本を読もう!映画を観よう!1

2025.8.21開始、2025.10.26更新)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>

<人間ドラマ>1106.(NHKスペシャル)『大阪激流伝 おもろいこと おそろしいこと ぎょうさんおました』(2025年・NHK

<推理サスペンス>

<日本と政治を考える本>1112.半藤一利『ノモンハンの夏』文春文庫

<人物伝>1124.宮野澄『最後の海軍大将・井上成美』文春文庫1104.川本三郎『君美わしく 戦後日本映画女優讃』文芸春秋1103.手塚るみ子『オサムシに伝えて』知恵の森文庫

<歴史物・時代物>1124.宮野澄『最後の海軍大将・井上成美』文春文庫1117.畠山清行著・保坂正康編『秘録 陸軍中野学校』新潮文庫1112.半藤一利『ノモンハンの夏』文春文庫1106.(NHKスペシャル)『大阪激流伝 おもろいこと おそろしいこと ぎょうさんおました』(2025年・NHK

<青春・若者・ユーモア>1105.あだち充『ラフ(全12巻)』小学館コミックス

<純文学的小説>

<映画等>1127(映画)武正晴監督ホテルローヤル(2020日本1126.(映画)ジョージ・ルーク監督『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(2018年・アメリカ/イギリス)1125.(映画)瀬田なつき監督『違国日記』(2024年・日本)1123.(映画)中平康監督『密会』(1959年・日活)1122.(映画)中平康監督『四季の愛欲』(1958年・日活)1121.(映画)久松静児監督『月夜の傘』(1955年・日活)1120.西河克己監督『風のある道』(1959年・日活)1119.溝口健二監督『お遊さま』(1951年・大映)1118.溝口健二監督『武蔵野夫人』(1951年・東宝)1116.(映画)舛田利雄監督『青春とはなんだ』(1965年・日活)1115.(映画)新藤兼人監督『愛妻物語』(1951年・大映)1114.(映画)小津安二郎監督『お茶漬けの味』(1952年・松竹)1113.(映画)成瀬巳喜男監督『銀座の化粧』(1951年・新東宝)1111.(映画)ルイス・マンドーキ監督『メッセージ・イン・ア・ボトル』(1999年・アメリカ)1110.(映画)手塚治虫総指揮・山本暎一監督『千夜一夜物語』(1969年・虫プロ)1109.(映画)小泉徳宏監督『ちはやふる 結び』(2018年・日本)1107.(映画)塚原あゆ子監督『ラストマイル』(2024年・日本)1101.(映画)永井聡監督『恋は雨上がりのように』(2017年・東宝)

<その他>1108.土屋健『恐竜大絶滅 陸・海・空で何が起きていたのか』中公新書1102.信濃太郎『社会運動一兵卒の記録』新泉社

<最新紹介>

1127.(映画)武正晴監督『ホテルローヤル』(2020年・日本)

 直木賞を取った桜木紫乃の小説の映画化です。小説に興味があったのですが、読み出さずにいたところ、この映画がAMAZONで見られたので、見てみることにしました。登場人物がたくさんいて人間関係もわかりにくいので、見終わってから原作小説はどんな内容だったのだろうとウィキペディアで確認しました。原作小説は、ホテルローヤルを舞台にした短編小説だったようです。そう知って映画を思い出すと、わかりにくかった部分がある程度解消されました。一番最後の場面に、主人公の父母の出会いとホテルローヤルを建てる話や、ミカンへのこだわりがある種、途中の伏線への回答みたいな形で提示されるのですが、他の伏線はちゃんと回収され切っていないので、説明不足感が強く、隔靴掻痒感が残ります。基本的に、原作小説も読んでいる人に向けた映画という気がしました。

 あと一番気になったのは、主役の波留がなんか役柄に合っていない気がする点です。その思い人である松山ケンイチも違う気がしました。特に最後の2人が結ばれるかどうかというシーンの心情の動きはよく理解できません。監督が悪いのか、脚本が悪いのか、演じ手が合っていないのか、よくわかりませんが、見ていて納得感がありませんでした。直木賞を取った小説ですが、映画の方は準純文学っぽい出来です。まったく駄目な映画という感じではないのですが、消化不良気味になっている映画という印象でした。(2025.10.26

1126.(映画)ジョージ・ルーク監督『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(2018年・アメリカ/イギリス)

 このあたりの歴史は他の映画やドラマでも見たことがありますが、それぞれ焦点の置き方が違うので、それなりに新鮮に見られます。この作品は、フランスからスコットランドに戻りスコットランド女王となったメアリー・ステュアートを主人公に描いています。イングランドはエリザベス1世が抑える国で、独身主義のエリザベスには後継者がいないので、イングランド王室の血も受けているメアリーは自分を後継者に指名すべきだと主張します。そして、エリザベスと違い、結婚して子を産むことを目指します。誰と結婚するのか、子は生まれるのか、といったところが、この作品ではひとつのポイントになっています。さらに、メアリーを追い落とそうとするスコットランド内部の動きや、そこに絡むイングランドの動きなどがもうひとつの焦点です。結局スコットランドを追われ、イングランドで保護されます。最終的にはイングランドで死刑になるわけですが、20年近く自由な生活を送れていたようです。(このあたりは映画で描かれていませんが。)調べてみると、死刑になったのは、あくまでも自分にイングランドの王になる権利があると言い続け、エリザベス暗殺の計画などにも関わったからということのようです。

 ちなみに、この映画描かれていて初めて知ったのが、エリザベスは疱瘡をわずらい、顔にひどいあばたが残ったので、それを隠すために分厚い白塗りをしていたということでした。鉛白というのを使っていたそうですが、これは身体に悪影響を与えるもので、エリザベスもこの鉛白のせいで死亡したという話もあるそうです。(2025.10.24

1125.(映画)瀬田なつき監督『違国日記』(2024年・日本)

 映画はリリカルな雰囲気でしたが、消化不良感があって、きっと原作小説かマンガがあるのだろうと思って調べてみたら、やはり原作マンガがありました。原作を読んでいる人なら、映画で語り切れていない部分も理解できるのかもしれませんが、映画単体として見ると、ものすごくわかりにくいです。冒頭の場面が交通事故で、その場に残された中学3年生の少女が叔母である小説家に引き取られることになるのですが、叔母は少女の母だった姉のことを大嫌いだと言いますが、なぜ大嫌いなのかが途中までわかりません。途中で、どうやら若い時に小説家を夢見る妹を現実的でないと批判したことが原因らしいとわかりますが、その程度で30歳代半ばになっても、そこまで嫌えるものかなと疑問を持ちました。原作ではもっと深刻な理由があるのでしょうか。

 またそんな大嫌いな姉の子なのに、最初から割と仲良くやれている感じなのも違和感がありました。原作の方では、姉の実子ではなく、内縁相手だったパートナーの男性の実子だと書いてあり、そうなのかあ、映画ではそこまでわからなかったなあと思いました。主人公の小説家の人物設定もよくわからなかったです。付き合っていた男性とは別れて友達になっているという設定でしたが、たまに妙に彼女っぽい行動を取ります。この小説家を新垣結衣が演じていますが、キャラクターが場面によって変わる感じで疑問でした。

 原作の細かい設定のことを一切気にしないことにすると、この映画自体は女子高校生の揺れる心の物語になっています。主役は新垣結衣ではなく、姪の女子高校生として作られている映画です。ただし、こちらも心の変化を丁寧に描き切れていないので、その心情を理解しにくいです。この女子高校生役はオーディションで選ばれたほぼ新人のような女優さんだそうですが、華はないですが、素直な空気感は出せてはいたので、これから時々見かけるかもしれないなと思いました。早瀬憩というそうです。(2025.10.19

1124.宮野澄『最後の海軍大将・井上成美』文春文庫

井上成美に関しては、陸軍が三国同盟を結びたがっていた昭和14年に、米内光政、山本五十六とともに、英米との戦いになってしまうからと断固反対をした海軍の3巨頭だったことくらいは知っていましたが、終戦時の海軍大臣だった米内光政や真珠湾攻撃の時の連合艦隊司令長官だった山本五十六に比べると、その事績はほとんど聞いたことがありませんでした。その分、この本はなかなか新鮮な情報に満ちていました。しかし、著者は当然井上成美は素晴らしい人物であったという視点で書いていますが、別の立場から見たら違う評価もあるのだろうと思います。

1112で紹介した『ノモンハンの夏』とともに、ある時期まで海軍首脳がアメリカとの戦いになることを避けようとしていたということは、この本からも良く伝わってきます。でも、結局は勝ち目があるとはとうてい計算できなかったアメリカとの戦いに突っ込んで行ってしまうわけです。戦後も生き残った井上は陸軍が悪かったのだと思い続けていたようですが、結局、世論が陸軍を支持したということが大きかったのでしょう。戦後、国民は騙されていたみたいなことを言う人が多いですが、陸軍の方が庶民感覚には近いところがあり、国民が陸軍のやり方を支持していたことがもっとも大きな原因だと思います。徴兵された人のほとんどは陸軍の歩兵になったはずです。海軍は船を動かす技術等も身につけないといけなかったので、陸軍の兵士のようには簡単に育てられなかったでしょう。結果として、陸軍の感覚と国民の感覚が近くなっていたのだと思います。井上の親英米・反独伊といった考え方は、世界の状況をよく知っている人間だからこそ持ち得たもので、一般国民には持ち得ない感覚だったろうと思います。

 この本のひとつの読みどころは、戦後の井上成美の生き方です。自死は選ばず、かと言って意識をガラッと変えて逞しく生きるということもせず、生きながら仙人のような生活をしています。近隣の人や海軍兵学校の校長時代の教え子たちに支えながら生きた人生だったようです。海の上での戦で目立った成果を出していない井上は、教育というのが一番自分に合っていた仕事だったと考えています。太平洋戦争末期に海軍兵学校の校長になり、若人を教育するに当たって、戦争が終わった後に生きて行けるような教育をしたいと考えていたそうです。まあでも、これも実際には限度があったでしょう。授業を受ける兵学校の生徒たちも、お国のために命を捧げるのだという気持ちで来ていたでしょうから、戦争に関連しない教育に対してはきっと抵抗があったのではないかと思います。敗戦に終わり、戦前の日本の在り方が批判される中で、軍人でありながら、戦争をなんとか阻止しようとした事物ということで評価はしやすくなっていたのだと思いますが、視点を変えたら違う評価をされる人物だろうなと思いました。(2025.10.13

1123.(映画)中平康監督『密会』(1959年・日活)

 1122の『四季の愛欲』を見て、そうだ、桂木洋子という女優さんの映画をもっと見たかったんだと思い出し、検索してこの映画を見てみました。歳の離れた大学教授と結婚している30前後の夫人が、夫の教え子である大学生と恋仲になり、秘密の密会をしていた時に、すぐ近くで殺人事件が起き、その犯人の顔も見た学生は、警察に届けて犯人を逮捕させたいと言いますが、夫人の方はそんなことをしたら、一体なぜそんな時間にそんな場所にいたのかと聞かれ、自分たちの関係がばれてしまうからやめてくれと頼みます。しかし、神経衰弱になるほど悩み続けていた学生は夫人の頼みを断って警察に向かいます。追いかけていった夫人は駅のホームで学生を突き落とし轢死させます。その行為を見られていたために夫人は逮捕されて映画は終わります。

 ストーリーを紹介すると、こんな感じで軽い2時間ドラマみたいな安直な物語ですが、この映画結局この不倫をしている桂木洋子をたっぷり見せる映画です。かわいい感じの女性ですが、こういう女性が不倫をするというのが、この時代、一番観客の興味を引くというところがあったのでしょう。『美徳のよろめき』(これも中平康監督作品)以降「よろめきもの」という言葉が流行っていた時代だと思いますが、よろめくのは上品で清純そうな女性でないといけなかったのでしょう。桂木洋子という女優さんは、まさに「よろめきもの」にぴったりの女優さんだったのでしょうね。今の時代の感性より、この時代の感性に親近感をもつ私が、彼女を魅力的だと思ってしまうのも仕方がないのかもしれません(笑)(2025.10.12

1122.(映画)中平康監督『四季の愛欲』(1958年・日活)

 丹羽文雄の『四季の演技』という小説が原作だそうですが、映画の内容からすると、『四季の愛欲』というタイトルは合っていました。四季は人生の四季を表しているのでしょう。様々な年齢の男性も女性も恋愛をしているというのがテーマの物語です。主人公は小説家ということですので、丹羽文雄の私小説的要素がかなり入り込んでいるのでしょう。母親役を山田五十鈴が演じており、若い時に息子を置いて家を出てしまったという設定ですが、これは丹羽文雄自身の経験のようです。この映画でも40歳代半ばの山田五十鈴は色っぽく、まだまだ恋愛はバリバリ現役という役です。映画の中で、この母親と恋人関係にある男性は、主人公の妻とも愛人関係にあります。映画では、この妻はモデルをしているという設定ですが、丹羽文雄の実際の妻はクラブでホステスしていて50人近い男性と関係を持っていたというリストを丹羽文雄自身が見つけたという事実があるそうですので、この映画の中の妻のモデルはやはり現実の丹羽文雄の妻なのでしょう。この2人だけでなく、主人公のすぐ下の妹は、母親の命令でかなり年上の夫に嫁がされ宇都宮に住んでいますが、夫の会社の取引会社の男性と不倫関係になっています。この妹役を桂木洋子が演じていますが、清純感のある彼女の不倫は遊びではなく本気で、夫と別れてその男性と結婚しようという思いでいますが、男の方にそんな気持ちはなく捨てられます。そして主人公自身も那須の旅館のバーの女性と互いに惹かれ合っています。こちらも結ばれますが、近づくきっかけが水虫の話というのが笑えます。水虫の薬を塗ってあげると言って彼女の素足に触れるという展開になるのですが、きっとこれは原作小説にあり、実際にあったことなのではないかと思います。なので、まったくロマンチックに思えないこのシーンを入れたのではないでしょうか。最後は、母親が妻の愛人でもある男性と仲良く汽車に乗って東京に向かうのを主人公たちが呆然とした様子で見送るというシーンで終わります。

 前に他の映画の感想で書きましたが、この頃の映画の原作は著名文学者の小説が使われていますが、なんかみんな通俗小説という感じです。でも、こういう小説だからこそ、大ヒットして原稿料もたくさんもらえたのだろうなと思います。(2025.10.12

1121.(映画)久松静児監督『月夜の傘』(1955年・日活)

 東京の郊外に一戸建てを建てた3家族とそこに間借りしている母娘の話です。これといった事件は何も起こりませんが、昭和30年の中流家庭の暮らしぶりと家族像が描かれているので、この時代を知るうえで役に立つ映画です。4人の主婦たちは井戸端で毎日のように洗濯をしながら、まさに「井戸端会議」をしています。なるほど、これが井戸端会議かと納得しました。洗濯板でゴシゴシ洗濯物を洗うのは時間もかかる大変な作業です。お喋りでもしながら、この作業をしていたというのは必然だったろうなと思いました。主役は3人の子持ちの主婦・田中絹代です。夫は宇野重吉が演じていますが、この映画の宇野重吉は珍しくわがままで妻にも子どもたちにも横暴な雷親父です。子どもたちが家族のために鶏を飼おうと考え、鶏小屋をこっそり作りますが、自分が大事にしている苔をだいなしにされたと父親は怒り、力づくで子どもたちが作った鶏小屋を破壊してしまいます。そこで子どもたちも「お父さんは横暴だ。今の時代はそんなことは許されないんだ」と反発します。このあたりは、戦前の戸主制度の終わった戦後の親子関係をわかりやすく示すために挿入されたのだろうと思います。4人の主婦のうち年配の女性たちは日頃は和服で過ごしていますが、一度4人そろって洋服で銀座に出かけるというシーンがあります。洋服はほとんど着たことがないという中流階級の主婦がこの時代にはまだかなりいたのでしょう。4人はデパートに行き、子どもや夫の服を見たりした後、大食堂でランチをしながら、「こんな贅沢もたまにはいいわね」と語り合います。また、ピアノを4家族で共同購入しようなんて話もしており、この時代、ピアノを持ちたいという願望が強まっていたこともわかります。

 最後のシーンは、仕事に出かけたままなかなか帰ってこない夫を迎えに、田中絹代が男物の長靴と傘を持って駅に迎えに行き、夫が鶏小屋を直すための金網を注文して金物屋を出てきたところで2人は落ち合います。子どもたちには横暴で支配的なことを言っていた夫が、心の中では反省して、鶏小屋を作り直してやろうと考えていることを知り、田中絹代は幸せそうに、雨がやんで月が出ている中、相合傘で幸せそうに去っていくという場面で終わります。映画のタイトルは、ここから来ているのでしょうが、ストーリー全体から言うと、このタイトルが合っているとは思えませんでした。まあ、これといった劇的なストーリーがない分、この時代の中流家庭の暮らしぶりに目が行く映画で、戦後生活史を知る上ではいい映画と言えるかもしれません。(2025.10.7

1120.西河克己監督『風のある道』(1959年・日活)

 北原三枝、芦川いずみ、清水まゆみの3姉妹がポスターになっていて、きっと明るい恋愛映画だろうなと思って見始めたら、そんな感じではなかったです。長女役の北原三枝の結婚式から話は始まりますが、主役は次女の芦川いずみでした。彼女も華道家跡取り息子と婚約中ですが、自信過剰で女性の気持ちを考えてくれない強引さがあり、このまま結婚していいかどうか迷っています。そこに、葉山良二演じる児童養護施設で働く男性が現れ、彼の誠実さ、子どもたちへの思いなどから、彼に惹かれていきます。これだけなら、普通の話ですが、三女もこの男性に惹かれていたり、実はこの男性の父親が結婚前に3姉妹の母親の恋人で、長女の北原三枝はもしかしたらその男性の子かもしれないという複雑な状況が明らかになります。こんな複雑な設定は映画用に作られた脚本ではないだろうなと思ったら、やはり原作があって川端康成の小説でした。この頃の映画は、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成など著名文学者の小説を結構原作にしています。彼らは大作家のように言われていますが、結構大衆小説的なものを書いているんだなあということが映画を見るとわかります。ちなみに、この物語、最後はハッピーエンドです。

 三女役の清水まゆみという女優さん、あまり知らないなあと思いましたが、1950年代から60年代前半にかけて、浅丘ルリ子や吉永小百合とともに日活が売ろうとしていた女優さんのようでした。あまり有名作品には出ていないようで全然知らなかったなあと思ったのですが、60年代後半からは主としてテレビドラマにたくさん出ていたようで、なんと「北の国から」の中畑のおばちゃんでした。中畑のおばちゃんなら顔も思い浮かべられますが、この映画の若き日の清水まゆみさんとは結び付きませんでした。古い映画を見ると、こういう発見が時々あるので、面白いです。(2025.10.3

1119.溝口健二監督『お遊さま』(1951年・大映)

 1118と同じ年に、同じ溝口健二監督、田中絹代主演で、同じように中年女性に若い男性が惹かれるという話です。現代の目で見てしまうと、田中絹代が若い男性を引きつけそうな女性には見えないのですが、この頃の溝口健二は田中絹代にこういう役をやらせたかったのかなと思ってしまいます。ただ、こちらは原作小説は読んでいなかったし、谷崎潤一郎の作品だけあって、非常に奇妙な恋愛感情を描いた作品なので、『武蔵野夫人』よりは面白く見ました。なかなか結婚をしない京都のぼん・慎之介(堀雄二)に叔母が見合いの話を持ってきますが、男性は見合い相手のお静(乙羽信子)よりも、付き添いで来た姉のお遊(田中絹代)の方を見初めてしまいます。お遊も、慎之介を好ましい男性と思い、お静に結婚を勧めます。お静は、慎之介とお遊が互いに惹かれあっているのに気づき、2人の橋渡しをするために、慎之介と結婚しますが、形だけの夫婦という関係を続けます。周りに噂もされるようになり、お遊自身も若い2人の関係がぎくしゃくしていることに気づき、問うと、ついにお静は「姉さんと慎之介さんが一緒になって幸せになってほしい」と言います。それを聞いたお遊は驚き、2人から去り、話があった酒問屋の後添えになります。慎之介とお静は東京に出て、2人は本当の夫婦になり、子もなしますが、産後の肥立ちが悪く、お静は亡くなってしまいます。残された赤ん坊をお遊に預けて慎之介は消えていきます。

 たぶん誰も見ないと思うので、ストーリーをほぼ全部紹介してしまいました。映画としては、まあまあという感じでした。道ならぬ恋の物語ですが、この時代の映画は露骨すぎるシーンはなく心理描写で語られるので、この映画も年齢制限はなしでした。(2025.10.1

1118.溝口健二監督『武蔵野夫人』(1951年・東宝)

 小説を以前読みました(769.大岡昇平『武蔵野夫人』新潮文庫)が、映画版があったということを知りませんでした。溝口健二が監督で田中絹代が主演という作品ですから、知っていてもおかしくない作品でしたが、今回初めて見ました。ストーリーは小説版で知っていましたが、40歳過ぎの既婚の田中絹代が20歳代半ばの従弟と惹かれ合うわけですが、かなり違和感があります。従弟役の片山明彦という役者にまったく魅力がありません。声が子どものように高くて非常に幼く感じます。こんな青年に惹かれることはないよなあと思って、映画にはまれません。いわゆる不倫ものですが、いとこ同士というのも受け入れにくいです。もちろん、昔はいとこ婚とかはたくさんあったし、いとこ同士での恋愛関係もあったとは思いますが、この年齢差で女性が年上でというのは違和感しかなかったです、小説で読んだ時はそこまで思わなかったのですが、映像で見せられると、ちょっと無理がありました。片山明彦という俳優さん、下手くそな感じで声も悪いので、なんでこんな重要な役をやっていたのかなと思って調べてみたら、両親とも俳優で子役から映画に出ていたようです。1950年代にはかなりの数の作品に出ていたようですが、1960年代に入ると、出演作も減っていったようです。1970年代以降は俳優としての活動記録がほとんどないようです。出演作を見ると、何本かは見たことがある作品もありましたが、それほど大きな役ではなかったのかまったく認識していませんでした。あと、山村総が隣に住んでいる別の従兄・大野という人物で出演していますが、多くの映画で見られるような重厚な山村総ではなく、すごく軽い男として出てくるのがなんかちょっと面白かったです。ちなみに、溝口健二で名監督なんですかね。この映画ではとてもそうは思えませんでした。(2025.9.30

1117.畠山清行著・保坂正康編『秘録 陸軍中野学校』新潮文庫

 文庫本ですが、700頁もあり、読むのに時間がかかりました。その上、結局陸軍中野学校の全貌はよくわからないまま終わりました。1974年に小野田寛郎氏が戦後29年経って日本に帰還し、彼が陸軍中野学校出身だったゆえに、あくまでも上官の命令がない限り、戦争を止めないという気骨さを見せたために、それ以来中野学校への漠然とした興味を持つようになったのですが、実際この本を読んでみると、秘密組織であったがゆえに、敗戦が決まった時に書類等はすべて燃やしてしまったということで、全貌はよくわからないまま、この本も書かれています。てっきり著者は中野学校の出身の元軍人なのだろうと思ったら、そうではなく、中野学校出身者何人かにインタビューをしたり、彼らが残した記録等を紹介しているだけで、実にわかりにくい本でした。文章も下手で読みにくかったです。保坂正康の解説はわかりやすいのですが、著者の畠山という人の書いた部分がひどかったです。そんな中で、数少ないわかったこととしては、中野学校は8年しか存在していなかったこと、戦争末期は国内の和平派を見張るような仕事もしていたことくらいでした。戦後、警察官や自衛隊員などになった人もいると書かれていますが、多くの人が中野学校出身ということを隠しているようなので、全貌はさっぱりわかりませんでした。8年の歴史しかないですし、そこまで歴史的意味合いの大きい組織ではなかったようなので、もうこれ以上調べなくていいかなと思いました。(2025.9.27

1116.(映画)舛田利雄監督『青春とはなんだ』(1965年・日活)

 スポーツを絡めた熱血教師が活躍する青春学園ものは、日本テレビが開発したと思っていたのですが、実はその前にこの映画が作られ、それを同じ年にタイトルもそのままに日本テレビがTVドラマ版として始めたという事実を知り。原点に当たるこの映画を見てみました。原作は石原慎太郎で、弟の裕次郎をイメージして書いた小説なので、映画版の主役は当然のように石原裕次郎です。アメリカで10年過ごして帰ってきた主人公が高校の英語教員として赴任し、学校や町の問題を生徒たちを激励しながら解決していくという単純なストーリーです。でも、確かにこの頃の石原裕次郎にはピッタリの役どころでした。テレビドラマ版の夏木陽介のイメージが強かったのですが、この映画を観ると、なるほどこういうやや破天荒な教師の青春学園ものというのは、石原裕次郎のイメージだったのかというのが納得が行きました。(2025.9.26

1115.(映画)新藤兼人監督『愛妻物語』(1951年・大映)

 以前見たように思うのですが、感想を書いていなかったので、改めて見てみました。100歳まで長生きした新藤兼人の初監督作品で、自伝的映画と言われています。まだ売れていなかった脚本家・新藤兼人が妻の献身的な支えの元に、溝口健二に評価されて脚本家としてなんとか認められるようになりますが、愛妻は急性結核で亡くなってしまいます。内縁の妻がこの時期に亡くなってしまうという事実は実際にあったようです。この映画を撮った頃には、新藤兼人は別の女性と結婚していましたが、この映画で妻役を演じた乙羽信子と、この映画の後、男女の関係になり、長い間愛人関係にあったことはよく知られていました。60歳になった頃、妻とは離婚し、その妻が亡くなった後、乙羽信子とようやく再婚します。

 現実にあった人間関係の方が興味深かったので、そちらばかり書いてしまいました。映画自体はなんか露骨に作り物っぽいなあという印象です。演技がいかにも演技していますという感じだし、水着姿で2人で海ではしゃぐ場面が最後の方で出てきますが、ストーリーから言うとまったく要らないシーンです。たぶん観客が喜ぶように入れたんだろうなと魂胆が見え見えでした。長生きしたことで、名監督、名脚本家のように思われていますが、私は新藤兼人はそれほどの才能を持った人とは思えません。(2025.9.21

1114.(映画)小津安二郎監督『お茶漬けの味』(1952年・松竹)

 小津安二郎の映画はかなり見たし、もういいかなと大分前から思っていましたが、『銀座の化粧』の後に、AMZONプライムがお薦めしてきたので、見たことがあったかもしれないけど、まあとりあえず見てみるかと思い見てみました。話は倦怠期の中年夫婦の話です。中年と言っても、たぶん40歳前後の設定だと思いますが、昔の俳優さんは老けて見えるので、今の感覚だと50歳代後半くらいの夫婦に見えます。夫婦役は、佐分利信(実年齢43歳)と木暮実千代(実年齢34歳)です。夫は田舎出身で学歴をつけて会社の部長になっている地味目な人物で、妻はいいところのお嬢さんとして育った人物で、2人は見合い結婚で夫婦になったという設定です。妻は、洗練さのない鈍重な感じのする夫のなすことすべてが気に入らないということを友人(淡島千景と小桜葉子)や姪(津島恵子)に頻繁に愚痴ります。姪はそんな叔母の態度を不快に思い、自分は絶対に見合い結婚なんかしないし、夫の愚痴も言わないと宣言します。そして、その言葉通り、無理やり設定された見合いの場を抜け出して、叔父とその友人(鶴田浩二)と競輪を見てパチンコをするという半日を送ります。

 姪の見合いを壊すのに夫が協力したように思った妻は、腹を立てて家を出ます。そのタイミングで夫の海外出張が決まり、その見送りに妻は間に合わないまま夫は旅立ってしまいます。夫のいない家に戻った妻が寂しく思っていたところに、飛行機が不調になったからと夫が突然戻ってきます。見送りができなかった夫が戻ってきてくれたことで、妻は嬉しくなり、夫に対して優しい態度を取ります。2人でお茶漬けを食べながら、夫は「夫婦はこのお茶漬けの味みたいなものだよ」と呟くのです。

 ストーリーを紹介すると、こんな感じなのですが、見終わった感想は「なんかなあ〜」という感じです。登場人物の人物設定も感情の変化もしっくりきません。そして、タイトルにもしている「お茶漬けの味」が夫婦のあるべき姿って、なんのことか全然わかりません。高慢ちきなお嬢さん育ちの妻が、そんな言葉を納得できるとは全然思えませんでした。映画の最後の場面も、津島恵子と鶴田浩二という若きカップルがややもめているという形で終わりますが、なぜ最後がこの場面なんだろうと理解不能でした。やっぱり、私は小津映画はあまり評価できません。(2025.9.20

1113.(映画)成瀬巳喜男監督『銀座の化粧』(1951年・新東宝)

 成瀬巳喜男の作品としてはあまり有名な作品ではなく私も知らなかったのですが、成瀬作品は基本的に好きなので、見てみることにしました。主役は、中年になった田中絹代です。未婚の母として男の子1人を育てながらバーに勤めています。戦前は羽振りのよかった愛人の男がすっかり落ちぶれてしばしば金の無心に来たりしています。一方で成り上がりのケチな年配男が妾にならないかと誘いをかけてきたりします。そんな時に、親友が昔可愛がっていて「坊ちゃん」と呼んでいる爽やかな青年の東京見物の案内を頼まれ、それに付き合っているうちに、彼の誠実さに惹かれていきます。しかし、自分の息子が行方不明になったのではないかという情報が入り、お店の妹分である香川京子に、青年のケアを頼み、息子を探しに行きます。息子は無事に見つかりますが、青年は若く美しい香川京子に惹かれ、2人は1日で互いに好きあって、結婚の約束までします。それを聞いた田中絹代はショックを受けますが、仕方のないことと受け止め、また日常に戻っていきます。

 ストーリーはこんな感じです。しかし、成瀬作品の見どころは、ストーリー以上にその時代の街の風景と当時の人々の生き方や考え方、特に女性の生き方に関する考えがわかりやすく示されているところにあります。この作品でも、結局女の幸せはよき夫を得るところにあるという話を女性たちはしているわけですが、現実には妾として暮らしたり、女給として暮らしたりしています。現実にこういう状況がたくさんあったのだろうなと思わせます。東京の街の風景はもはや焼け跡という感じでは全くなくなっています。戦後5年ちょっとで、このくらいまで東京の街は復活していたんだなということを知れます。あと、夜のバーに流しの歌唄いとして10歳前後の少女がいたり、花やタバコを売りに少年・少女がやってきます。こんなことも現実にたくさんあったのだろうなと気づかされます。すごく面白い作品というわけではないですが、やはり成瀬巳喜男作品は見る価値はあるなと思わされました。(2025.9.19

1112.半藤一利『ノモンハンの夏』文春文庫

 「ノモンハン事件」のことはちゃんと調べたことがなかったのですが、あるきっかけがあり、この本を購入して読んでみることにしました。非常に素晴らしい本でした。いろいろなことを学びましたし考えさせられました。まず、この事件の起きた昭和141939)年という年は非常に重要な年だったのだということです。9月にドイツがポーランドに攻め込み、第2次世界大戦が始まったわけですが、そのことと日本の選択やノモンハンの戦闘がいろいろ深く関わっているのだということがしっかり語られています。この時点でまだ日独伊三国同盟は成立しておらず、陸軍は進めたい、英米を敵に回してしまうことになることを危惧する海軍と天皇はこれを阻止したいという激烈な議論が行われていたのです。厳密に言うと、陸軍もアメリカは敵に回したくはなく、イギリスは敵になっても仕方ないという考えでしたが、海軍はイギリスが敵になれば、必ずアメリカも敵になってしまうと主張していました。

 英仏vs,独伊という構図が出来上がりつつある中で、ヒトラーもソ連やアメリカは敵に回したくはないという考えを持っています。スターリンはスターリンで、西でドイツと東で日本と戦うのはあまり得策ではないと考えています。ヒトラーとスターリンの虚々実々の駆け引きの結果、スターリンは東部の満州との国境を巡って日本に大打撃を与えながら全面戦争にはならないようにしつつ、ヒトラーと手を組んで独ソ不可侵条約を、ノモンハンで戦いをやっている最中に結びます。日独伊防共協定を結んでいた日本は驚きますが、ヒトラーを止めることはもちろんできません。むしろ、昭和16年に4月には日ソ中立条約を結ぶわけですが、ヒトラーの方はその2か月後には独ソ不可侵条約を廃棄してソ連との戦いを始めてしまいます。

 ちょっと本の内容から逸脱してしまいました。とりあえず言いたかったことは、ノモンハン事件というのは決して単純な日ソの国境をめぐる部分衝突ではなく、大きな国際関係の中で位置づけてみないといけないということをこの本から教えられたということです。この本で一番力を入れて書かれているのは、陸軍のエリートたちの問題性です。冷静で緻密な分析ではなく、甘い分析と過剰な自信と精神論で多くの命を失わせたということです。特に、辻政信や服部卓四郎といったエリート将校が如何に問題があったかについて詳しく述べられています。もうひとつ、そうだったのかと知ったのは、この昭和14年の三国同盟をめぐる議論では、海軍と天皇が強く反対していて、山本五十六は暗殺されるのではという噂もあるくらいの危機的状態にあり、また昭和天皇も非常に強く政治関与していたということです。特に、昭和天皇は君臨すれども統治せずではなく、まさに軍事上の統帥権と、政治上の最高権力者として行動していたことを知り、驚きました。もっともっと書きたいこともありますが、このくらいにしておきます。(2025.9.16

 

1111.(映画)ルイス・マンドーキ監督『メッセージ・イン・ア・ボトル』(1999年・アメリカ)

 久しぶりに字幕で洋画を観ました。90年代のアメリカ映画って、こういう大人の恋愛映画がたくさんあったなと思い出しました。仕事もできる女性が恋に落ち、どうなるのかとハラハラさせながら、最後に意外な結末がといった映画です。この映画の場合は、主人公の女性新聞記者がたまたま海岸で見つけたボトルにメッセージが入っていて、調べて行ったら、それを誰が書いたかがわかり、その人物に会いに行くと、非常に二枚目で互いにすぐに恋に落ちてしまいます。このあたり深い心理描写などまったくありません、いい男といい女は出会えば恋に落ちるのが当たり前だという前提です(笑)90年代の恋愛映画は、こういうパターンがよくありました。

 男は死んだ妻への思いを断ち切れずいたわけですが、女性記者に惹かれていき、彼女の住むシカゴまで来て愛を確かめます。ところが、彼女の部屋で自分が海に流したボトルとメッセージが出てきて、そういう目的で近づいてきたのかと怒ります。これで二人の関係は終わるかと思いきや、男はやはり彼女を愛していると気づき、死んだ妻に許しを得て、彼女と一緒になろうとします。しかし、その後に、思いがけないことが起こり、2人の恋は、、、というような話です。深みは全然ないのですが、割と綺麗な映像と音楽でそれなりに見られてしまうという、ある意味、恋愛映画らしい恋愛映画でした。(2025.9.10

1110.(映画)手塚治虫総指揮・山本暎一監督『千夜一夜物語』(1969年・虫プロ)

 朝ドラ「あんぱん」で、やなせたかしがキャラクターデザインを担当したという話が出ていたので、どんなアニメ映画だったのだろうと見てみました。今は、AMAZONプライムでぱっと探せて見られるのですから、本当にありがたい時代です。こういうアニメが作られていたことは知っていたように思いますが、まったく見たことはなく、テレビとかでも放映されたことはなかったので初見でした。完全に大人向けアニメで、色恋・セックスといったことがテーマになっていますのでテレビ放映は無理だったのでしょう。子どもの見る映画ではなかったです。そこそこヒットしたようですが、映画館に見に行ったのは、当時20歳代初めに到達していた団塊世代が中心だったのでしょう。

 内容は、「アラビアンナイト」としてよく知られている様々な物語やその他の要素も詰め込んで作られています。深みはないですが、エンターテインメントとしては割と楽しめると思います。主要キャラクターは、確かにやなせたかしが作ったようですが、「詩とメルヘン」や「アンパンマン」からは想像できないキャラクターです。広告デザイン、作詞、舞台監督、脚本などなんでもできる人だったから、こういう大人向けアニメのキャラクターも作れと言えば、作れる人だったんでしょうね。

 社会学的興味としては、なぜ手塚治虫が「千夜一夜物語」を作りたかったのかというところですね。やはり、今朝の朝ドラで、手塚治虫役の俳優が言っていた「今は劇画の時代になってきて、自分は古い漫画家と言われている」といったあたりなんでしょうね。劇画タッチでエロチシズムもテーマにして物語を作れるのだというところを見せたかったのでしょう。主要キャラクターを自分で考えず、やなせたかしに任せたのは、手塚漫画色が出過ぎないようにするためだったのでしょう。確かに、主人公、ヒロイン、サブヒロイン、敵役あたりの顔は、手塚のキャラクターではないです。AMAZONプライムでも「18+」に指定されていましたが、朝ドラでは、やなせ夫妻が2人で映画を観に行き「面白かった」と電話で手塚に伝えるというシーンがありましたので、子どもでも興味を持って見てみようと思う人が出そうです。まあでも、ものすごく露骨な表現はされていないので、「15+」くらいでいいのかなという感じの映画でした。(2025.9.9

1109.(映画)小泉徳宏監督『ちはやふる 結び』(2018年・日本)

 多くの人がご存じの通り、広瀬すず主演の競技カルタをテーマにした青春映画です。シリーズ3本目の映画ですが、確か前の2本も見ていると思います。コンクールのドラマで、メンバーを変えた新作がやっていて、あまり見てないのですが、先週ちらっと見たら、この映画の時のメンバーが揃って出ているという回だったので、以前はどんな話だったかなとAMAZONプライムで探して見てみました。映画の出来としてはまあまあといったところでしょうか。広瀬すずが生き生きとしています。

 で、この映画について書こうと思ったのは、競技カルタについていろいろ疑問を持ったからです。まず一番大きな疑問は、どちらが札を取ったかという判定は間違いなくできているのかということです。ビデオ判定とかはないんですよね。どう考えても、どっちが取ったか微妙なケースは山のように生まれている気がするのですが、、、審判みたいな人も個人戦ならいるのかもしれませんが、団体戦ではいなさそうです。競技者同士の自己申告なのでしょうか。この映画の中でも、広瀬すずと相手役の清原果耶が、自分が取った札だと主張しあう場面がありますが、結局どう判断が出たのか、映画では描かれていませんでした。また、競技者は札を思い切り払いますが、ピンポイントでその1枚だけではなく、隣接して並べていた札も一緒に飛んでいます。お手つきでなく、当たり札をちゃんと払ったという判定も確実にできているのでしょうか?

 あと、この映画で扱われているような団体戦の場合、あのくらい近接した並びで札を思い切り飛ばしたら、他の対戦者たちの札が入り混じってしまって、ちゃんと元にもどせなかったりしないのかという点も気になりました。当たり札だけ抜いて、またきちんと元の場所に戻せるものでしょうか。プロの競技者なら、最初に並べた札の場所をきちんと全部覚えているでしょうが、高校生のカルタ大会なら、自分も相手も元の場所を正確に覚えていないということもあるのではないでしょうか。なんかビデオ判定なしで、もめずに競技カルタ大会ができているのが不思議な気がします。

私は物心ついた時から、正月は百人一首をするという家庭だったので、百人一首に愛着はあるのですが、競技カルタには惹かれないですね。家族でやる分には、そこまで厳密にしなくても大丈夫なので、そのくらいの付き合いがいいなと思います。気になってしまったので、つい映画の感想以外のことばかり書いてしまいました(笑)(2025.9.8

1108.土屋健『恐竜大絶滅 陸・海・空で何が起きていたのか』中公新書

 隕石の衝突で恐竜が滅びたのというのが現在では定説ですが、なんで恐竜は滅びる一方で生き延びた生物種もいたのかがよくわかっておらず、その謎を解き明かしてくれるのではと思い買ったのですが、全然すっきりしませんでした。ほぼ古代生物学図鑑みたいな本で、わからないことはまだまだたくさんあるということで逃げられてしまい、なるほどとまったく思えませんでした。隕石の衝突による寒冷期は6年ほどだったそうですが、たったそれだけの時間で1億6000万年も栄えてきた恐竜がほぼ絶滅してしまうものなのでしょうか。体の小さな哺乳類は生き残ったと書いていましたが、生き残った生物がいるなら、それらを捕まえて餌にして生き延びられる恐竜がもっといても良かったのではと、最初に持っていた疑問がそのまま残りました。かなり残念な本でした。(2025.9.2

1107.(映画)塚原あゆ子監督『ラストマイル』(2024年・日本)

 昨年かなり宣伝されていた映画がAmazonプライムで見られたので見てみました。ストーリーはごちゃごちゃしているし、登場人物の心理も共感できずあまりはまれなかったのですが、テーマである通販事業の発展とそれを支える運輸業界の厳しすぎる状況に関しては、関心がありましたので、一応見られました。厳しすぎる運搬事業の管理で疲弊した担当者が自殺をはかり、その恋人がその恨みから爆弾を仕掛けるという話ですが、結局ほんのちょっとだけ荷物配達料が値上げされただけで、また正常の運搬に戻るのですが、なんか全然根本的解決にはなっておらず、まあそういう社会派的テーマの作品ではないから仕方ないと言えばそれまでですが、何かなあという感じでした。

 映画の感想とは離れますが、本当にこの通販全盛時代、それも無料で翌日には届くといった方式はこのままでいいのでしょうか。いずれパンクしてしまうのではという気がして仕方ありません。通常郵便は翌日配達はすべてなくなって、3,4日もかかるのが当たり前になっているのに、通販の荷物だけはすばやすぎるほどすばやく届きます。働き方改革とどうやって折り合いがつけられているのか不思議で仕方ありません。(2025.9.2

1106.(NHKスペシャル)『大阪激流伝 おもろいこと おそろしいこと ぎょうさんおました』(2025年・NHK

 終戦から1970年代初め頃までの大阪の復興と発展を、ドラマとドキュメンタリーを組み合わせて紹介した番組でしたが、とてもよい出来でした。知らなかった知識も得られましたし、ドラマ仕立てにすることでよりリアルに歴史が伝わってきました。大阪城周辺が大阪工廠という武器製造の一大産業地帯だったのは知っていましたが、日清、日露から始まって、日本の軍隊の使う武器・弾薬はすべて大阪工廠で造られていたとまでは知りませんでした。戦前は、大阪が日本最大の工業都市だったというのも、この軍需産業がらみだったわけですが、そういう認識をしていませんでした。そして、終戦日前日の814日も大阪工廠は大空襲を受けているということも全く知りませんでした。

 戦後すぐの軍需産業が無くなり、仕事の無くなった工場が次々に潰れていく中で、1950年に始まった朝鮮特需でまた大阪で弾薬の武器が造られることになり、大阪経済の復興が大きく進んだわけです。ドラマでは、もう軍需物資は造りたくないという戦争経験者の思いや、同胞を殺す武器は造らないでくれと抗議に来る在日朝鮮人がいたりという、史実に基づいた話が紹介されます。朝鮮特需で、日本の経済は復興したという事実はみんなよく知っているわけですが、こうやってドラマ仕立てでその内容を紹介されると、単純によかったなとは全く思えなくなります。

 そして、1970年の万博に反対する「反博」が、大阪城公園でこんな風に開かれていたというのも初めてちゃんと知りました。「反博」という言葉は知っていましたが、単なるキャッチフレーズとして使われていただけなのかなと思っていましたが、こういう集会があったんですね。当時中学2年生で関東に住んでいた私は、この集会のことを全く知りませんでした。

 ドラマの主役の堤真一と孫娘役の伊東蒼(映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』のさっちゃんです)が非常にいいです。魅力的なドラマを楽しみつつ、多くのことを学べる良い番組です。ご覧になっていない方は、ぜひ「NHK+」で見てください。(2025.8.31

1105.あだち充『ラフ(全12巻)』小学館コミックス

 たぶん30年ぶりくらいに再読しました。確か『タッチ』の後に『少年サンデー』で連載していた水泳を扱ったマンガだったよなというくらいしか覚えていなかったので、再読とはいえ新鮮に読みました。1980年代の『少年サンデー』の柱だったあだち充や高橋留美子の当時のマンガは結構持っていてまだ捨てずにいます。あだち充に関しては、『少女コミック』連載のマンガも結構持っています。彼の世界観、というか人間観が好きなんですよね。基本悪人がいなくて、人間が好きになる話ばかりです。ユーモアのセンスも抜群です。そして、何より良いのはメインテーマが男女の恋だということです。このマンガも全12巻ですが、読み始めたら一気に読みたくなってしまいました。70歳なんて年齢になっても、こんな青春恋愛物語を楽しめるのも不思議な気はしますが、作者自身がほぼ同世代――あだち充は私の4歳上――ですから、恋愛観や女性観が共有できるからなのでしょう。最近のマンガはまったく読んだことがないですが、きっと最近のマンガ家の描く恋愛マンガだとこんなにははまれないと思います。というか、もう今更新しいマンガを読む気も起きないのですが。

 あだち充がすごいのは、セリフが少なくて、ほんのちょっとした表情、場面の絵で、深い意味を伝えてくるところです。よく小説で「行間を読む」という言葉がありますが、あだち充のマンガは「コマ間を読む」楽しみがあります。ストーリー作りも巧みで、毎回同じ顔のキャラクターを使いながら、ちゃんと人気マンガを描けていたのは、素晴らしい才能だと思います。この「ラフ」も「タッチ」も長澤まさみ主演で映画化されているようですが、評価は高くないようですね。まあでも、仕方ないと思います。マンガでしか示せない巧みな表現を実写映画で表現するのは無理でしょうから、観た人ががっかりするのは当然でしょうね。あだち充の世界はマンガでしか味わえないと思います。

あだち充はまだ連載をしているのでしょうか。1980年代に受けていた彼のちょっとした「読者サービス」的な絵が、今の時代だと「コンプラ違反」とか言われてしまうかもしれないので、もう描いていないかもしれませんね。以前、高橋留美子の『めぞん一刻』について感想を書いた時(参照:1047.高橋留美子『めぞん一刻(全15巻)』小学館)にも書きましたが、なんか今は難しい時代ですよね。80年代くらいまでの緩やかな性に対する関心や恋心を高めるマンガを読んできた世代と、そういうものはコンプラ違反でいけないと言われてきた――他方でネットを使えば過激な動画が簡単に観れてしまう――世代では、恋愛観や女性観がまったく異なるものになってしまうのも当然ですね。時計の針は逆転させられませんので、仕方がないのですが、やはりつい「昔はよかったなあ」とつぶやきたくなってしまいます。(2025.8.29

1104.川本三郎『君美わしく 戦後日本映画女優讃』文芸春秋

 久しぶりにワクワクするような本でした。これも研究室の奥深くに眠っていた本で1996年出版の本ですが、私の世代なら今読んでもまったく古びていない本です。というか今なら書けない本で、この時期だから書けた名著です。1950年代の映画最盛期に銀幕を色どった女優17名に1995年〜1996年にインタビューをしたものをまとめた本です。高峰秀子、津島恵子、淡島千景、久我美子、八千草薫、岡田茉莉子、杉村春子、山本富士子、前田通子、新珠三千代、高千穂ひづる、二木てるみ、山田五十鈴、有馬稲子、司葉子、若尾文子、香川京子の17人です。子役としてその頃から活躍していた二木てるみ以外はすべて昭和1桁以前の生まれの女優さんばかりで、みんな戦時期のことや戦後の混乱期も経験していた世代です。著者の川本三郎が非常に上手に話を引き出していていて、女優になった経緯、思い出の映画や監督のエピソードが、品の良い文章で綴られます。私はこの17人の中で知らなかったのは、前田通子という女優さんだけでした。彼女の章も面白かったです。日本で最初に映画でヌードを披露した人で、その後6社協定のせいで不遇な人生を送らざるをえなかったそうです。でも、この人の話でも、恨みつらみではない思い出話を引き出しています。

 ほとんどの女優さんが私の母と近い年齢で、昭和20年代、30年代の女性の美の基準になったような人たちです。そういう時代の映画の好きな私にとっても、自分が描いていた女性の理想像に近い姿を見せてくれていますが、この本を読むと、多くの方が60歳を過ぎてなお美しく見事に生きているというのが伝わってきて嬉しくなりました。たくさんの映画がこの本で紹介されており、ああそれ見たいなと思う作品がいくつも見つかりました。ありがたいことに、今の時代ネットで結構見られるようになっているので、何本かは見てみたいと思います。

 この本の出版から約30年経った今、この本の続編を作るとしたら、どんな女優さんがインタビューの対象になるでしょうね。私より少し上の世代から下の世代あたりですよね。浅丘ルリ子、十朱幸代、吉永小百合、栗原小巻、三田佳子、桃井かおり、風吹ジュン、松坂慶子、竹下景子、田中裕子、秋吉久美子、名取裕子、薬師丸ひろ子、原田知世、といった方々でしょうか。「君美わしく」という感じの内容にはならないかもしれませんが、読んでみたいです。文芸春秋さん、続編を誰かにやらせてみてほしいものです。(2025.8.26

1103.手塚るみ子『オサムシに伝えて』知恵の森文庫

 手塚治虫の長女である手塚るみ子が父親や家族についてのエピソードを書いた本です。文章も上手くなく、エピソードも面白くなくて、いったん放り出していた本ですが、このまま終えるのも気持ちが悪いので、引っ張り出して後半3分の2くらいを一気に読みました。ちょうど著者が高校生くらいからの部分で多少親子関係等が面白くなり始めたので、なんとか読めました。手塚治虫には、真、るみ子、千以子の3人の子どもがいますが、著者であるるみ子がもっとも我儘で手のかかる娘だったようです。高校時代から無断外泊などを頻繁にし、母親に厳しく怒られても父親の手塚治虫が優しいので、それをいいことに好き勝手しています。急にエスカレータ式の大学に行きたくない、受験をすると言ったかと思えば、すぐにやめてしまったり、卒業旅行では親に金を出させてオーストラリアに1人旅をしたりとやりたい放題です。

1964年生まれの著者は均等法第1世代に当たり、バブルに入る頃の就職活動だったようですが、あまり優秀ではなく、父親のコネを使っての入社なども試みたようです。結局なんとか広告代理店に勤めることができましたが、そこでも父親のネームバリューを使おうとしたりします。父親の七光で生きてきたような人物です。会社で付き合い始めた男性と結婚したいと両親に伝えますが、まだ若すぎると反対されますが、優しい父親はとりあえず同棲することを許可します。

 そんな勝手な生活をしていた時代に、手塚治虫に癌が発見され、最後の3分の1ほどは、その父親の病気と死についての話になります。この文章も下手で勝手気ままにどうでもいいようなことを書いているだけのこの本が文庫化までされたのは、この3分の1があるからなのだなと理解できました。もちろん、文章はうまくないですが、手塚治虫とその家族、親戚などとの関係が見えてくるこの病院の場面が克明に描かれているので、偉大な漫画家・手塚治虫の最後を記した本として価値があると思われているのでしょう。

 個人的には、私も自分の父親を見送る時に似たような経験をしているので、ちょっと特別な思い入れを持って、最後の100頁くらいは一気に読んでしまいました。手塚治虫は昭和3年生まれで平成元年に亡くなったのですが、私の父親は昭和2年生まれで平成3年に亡くなっていますので、ほぼ同じ時代を生き、亡くなっています。同じように癌でしたし、入院先に親戚が見舞いに来たり、最後の場面など重なるところも多く、ここだけは読みごたえがありました。

 ちなみに、この本の著者も、兄に当たる手塚真も、父親の遺産で食べているような人生みたいですね。まああれだけ天才的頭脳を持ち、すばらしい作品を残した人物を父親に持つというのも、それはそれでなかなか大変な人生なのかもしれませんね。(2025.8.24

1102.信濃太郎『社会運動一兵卒の記録』新泉社

 研究室の奥に眠っていた本ですが、薄い本でしたし、捨てる前に読んでみようと思い、読んでみました。信濃太郎という人物はウィキペディアにも紹介がない人物なので、まったく知らない人でしたが、本書を読むと、大正時代から労働運動や社会主義運動に関わり、この本を出した時点で80歳近くなっている人物でした。言わば、この本は自分史の一種で生い立ちから始まって様々な運動に関わり、何度も逮捕され、戦後も基本的に立場を変えずに闘ってきたということが語られます。途中いろいろ著名な運動家が出てきて、その世界ではこの人物もそれなりに有名人だったのかもしれないと思わされますが、ウィキペディアに紹介されるほどの大きな事績を残した人物ではないということなのでしょう。思いつくままに文章を書き連ねており、いつのことなのか正確な日時を書いてくれていないし、話によっては時代が行ったり来たりもするので、社会運動史の資料としても使いにくいです。唯一興味深かったのは、戦前の警察の社会運動に対する対応や、戦後になってそういう警察がどう変わったかといったあたりの話です。この著者は何度も逮捕され留置所には何度も入っていますし、暴力的追求も受けていますが、結局釈放され監獄には一度も行っていないようです。獄中で亡くなったとか転向したといった有名な人物の話はよく聞きますが、留置所までで済み生き延びた人物の話というのもそれはそれで貴重な気がします。タイトル通り「社会運動一兵卒」の話ということなのでしょう。(2025.8.24

1101.(映画)永井聡監督『恋は雨上がりのように』(2017年・東宝)

 重苦しい作品を見るのがしんどかったので、楽しく楽に見られそうな作品として見てみました。割とよかったです。ヒロイン役の小松菜奈という女優さん、目の印象がきつくてちょっと苦手だったのですが、この映画ではちょうどその睨んでいるような目というのが役柄の前半で活かされていて、後半に入って気持ちが変わってくると、その目が優しく見えてきたので、この役にはぴったりだったかなと思います。

 女子高生がバイト先の冴えない中年店長に恋をする話ですが、その店長を大泉洋が演じているので、危険な方向に話は進まず、むしろヒロインの女子高生も中年の店長ももう一度夢に向かって努力してみようという話になります。見終わっての後口のよい映画です。大泉洋が人気があるのは当然だなと思いました。(2025.8.21