異なるすごく平凡な人の人生が浮かんできます。そもそも「川の流れ」もこの歌詞のようにいつも穏やかに流れているわけではなく、雨が降れば小川も獰猛な川に変わったりするわけですし、なんか深くないです。「生きることは旅すること」はまあいいですが、「終わりのないこの道」じゃなく、いつか必ず終わりが来ます。穏やかな聞きやすいメロディーを、美空ひばりという抜群に歌の上手い歌手が心を込めて歌うので、なんか素晴らしいメッセージが語られている気がしましたが、よくよく歌詞だけ読むと平板です。

 現代の吟遊詩人と言える中島みゆきや、自分の素直な気持ちを歌詞にできる竹内まりあとは全然違う人です。フォークソングを歌っていた人たちも伝えたい言葉をもっと大事していました。秋元康はメロディーにうまく言葉を乗せられ、かつ膨大な数の曲に次から次に歌詞をつけることができるプロの作詞家なのだとは思いますが、詩人ではないですね。まあ、いちゃもんみたいな感想ですが、ふと思ってしまったので書いておきます。

1025号(2025.4.1)新年度スタート

 41日ですね。2025年度がスタートです。あちこちで入社式が開かれ、卒業したばかりの学生たちが新社会人の第1歩を踏み出したことでしょう。ちょっと寒かったですが、桜はほぼ満開で、なかなかよいスタートの日になったのではないでしょうか。他方、私は長い大学教員生活の最後の1年のスタートです。新社会人になった時とはまた違う感慨深さがあります。大学教員になってから43回目の41日です。こうやって文字するとすごい数字ですが、あっという間でした。いつの間にそんなに時間が経ったのだろうという気分です。今年度は、何をしてもこれが最後なんだなと思いながら過ごしそうです。楽しみながら最後の1年を過ごしたいと思います。

 ちなみに、あと365日だなと思うと、「365日の紙飛行機」という歌がつい頭に浮かんでくるのですが、あの歌、どうして365日なんですかねえ。365日後には墜落するのかなとふと思って歌詞を調べてみましたが、別に365日の命だと書いているわけではないですね。人生を楽しく生きようという内容ですが、なんで365日と歌詞に入っているかはよくわからないですね。まあ、私は勝手にあと365日飛ぶ紙飛行機と思って口ずさむことにします。もうすぐ364日です。特別なことはなく11日が過ぎて1年が過ぎていくのでしょうね。元気に例年と変わらぬ大学教員生活をやっていきたいと思います。

1024号(2025.3.30)大河ドラマ「べらぼう」

 昨年の「光る君へ」も摂関政治の時代の宮中の複雑な政治事情をしっかり描いていて面白かったですが、今年の大河ドラマ「べらぼう」もかなりいいです。蔦屋重三郎を主人公にすると聞いた時は、売れてからの蔦屋重三郎しかイメージがなかったので、有名画家たちとの絡みが出てくるまでどうつなぐのだろうと思っていましたが、吉原生まれで少しずつ地位を上げていく蔦屋重三郎の人生が非常に興味深いです。そして、ネット上でも話題になっていますが、小芝風花の花魁ぶり、そして鳥山検校に身請けされてからも迫力のある演技で、見る者の心を捉えます。特に今回はよかったです。てっきり数回前の吉原を出ていく場面で、小芝風花はもう出てこないのかと思いきや、今日の市原隼人演じる鳥山検校とのやり取りは素晴らしかったです。ちなみに、鳥山検校が瀬川という花魁を多額の身請け金で身請けしたのは事実で、またその金貸し業を幕府によって取り締まられるというのも事実のようです。脚本家の森下佳子氏はよく勉強して見事な物語を作っているなあと感心しています。今後も非常に楽しみです。

 ただ、私のような歴史好きの年配者にとっては最高のドラマですが、小さな子どもたちも一緒に見られる歴史ドラマかと言うと、そうは言えないでしょうね。吉原ってどういうところかの説明も難しいし、ドラマ自体、大人向けの大胆な映像が少なくありませんので。私は、小学校1年の時の井伊直弼を主人公にした第1作「花の生涯」から見ていますが、第2作は「赤穂浪士」、第3作は「太閤記」、第4作は「源義経」と、小学生でも受け止められる「THE 歴史ドラマ」でした。もう60作以上やっていて、何度も同じ時代の大河を見てきている私のような年配者が多く見ていることを考えると、NHKもあまり取り上げられない時代や場所を取り上げざるをえないのだと思いますが、かつてのように家族で見られる大河ドラマという作りではなくなっているように思います。まあでも、今どきテレビを見るのは年配者中心ですから、年配者が楽しめる歴史ドラマでいいのでしょう。下手に子どもから年寄りまで全世代に受けるようなドラマをめざしたら、ろくなものはできそうもないですから。「べらぼう」には、このまま子どもには推奨しにくい凄みのあるドラマ作りをしつづけてほしいものです。

1023号(2025.3.27)ホームに戻った気分

 昨日は今年度最後の教授会の日でしたが、5年ぶりに第3学舎(社会学部棟)の会議室で行われました。60名の社会部教員が入ると。ちょうど満席という感じの会議室です。新型コロナの流行以降、教授会はオンラインが基本となり、たまに対面でやることがあっても、大きな講義室を使って会議をしていたのですが、昨日は理系の大規模学会が千里山キャンパスのあちこちの学舎を利用し、第3学舎も多くの教室を使用していたので、やむをえずこの会議室を使うことにしたようですが、久しぶりにこの会議室での教授会は、ホームに戻ったような気持ちにさせてくれました。

 社会学部の良さは、この会議室での物理的距離の近さが心理的距離の近さを導き出すことによって生まれていたんだなということに改めて気づきました。オンラインではわからない他専攻の先生方の様子なども、この会議室にいると、よくわかります。この5年でオンライン会議が常態化し、私自身も「ああ今日は教授会かあ。オンラインだから流して聞くだけだなあ」と、全然気持ちの入らない時間を過ごしていました。楽だけど、こんなに人間関係も深まらない状態が続くなら、もしも自分が40歳代とかだったら、他の大学に移りたくなるだろうなあとも思っていました。それが昨日、教授会のホームと言える会議室に戻って、しみじみ「そうそう。この感じだよ。これがいいんだよなあ」となんだか嬉しくなりました。晩には、退職教員を送り新任教員を迎える歓送迎会が開かれましたが、こちらも教授会の余韻から笑顔が多い、非常によい雰囲気で進みました。学部長も、やはりこの会議室で生まれる雰囲気の良さに気づかれたようで、次回の新年度1回目の教授会も、この部屋でやりますと言ってくれました。私にとって最後の年度のスタートです。そして、ほぼちょうど1年後に、私も退職する教員として最後の教授会に出席することになりますが、ぜひその時もこの会議室でやってほしいなと思っています。

1022号(2025.3.7)御堂筋ってここから来ていたのかあ

 久しぶりに、あまり明確に行き先を決めないのんびりした町歩きをしてきました。本町の駅で降りて、貼ってあった周辺地図を見ながら、どこに行こうかなと眺めていたら、北御堂と南御堂という浄土真宗の立派そうな建物があることに気づき、そこに行ってみることにしました。まず、南御堂に行ったのですが、山門がビルになっていて上はホテルになっているし、入口部分にはアルファベットで「MINAMI MIDO」と書かれた、今風の写真スポットになりそうなものが設置されていて「なんかなあ」という感じでしたが、金箔でキラキラの本堂はオープンで、京都の寺院のように拝観料を取ろうとしていないところは好感を持ちました。入口の休憩所のようなところで、ビデオによる南御堂の説明をぼーっと聞いていたのですが、「南御堂と北御堂を結ぶ通りなので、御堂筋と呼ばれるようになった」という説明を聞いて、思わず「そうかあ。そうだったのかあ!」と思わず声が出てしまいました。

 大阪に暮らして42年。「御堂筋」という言葉は何万回聞いたでしょうか。いや、たぶん欧陽菲菲が1971年にヒットさせた「雨の御堂筋」を聞いて以来、大阪の有名な通りとして十代半ばからその名前は知っていたので、そこから数えたら54年、当たり前のように聞き、当たり前のように使ってきた「御堂筋」の言葉の由来をまったく考えたことがなかったです。そして、その名前の由来となっている立派な2つの御堂が今でも御堂筋に厳然としてあるということも知らなかったのは、我ながらなんか恥ずかしいなという気にすらなりました。大阪で生まれ育った人は、みんな知っているのでしょうか。

 町や通りの名は、昔ここにそういうものがあったということで、今はもうその名を表すようなものがないというところも多いのですが、御堂筋の場合は、今でも堂々と御堂筋なんだと妙な感心の仕方をしてしまいました。ビデオの説明では、豊臣秀吉に石山本願寺の場所(大阪城のある地区)を譲った真宗に、秀吉がこの場所を与えて以来、ここに南御堂があるという話でしたが、ウィキペディアで調べると、もう少しややこしそうです。詳細は、ウィキペディアを見ていただきたいですが、ひとつ大事なことは南御堂と北御堂は設立され方が全然違うことです。南御堂の方は、確かに秀吉や家康との関係もあって造られたようですが、北御堂は信徒たち自身によって建てられたようです。宗派も、南御堂は東本願寺派、北御堂は西本願寺派なので、異なるようです。御堂筋なんて名前がついているので、それこそ信徒が両方の寺院を行き来している同宗派かと思ったのですが、違うんですね。でも、それなら京都の西本願寺と東本願寺もほぼ同緯度にあるのですから、そこを結ぶ通りも「御堂通」とかになってもよかった気がしますが、京都はそうはならなかったんですね。七条通りあたりがその通りにあたるかなと思いますが、京都ではすでに通り名称がしっかりできていたので、変えることはなかったんでしょうね。とりあえず、大阪御堂筋の由来がわかって満足できた町歩きでした。

1021号(2025.3.5)81歳だね!」

 アメリカにいる孫たちと久しぶりにたっぷりビデオ通話をしました。上の子が8歳、下の子が6歳です。ついこの間生まれたと思っていましたが、日本の学齢だと、もう小学校2年と年長さんで、4月になれば3年生と1年生です。子どもの成長は、本当に早く感じます。現地校に通っていますので英語もとても上手くなっていますが、土曜日には日本語の補習校にも通い、日本語も頑張っています。上の子は漢字も結構読めるようになったようで、私がオリジナルで作った童話本(童話「はるまくんとけいまくんのだいぼうけん」210216.docx)や、同じくオリジナルの「ことばともじのはなし」(https://www.dropbox.com/scl/fi/4l5jp7y8os1z1u5e34p9t/.pdf?rlkey=a9zkqk20x2s6kb4ku0nvjgzmz&st=2thq97g6&dl=0)という冊子を持ってきて、しっかり読めるようになったところを見せてくれました。童話の方は、読み終わって「ママ、ストーカーだね(笑)」なんて言ってました(笑)

娘が「おじいちゃんはあなたたちが大きくなって、一緒にお酒を飲めるのを楽しみにしているんだよ」と言うと、「お酒はいくつから飲めるの?」と聞くので「20歳だよ」と答えると、「そうかあ。じゃあ、じいじいは今69歳だから、81歳の時だね!」と言うと、下の子も「ぼくは83歳だ!」と元気に言ってくれました。なんか涙が出てきました。孫からお酒を一緒に飲める日はいつだろうなんて話を聞けるとは、感激してしまいました。その日まで絶対元気でいたいなと強く思いました。

1020号(2025.3.4)立派な18歳だけど、、、

 昨日の悠仁親王の成年記者会見をご覧になりましたか。ちょっと緊張感は見えたものの、しっかりした受け答えで立派でした。きっと質問は事前に提出されていて回答も自分一人で考えたわけではなく、大人の手も入ったものでしょうが、しっかり18歳の成年皇族として答えられていました。秋篠宮家は、長女・真子さんの結婚問題以来逆風にさらされ続けていますが、そんな中でまっすぐに素直に育っているようで、よかったなと思いました。あと3040年したら、彼が日本の天皇になっているわけですから、ちゃんとした人物になっていないと困るのですが、それなりに帝王学を学んでいるのか、18歳の皇位継承第2位の人物としては100点満点の記者会見でした。

 しかし、この後彼には至難が待ち受けています。昨日の記者会見でも質問が出たようですが、将来の結婚、後継ぎ問題です。今の皇室典範のままなら、いつか結婚相手を見つけ、その女性が男子を生んでくれないと、日本の皇室制度は続かなくなるというすさまじいプレッシャーが彼にはかかっていくわけです。女性も皇位継承できるようにしたとしても、血統主義を変えない限り、子を産まなければならないというプレッシャーからは決して解放されません。日本人は天皇制の維持をほとんどすべての人が肯定していますが、その結果として天皇家の人々に、一般世界なら許されないほどのすさまじい人権侵害や不自由さを与えてしまっています。

 こんな一般人には認められないような人権侵害や不自由さを甘受してもらうには、一般社会では認められないようなこともOKにしないといけないのではないでしょうか。シンプルに言えば、一夫多妻制を天皇家に関しては認めることでしょうか。でも、これはみんな拒否感を持つんでしょうね。必ず子を作れというプレッシャーを与えながら、昔の天皇や将軍のように、妻をたくさん持つことは許さないというのは、制度維持の観点から見ると、かなり矛盾しています。一夫多妻制がどうしてもだめならば、以前にも書きました(参考:第819号 そんなに男系男子にこだわりたいなら(2021.10.7))が、男性皇位継承者の精子の冷凍保存をたくさん行い、多額の報酬と引き換えなら天皇家の子どもを産んでもいいという女性を募集し、子を産んでもらうという方法はどうでしょうか。まあ、きっとこれも不快感を生むのでしょうね。

 結局、国民は天皇制度のことを真剣に考えずに、きっといつか悠仁親王が素敵な女性と出会い結婚し、そこに男の子が生まれることを単純に期待しているのでしょうね。でも、こんなに不自由で人権もなく、ただ男子を生むことだけを期待される悠仁親王の妻という地獄の地位を選択するような女性はいるのでしょうか。40年ほど前に、現在の天皇や秋篠宮が成年を迎えた頃は、誰もこんな心配はしていませんでした。若い男性皇族が2人もいましたし、世の中の価値観も、女性は素敵な男性と出会って結婚し、子どもを持つのが幸せだと多くの人が思っていましたので、きっといつか2人とも素敵な女性と出会って、美智子上皇后がそうであったように、お子さんを3人ずつくらい作ってくれるのだろうと漠然と思っていました。しかし、今は、結婚、子を持つことが必ずしも幸せだとは言えないという価値観の時代になっています。なのに、天皇家だけは昔の価値観で生きろと言われています。悠仁親王の将来が心配です。日本人が本気で天皇制度を維持したいなら、天皇家だけに特別なルールを可としないといけないのではないかと思うのですが、誰も真剣に考えていないのが不思議でなりません。

1019号(2025.2.25)アルフィーと桐島聡

 昨日「しゃべくり007」という番組に、アルフィーの3人が出演し、結成50年、全員70歳だけど、変わらず楽しくやっている姿を見せていました。彼らは1973年に明治学院大学に入学しそこでバンドを結成して10年ほど経ってから出した「メリーアン」という曲で売れ始めたバンドです。一定の年齢以上の人は昔からよく知っていると思いますが、最近のZ世代は、昨年の紅白歌合戦に40年ぶりくらいに彼らが出演し、そこでこんなバンドがあったんだと初めて知った人たちも多いそうです。3人ともバラエティ番組の空気をよく知っているので楽しい番組になっていました。彼らは、私が好きな竹内まりあと同学年で、私の1つ上です。こんな若々しくて楽しく過ごせる70歳はいいなと思わせてくれる人たちです。

 さて、昨日その後にNHKの「事件の涙」という番組で、指名手配犯として約50年捕まらず、死ぬ間際に「自分は指名手配犯の桐島聡だ」と告白し、その数日後に亡くなった桐島聡の人生を紹介していました。なぜ、これをここに書こうかと思ったかというと、桐島聡がアルフィーの1年前の1972年に同じ明治学院大学に入学していたことを知ったからです。ほぼ同世代の若者で同じ大学に入学したこの1人と1組の人生があまり違い過ぎて、ほぼ同世代である私なりに語ってみたくなりました。

広島県福山市出身の桐島聡は大学に入ってから、東京山谷の日雇い労働者の困窮状態などを知り、これを何とかするためには、日本の生ぬるい現状に世間の注意を向けさせるためには爆弾闘争などをすべきだと考えるようになり、そういう行動をする左翼過激派グループに属します。桐島自身は直接加担しなかった三菱重工ビル爆破事件のすさまじい結果に驚き、自分自身が加担した爆破事件では慎重に死傷者が出ないように配慮していましたが、人がいないと思っていた時間にたまたまいた従業員が怪我をするという事態が起こり、殺人未遂の罪で指名手配されることになります。同じグループのメンバーはすべてつかまりましたが、桐島聡だけはつかまらず、偽名のまま50年近く隠れて生き、最後に死期を悟った際に、自ら本名を名乗り、警察に連絡してもらったそうです。捕まった仲間たちは、死者を出していなかったこともあって懲役刑で済んでいたので、桐島も早々に出頭していたら10数年の刑期を経て桐島聡として生きることができたことでしょう。桐島聡だとカミングアウトして亡くなった彼のお骨は親族が引き取らないと言っているので、引き取り手のない墓地に埋葬されているそうです。

アルフィーと桐島聡の人生を分けたのはどこだったんでしょうね。私は、「しらけ世代」は19534月生まれから19583月生まれの5学年が典型学年と考えています。19555月生まれの私は、まさにちょうどど真ん中ですが、桐島聡は19541月生まれで、アルフィーの3人は19544月生まれが2人と19551月生まれが1人です。私も含めて5人は14か月の間に生まれています。ほぼ完全に同世代です。私がこの5学年を「しらけ世代」の典型と考えるのは、1972年冬の連合赤軍事件を高校生から中学23年生で見た世代で、政治に関心はあっても、学生運動に熱くなることに懐疑的にならざるをえない世代だったと思うからです。アルフィーの3人は高校時代からバンド活動をやっていたようなので、政治問題にはあまり興味がなかったのかもしれません。しかし、桐島聡は大学入学後に活動家になっていくわけです。まあ、1974年入学の私の世代でも、新左翼系ほど過激な活動はしなくても政治活動を熱心にする人たちはそれなりにはいましたので、桐島聡もそういう人たちの1人だったのでしょう。

今考えてみると、あの頃の学生たちは、何かエネルギーをかけるものを探していた人は多かったように思います。政治、音楽、恋愛、何か打ち込めるものを、みんな探していた気がします。アルフィーは音楽を、桐島聡は弱者を救うために社会を変えることをめざしたのでしょう。私は、何をめざしていたかなあ。大学に入った時点では、私は田舎の高校生過ぎて、とりあえず必死で背伸びして大人になろうとはしていましたが、何に打ち込めるかなんてとうていまだ決められないような状態だった気がします。よかったのは、頭でっかちにわかったふりをすることはできずに、自分自身が自然体で理解できないことには自ずと慎重になる癖があったことでしょう。そして、考えに考えて、唯一決めたのが社会学を選択するということでした。大学1年の冬でした。そこからちょうど50年。いよいよ70歳をあと数か月で迎えようとしています。70歳までどんな人生になるか、大学時代にスタート地点があった気がします。アルフィーと桐島聡、そして私も。

1018号(2025.2.21)天皇誕生日

 明日から3連休とニュースで言っていたので、「えっ、なぜこんな時期に3連休?」と思ったのですが、223日が天皇誕生日だったからなんですね。昭和で育った私にとっては、天皇誕生日と言えば429日というのがぱっと思い浮かぶ天皇誕生日で、平成時代の1223日も結局なじみきれないまま、新しい天皇誕生日になってしまったわけです。1223日も223日も大学勤務の人間にとっては、あまりありがたい休みではなかったのに対し、429日はGWの始まりという感じでよい祝日でした。429日は、今は「昭和の日」という名前の祝日になっていますよね。別に、昭和天皇が素晴らしかったから、祝日にしたというわけではなく、激動の昭和という時代に思いを馳せるためという名目で、実際はGWを期待する国民のために、そのまま祝日にした方がよいだろうという判断だったのだと思います。(平成に入って、しばらくは「みどりの日」でした。)立派な天皇だったという意味でなら、現上皇も非常に立派な人なので、そのまま祝日にすべきだったということになりますが、そんなことをしていたら、天皇家が続く限り祝日が増えてしまいますから、無理ですよね。

 でも、明治天皇の誕生日は113日で、戦前は明治節という祝日で、戦後は「文化の日」と名を変えてそのまま祝日になっているはずだなあと思い出し、そう言えば、大正天皇は何月何日生まれで大正時代は天長節(天皇誕生日)の休みはいつだったんだろうと調べてみたくなり探してみたら、いろいろ驚くような事実を知りました。まず、明治元年においては、天長節は113日ではなく922日でした。明治天皇は、嘉永5922日生まれなのだそうです。それが113日に変わったのは、明治6年に太陰太陽暦(旧暦)から太陽暦に明治政府が暦を変更することにしたために、嘉永5922日は1852113日に当たるということで、113日が天長節になったそうです。この時同じく変更されたのが紀元節(現在の建国記念日)です。神話に基づくような話なのに、なんで211日なんて中途半端な日にちなのだろうと思っていましたが、これも旧暦だと11日だったのが、太陽暦では211日に当たるということで、この日が紀元節となったそうです。建国記念日の頃に、旧正月で長期休暇を取った中国の人がたくさん現れるのも、そういうことなんですよね。ちなみに、旧暦時代は、16の付く日は休日だったそうですから、4日働いたら1日休めるということだったようです。(まあでも、そんなスケジュールで働いていた人はごくわずかだったでしょうが。)土曜半休、日曜休日という1週間単位のスケジュールになったのは、明治9年のことだそうです。

 さて、誕生日を知らなかった大正天皇ですが、明治12831日生まれでした。まだまだ暑い夏の時期の生まれだったんですね。で、大正時代に入ったらこの夏休み中の1日が休日になったのかと思いきや、なんと天長節は831日ですが、天長節祝日というものも作られ、それは1031日にしたそうです。天長節も一応祝日だったようですが、拝賀や宴会は1031日でやったそうです。暑かったからでしょうか?そんなんありだったんですね。1031日の根拠はなんだったんでしょうね。明治天皇の誕生日の113日はどうなったかというと、大正時代は祝日ではなく普通の日に戻されていました。明治天皇がらみでは、亡くなった730日が明治天皇祭として祝日だったそうです。明治時代も、先帝である孝明天皇の崩御日――130日(旧暦では慶応21225日)――が孝明天皇祭として祝日だったそうです。「えっ、明治節は?」と一瞬不思議に思いましたが、昭和になった時に、先帝祭が730日から大正天皇の崩御した1225日に変わり、天長節が429日でもちろん祝日、天長節祝日というのはなくなり1日祝日が減ることになりそうだったので、明治天皇の誕生日の113日を明治節として新しい祝日にして祝日の日数を減らさないようにしたそうです。つまり、113日は明治以来ずっと祝日だったわけではなかったです。あともうひとつついでに知ったのは、春分の日、秋分の日という祝日は、戦前は、春季皇霊祭と秋季皇霊祭と呼び、歴代天皇の御霊を祭る日といて、明治11年に追加されたそうです。過去のこういう暦の歴史を調べていると知らないことがたくさんわかって非常に面白いです。

1017号(2025.2.17)矛盾していないだろうか?

 先ほどワイドショーを見ていたら、吉本芸人が海外のオンラインカジノに参加していたことで警察の事情聴取を受けているというニュースを紹介し、さらに海外のオンラインカジノをやっている日本人は350万人以上いて、20歳代、30歳代の男性が中心なので、ギャンブルにはまらないように様々な手立てを打つ必要があると語っていました。そして、そのすぐ直後に、今度はバレンタインジャンボ宝くじの宣伝をしていました。1300円で、1等は2億円、前後賞を合わせたら3億円と番組内で紹介していました。いやあ、おかしくないですか?ギャンブルにはまらないようにしましょうといったすぐ後で、宝くじを買いましょうって。宝くじで思い切り、日本人の射幸心をあおっておいて、カジノをやったら即法律違反って、全然理解できません。宝くじはよくて、カジノはいけない理由はなんなのでしょうか?他にもギャンブルをめぐる矛盾はたくさんありますよね。サッカーの試合結果はtotoという合法な賭けの対象になっているのに対し、野球の試合結果は賭けの対象にしたらアウトです。どんな論理で、片方のスポーツは賭けの対象にしてよく、もう一方はだめと決められるのでしょうか。たぶん論理はないと思います。他にもインフォーマルに多くの人がやっていそうな違法なギャンブルに、賭けマージャン、賭けゴルフ、賭け高校野球などもあります。他方で、競馬、競輪、ボートレースなどはOKです。私はギャンブルには全く興味がなく、宝くじも買ったことがない人間ですが、一貫した論理で行うなら、全部合法的な賭けの対象にしたらいいのじゃないかと思います。カジノもIRができたら、合法になるはずですが、IR施設内で行うものだけが合法で、それ以外で行うのは違法とかになるのでしょうか。よくわかりません。

それにしても、ついこの間まで、年末ジャンボの宣伝をしてたと思ったら、今度はバレンタインジャンボだそうです。今まであまり聞いたことがないなと思っていましたが、調べたら2018年から始まったようです。他にも、ドリームジャンボ、サマージャンボ、ハロウィンジャンボ、そして年末ジャンボと、たくさんあります。こうしたジャンボ宝くじの大宣伝をして、コツコツ働く気持ちを薄れさせていく社会の在り方がおおいに疑問です。貯蓄より投資をと政府が言っているのも、射幸心を煽るとまでは言いませんが、お金は働いて稼ぐものという価値観を薄れさせる役割を果たしている気がします。こんな価値観を一方で植え付けておいて、海外カジノはやっちゃだめなんて言って、誰がちゃんと従うのでしょうか。おかしな社会です、というより無責任な政府です。

1016号(2025.2.11)高校授業料無償化への疑問

 維新の会が中心になって、全国的にも高校授業料無償化を導入するかどうかが国会で議論されています。大阪府はすでに導入していますが、私は高校授業料の無償化は非常に疑問です。高校まで義務教育にするなら無償化すべきでしょう。でも、高校は義務教育ではありません。本来学びたい人だけが進学するところです。もちろん、今やほとんどの人が進学しており実質的に義務教育的になっているのはわかってはいますが、無償化されたらよりやる気が出るのでしょうか?むしろ、自分でコストを払っていないことで真剣に何かを得ようとしなくなる人の方が多くなりそうな気がします。

 まあでも、あまり時代に逆らうのもなんですから、多少は譲歩しましょう。譲歩のポイントとしては、公立高校の授業料無償化までです。なぜ私立高校まで無償化するのでしょうか。実際私立高校の無償化も行っている大阪府ですでに生じていますが、公立高校を受験する人が激減して、私立高校を受ける人が増えています。そりゃ、そうなりますよね。どちらも無料で行けるなら、そのまま大学に行ける可能性があったり、しっかりした受験指導をしてくれたりする私立高校に人気が出るのは当然です。こんな制度を続けていたら、大阪府の公立高校は今後いくつも潰れてしまうことになります。

 私立中学は無償化されていないようですから、私立高校も無償化するのはおかしいです。公立高校の授業料と同じ額だけ私立高校に通う生徒にも出してあげれば不公平はないはずです。お金はないけれど、勉強したいと思う人は公立高校に行けるということになれば、公立高校全体のレベルアップにもつながるでしょう。今の大阪府の制度だと私立高校に通う場合63万円まで府が補助し、それを超える分は学校が負担しないといけないそうです。おかしな制度です。たぶん、私立高校は授業料ではない名目――たとえば施設設備費とか――の金額を上げて、そこを各家庭の負担にしているのではないでしょうか。おかしな名目の費目がべらぼうに高いなどという奇妙なことが起きていそうです。

 ニュースを見ていても、高校授業料無償化に反対の意見をはっきり言う人がほとんどいないのが不思議です。一律支給は、現在の国の制度――年収910万円未満の世帯の子に、私立・公立を問わず118,000円を支給、590万円未満で私立高校なら396,000円を支給――で十分だと思います。(せいぜい、子どもの数による上限の違いはあってもいいかなと思いますが。)所得制限を撤廃しかつ私立公立関係なく全員無償にするより、公立高校は豊かな世帯でなくとも無償で行けるようにしておけば、教育を受ける機会にそれほど大きな不平等は生まれないはずです。むしろ学費ということで言えば、大学の授業料が高すぎます。特に国公立が昔と比べるとあまりに高く、こちらの方こそ対応すべきです。国公立大学の授業をもっと安くするとか、勉学に本当に頑張っている学生には所得制限なしで給付型奨学金をしっかり出すようにした方がいいと思います。

1015号(2025.2.10)関税を上げて得をするのは誰なのだろう?

 トランプが大統領になってから、毎日のように関税を上げるという発言を嬉々として、それを交渉材料に使って2国間交渉を有利に進めようとしています。実際にカナダもメキシコもやや譲歩して関税をかけられないようにしたようですが、関税が上がったら困るのは輸出国だけなのでしょうか?輸入した品物が関税分だけ高くなるわけですよね。困るのは、輸入した品物を買わなければならないアメリカの国民なのではないでしょうか。関税は、自国の産業を守るために利用されることが多いと思いますが、もしもトランプ方式でありとあらゆるものに関税をかけていった場合、輸入できなくなった品物をアメリカで全部生産できるのでしょうか。間違いなくできませんよね。これまで安く入手出来ていたものが関税のせいで高くなってしまったら、生産現場も消費現場もみんな困ることになるのではないでしょうか。

 世界の経済は封建時代の自給自足的生活から、自由な貿易が少しずつ行われるようになり、自国で生産できないものを輸入し、余剰するものを輸出することで、より豊かな生活をできるようになってきたはずです。トランプの関税をどんどん上げていくというやり方は、自給自足の時代に戻したいのかと言いたくなります。アメリカにはできあがった物を売るのではなく、工場や企業自体を進出させるなり、投資するなりして、アメリカの産業発展に貢献するという形で付き合えというのがトランプの主張のようですが、いくらアメリカの領土が広いとは言っても、すべてのものを国内で用意するのは無理です。こんなトランプ方式ではアメリカ国民も幸せになれないと思うのですが、、、

1014号(2025.2.3)うーん、、、青春の思い出が148円!

 残り1年ちょっとの大学教師生活で、研究室がなくなるので、今年は断捨離をしていかないといけません。その第1弾として青春時代に集めていたLPレコード67枚を買い取り業者に託しました。先ほど買い取り額の評価が届いたのですが、なんと総額148円でした。平均11020円くらいの評価はあって最低でも1000円くらいは超えるのではと思っていましたが、甘かったです。でも、箱も送ってくれたし、送料も無料でしたので、そういうものを考えるとこんな査定額になっても仕方ないのかもしれません。メルカリのような面倒なことをやる気のない人間ですので、このLPレコードたちももともと捨てるしかないのかなと思っていたので、148円でも引き取ってくれて、また誰かが聞いてくれるなら、ゴミになるよりはいいやと思って、買取を承諾しました。この後、書籍に関しても買い取ってくれるところに送っていこうかなと思っているのですが、査定額はこんなものなんでしょうね。まあでも、ゴミになるよりは、誰かが利用してくれるならよしとして少しずつ作業を進めていきたいと思います。最後に、思い出のLPアルバムをここに掲載して、私の永遠の思い出にしたいと思います。

1013号(2025.1.21)「常識の革命」

 トランプが大統領に戻ってきました。大嫌いな人物で、こんな人間が大国アメリカを率いると思うと、ぞっとします。しかし、彼が今回の就任演説で使った「常識の革命」という言葉は、じわじわ広がるのではないかと思います。今、アメリカだけでなく世界で自国中心主義的な保守勢力が勢いを増しているのは、結局リベラルの極端な主張を、多くの人が潜在的には疑問に思っているからです。でも、普通の人たちはそこを露骨に言えずにいるわけですが、トランプはタテマエの綺麗ごとなど全く無視して発言します。「性別は男と女の2つだけ」なんて発言は、本来は当たり前に多くの人が思っていることですが、現代のタテマエではそういう風に考えてはならないことになっています。こういう空気がトランプのような強硬保守派を支持させてしまうのです。

 しかし、これは最悪な状況です。行き過ぎたリベラルとその反動としての強硬保守の対立というのは、社会に分断を招きます。過剰なリベラルの主張を抑えるのが強硬保守になってしまうのは危険です。バランスの取れた中道的発想が必要です。トランプの主張は決して常識ではないものが多くありますが、確かに多くの人にとってホンネに近い主張もあるので、これこそ常識だと言われると、そうだと思ってしまう人も多くいそうです。しかし、ホンネをあまりに軽視するのもよくないと思いますが、他方で全部認めるのもよくないはずです。人が欲望(ホンネ)のままに生きたら、社会の秩序は成り立ちません。適切に欲望をコントールして初めて社会の秩序は成り立つのです。タテマエを正しいと思い過ぎず、かと言ってすべてホンネでいいのだとも思わず、適切な中庸的発想こそ支持されるべきです。

常識は革命で普及させるものではないです。長い時間をかけて、各社会が作り出してきたものです。社会学では「常識を疑ってみよう」という発想を勧めますが、それは「常識を否定して生きなさい」と言っているわけではありません。なぜある常識がある社会で常識として通用しているのかを考えるために、一度常識を疑ってみようと言っているのです。各社会は多くの常識を持っており、それらを前提として動いています。特に、この100年間に近代資本主義社会で形作られてきた常識がこの20年ほどの間にかなり疑問視され否定されてきてもいます。しかし、それを復活させるのは「革命」的なやり方ではなく、きちんと考えて、社会がきちんと回っていくためには、どの常識が残るべきなのかを考えた結果であるべきです。ただただ、過剰にリベラル批判をするだけでは分断が増すだけです。リベラルの主張も理解した上で、受け入れるべきものと受け入れるべきでないものを丁寧に区別するべきです。「静かな常識の復権」はなされるべきだと思いますが、「常識の革命」は危険な臭いが強くします。ミニ・トランプみたいな存在があちこちに現れないようにするためにも、「静かな常識の復権」をめざすべきだと思います。

1012号(2025.1.15)今どきの成人式

先日ゼミ生たちから今どきの成人式(=20歳の集い)についての話を聞き、驚きました。何に驚いたかというと、今どきの成人式は、自治体主催の式が終わった後に女性たちは振袖からドレスに着替えて、ホテルなどで中学校ごとに行われる同窓会にこぞって参加するということです。成人式後に同窓会を行うというのは昔からそれなりに行われていたと思いますが、仲の良い人たちを中心に行われるものがほとんどで、学校単位で行われる同窓会というのはなかったような気がします。(中学校が1つだけといった小さな自治体では、そのまま同窓会になるということはあったかもしれませんが。)うちの娘たちは2011年に成人式を行いましたが、その時にはそうした大規模な同窓会には出かけていなかったように思います。一体いつからこんな慣習ができたんだろうかと気になって卒業生たちを中心に少し話を聞いてみました。その結果、以下のようなことがわかりました。

90年代に成人式を迎えた教え子たちは成人式に出た後はばらばらと解散して、仲の良い人たちと集まって飲むというような事はしていたようですが、学校単位で集まっていたという話は出て来ませんでした。1番早く学校単位で集まっていたという回答を寄せてくれたのは2006年に成人式を迎えた人でした。他方で、2012年に成人式を迎えた人でもそんな学校単位の同窓会はなかったという声もありました。2013年以降に成人式を迎えた人たちではかなり多くの人が学校単位の同窓会があったと記憶をしていました。ただしその中心になっているメンバーが、成人式実行委員のようなきっちりした人の場合には多くの人が参加したようですが、やんちゃな人が中心になってるという印象があると、若い世代でも参加しなかったという人がかなりいたようです。今の現役ゼミ生たちに話を聞いた時には、そこに居た公立中学を卒業した15人のうち14人の地域では学校単位の同窓会を開かれ、1人を除いては全員がその同窓会に参加したと言っていましたので、より公式行事に近くなっているのでしょう。

この変化の背景にはSNSとスマホの普及が大きく影響していると考えられます。日本の大学生の間でスマホが一気に普及していくのは2011年頃のことです。SNSはそれ以前もミクシィなどを中心にある程度はガラケーでも使えていましたが、やはりスマホの登場によってSNSはより本格化したと思われます。LINEなどを通じて連絡が非常にしやすくなり、人を集めるのも容易になったようです。以前このつらつら通信で若い人たちの間で同窓会がどんどんなくなっていくのではないかと書きました(第1004号 同期会やクラス会は消えていくのかも、、、(2024.11.23))が、成人式は日程調整をせずにみんなが確実にその日に集まることができるので、同窓会を設定しやすいのでしょう。今年成人式を迎えた娘さんを持つ教え子から得られた話では、その娘さんの場合、1次会の同窓会が160人、2次会が110人、3次会が60人だったそうです。すごい人数です。

テレビのニュースでは晴れ着を着た女性たちがたくさん映り、今どきの成人式はこんな感じかと思っていましたが、その後にこんなパーティのような同窓会をしているのはニュースでは取り上げてくれないので知りませんでした。成人式もいつのまにか少しずつ変わっているようです。どんな変化をしてきているのか、もっと知りたいので、これを読んで興味を持った方は、ぜひ自分の時の成人式はこんなだったという情報をお寄せください。楽しみにしています。

1011号(2025.1.3)昭和100

 今年は昭和が続いていたとしたら、昭和100年にあたるということがちょくちょくメディアで語られています。年末にも、昭和からの99年を振り返る番組が何本かやっていましたが、きっと今後もそういう番組が放送されることでしょう。NHKも放送開始からちょうど100年ということなので、いろいろ絡めて放送がされるのではないかと思います。

 ふと思ったのですが、2011年は大正100年に当たりましたが、そんな言説はまったくなかったですね。311日以降は東日本大震災と福島第1原発の問題でそれどころではなかったでしょうが、それ以前の1,2月にも「大正100年」なんて誰も言っていなかったです。でも、1967年の明治100年の時は結構言っていました。私は小学校6年でしたが、学校でも先生が「今年は明治で数えたら100年に当たる」と話していたのを覚えています。私の記憶では祝日があったような気がしたのですが、調べたら明治100年の記念式典は翌年の1968年にやっており、祝日にはしなかったようです。おかしいなあとさらに調べてみたら、1年前の1966年から211日が「建国記念の日」として祝日になっています。先ほどの先生の話も、この建国記念日の制定に絡めて話されたような気もします。いずれにしろ、このあたりの記憶がごちゃごちゃになって、明治100年の記念で祝日があったと覚えることになったのだろうと思います。

まあでも、明治は前近代社会から近代社会に、日本が変わった決定的な転換期ですから、あれから100年と考えるのには単なる数字以上の意味があったと思います。昭和から100年はどうでしょうね。むしろ、時代の転換点としては、第2次世界大戦の終わった昭和20年の方が重要だというのは衆目の一致するところでしょう。あの時に、昭和天皇が退位し、現上皇が天皇になっていたら、その時点で元号は変わり、そこから数えると、今年は80年ということになるわけです。いわゆる「戦後80年」です。

最近はいろいろな出来事から〇年というのがよく言われます。1年、2年は思い出されやすいですが、しばらく経つと10年刻みくらいで焦点を当てることが多いです。そして、今年はたまたまですが、そういうものが多そうな年です。「戦後80年」「自民党結党70年」「男女雇用機会均等法40年」「阪神淡路大震災30年」など、ぱっと思いつくものでもいろいろ出てきます。私も「生誕70年」で、自民党と同い年です(笑)歳を取りました。まあ私のことはともかく、社会の方は大丈夫でしょうか。10年以上前に「第431号 <戦後日本社会>君の高齢化(2012.3.5)」という文章を、この「つらつら通信」に書きましたが、そこからさらに13年の年月が流れました。その時点ですでに社会の高齢化問題として危惧していたことは、今も根本的には是正されていないと思います。「昭和」君はもう寿命が尽きていますが、「戦後社会」君はさらに高齢化したまま生き続けているように思います。さてさて「昭和100年=戦後80年」は、どんな1年になるのでしょうか。